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東洋のマチュピチュというと、別子銅山東平ゾーンや竹田城(兵庫県)が有名ですが、この鬼ノ城も他所に引けを取らない迫力があります。もし、日本三大マチュピチュという認定があれば、必ず選ばれると思います。<br />総社市の観光ガイドには、<br /><br />「異国の鬼神が吉備国にやって来た。彼は百済の王子で名を温羅(うら)という。彼はやがて備中国の新山(にいやま)に居城を構え、しばしば西国から都へ送る物資を奪ったり、婦女子を掠奪したので、人々は恐れおののいて「鬼ノ城」と呼び、都へ行ってその暴状を訴えた・・・」<br /><br />と記されており、大和朝廷に対立した豪族の山城だと思っていたのですが、<br /><br />「663年(天智天皇2年)の白村江の戦いに倭国が敗れた後、唐・新羅の侵攻に備え築城したと考えられている」<br /><br />という説もあるようです。とにかく謎に満ちあふれています。<br /><br />20年ほど前に子どもたちと訪れた時は、石垣が残っている程度でしたが、その後、各所で復元工事が行われていてびっくりしました。もっとも新たに作られた角楼や西門は少々安っぽく見えました。「アラン使道伝」のようなドラマや映画のロケ地としては使えると思いますが。<br /><br />いちばん奥の「屏風折れの石垣」が、いちばん遺跡らしい雰囲気を保っています。<br /><br />

日本三大マチュピチュに認定したい規模の大きな山城(鬼ノ城)

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2014/03/30 - 2014/03/30

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隠居人はせじぃ

隠居人はせじぃさん

東洋のマチュピチュというと、別子銅山東平ゾーンや竹田城(兵庫県)が有名ですが、この鬼ノ城も他所に引けを取らない迫力があります。もし、日本三大マチュピチュという認定があれば、必ず選ばれると思います。
総社市の観光ガイドには、

「異国の鬼神が吉備国にやって来た。彼は百済の王子で名を温羅(うら)という。彼はやがて備中国の新山(にいやま)に居城を構え、しばしば西国から都へ送る物資を奪ったり、婦女子を掠奪したので、人々は恐れおののいて「鬼ノ城」と呼び、都へ行ってその暴状を訴えた・・・」

と記されており、大和朝廷に対立した豪族の山城だと思っていたのですが、

「663年(天智天皇2年)の白村江の戦いに倭国が敗れた後、唐・新羅の侵攻に備え築城したと考えられている」

という説もあるようです。とにかく謎に満ちあふれています。

20年ほど前に子どもたちと訪れた時は、石垣が残っている程度でしたが、その後、各所で復元工事が行われていてびっくりしました。もっとも新たに作られた角楼や西門は少々安っぽく見えました。「アラン使道伝」のようなドラマや映画のロケ地としては使えると思いますが。

いちばん奥の「屏風折れの石垣」が、いちばん遺跡らしい雰囲気を保っています。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
同行者
友人
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車
旅行の手配内容
個別手配

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