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三か月ぶりの新作です(*^_^*)<br /><br />旅先での一期一会の出逢いと云えども、幾年経ても記憶に残る人は居るものである。<br /><br />ギリシャの港町パトラスからイタリアのブリンディジーに向かうアドリア海をフェリーで渡る船中で出逢った私と同世代の日本人パッカーがいた。船中で聞く彼の話はとても興味深かく、印象的だった。<br /><br />日本を離れて三年過ぎたという彼はイスラエルのキブツで働きながら暫くボランティアとして過ごした事があったという。キブツは共同体のような組織でイスラエルという極めて特殊な国家の成り立ちと関わっていたと思われる。砂漠を開墾し、野菜や果物を植え、生産性のある街づくりをして、建国の礎の柱のひとつになっていたと思われる。当時でもイスラエル国内に百か所程のキブツが在るという話だった。<br />カマボコ兵舎のような建物に蚕棚ベッドという感じのドミトリーな部屋を与えられ、作業労賃こそ出ないが衣食住は無償で保障されるので、経済的な心配は無く、かなり気楽だったという。ただ夕食が様々なバリエーションこそあるが、必ずのようにチキン料理だったことには閉口したらしい。彼の話に寄れば、世界中から旅行者がボランティアとしてキブツで働いていたという。更に4週間に一度くらいのペースで、日帰りのバス旅行に連れて行ってくれるらしく<死海>にも<嘆きの壁>も訪れたという話だった。<br />キブツではどんな仕事をしていたの?と尋ねると主にベルトコンベアで流れてくるオレンジやレモンの選別作業をしていたという。<br /><br />彼の話で興味深かったのはトルコのアンカラに向かう車中にてコンパートメントで同室になった感じの良いトルコ青年と意気投合し、小学校の教師をしているという彼の授業にゲストとして授業参観したという話だった。教師から今、国語の時間に日本の話を教科書で勉強している所だと聞き、是非、子供たちに日本の話をして貰えないかと懇願され、意気に感じた彼は、そのトルコの青年教師が住む街で共に列車を降り、そのまま彼の家に居候、翌日、共に小学校に赴き、授業参観のような形で国語の教科書を見せて貰うと、日本の話というのは何と<忠犬ハチ公>の物語だったという。彼は教科書に挿入されていた数葉の挿絵を観て確信したという。私は、その話を聞いて世界中に拡散していく<忠犬ハチ公物語>実に恐るべしと云う気持ちを強く持った。後年、ハリウッドで<忠犬ハチ公物語>がリチャード・ギア主演でリメークされている事を考えると、忠義を尽くす主従関係という部分で意外と普遍的で非常に判りやすいストーリーなのかなとも思ってしまう。私も子供の頃、初めて<忠犬ハチ公>のストーリーを国語の教科書で読んだときには、ハチ公の心情?に思いが至り、切ない気持ちになったような記憶がある。<br /><br /><br />それにしても思い返せば、当時のバックパッカーのノリの良さには驚嘆する。私だったら、列車で同室になった現地の人間に付いていくか?否か? 私もユースホステルなどで相部屋になった異国の旅行者とアドレスを交換し、訪ねて行ったことも、日本に訪ねて来られた事も幾度もあった。そして幸運にも厭な思いに遭遇したことは殆ど無かったような気がする。相手の人柄、パーソナリティも含めて充分に見極めて判断するということかなと思う。って先方もこちらを観察している訳であり///(―_―)!! <br />言葉でのコミュニケーションが充分で無くても、相手の人柄のようなものは見えてくるものだという私なりの旅先で培った人間観察眼が一人旅を続けていく中で少しずつ熟成され養われていったような気もするのだ。気の所為かも知れないが(#^.^#)<br />今日日、車中で声を掛けられ、ノコノコ付いていけば、普通に犯罪に巻き込まれる様な時代、 昔はおおらかだったのかなあとふと思う。それでも私自身の体験を思い返せば、そこそこにドジを踏んでプチ授業料はしばしば払い続けたような気もする・・・やはりお馬鹿なおいらである・・(―_―)!!、<br /><br />船中、そんな他愛の無い旅先でのエピソードを聞いていると、唐突に遠慮がちに彼が云う。<br /><br />「もし出来れば写真を何枚か撮って貰えませんか? 私より先に帰国するならば、実家に写真を送って貰えれば、私が元気に旅を続けている事を家族に知らせる事が出来て、とても有り難いのですけど・・・」 費やするお金は今払うという彼を制し 私はお安い御用とばかりに快諾した。 <br /><br />帰国後、現像された写真を約束どおりにアドレスを貰った彼の実家に経緯を記した添え書き文と共に送った。長い旅の最中に幾人もの長期旅行者から写真の送付を頼まれ私はかなり律儀に相手のアドレスに送っていたような気がする。 <br />やがて時が経ち写真を送ったことすら忘れてしまっていた頃、一通の封書が送られてきた。それは彼の父親からの礼状だった。<br />曰く、頂いた手紙を大事に仕舞いすぎて、何処に置いたか判らなくなって礼状を出すことが遅れてしまったこと、 息子はまたイスラエルに戻ってキブツでしばらく働いているということ、もし出来れば息子に手紙を書いてやって貰えないか、旅先では日本からの手紙が息子の一番の力になると思うので。と云った意味のことが控えめに記され、彼が今、生活拠点にしているイスラエルのキブツのアドレスが添付されていた。<br /><br />遠い異国に暮らし何年も逢えない、戻ってこない息子を思う親の切ない気持ちが行間から滲み出て、かって放蕩な旅人だった自身の事と重なり、少し胸を衝かれ、感じる思いがあった。<br /><br />国内外の旅先で出逢った数多くの人達に写真を送った中で、丁寧に礼状を寄越したのは日本人では唯一、彼の父親だけだった。日本からの友人・知人からの手紙が独り旅の人間には<前に進むパワーになる>という事は自分の体験から充分に実感していた。と同時に残された家族の思いと云うものを彼の父親の文面に寄って改めて知らされた思いだった。<br /><br />私も彼の父親と同じ思いを長い旅の最中には自分の両親・家族にさせていたのだなという事に思いが至り、待っている家族の心情に改めて気付かされた。                  <br />           終<br /><br />

アドリア海・フェリー船上で出逢った印象に残った日本人のこと

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2013/12/18 - 2013/12/18

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kio

kioさん

三か月ぶりの新作です(*^_^*)

旅先での一期一会の出逢いと云えども、幾年経ても記憶に残る人は居るものである。

ギリシャの港町パトラスからイタリアのブリンディジーに向かうアドリア海をフェリーで渡る船中で出逢った私と同世代の日本人パッカーがいた。船中で聞く彼の話はとても興味深かく、印象的だった。

日本を離れて三年過ぎたという彼はイスラエルのキブツで働きながら暫くボランティアとして過ごした事があったという。キブツは共同体のような組織でイスラエルという極めて特殊な国家の成り立ちと関わっていたと思われる。砂漠を開墾し、野菜や果物を植え、生産性のある街づくりをして、建国の礎の柱のひとつになっていたと思われる。当時でもイスラエル国内に百か所程のキブツが在るという話だった。
カマボコ兵舎のような建物に蚕棚ベッドという感じのドミトリーな部屋を与えられ、作業労賃こそ出ないが衣食住は無償で保障されるので、経済的な心配は無く、かなり気楽だったという。ただ夕食が様々なバリエーションこそあるが、必ずのようにチキン料理だったことには閉口したらしい。彼の話に寄れば、世界中から旅行者がボランティアとしてキブツで働いていたという。更に4週間に一度くらいのペースで、日帰りのバス旅行に連れて行ってくれるらしく<死海>にも<嘆きの壁>も訪れたという話だった。
キブツではどんな仕事をしていたの?と尋ねると主にベルトコンベアで流れてくるオレンジやレモンの選別作業をしていたという。

彼の話で興味深かったのはトルコのアンカラに向かう車中にてコンパートメントで同室になった感じの良いトルコ青年と意気投合し、小学校の教師をしているという彼の授業にゲストとして授業参観したという話だった。教師から今、国語の時間に日本の話を教科書で勉強している所だと聞き、是非、子供たちに日本の話をして貰えないかと懇願され、意気に感じた彼は、そのトルコの青年教師が住む街で共に列車を降り、そのまま彼の家に居候、翌日、共に小学校に赴き、授業参観のような形で国語の教科書を見せて貰うと、日本の話というのは何と<忠犬ハチ公>の物語だったという。彼は教科書に挿入されていた数葉の挿絵を観て確信したという。私は、その話を聞いて世界中に拡散していく<忠犬ハチ公物語>実に恐るべしと云う気持ちを強く持った。後年、ハリウッドで<忠犬ハチ公物語>がリチャード・ギア主演でリメークされている事を考えると、忠義を尽くす主従関係という部分で意外と普遍的で非常に判りやすいストーリーなのかなとも思ってしまう。私も子供の頃、初めて<忠犬ハチ公>のストーリーを国語の教科書で読んだときには、ハチ公の心情?に思いが至り、切ない気持ちになったような記憶がある。


それにしても思い返せば、当時のバックパッカーのノリの良さには驚嘆する。私だったら、列車で同室になった現地の人間に付いていくか?否か? 私もユースホステルなどで相部屋になった異国の旅行者とアドレスを交換し、訪ねて行ったことも、日本に訪ねて来られた事も幾度もあった。そして幸運にも厭な思いに遭遇したことは殆ど無かったような気がする。相手の人柄、パーソナリティも含めて充分に見極めて判断するということかなと思う。って先方もこちらを観察している訳であり///(―_―)!! 
言葉でのコミュニケーションが充分で無くても、相手の人柄のようなものは見えてくるものだという私なりの旅先で培った人間観察眼が一人旅を続けていく中で少しずつ熟成され養われていったような気もするのだ。気の所為かも知れないが(#^.^#)
今日日、車中で声を掛けられ、ノコノコ付いていけば、普通に犯罪に巻き込まれる様な時代、 昔はおおらかだったのかなあとふと思う。それでも私自身の体験を思い返せば、そこそこにドジを踏んでプチ授業料はしばしば払い続けたような気もする・・・やはりお馬鹿なおいらである・・(―_―)!!、

船中、そんな他愛の無い旅先でのエピソードを聞いていると、唐突に遠慮がちに彼が云う。

「もし出来れば写真を何枚か撮って貰えませんか? 私より先に帰国するならば、実家に写真を送って貰えれば、私が元気に旅を続けている事を家族に知らせる事が出来て、とても有り難いのですけど・・・」 費やするお金は今払うという彼を制し 私はお安い御用とばかりに快諾した。 

帰国後、現像された写真を約束どおりにアドレスを貰った彼の実家に経緯を記した添え書き文と共に送った。長い旅の最中に幾人もの長期旅行者から写真の送付を頼まれ私はかなり律儀に相手のアドレスに送っていたような気がする。 
やがて時が経ち写真を送ったことすら忘れてしまっていた頃、一通の封書が送られてきた。それは彼の父親からの礼状だった。
曰く、頂いた手紙を大事に仕舞いすぎて、何処に置いたか判らなくなって礼状を出すことが遅れてしまったこと、 息子はまたイスラエルに戻ってキブツでしばらく働いているということ、もし出来れば息子に手紙を書いてやって貰えないか、旅先では日本からの手紙が息子の一番の力になると思うので。と云った意味のことが控えめに記され、彼が今、生活拠点にしているイスラエルのキブツのアドレスが添付されていた。

遠い異国に暮らし何年も逢えない、戻ってこない息子を思う親の切ない気持ちが行間から滲み出て、かって放蕩な旅人だった自身の事と重なり、少し胸を衝かれ、感じる思いがあった。

国内外の旅先で出逢った数多くの人達に写真を送った中で、丁寧に礼状を寄越したのは日本人では唯一、彼の父親だけだった。日本からの友人・知人からの手紙が独り旅の人間には<前に進むパワーになる>という事は自分の体験から充分に実感していた。と同時に残された家族の思いと云うものを彼の父親の文面に寄って改めて知らされた思いだった。

私も彼の父親と同じ思いを長い旅の最中には自分の両親・家族にさせていたのだなという事に思いが至り、待っている家族の心情に改めて気付かされた。                  
           終

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この旅行記へのコメント (8)

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  • ちょめたんさん 2014/01/14 20:42:04
    3か月ぶりの新作で!!
    お父様の気持ちを理解したとのこと!

    それからのちはkioさん親孝行をされましたか(*_*)⁉

    それにしてもそのお父さん嬉しかったでしょうね3年は長いですからね〜

    kioさんの心も温まったでしょうね

    リチャードギアのハチ公見た時もやっぱり泣きましたうちにも秋田犬いまし

    たが本当に可愛かったですよもう一度逢いたい(´ノω・。)

    kio

    kioさん からの返信 2014/01/15 21:35:41
    RE: 3か月ぶりの新作で!!
    ちょめ姐さん こんばんわ
    書き込み&投票ありがとうございます。

    いや〜 毎日寒いっすねえ(ー_ー)!!


    > それからのちはkioさん親孝行をされましたか(*_*)⁉

    孝行したいときに親は無し(ー_ー)!!
    もっともっとねぇ、、孝行すべきでしたよん

    > それにしてもそのお父さん嬉しかったでしょうね3年は長いですからね〜
    > kioさんの心も温まったでしょうね

    本文には書かなかったけど、信州の方たっだんですよ。
    アドリア海のフェリーで遭遇した青年、
    私も両親が信州出身だったので、信州には愛着もあり
    軽くシンパシーを感じましたね

    > リチャードギアのハチ公見た時もやっぱり泣きましたうちにも秋田犬いましたが本当に可愛かったですよもう一度逢いたい(´ノω・。)

    我が家でもポメラニアンを10年近く飼っていましたが
    ホントに家族同様ですよね。今でも街角でポメラニンを見掛けると
    飼っていたポメの事、思い出しますもん(*^_^*)
  • josanさん 2013/12/25 07:51:30
    手紙。
    kioさん今日は〜、昔は手紙は悪筆の私に取って、−番
    苦手な物でした。(涙)

    何しろ学校の授業でメモを取っても、悪筆ゆえ後で自分
    が読めない程の、マジで酷い文字でした〜。(大笑)

    今ではパソコンでメールと言う手が有りますが、学生時
    代に旅先で知り合い、恋心を抱いた書道部の女子大生
    に、人生で初めて送られた、巻紙に筆で認められた恋文
    に、悪筆ゆえ返事も書けずに、恋心を諦めた私で〜す。(涙)

    ですので今でも、美しい文字を書く人に私は憧れます。(マジ)



    御殿場よりJOSAN。






    kio

    kioさん からの返信 2013/12/25 21:08:42
    RE: 手紙。
    josan会長 こんばんわ

    書き込み&投票 ありがとうございます。

    > kioさん今日は〜、昔は手紙は悪筆の私に取って、−番
    > 苦手な物でした。(涙)
    > 何しろ学校の授業でメモを取っても、悪筆ゆえ後で自分
    > が読めない程の、マジで酷い文字でした〜。(大笑)

    私、小学校6年間 ペン習字、やっていて段位まで
    取ったのですが、今は面影まったくありません(ー_ー)!!
    学生時代までは良い字を書いていたのですが←自分で云うか(^_-)
    今は走り書きのメモ書きした文字が後で自分で判読出来ません(ー_ー)!!

    石原慎太郎、超悪筆で知られていますが、各出版社には難解な
    慎太郎の原稿を解読する専門の編集者がいるやに聞きました。
    私も慎太郎の生原稿観た事が有りますが読めません(ー_ー)!!

    > 学生時代に旅先で知り合い、恋心を抱いた書道部の女子大生
    > に、人生で初めて送られた、巻紙に筆で認められた恋文
    > に、悪筆ゆえ返事も書けずに、恋心を諦めた私で〜す。(涙)

    巻紙に筆で認められた恋文!! 
    なんか紫式部や清少納言を想起させますよん(*^_^*)

    > ですので今でも、美しい文字を書く人に私は憧れます。(マジ)

    美しい文字を書く人、私の中でもポイント高いですねぇ(*^_^*)
  • 唐辛子婆さん 2013/12/21 03:06:57
    手紙
    kioさん

    遠方どうしの心をつなぐものが手紙しかなかった時代って
    なんて心もとない時代だったのだろうとしみじみ。

    地球の反対側にいる親しい人たちと瞬時に連絡がとりあえる
    今の便利さに感謝です。

    でも幼馴染の名古屋やんと私、細々とした手紙のやりとりを50年も続けて
    ここまでたどりついたんでした。

    唐辛子婆

    kio

    kioさん からの返信 2013/12/21 21:22:32
    人が書いた文字には温もりが伝わり・・・
    唐獅子マダム こんばんわ〜〜
    書き込み&投票 ありがとうございます!


    > 遠方どうしの心をつなぐものが手紙しかなかった時代って
    > なんて心もとない時代だったのだろうとしみじみ。

    旅先で出逢って懇意になった人が居たんですけど、
    私より先に帰国したその方からバルセロナの中央郵便局留めで
    便箋14枚のなが〜い手紙を頂いたことがありました。

    旅の最中の自ら感じた印象や思いが切々と書かれてあり、
    それは私が感じた想いでもあり、読みながらシンパシーを感じ
    かなりグッときた記憶があります。
    これはe-mailでは絶対に味わえない感覚だと
    思います。<人が書いた文字には温もりあり>という感じ。
    同封されていた<桜の花びら>が私を望郷の思いに
    軽く駆り立てた記憶がありますよん。
    と、妙なレスになっちまいました(ー_ー)!!


    > でも幼馴染の名古屋やんと私、細々とした手紙のやりとりを50年も続けて
    > ここまでたどりついたんでした。

    いや〜〜本当に 素晴らしいことだと思いますよ!!
  • SUR SHANGHAIさん 2013/12/19 07:02:04
    パッカー時代
    …の方が、味がある旅をしていたなあ〜と思うこの頃。
    同じ車内で、同じホステルで…、いろんな出会いがありました。
    いまも連絡のやり取りをしている人も数人いますよ。
    ほとんどの人たちは、そのまま行き過ぎて行く、文字通りの旅の人でしたけどね。(ノ∀`)
    時々思い出しては、いま、あの時のあの人たちはどうしてるんだろうと思ったり。
    あっちでもそうだったりするのかも? 。゚(●'ω'o)゚。うるうる
    いつかどこかでまた接点ができる事ってはほぼありえないだろうから、感傷的になってみたり。

    kioさんのお話は、その後の経緯まであって、一層感慨深いですね。
    その親子はそれからどうなっただろう…と思わせます。

    kio

    kioさん からの返信 2013/12/19 21:28:32
    バックパッカー今昔物語
    surshanghai さん こんばんわ〜〜

    早々の書き込み ありがとうございます!

    ふとしたことから、突然この方の記憶が蘇り、
    ひと晩で書き上げました。


    > 同じ車内で、同じホステルで…、いろんな出会いがありました。
    > いまも連絡のやり取りをしている人も数人いますよ。

    私も幾人もいるんですよ。70年代の旅仲間が・・・
    未だに年に三回ほどですが東京近郊にいる仲間とは飲み会やってます(*^_^*)
    (一週間前に逢ったばかりでした( ^)o(^ )5人集まりました。
    皆 立派なおっちゃん達です(爆)

    > kioさんのお話は、その後の経緯まであって、一層感慨深いですね。
    > その親子はそれからどうなっただろう…と思わせます。

    それから 更に数年経って、この方の郷里に近い場所に
    行く用事が出来て、久々に再会出来るものならばと、
    封書に記載されていた電話番号にかけたのですが、
    何度電話しても出ることがなく、結局逢えず仕舞いでしたね(ー_ー)!!

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