2014/03/14 - 2014/03/14
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ペコちゃんさん
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毎年行っている、近くの公民館の日帰りバスツアー・・・今回は、世界遺産登録を目指している「富岡製糸場」の見学と、群馬県にある2カ所の工場の見学会です。
参加者は総勢41名で、友達と3人で参加しました。
前日は雨でしたが天気も良くなり、楽しい1日を過ごすことが出来ました。
それにしても、鎖国政策をとっていた江戸時代から明治になった途端に、フランス人の協力を得てこのような大規模な富岡製糸場を造り、国造りを進めていった当時の人達の努力には、頭が下がる思いです。
また、ハイウェイオアシス「ららん藤岡」で、偶然にも洋蘭展を見ることが出来、「サントリー榛名工場」と「ガトーフェスタ・ハラダ」の工場見学など、群馬県に親しみを感じるツアーになりました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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関越に乗り高崎に近づくと、雪の赤城山が見えてきました。
前日の雨で、周りの山々は、どこも真っ白・・・ -
平成24年4月29日に、関越自動車道上り線の藤岡ジャンクション付近で、大きなバス事故がありましたが、ここがその現場。
乗客7人が死亡し、乗客乗員39人が重軽傷を負ったこの事故をきっかけに、高速ツアーバスは廃止され、高速路線バスに集約されることになりましたが、痛ましい事故でした。 -
遠くからでもよく見える「群馬県庁舎」・・・現在の県庁舎は1999年に竣工した超高層ビルで、耐震性や環境への調和に配慮した33階建ての建物・・・山口・東京に次いで、4人の総理大臣を輩出している群馬は、県庁も凄い!
東京都庁舎に次ぐ高さで、31階にはレストラン、32階には無料の展望台があります。 -
渋川伊香保ICで降り、17号線を進むと、最初の見学先・サントリー榛名工場が見えてきました。
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バスで入口から正面玄関に回ると・・・
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歓迎の案内板が出ていました。
玄関には自動扉が二つあって、一つ目が閉まりきらないと、もう一つが開かないようになっています。
虫などが入るのを防ぐためだそうです。 -
サントリー榛名工場は、14.4万平方mの広い敷地に4.6万平方mの建物。
年間生産能力は約5千万ケース。 -
平成4年に竣工したこの工場は、国内最大級の生産量を誇る清涼飲料製造工場で、「サントリーウーロン茶」、日本茶「伊右衛門」、缶コーヒー「ボス」などの清涼飲料を、高度な自動化設備と徹底した品質管理のもとで製造しています。
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先ず、抹茶入り「伊右衛門」の試飲です。
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” 伊右衛門の美味しい飲み方は、2~3回振って下さい ”
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サントリーは、今年からトクホの微糖タイプ缶コーヒー「ボス グリーン」を136円で発売しました。
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3階に上がって、工場見学のスタート。
フィラー機は、缶コーヒーなら1分間に1200本、2リットルのペットボトルなら1分間に300本も充填出来ます・・・凄いスピード! -
試験管のようなこのプラスチックが、ペットボトルの容器に膨らみます。
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地球環境を大切にしているサントリーは、2011年から国内飲料メーカーで初めて、ペットボトルをリサイクルしたリペットボトルを導入・・・回収されたペットボトルを粉砕・洗浄したものを原料として、新たなペットボトルを再生する容器リサイクルシステムで、メカニカル・リサイクルと言います。
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最後の工程は、中身を詰めて殺菌し、中身の量を検査して箱詰めで完了。
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環境保全活動に積極的に取り組んでいるサントリーは、ペットボトルは卵パックに、茶葉やコーヒーのカスは肥料に、スチール缶は鉄材にリサイクルしていますが、中でも凄いのは、工場で働く人の制服が、ペットボトルで作られていたこと・・・ペットボトル6本の再生繊維で、この上着が作られ、2リットルのペットボトル10本分で上下の制服が作られます。
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工場見学が終わり、2階のラウンジで飲み物を貰って、小休止。
この最新鋭の工場は、西に榛名山、東に赤城山を望み、豊かな緑と利根川の恵みに囲まれています。赤城山 自然・景勝地
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工場のテーマは「水と風と光」・・・目の前の庭は「三恵園」と呼ばれ、水・風・光を表わしているそうです。
工場の周囲は植栽で、塀や柵がありません。 -
最後に、お土産の缶ジュースを頂き、見送りまでしてもらいました。
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次は、富岡製糸場の見学です。
製糸場の中には駐車場がないので、3カ所の市営駐車場の中で、一番近い仲町にバスを止めて、3分ほど歩きます。 -
丁度12時なので、「おぎの家・富岡製糸場前店」で昼食をとりました。
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定番の釜めしに、コンニャク刺身とマイタケの天麩羅とキノコ汁、更にデザート(?)の鯛焼きまで付いたスペシャル・ランチ。
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富岡製糸場は明治5年(1872年)、明治政府が日本の近代化のために最初に設置した模範器械製糸場で、敷地面積は16,255坪もあります。
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当時、輸出品の8割は生糸でしたが、輸出の急増によって需要が高まった結果、質の悪い生糸が大量に作られます。
そこで政府は、生糸の品質改善・生産向上と、技術指導者を育成するため、 洋式の繰糸器械を備えた模範工場として、富岡製糸場を造りました。 -
明治3年に、明治政府は建設の指導者として、フランス人のポール・ブリュナと雇用契約を結び、1年半ほどで主要な建物を造ります。
ブリュナは、フランスから製糸技術者を連れてきたり、洋式の器械を日本人の体格に合うように改良したものを注文して取り寄せました。 -
後列右から2人目のポール・ブリュナ(1840~1908)は、フランス人の生糸技術者。
絹織物取引の中心地であるフランス・リヨンで生糸問屋に勤め、江戸末期の1866年に、横浜支店に派遣されました。
明治に入り、製糸工場候補地の視察に行き、武蔵国・上野国・信濃国を見て回り、
・交通の便が良い
・動力源の石炭および水が豊富
・建材の石材が入手しやすい
事などから、富岡を選定しました。
東京に戻って、ブリュナは日本政府と明治4年から5年間の雇用契約を結び、富岡製糸場の建設に先立って、機材購入や技師の雇用のために、一時フランスに帰国し、製糸工2名・工女4名を連れて再来日。
一般的な日本人職工の年俸が74円の時代に、ブリュナには、9,000円という高額の年俸が支払われました。
契約が終了した明治9年に、横浜港から帰仏しましたが、外国人指導者が去った後は、日本人だけで操業を続けました。 -
建物の壁に使う煉瓦は、フランス人技術者が瓦職人に作り方を教え、甘楽町に窯を築き、瓦と共に焼き上げました。
その中心となったのは、埼玉県深谷からやってきた瓦職人でした。
レンガを作った瓦屋は、後に深谷へ移転して、東京駅舎の赤レンガなどを焼きます。
煉瓦の目地には、セメントの代用として、漆喰を使用・・・原料となる石灰は、下仁田産です。
また、当時、大蔵省にいた深谷の養蚕家出身の渋沢栄一も、伊藤博文などと共に建設に尽力しました。 -
昭和62年3月に操業を停止するまでの115年間、富岡製糸場は、日本の製糸産業の中核として輝かしい足跡を残しています。
開業当初の操業に当たっては、工女と呼ばれる若い女性が、全国から富岡に集められ、技術を習得後、地元に帰って指導者として活躍しました。 -
門の外には昔ながらの郵便ポストがあり、ここで仲間と記念写真。
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門を入ってすぐの建物がチケット売り場です。
ボランティアガイドさんの解説を聞きながら、40分位でじっくり見学します。 -
富岡製糸場は、明治26年に三井家に払い下げされ、明治35年には原合名会社に譲渡されます。
原 富太郎(1868~1939)は岐阜出身の実業家で、横浜・三溪園を造った人です。
昭和14年には、日本最大の製糸会社であった片倉製糸紡績(現・片倉工業)と合併し、昭和62年まで操業が続けられました。
これは、正門を入った右側にある片倉工業の記念碑。
平成17年には、建造物一切が富岡市に寄贈され、富岡市の管理に移りました。 -
創業翌年の明治6年には、明治天皇の要請により、皇太后・皇后御一行が富岡製糸場を行啓されました。
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これは、その70年後に建立された行啓記念碑。
” いと車 とくもめくりて 大御代の 富をたすくる 道ひらけつつ ” という皇后の和歌には、製糸場の発展が日本の繁栄に繋がることへの期待感が表されています。 -
城内に入った正面にある「東繭倉庫」・・・レンガ壁のアーチに埋め込まれたキーストンには、創業年の「明治五年」。
東繭倉庫は、1階が事務所・作業場で、2階が乾燥させた繭を貯蔵する倉庫で、東繭倉庫のずーっと奥には、西繭倉庫もあります。 -
鉄枠のガラス窓や観音開きのドアの蝶番などは、フランスから運び込まれたものです。
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昭和58年には、常陸宮も視察に訪れています。
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富岡市のイメージ・キャラクターの「お富ちゃん」は、富岡製糸場創業140年の平成24年に誕生し、ずっと14歳のままです。
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東繭倉庫の向かいにある「検査人館」・・・生糸や機械の検査をしていたフランス人の男性技師の住居で、現在は事務所になっています。
2階の貴賓室には、大理石のマントルピースがあるそうです。 -
その隣のコロニアル風の造りの建物が女工館で、日本人工女に技術を教える為に来たフランス人工女の住居です。
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2月14日の大雪で、建物の屋根が崩落するなど計4棟が全半壊、職員1人が軽傷を負うなどの被害がありました。
この建物の屋根瓦も落下しています。 -
東繭倉庫の建物の長さは104.4m、幅12.3m、高さ14.8m・・・左サイドの建物は変電室。
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東繭倉庫の横面。
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東繭倉庫(右側)の横に、大きな繰糸場の建物があります。
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明治5年に建てられた繰糸場は、長さ約140.4m、幅12.3m、高さ12.1mで、当時、世界的にみても最大規模でした。
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建物の内部は「トラス構造」という建築方式になっていて、途中に柱が無いため、内部が広々としています。
当時はまだ電気がなく、自然光を取り入れる造りになっていて、ここにフランス式の繰糸器が300釜も並んでいました。
繭から生糸を取り出すには水が必要なので、至る所にパイプが張り巡らされています。 -
ここに工女達が並び、生糸を作りました。
ワインを好むフランス人が、工女の生き血を採って飲むという噂が流れるなど、工女募集も苦労があったようです。
数名の応募者から始まり、あの人が行くなら心配なかろうと、結果的に全国各地から400名以上の女子(殆どが名家のお嬢さん)が集まって、生糸の生産に従事することになりました。 -
和田(旧姓:横田)英(1857~1929)も、その一人。
1873年に信州・松代町から英を含む16人が富岡製糸場へ伝習工女として入場し、1874年に松代町に建設された日本初の民営機械製糸場・六工社の創業に参画するとともに、その後も教授として指導的な役割を果たしました。
1905年に富岡製糸場での日々を回顧して『富岡日記』を著しました。 -
座繰器を使った糸とりの様子。
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ポール・ブリュナによってフランスから輸入された「ブリュナ・エンジン」・・・石炭を燃やしてボイラーで蒸気を作り、その力でエンジンを動かして繰糸器を動かしました。
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建物内部の見学が、この繰糸場だけなのは、少し残念な気がします。
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富岡製糸場は、田島弥平旧宅・高山社跡・荒船風穴と共に「富岡製糸場と絹産業遺跡群」として世界遺産登録を目指し、案内係や警備などのボランティアの皆さんも頑張っています。
2月14日の大雪で、1週間閉園しましたが、平成25年度の入場者は、3月で30万人を超えました・・・皆で応援しましょう。 -
昭和15年に建てられた「診療所」は、3代目のものです。
当初は、フランス人医師が治療に当たっていました。
当時のフランスでは、これほどの規模の工場には診療所があるのが普通だったとかで、それをそのまま富岡製糸場でも取り入れたそうです。 -
さらに奥に進むと、明治6年に建てられた「ブリュナ館」があります。
この工場の指導者であったポール・ブリュナの住居で、建坪が320坪のブリュナ館は、高床式、回廊風のベランダがある風通しの良い開放感のある造りになっており、地下室はチーズやワインなどの食糧庫として利用されていたようです。
ブリュナが帰仏した後は、工女に読み書きや和裁を教える夜学校などとして利用されました。 -
ブリュナ館の奥には、工女達の寄宿舎があります。
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敷地内からからは、群馬県と長野県に跨る標高1,423mの荒船山が西の方に見えます。
南北約2km、東西約400mの安山岩で出来たこの台地にも、雪が残っています。荒船山 自然・景勝地
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富岡製糸場を後にして、再び高速に乗り、「ハイウェイオアシス・ららん藤岡」でお買い物タイム。
1999年に開駅した高速と一般道から入れる人気の道の駅で、農産物直売所・胡蝶蘭オーキッドハウス・肉の駅などの店が並んでいます。
この後行くガトーフェスタ・ハラダの店もありますが、 ” ここでは買わないでー! ” と添乗員さん。 -
2000年に藤岡市と中国・江陰市は友好都市となりました。
江陰市は人口約115万人の大都市で、北側に長江(揚子江)が流れ、南側に太湖があります。
江陰市から贈られた太湖石が飾られています。 -
花の交流館の展示コーナーでは、丁度、洋蘭展が開催されていました。
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「ららん藤岡・ぐんまの洋蘭展」は、藤岡市の特産であるシンビジウムを中心とした洋ランの発展を図るため、2008年より開催しています。
今年は、3月7日(金)~16(日)に開催され 生産者や愛好家が丹精込めて栽培した洋ランが展示されていました。 -
藤岡市は、温暖な気候で、冬季の日照時間が長いので、施設園芸に好適な地域です。
昭和48年に洋蘭研究会が発足し、現在、「藤岡市洋蘭組合」の組合員数は9名で、11~5月にかけて、シンビジュームの切り花を、年間約60万本出荷しているそうです。 -
胡蝶蘭を何本も束ねて、こんな作品も出来るんですね。
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鉢物だけでなく、寄せ植えにも圧倒されます。
どれもこれも、ウットリする美しさと香りで、時間がないのが残念でした。 -
ツアーの最後は「ガトーフェスタ・ハラダ」の本社工場見学です。
(株)原田は、1901年に高崎市近郊で和菓子店を創業したのがスタートです。
1946年にパン製造を開始し、パンを加工したラスクが好評なため、これを「グーテ・デ・ロワ(王様のおやつ)」のブランドで2000年から発売。
ほとんど宣伝していないのに、口コミで人気が高くなり、現在も工場では生産が追いつかないほどで、洋菓子メーカーとして急成長しています。 -
「シャトー・デュ・エスポワール(希望の館)」・・・5千坪の広大な敷地に、ギリシャ建築風の列柱が立ち並んでいる外観の本社は、2008年に竣工。
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本社工場の3・4階は「工場見学ギャラリー」として、ラスクの製造工程を見学できるコースを設けています。
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1階の説明会場には、パンフレットとお土産のラスクが2枚入った袋が、椅子の上に置かれています。
ここで、ビデオを見ながら説明を受け、イヤホンガイドを借りて工場を見学します。 -
最新鋭の製造ラインで、一部手作業を加えながら原料を投入するところから、ラスクが出来上がるまでの工程を見学出来ます。
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①小麦粉と水・イースト・モルト・バター・砂糖・塩を捏ねる
②生地をねかせて一次発酵
③生地をフランスパン1本分に成形
④パンをねかせて二次発酵 -
⑤コンベアで窯に入りパンを焼く
⑥焼きあがったパンをラックに入れて冷ます
⑦パンをカット(1本で50枚分)し、バター・グラニュー糖をかける
⑧ラスクを焼く(1時間で1万2千枚)
⑨ドイツ・シューベルト社のスキャナーで色・形・大きさを自動的に読み取って選別し、合格品を2枚1組に包装
⑩グーテ・デ・ロワの完成! -
焼きあがったラスクが、どんどん流れていきます。
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工場見学の後は、右隣にある「シャトー・デュ・ボヌール(幸福の館)」でショッピング・タイム。
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シャトー・デュ・エスポワールとシャトー・デュ・ボヌールの各建物には、お茶やコーヒーなどの無料自販機が置かれています。
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これが人気の、「グーテ・デ・ロワ ホワイトチョコレート」・・・ホワイトチョコレートたっぷりの、このラスクは、10月~5月までの販売。
皆さん、大きな袋に一杯買い込み、帰路に着きました。
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