2014/05/06 - 2014/05/06
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ミスターDさん
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GWの最終日、筑豊地区の3つの石炭産業に関わる展示館を巡りました。
石油へとエネルギー革命で、消え去っていった石炭産業の足跡を、あらためて知る旅となりました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
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福岡市内より、筑豊(飯塚・田川)には、車で1時間ほどで行けます。
有料道の八木山バイパスを利用します。 -
飯塚市内に入り、忠隈のボタ山が見えてきます。
石炭を採るために、掘り出した土を積み重ねた人工の山です。 -
別の角度からです。
年月の経過と共に、木々が生い茂る山になりました。 -
飯塚市の隣の、田川市石炭博物館に着きました。
二本の煙突がシンボルとなっていて、現在は公園としても整備されています。 -
高さ45mの巨大な煙突で、当時は絶えず黒煙を吹き上げていたそうです。
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耐火レンガを使用しており、貴重な産業遺産です。
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殉職者の慰霊の碑です。
過酷な労働や事故で、殉職者が多くいたことも、忘れてならない歴史の一つです。 -
こちらは、石炭ではありませんが、石灰石が採掘されている香春岳です。
現在も操業していて、採掘により山が半分ほどに削られている光景です。 -
石炭・石灰石を運んだ機関車が展示されています。
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旧三井田川鉱業所の竪抗櫓です。
高さ23mあります。 -
これで石炭を巻揚げていました。
二本の煙突とならぶ、田川のシンボルです。 -
石炭博物館に入ってみます。
観覧料は、大人210円です。 -
様々な石炭の資料を展示してます。
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当時の町並みの模型。
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炭鉱労働者でもあった、山本作兵衛さんの記録画が展示されています。
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案内板にあった絵画の複写です。
(写真撮影は禁止でした)
当時の過酷な労働や、生活などが描かれています。 -
石炭博物館の内部です。
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当時の炭鉱住宅が復元されています。
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長屋の建物です。
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住宅の内部の風景です。
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懐かしい昭和の光景が再現されています。
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戦後の高度経済成長を支えた、石炭産業でした。
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炭坑節発祥の地です。
最近はほとんど耳にする機会もありません。 -
飲料の自販機にイラストされています。
今では町おこしとして、期待されています。
次は少し離れた、直方市の石炭記念館に行ってみます。 -
直方市石炭記念館の横に、陣屋跡のような史跡板を発見しました。
城郭マニアとしては、見ておきたい場所ですが、「城ではない」とはっきり書いてあります。 -
「城ではない」と書いてあるのに、城址の碑が。しかもかなり新しい作りです。
様々な論争があるのでしょう。 -
少し進むと、わずかな石垣の跡が。
これが陣屋のものかは不明です。
気を取り直して、直方市石炭記念館へ。 -
非常に狭い敷地で、駐車場も5台ぐらいでした。
観光客は、1〜2組が入れ替わるような状況でした。 -
こちらにも蒸気機関車があります。
次に行く、貝島炭鉱で使用されていた、運搬用の機関車です。 -
日本最大の石炭の塊です。
様々な展示物があります。直方市石炭記念館 美術館・博物館
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記念館の内部です。
直方市石炭記念館 美術館・博物館
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先に入ったのが別館で、こちらが本館です。
明治43年に建てられた、石炭組合の直方会議所として利用された、レトロな建築物でした。 -
外装より、内部(天井・壁)がレトロです。
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レトロな雰囲気の中に、様々な展示物がありました。
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筑豊の名峰、福智山が望めます。
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竪抗櫓の跡です。
平成初期まで現存したそうですが、解体処分されたそうです。
次は先ほどの直方陣屋の遺構があると教えていただいた、近くのお寺に行ってみます。 -
直方市の西徳寺さんです。
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直方陣屋のどこかの門を移築されたと伝えられています。
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境内の梵鐘は、福岡城にあったと伝えられています。
黒田家ゆかりのお寺を参拝・見学させていただきました。 -
最後の目的地、貝島炭鉱跡の前に、食事を取ります。
筑豊ラーメン 山小屋の宮田店さんです。チェーン展開しています。 -
黒ラーメン・大盛・堅めん です。
とんこつに香味・香味野菜をブレンドした若干、あっさり系。筑豊ラーメン山小屋 宮田店 グルメ・レストラン
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足りなかったので、替え玉です。
筑豊ラーメン山小屋 宮田店 グルメ・レストラン
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よくスープになじませて、食べてください。
筑豊ラーメン山小屋 宮田店 グルメ・レストラン
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最終目的地の途中の、犬鳴川河畔公園と、福智山です。
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貝島炭鉱の露天掘の跡です。立ち入りは出来ません。
(第二西部露天掘溜水池) -
昭和51年にこの露天堀が終わり、貝島炭鉱は閉山、筑豊炭田の最後の灯りが消えました。
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少し離れた、中央露天掘溜水池です。
こちらも立ち入りが制限されています。貝島炭鉱 露天坑跡 名所・史跡
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かつての炭鉱の跡地です。
太陽光の施設が徐々に整備されているようでした。 -
筑豊の御三家として栄えた、貝島炭鉱の創業・発祥の地です。
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旧小学校の建物を利用した、宮若市石炭記念館です。
先月に来て、これで2回目です。
個人的にお勧めの場所です。 -
旧校舎を利用した雰囲気が、非常になごみます。
廊下です。 -
教室です。
旧校舎を利用して、様々な展示物があります。 -
このような机で、勉強したような記憶もあります。
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最盛期には、たくさんの児童で賑わいましたが、現在は子供の姿をまったく見かけませんでした。
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貝島さんが創られた、菅牟田小学校で、大正時代から使われたオルガンです。
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貝島炭鉱の当時の風景です。
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明治から昭和への時代の変遷が、石炭産業を通じて、よく分かる施設です。
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供養塔です。
多くの犠牲があり、高度経済成長を遂げて、現在の日本があると実感します。 -
これからも、時代がさらに早く変遷していくと思いますが、
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過去を教訓として、変化に対応していきたいと考えさせられます。
貴重な産業遺産に、皆様もぜひ、足を運んでみてください。
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