2014/01/19 - 2014/01/19
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けけさん
チェコに2014/1/14~1/22まで行ってきました。
そこで見たことや感じた事の写真を掲載して行きます。
チェコ⑥[5日目:1/19] 2014/1/14~1/22
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一番行きたかったけど、一番行きたくない場所である「テレジーン収容所」に行ってきました。
バスでも行けるようでしたが、少しでも迷ったら引き返してしまいそうなので、プラハからのツアーに参加しました。
バン型の車で、運転手兼ガイド(英語)、スコットランドの老夫婦、トルコ人の女性二人と、私達でした。テレジーン小要塞 史跡・遺跡
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ここの施設は、もともと18世紀の終わりに軍事要塞として建築され、外部からの侵入を防ぐよう塀が張り巡らされている施設だったのですが、戦中にナチス・ドイツに利用され、反ナチス分子やユダヤ人を迫害するための施設となりました。
アウシュヴィッツなどの絶滅収容所とは異なり、ユダヤ人を絶滅収容所に送り込むまでのしばらくの間とどめておくための「通過収容所」であったが、ここに送られてきたユダヤ人は14万人近く、そのうち33,000人以上がここで亡くなり、およそ87, 000人がここから他の絶滅収容所、多くの場合はアウシュヴィッツに送られて殺されている。 -
小要塞に行くまでの道には、ここで亡くなられたからのお墓が一面に広がっていました。ユダヤ教、あるいはユダヤ民族を象徴する「ダビデの星」が目立ちます。
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入口前横の塀です。なんか物哀しい感じがします。
できれば入りたくなかった。写真も撮りたくなかった。
でも、振り返るためには必要だった事だと思います。 -
入口です。
この黒と白の縞模様に異様さを感じます。なにか意味がある模様なのか、囚人服のイメージなのか。
入りたくなかったです。
※旧約聖書のレビ記に「二種の糸で織った衣服を身につけてはならない」とあり、これが縞模様=反社会的なものという偏見の起源のようです。 -
専任のガイドさんが英語で人つづつ説明していってくれます。
英語は半分も理解できませんでしたが、「die」の単語が何度も聞こえてきました。
私は施設に入ってからでるまでずっと寒さからではない鳥肌が立ちぱなしでした。
写真の施設ではじめに選別されていたようです。 -
入口には「働けば自由になる」
働いても充分食事や居住空間が与えられなかったので、どんどん弱っていったと思います。 -
いくつものバラックがならんで居る。
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中は埃っぽく、そして3段ベットと机があるが、ここに何十人がぎゅうぎゅう詰で収容されたと思うとストレスだけでも病気になってしまいそうだ。
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シャワー室のシャワー
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ここは集団のシャワー室。
雰囲気的にガス室にも見えるけど、テレジーンにはガス室なかったようである。 -
病室でベットも残っているが、この病室から戻れられた人は少なかったんだと思う。
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500mもある処刑場に続くトンネルです。照明があったからよかったけど、真っ暗の中長距離を歩いて行く心境は測りしれません。
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銃殺場
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近年に建てられた銅像のようです。
痩せ具合や弱り具合が現実も見させてくれます。 -
第四中庭のバラックは天井灯りがあって明るいですが、それでも・・・
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独房のようです。
衛生的ではなかったと思います。 -
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