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【9月21日(土)】<br />今回は空飛ぶドクター手作りツアー第二弾です。第一弾はナポリ近郊でした。<br />今回はアメリカで、2ヵ所とも私が住んだことのある場所です。目玉は一ヶ所目で普通の家庭を訪問することと二ヶ所目は壮大な地平線を見ることです。ニューが付く州に縁があり、最初はニューヨーク州で二ヶ所目はニューメキシコ州です。ちなみに、アメリカ合衆国の50州のうち、ニューが付くのは全部でたった3つで、もう一つはニュージャージー州です。<br /><br />第一弾は全部で4人だけでしたが、第二弾の今回は6人です。前回と同じメンバーは84歳女性のOさん、ベテラン添乗員のIさんと私の3人です。今回は私の次男を連れて来ました。実は、同じコースのツアーを家族旅行として7年前にやりました。他の3人の子供を連れ、知人のナース2人と娘の友だちと全部で7人でした。次男はその時、シアトルにAFS高校留学中でしたから不参加でした。他に、60代の社長Mさんと男子看護学生18歳のK君です。全部で6人です。<br /><br />私と息子はもちろん福岡から、大阪在住のOさんも行きは名古屋中部空港からで4人と成田で合流し、全日空便でシカゴ・オヘア経由のバッファローまで(ユナイティド航空)です。シカゴでは入国審査で長い列があり、1時間以上かかりましたが、幸い、乗り継ぎ時間は余裕があったので慌てずにすみました。成田を夕方の便でバッファローに着いたのは午後7時過ぎでした。<br /><br />予定通り、7人乗りのミニバンをいつものバジェットでレンタルし、運転手は慣れている私です。トヨタ車でした。昨年アメリカで買ったポータブル・カーナビ(Garmin)を持ってきたのですが、何故か繋がりません。助手席で息子に初期化(?)等、いじくってもらっているうちに幸い使えるようになりました。目的地は私がAFS高校留学していた Westfield で、バッファロー空港からはI-90(インターステート90号線)で約1時間です。エリー湖(五大湖の一つ)に面したウェストフィールドはかなりの田舎ですが、幸いI-90の出入り口があり便利です。一応、ニューヨーク州(西端)なのです。<br /><br />途中で最初の食事をしたので、ウェストフィールドのホテルに到着したのは夜10時過ぎでした。ホテルが目玉で、一軒家をB&amp;B、つまり民宿風に改造したもので、それも何と私のホームステイ先の家だったのです。村のメインストリートにあるのですが、実は本来の場所から100Mほど家ごと移動しているのです。大手のドラッグストアCVSが進出して、家が立ち退き壊されることになったのです。しかし、歴史が浅いのでかえって古い物を大事にするアメリカならでは、船長が建てたユニークなヴィクトリア調の一軒家、保存しろということになり、壊す代わりに家ごと移動するという日本では考えられないことになったのです。たぶん10数年前のことです。今はフロリダ州にいるホストシスター、ジャニスから聞きました。もちろん、引っ越しの際は一大ニュースになったようで、車で引っ張っている写真が残っています。ですから名前は船長にちなんで Captain Storm House B &amp; B です。<br /><br />昨年の40年目の同窓会でも、ここに来ている私ですが、一軒丸ごと借りきるにはグループでないと無理です。今回は6人で5部屋必要ですので、むしろ1部屋足りないくらいで、同じ敷地にある Candlelight Lodge に一人だけ泊まってもらいました。私は当然以前の自分の部屋を選択しました。ただ、厳密には私の部屋は広いジャクジー付きのバスルーム、シャワールームになっていました。それに隣接した部屋で寝ました。でも、おかげで思い出いっぱいの1階にある居間を自由に使えました。<br /><br /><br />【22日(日)】<br />このホテルは変わっていて、B&amp;B (Bed &amp; Breakfast) という名前なのに朝食は付きません。朝食は、名前は変わったものの以前からあるレストラン(Vine City Restaurant)へ行きました。すぐ隣で歩いて行けます。さすがにアメリカの朝食は卵が3個とソーセージ、ハム、またはベーコンそれとジャガイモと油っぽくボリューム満点です。味は大したことはありません。全部食べたら、朝から相当のカロリー摂取です。<br /><br />ここウェストフィールドは名もない田舎「町」です。「村」かもしれません。行政の定義が違うらしく、Welcome to the Village of Westfield という看板もありますし、the Town of Westfield というのも見たことがあります。日本の住所表記のような厳密な名前はないのかもしれません。ちなみに、日本では私の田舎のように○○郡は△△市と同列ですが、アメリカでは大きな「市」にも「郡」の名前があります。 <br /><br />まず、東西に走るメインストリートと直角に交差する幹線のポーテッジ通りをずっと南下して Chautauqua Lake(ショトークア湖(五大湖とは別に数ある湖の一つ))に行き湖畔を散策します。海のように大きなエリー湖(ポーテッジ通りを北上するとすぐ)よりこちらの方が手ごろな大きさで別荘もたくさんあります。昨年アメリカで買って使ったカーナビを持ってきたので、メモリーに昨年行った住所が残っています。それらしい住所を設定して行くと、ショトークア湖の近くのアメリカにしては道路が狭い別荘が並ぶ一帯へ来ました。徐々に思い出しました。昨年訪れたこの全米的にも有名な Chautauqua Institute (Institution) に夏だけ住んでいる知人の家の一帯でした。夏には入場や中に住むにはかなりのお金が必要なここ Chautauqua Institute ですが、秋には自由に入れるらしく、何の制限もなかったので、いつの間にか入っていました。正面にある料金所(今は無人)を通過して思い出しました。昨年は、知人に会いに来たのに車ごと通過して10ドルも払いました。<br /><br />ここにも思い出があり、留学生の時、悪友と塀をよじ登ってただで入った記憶があります。夏の間有料で高い理由に、夏の間中、色々な交響楽や著名な歌手のコンサートやオペラなどが屋外であるからです。中にいる住民は無料です。ですから、外部の人はその時だけ有料で入場できるのです。<br /><br />それから、隣村のメイビルを通ってウェストフィールドへ戻って来ます。途中で、小高い丘からは海のようにでかいエリー湖がいい感じで見えます。この道を選んだ理由です。写真で真ん中あたりに色が変わって海のように見えるのがエリー湖です。大き過ぎてほとんど海と変わりません。<br /><br />次にメインストリートとポーテッジ通りの角にある以前は映画館があった所へ行きます。少女(ベデル)とリンカーン大統領の銅像が1999年にできています。昨年も来ているのに、この銅像には気が付きませんでした。今回、ツアーにするのにインターネットで詳しく調べていて知りました。有名なエピソードで、この田舎町に住む12歳の少女、グレース・ベデルが大統領選さなかのリンカーンに手紙を書いたのでした。あごひげを生やしたほうが威厳があってかっこいいとアドバイスしたのです。リンカーンはそのアドバイスに従い、大統領選に当選したので、就任旅行中に彼女にお礼を言うためにわざわざこの田舎町に立ち寄ったのです。<br /><br />この有名なエピソードは何故か一年間留学中誰も私に教えてくれませんでした。ただ、同じAFSでこの近くの村に留学していた日本人の先輩からかろうじて一度だけ聞いたことがありましたが、この銅像のことは昨年来た時も誰も話題にもしていないので、気が付きませんでした。でも、今回慌てて尋ねると当然の如くみんな知っているようでした。<br /><br />11時半に約束していたロス夫人の家へ行きます。日曜日なので教会から帰って来る時間に合わせています。会うのは7年ぶりです。彼女は当時ボランティアで留学生の世話をしてくれていました。私がファミリーチェンジをした時、新しい家庭が決まるまでの10日間ほどこの家でお世話になりました。厳密には、数軒となりの以前の家でした。この家には地下に室内プールがあります。84歳とちょうど同行の0さんと同じ年ですが、週に3回ほど泳いでいるそうです。末っ子のハワードがぶどう農家を継いでいるので、いつもぶどう畑を見学させてもらいます。5時から収穫するのを見せてくれるということです。主に、コンコード種のぶどうを育てていて、日本でもカルピスと提携して売っている Welch’s のジュースの原料です。今は、より利益率の高いワイン用のぶどうも育てているようです。<br /><br />久しぶりにロス夫人と話していて、気が付いたことがあります。米語ではTの発音が母音に挟まれるとDに近く濁ります。イタリア語を勉強している私は Italy を英語でも「イタリー」とはっきり発音する癖がついていました。ロス夫人に聞き返されて言い直しました。「イダリー」に近い感じです。アメリカに住んでいる時は自分の名前「坂本」も「サカモード」に近い感じで発音していました。<br /><br />実は、昨年の40周年同窓会の時にこの家に泊まりました。次男のスティーブが私と同級生で帰省していて、最初のホストブラザーのブラッドとその奥さん(アメリカ人らしく再婚した二人目の奥さん)とともにこの家に泊めてもらいました。でも、肝心のロス夫人は親から引き継いだメイン州の別荘に行っていて、すれ違いでした。<br /><br />5時までの間、バルセロナと別名のついているエリー湖にある港へみんなを案内します。車でたった5分です。アメリカ最古のガス灯がある灯台があります。近くには、私が友達とよく夜食を食べに行っていたジャックの店もあります。五大湖の一つ、エリー湖は大き過ぎて対岸は見えず、海みたいなものです。でも、採れる魚はもちろんワカサギなど淡水魚で、食べられます。この大きな湖が全て冬場は凍るので、歩いてカナダ側へ渡る人もいるそうです。この大きな湖の雪解けの具合で、このエリー湖沿い(隣のペンシルベニア州も)はぶどうの栽培に適しているのだそうです。<br /><br />途中に、有名なウェルチ(Welch’s)の工場が見えます。ぶどうジュースで有名です。今月オープンしたばかりの Grape Dsicovery Center へ行きます。当然の如く、ぶどうジュースやワインがありますが、全て有料です。外にあるすぐ近くのぶどう畑は一部ぶどうの熟しているのが良くわかります。どうも、見せるために葉っぱを少し間引いているようです。<br /><br />次に、町にいくつかできているワイナリーの一つ21Brix へ行きました。ここも試飲が無料ではなく、6杯で2ドルと格安ですが有料です。下戸の私には関係ありませんが。そんなに有名なはずはありませんが、偶然大型バスで15人程度の女性の団体がやって来て賑わっていました。<br /><br />そうこうしているうちに、午後5時が近づき、先ほどのロスさんの家の裏にあるブドウ園へ直接行くと、大きなトラクターに乗ったハワードがいます。説明してくれて、何とぶどうを収穫する様子をトラクターに乗せてもらい上から見せてもらいました。今回はちょうど収穫の時期でラッキーでした。<br /><br />私の昔の記憶と違い、大きなトラクターの車輪の間にぶどうの木をまたぎ、強く振動させながら強引にブドウの房を吸い取るようです。そして、隣の畝を並行して走るトラクターの空箱にどんどん取り込んでいくのです。少し液体状になった汁とほぼ丸いままのぶどうの房とがどんどん空箱に入って行きます。アメリカ農業らしいダイナミックな収穫です。とてもではありませんが、手で摘んだりしません。規模が違います。知り合いでもいないととてもこんな経験はできません。<br /><br />その後、ちょうどタイミングよく約束した午後6時半頃、昨年2次会で行った同級生のディックの家へ行きます。今夜はレストランではなく、普通の家庭での食事をみなさんに経験して欲しかったのです。これも、普通のツアーでは決してできません。私の手作りツアーだから可能なのです。しかも、昨年おいしいステーキとソーセージを出してくれたので、味も私が保証できます。前もって頼んでおきました。但し、6人もの人数で押しかけるので材料費として150ドルは払います。<br /><br />同じ年、59歳のディックは数年前までずっと独身だったそうです。でも、再婚であるスーザンと出会い幸せな結婚生活を送っているようです。はたから見ていてわかります。それも、私がこの家でのディナーをお願いした理由です。<br /><br />アメリカの家らしく、大きな犬が一緒にお出迎えです。軽くドリンク、野菜サラダの後、ソーセージから焼きはじめ、大きなステーキを一人一枚ずつ焼いてくれます。もちろん、アメリカではバーベキューで焼くのは男のディックの仕事です。次に、アメリカらしく丸ごとのとうもろこし (corn on the cob) が出ます。この辺は田舎ですから、トウモロコシ畑もたくさんありました。そして、もちろんデザートはアップルパイです。アメリカらしく、2スクープ程度のバニラアイスクリームが付いています。<br /><br />途中で、Iさんがピアノを見つけ日本の曲を弾き始め、何と84歳のOさんが歌い始めました。みなさん特技があるものです。私の予定以上に楽しいアメリカの一般家庭でのディナーでした。レストランなんかよりずっといい経験でした。みなさんにも楽しんでもらえたようで大成功です。翌日月曜日で仕事が早いと聞いていたので、別れを惜しみながら9時過ぎにはお暇しました。<br /><br />ホテルと言うより以前の私の家へ戻って、居間でのんびりしました。どうせ時差ボケもあり眠れないので、40年前の思い出を探りながら、居間とホストシスターがいつも長電話をしていた食堂で過ごしました。高校留学のいいところで、いまだに記憶は新鮮です。色々なことを思い出します。しかもファミリーチェンジをしたので、この家で過ごしたのはたったの半年だけなのですが、たくさんの思い出があります。<br /><br /><br />【23日(月)】<br />早朝、訪問者があります。会いに来てくれと連絡していたテリーです。彼と会うのは25年ぶりくらいです。レスリングのチームで一緒で、私と同じ体重クラスで強敵でした。身長もたいして変わりません。つまり、アメリカ人にしては相当背が低いのです。かすかな記憶ではあまり優等生ではないと思っていましたが、レスリングがなければたぶん高校を中退していたなどと昔話をしてくれました。でも、今は立派にやっているようで娘さんが3人いるそうです。<br /><br />今朝は、昨日とは違うところで朝食を食べましたが、少しましでした。私にとっては入るのは初めてでしたが、場所は良く知っているメインストリートにあります。<br /><br />今日は月曜日なので、私が高校留学した学校へ寄らせてもらい、懐かしい教室を見せてもらいました。WACS (Westfield Academy and Central School) と言うのが正式名です。長くてかっこいい名前ですが、どうも central と付くのは、この辺では幼稚園年長と小学校、中学校、高校と13学年もが一緒の学校です。もちろん、田舎に唯一の公立学校です。その点は日本の田舎と同じです。でも、学校区が広がって行くので、日本の田舎では小・中・高が一緒ということはありません。ただ、人口減少で統廃合が増えているのは同じようです。これは日本と同じで関係者としては少しさみしいことです。<br /><br />受付で元留学生と名乗り、案内係の女性がやって来て、アメリカらしい両側に幅の狭いロッカーが並ぶ廊下を歩き、教室を見せてもらいました。少し建て増したらしく、記憶と少し違っていました。<br /><br />毎日体育をした体育館は同じでした。本来は月・水・金か火・木だけなのですが、スポーツ好きの私は自習するくらいならと、毎日体育を選択しました。講堂(日本と違って、体育館と別に集会用の部屋があります)は改修したと聞きましたが、あまり以前と変わりません。それより残念なのは、昨年友達から聞いていた通り、過去の留学生の写真が撤去されたことです。以前は私のはもちろん、見慣れた過去の留学生の写真が壁にぐるーっと年度順に並べてあったのですが。<br /><br />懐かしいカフェテリアにも行きました。毎日、暖かい料理の定食かサンドイッチとスープの2種類のメニューから選べました。当時は古き良き時代で、留学生は何でも無料でした。もちろん、昼食も無料でデザートのアイスクリームまでただでした。でも、今回見るとそのちゃんとした料理がありません。アルミフォイルに包んだ軽食のみです。従業員に尋ねると、この日が午前中だけの特別な日だからだそうで、以前と同じで普通は2種類のちゃんとした料理があるそうです。聞いた話だと、マクドナルドが入っているようなとんでもない学校もあるようですが、私の経験したこの辺りの学校は食生活もアメリカにしてはまともでした。<br /><br />遠回りになるので少し迷いましたが、次にやはり Jamestown の Lucy-Desi Museum へ行くことにしました。私は昨年初めて行きましたが。50代以上くらいの人ならみんな知っているはずですが、テレビ放送の開始したころ日本でも人気の喜劇「ルーシーショー」の女優、Lucille Ball が生まれたのが、ウェストフィールドの近くのジェームズタウンなのです。私の留学中はまだ活躍していて、地元に寄付をしたというようなニュースを時々耳にしていました。日本で言えば、黒柳徹子級の超有名人です。日本では全て「ルーシーショー」でしたが、原題は”I love Lucy”, “Here’s Lucy”, “Lucy show”の3つの番組でした。<br /><br />私の最初のホストファミリーはこの近くの Chautauqua Mall に時々連れて来てくれました。当時日本には(ショッピング)モールなどなく、大きな商店街という感じでビックリしたものです。でも、今見ると小さくて(大都会のモールではないので)、しかもついにモール自体が潰れてしまったようです。<br /><br />ルーシーの資料館には、多くの写真、説明文とともに当時の衣装や車などが展示してあり、モニターテレビで昔の放送を流したりしています。数年前の生誕100周年の行事のニュースも流しています。予想通り、Oさん、Iさん、Mさんには楽しんでもらえました。若い二人には少し退屈だったかもしれませんが。<br /><br />それから北上し、I-90(インターステート、州間高速道路)を飛ばして昼食は Fredonia にある White Inn(ホテル)のレストランへ行きました。ちょうど、昨夜ディックが推薦してくれたのでした。この町、フレドニアにも思い出があり、芸術系の大学があり、留学生の世話人の一人がオペラに連れて来てくれたことがあります。推薦通りまぁまぁのレストランでした。私は昼食らしくサンドイッチを頼みました。私の好きな Reuben sandwich がありました。たぶん、ドイツ系のロイベン・サンドイッチです。英語では、ルーベンと発音しますが。本当にドイツにあるかどうかは知りませんが、アメリカらしくたっぷりのコーンビーフ(日本の缶詰と違って、もうちょっとハムっぽい)、スイスチーズとともにドイツのザワークラウト(酢キャベツ)が入っているからです。パンはライ麦パンが多いようです。<br /><br />それから、I-90に戻りバッファローの都市圏を通過して、ナイアガラへ向かいます。I は interstate throughway または freeway の略です。日本語で使うhighway とはアメリカ英語ではあまり言いません。州をまたいで全米に整備された高速道路なので、この名前のようです。基本的には無料のところが多いです。でも、ニューヨーク州は数少ない有料です。でも、ウェストフィールドからバッファローまで1時間走って1ドルちょっとですから、無料に近い料金です。多くの都市圏でそうですが、市内に入るとループ状になるので、I-190 とか I-290 とか3ケタになり、区別します。ナイアガラの滝に行く時はいつもバッファローの西側を通過して、北上します。I-90 からいつのまにか I-190 になります。 <br /><br />途中で、私には懐かしい多くのバッファローの地区の名前が道路標識に出てきます。Tonawanda, Lackawanna, Seneca, Cheektowaga などです。とても英語の名前には聞こえませんね。多くはこの辺りにもいる先住民、つまりアメリカン・インディアンの名前なのです。ニューヨークと言えば、誰でも大都会ニューヨーク市を思い浮かべ、この州に先住民がいたとは信じられないと思います。私の留学中にバスケットボールをしている体育館へ連れて行かれ、今日は中国人街にでも来たのかと思っていたら、インディアンの酋長が現れビックリしたのを覚えています。この辺りにも Indian Reservation(インディアン保護地区)があるのです。<br /><br />徐々にエリー湖が終わり、川(ナイアガラ)になり、しばらくするとナイアガラの滝に到着します。ナイアガラ瀑布とも言います。五大湖のエリー湖と繋がる川とオンタリオ湖(同じく五大湖)から繋がる川の間に落差があり、そこが滝になっているのです。ちょうどアメリカとカナダの国境にあります。私は何度も来ています。しかも、日本のツアーと違い常にバッファロー(アメリカ)側から来ています。滝は大きく二つあり、一つはアメリカ側に直線的にあり、もう一つが馬蹄形で、アメリカ側からカナダ側へ繋がっています。ですから、Maid of the Mist(霧の乙女号)の船に乗って滝の近くまで行く以外は、アメリカ側の方が迫力満点の滝の真下まで見に行けるのです。確かに、映像のように遠くから滝の全体像を見るだけならカナダ側も悪くありませんが。<br /><br />9月末で時期的にもう終わっているかもと心配していましたが、まだ船は出ていました。30分に一本くらい出ますが、ギリギリ定員オーバーで目の前の船に乗れませんでした。でも、圧倒的な中国人集団からはぐれたので、却ってよかったです。しかも、次の船には最初に乗船できたので、一番眺めのいい先頭へ陣取りました。どうせ、アメリカ側ですぐそばから滝を見て迫力を感じられるので、船に乗るのを止めようかとも一瞬思いましたが、やはり何回も乗った私はともかく、他のみなさんにはこの有名な「霧の乙女号」に乗ってもらってよかったです。以前に来たことのあるOさんが、以前のカッパは使い捨てでなく臭かったのが気になったそうですが、今回はディスポの黄色いビニール製で安心したようです。私はというと、こういう事には鈍感で気にもならないので、以前に数回乗ったことがありますが覚えていません。7年前は青いビニール、つまりディスポだったような気もしますが、定かではありません。<br /><br />いつも思い出すのですが、晴れていれば一年中虹が見えます。但し、水しぶきを浴びるような滝の近くまで来る必要があります。大量の水しぶきが太陽に反射するようで、常に虹(レインボー)が見れます。だから、すぐ近くの国境をまたぐ橋の名前が Rainbow Bridge なのです。<br /><br />その後、すぐに船乗り場から歩いて登って行ける滝のすぐ真下まで行ける小道を行こうとしたら、5時ちょっと前なのに、もう今日は終わりと追い出されました。さすが、アメリカ人。きっちり5時に帰れるように、早目に入場禁止にして片づけに入ったようです。残念!<br /><br />それでもう一か所、Cave of the Winds(風の洞窟)へ行きます。先ほどの船乗り場の滝の反対側で、ゴートという名前の島です。この島の反対側から馬蹄形の滝(カナダ滝とも呼ぶようですが)が始まります。ともかく、滝の真下へ降り、カッパと麻袋のような足カバーをもらいます。ここでは、船以上に滝の真下まで行けるので、迫力はもっとあります。わざわざ、大雨の中(滝の水しぶきで)へ突っ込んで行く若者(バカモノ?)もいます。すごい水量なので、轟音でうるさいくらいです。近づくと、滝の下は大きな岩場です。多くの冒険家が滝の上から樽等を使って落下を試みていますが、たいてい失敗して死んだのも、ここを経験すれば納得できます。<br /><br />こうしてみなさんに真のナイアガラの滝の迫力を経験してもらいました。ただ唯一の誤算は、思ったより時間がかかり、車に戻ってレインボー橋から国境を渡ろうとすると、40分くらいかかり、夏時間でも真夏ほど日没まで時間がなく、7時を過ぎたので、国境を渡ってカナダ側にたどり着いた時には真っ暗になってしまいました。ですから、カナダ側から全体を眺めるのは無理でした。しかも、期待した夏にはやっているライトアップもなさそうで真っ暗です。<br /><br />レストランやお土産屋はカナダ側の方が充実しているので、時間的にも夕食にしました。前もってインターネットで調べておいたSandstone Grillhouse にしました。もちろん、滝から近くのクリフトンの丘からも遠くない場所を選んでいます。この辺は何度も来ているので、地理が頭に入っています。正解でした。カナダ(アメリカ)のレストランのレベルにしてはまぁまぁでした。<br /><br />私はロブスターと貝柱と中エビ、次男は surf &amp; turf(ロブスターとステーキ)の一番豪華な料理を頼みました。次男は私と同じAFSでアメリカ高校留学して、TOEICも何とか900点取ったみたいですが、私から見るとまだまだ知らないことが多過ぎます。この surf &amp; turf もアメリカ、カナダ(まとめて北アメリカとも言いますが)のメニューではよくあります。勘のいい私は初めてメニューで見た時すぐにピンときましたが、日本語の「海の幸と山の幸」のように語呂がよく、韻を踏んで(サーフ N ターフ)、「波」と「芝」ということで、各々「ロブスター」と「牛のステーキ」という意味のようです。もちろん、日本と同じで一皿にロブスターとステーキですから高級品です。後で次男に聞くと今回の旅行で一番おいしかったそうで、しかもステーキだけでも1ポンド(450g)ありました。値段もチップ抜きでも45ドル程します。<br /><br />今年初めて行ったニュージーランドでは、”Beef &amp; Reef Deluxe”と呼ぶメニューが同じ内容でした。Reef とは岩礁で、同じく象徴的にロブスターを指しているのでしたが、ネーミングはアメリカに軍配を上げます。一応、(ビーフ N リーフ)と同じく韻は踏んでいますが、センスの差です。<br /><br />他の人は、fettucine (フェツッチーネ)やペンネを頼んでいましたが、見ただけでわかりますが、まぁまぁおいしそうでした。この fettucine は6月にIさんがナポリ近辺で気に入ったパスタ(平打ち麺)です。でも、彼女は日本語式(?)にフィットチーネと「ィ」にアクセントを置いて発音するので、正しいイタリア語にこだわる私はいちいちフェツッチーネと「チ」にアクセントを置いて訂正していました。<br /><br />それから、クリフトンの丘に並んでいるお土産屋さんに連れて行きました。私は一切買いませんが、みなさんは色々おみやげが必要でしょうから、ここはお土産にはいい場所です。この辺に駐車して、歩いて下って行ってナイアガラの滝の見える大通りに行くのがいつものコースですから、私は何度もここを歩きました。以前よりゲームセンターなどができ、ネオンが派手になりました。シンシナティに住んでいる時に家族で来て、この辺のモーテルに泊まったこともあります。私は懐かしいメープルシロップなどを眺めていました。カナダみやげで有名ですが、近くのバッファロー近辺(アメリカ)にもたくさんあります。留学先でもよく食べていました。次男が買ったTシャツ等のお金を払う時だけが私の出番です。<br /><br />ひょっとしてと期待して、わざと少し回り道をして再度ナイアガラの滝の目の前の道路を通ると、夜遅くの方がライトアップしていました。車の中からですが、かろうじてカナダ側から滝を見せることができました。<br /><br />カナダを出発したのは午後10時半過ぎでした。それから、急いでバッファローの空港近くのホテル、Days Hotelへ行かないといけません。幸い、帰りのレインボー橋の税関は時間が遅いので空いていて、すぐにパスポートを6人分見せるだけで通過できました。ずっとインターステート(高速道路)なのですが、それでも小一時間かかりました。全員チェックインしているともう真夜中です。でも、私にはもう一仕事あります。翌朝早いので、一人でレンタカーを返しに行く必要があるのです。実は、このホテルは昨年も泊まりました。ウェストフィールドの先生が便利だからいつも利用すると教えてくれたのでした。空港に近いホテルはたくさんあるのですが、ここは本当にターミナルまで車ですぐ、5分以内なのです。真夜中を過ぎたので契約書と鍵を無人ポストに返却します。携帯電話でホテルを呼び、サービス車で迎えに来てもらいます。寝る時には2時を過ぎていました。明日は7時の便なので、5時過ぎには起きないといけません。<br /><br /><br />【24日(火)】<br />完全に寝不足ですが、飛行機の中で寝れるので何とかなるという計算です。私は運転手でもあるので、しっかり寝ておかないと危険です。7時の便でバッファローを出て、シカゴ・オヘア空港で乗り換え、アルバカーキ(NM州)までは数時間かかります。全てスターアライアンスのユナイティド航空です。夫々、時差が1時間ずつあります。つまり、アルバカーキはバッファローの時間より2時間も遅いので、得をします。乗換えを入れてかなりの時間がかかっていますが、時差のおかげで昼過ぎにはアルバカーキへ到着します。何回もアメリカを旅行していて気が付いたことですが、アメリカを横断する場合はできれば東側から西側へ移動した方が今回のように時差を有利にできます。逆だと、時差の関係でアルバカーキからバッファロー移動だけで丸一日かかります。<br /><br />ところで、アルバカーキのつづりはほとんどのアメリカ人が書けません。Albuquerque です。どうもスペイン人の名前から由来しているようです。ローマ字読みのスペイン語は普通はつづりも簡単なのですが。今回訪れる Santa Fe や Taos などは簡単なのですが。<br /><br />アルバカーキでは、いつものバジェットで予約が取れなかったので、ハーツで予約していました。7人乗りから少し大きくて中が広いと進められて150ドル上乗せして8人乗りのGMCのミニバンを借りました。結果的には、値段はともかく車自体は確かにかなり大きいものの、肝心の内装はそんなに広くなく、しかも乗りにくいのでした。たぶん、普通の7人乗りの方がよかったです。いわゆる「アメ車」で、無駄に大きい感じでした。GM(ゼネラル・モーター)です。でも、荷物はゆっくり載せれました。<br /><br />時間的に頂上で軽食をと思い、Sandia Peak(サンディア山)へ行こうとしましたが、何と点検中でこの日だけ午後5時まで休みでした。仕方がないので、予定変更し、適当にレストランを探し、意外にもギリシャ料理店に入ることにしました。名前が気に入りました。「ミコノス」です。エーゲ海に浮かぶ島で建物が全て白色で、青い空と青い海とのコントラストがきれいな島です。私は23日間新婚旅行の欧州7ヶ国(もちろん自由旅行)の一つとして行きました。<br /><br />特別にギリシャ料理が好きではありませんが、まぁ珍しいのでたまにはいいですし、たぶん他の人は初めての人ばかりです。有名なのが Gyro です。「ジーロ」です。英語読みは「ジャイロ」です。ケバーブみたいなものです。<br /><br />ホテルは2泊ともアルバカーキとタオスの中間のサンタ・フェです。時間はかかるのですが、わざと州道14号線を通り、回りが荒涼とした(先日までのNY州とは全然違う)道路をのんびりと北上します。途中で、文字通りゴーストタウン、マドリッドへ立ち寄りました。廃墟の家を中心に、逆に観光地にもなっているので、一部カフェやお店があります。でも、炭鉱で栄えて今は寂れた街の面影はあります。<br /><br />目的地のLodge at Santa Fe に着く頃には、薄暗くなっていました。本当は唯一思い出のある La Fonda on the Plaza に泊まりたかったのですが、2部屋しか空いていずあきらめました。場所も名前通りサンタフェ・プラザの目の前で便利なのですが。でも、期待通りこのホテルもアドビ(日干しレンガ)でできたこの辺りらしい建物です。色ももちろん茶色です。<br /><br />知人の日本人(アルバカーキ在住)に推薦されたレストランへ行く予定でしたが、直前に調べて気が付いたからよかったのですが、何とこの辺りのレストランは9時で閉まるのです。これから出かけるとたぶん間に合いません。幸い、このホテルに付随したレストランはアルバカーキで私がよく行っていた Garduno’s という店で、たぶん姉妹店です。ここなら、移動しなくていいので少しはゆっくり食事できます。<br /><br />集合までの時間に次男がプールで泳いでいましたが、寒いのですぐにジャクジーに入っていました。呼びに行くと、若いカップルがいて喋っていました。隣の州、コロラドのデンバーから来ているそうです。住んでいた頃に同州アスペンに行ったことがあります。夏のアスペンは夏の信州のようなもので最高でした。しかも、ここは全世界的に有名なスキー場があり、ヨーロッパからも人がたくさん来るせいか、レストランもアメリカにしては美味しいのです。屋外にジャクジーがあり、最高の眺望の中で風呂に入った記憶があります。アメリカでは珍しいことです。<br /><br />それで、デンバーからアスペンまではどのくらいと聞くと、可愛い女の子が1時間と言います。「えっ?」と聞き返すと、彼氏が「数時間」と訂正します。すぐに女の子が「私、女の子だから(方向音痴なの)」と悪びれずに答えます。そのしぐさが可愛く、どこの国も女の子は一緒だなと思ったわけです。この子が私の好みの白人女性だったこともありますが。<br /><br />レストランでは3種類のスープとエンチラーダなどを3皿頼みます。何回食べてもメキシコ料理は区別がつきません。全部同じようなものです。どこが違うのか、所詮チーズとミンチ肉、付け合せに刻んだレタスを中心に生野菜、ワイルドライス(雑穀米のようなもので焼き飯風でもある)、あずき色の豆の潰したやつ、緑色の潰したアボカドなどです。ただ私がはっきりわかるファヒータスは日本の焼き肉風でおいしいです。何故か日本のメキシコ料理店ではあまりこのメニューは見ませんが。大きめの野菜(パプリカ、玉ねぎなど)とサイコロ状の肉を焼いたものです。ビーフ、チキンと選べます。ウェートレスの娘の白い服がメキシコ風で可愛いです。<br /><br />翌日の朝食はこの同じレストランです。Iさんが朝食はバイキング料理(食べ放題形式)かどうか英語で聞きます。通じません。ウェートレスはキョトンとした顔をしています。私までつられて、とっさに Viking の「V」の発音が通じなかったのだろうと勘違いして、大きな声で「Viking?」と叫んでしまいました。ほぼ同時に、私は「バイキング」は和製英語だと思い出していたので、すぐ「buffet?」と言いなおしました。これも、日本語式にビュッフェではなく、バフェイです。もともとフランス語ですから、最後のTはいずれにせよ発音しません。ラスベガスに行った人はわかりますが、ラスベガスのホテルはこの buffet が有名です。しかも、朝食だけでなく昼食、夕食などです。でも、40年前に私が前出のウェストフィールドで学んだ単語は smorgasbord です。後で知ったのですが、この smorgasbord という英単語はもともとスウェーデン語らしいのです。同じスウェーデン語由来なのに、日本語では「スモーガスボード」ではなく、バイキング(料理)と呼ぶのは面白いですね。<br /><br />ところで、一般的にアメリカでは一部の高級ホテルやラスベガス以外はほとんど食べ放題形式の朝食はないと思います。ドリンクの種類、卵料理の種類、パンの種類やハム、ベーコン、ソーセージをいちいち選ぶのがアメリカ式です。面倒くさいくらい詳細に聞かれます。よほど英語のできる人でないとかなり難渋すると思います。多くの日本人にはいちいち何を聞かれているのかピンとこないようですから。<br /><br /><br />【25日(水)】<br />他の人たちは朝食を昨夜と同じホテルのレストランで食べたようですが、私は久しぶりに朝食を抜きました。アメリカに来て食べ過ぎ気味なので、朝からたっぷりのアメリカ朝食はパスです。予定通り、一般道しかない道路で北に位置する Taos へ向かいます。そのまま、タオスと発音します。以前、ドラマのタイトルになったそうで、普通のアメリカ人は「テイオス」と発音すると地元の人が笑っていました。インディアン語はスペイン語と同じでかなりローマ字読みが多いので、日本人には簡単です。タオスまで北上すると、ロッキー山脈の山が近いので、緑も増えます。アルバカーキの荒野とは違います。<br /><br />まずは、世界遺産でもある Taos Pueblo へ行きます。サンタフェから1時間くらいかなと思っていましたが、1時間半ほどかかりました。「プエブロ」は私自身よく混乱します。何故なら、この辺のインディアンの部族名にプエブロ族があります(有名なアパッチ族、シャイアン族のような名前)。ところが、この場合のプエブロはもう一つの意味で、米国南西部のインディアンのアドビの集合住宅や部落のことを指すのです。私はわかり易いようにわざとインディアンと書いていますが、現在の英語では native American と言わなければいけません。要するに、先住民です。このタオス・プエブロがすごいのは、アメリカ独立よりはるか前から(少なくとも千年前から)、この先住民はこの集落に住んでいるし、今でも実はここで暮らしているのです。自分たちの村を開放して、観光客を相手にお店を開いている家が多いのです。でも、よく見ると裏側には普通に暮らしている人々がいるのです。先住民の色々な昔からのお守りや砂絵や飾りなどを売っています。<br />turquoise ターコイス(トルコ石原石)の装飾品も多いです。私はずっとターコイスのついた時計のバンドをしています。<br /><br />入り口近くにアドビでできた教会があります。以前に来た時、長男が腕を広げて十字架の真似をして写真に納まったのでよく覚えています。でも、お土産屋さんで絵葉書を見ると、この教会もアドビ(日干しレンガ)らしく全て茶色いのです。でも、現在では一部はまっ白くなっています。お店の先住民が不満そうに、本来はアドビで茶色なのに、赴任してきた牧師が勝手に一部を白く塗ったと教えてくれました。いろいろあるようです。<br /><br />昼食は調べていたレストランが見つからず、適当に(ニュー)メキシコ料理店に入りました。El Taoseno Restaurant という名前で、アドビの建物の入り口が少し特徴的で、気のせいか絵葉書で見たような気もします。料理自体は普通のメキシコ料理で、ボリュームたっぷりです。<br /><br />それから、私は何度も行ったタオス・プラザへ行きます。サンタフェ・プラザと同じでスペイン風というか、中庭(広場)を四角に囲んでアドビの建物があり、お土産屋、レストランなどが並んでいます。思い出しましたが、中央部にサンタフェと同じ La Fonda Hotel があります。<br /><br />朝来た道路をサンタフェまで戻りますが、途中にはロス・アラモスの町があります。ここは広島、長崎の原爆を開発した場所です。この広大なニューメキシコ州の砂漠で地下実験をしたらしいのです。かなりサンタフェの近くまで戻って来て、Camel Rock に気が付きました。忘れていましたが、自然のいたずらで、ちょうどラクダに見える岩があるのでした。有名な野外劇場、サンタフェ・オペラの会場も通過します。<br /><br />サンタフェへ戻った時には6時過ぎで、もうプラザには先住民の売り子たちはいませんでした。できれば宿泊したかった La Fonda on the Plaza Hotel の中を少しブラブラしました。<br /><br />夕食は、さすがにみなさんメキシコ料理には少し飽きてきたようなので、見つけたスペイン料理にしようと思いました。よさそうなレストランがあったのですが、あいにく満席でした。観光地で結構レストランが充実した街なので、しばらく歩き回るとちゃんとしたイタリア料理店を見つけました。Il Piatto という名前で、英語で plate または dish、つまり皿、料理という意味です。店構えと名前でちゃんとしたレストランかどうかわかります。自信を持って入りました。正解で、ちゃんとしたイタリア料理を食べれました。はっきり言って、やはり(ニュー)メキシコ料理よりやはりおいしいです。ここは親切(?)で、前もって18%のチップをちゃんと計算して清算されていました。内容を考えれば、6人でチップ込み326ドルは安いと思いました。<br /><br /><br />【26日(木)】<br />今朝はうちの次男以外みんな朝食を抜いていました。みなさんもだいぶ胃がもたれてきたのでしょう。もう一度、サンタフェ・プラザへ行きました。広場の四つの角のうち一か所だけインディアンが座り込んで小物を売っています。私の記憶では、二か所だったと思ったのですが。みんな、ネックレスなどを買っています。私は砂絵を買おうとしたのですが、ちょうど店の人が不在でした。よく見ると売り子はインディアンだけでなく、普通の白人もいるようです。感心したのは、そうは言っても主に先住民が商売しているのに、以前のように決済が現金だけではないのです。新聞で読んだ、iPhone に接続したちょっとした簡易端末で、クレジットカード決済ができるようです。先住民も時代の最先端を行っています。<br /><br />それから、近くのアメリカ最古の家を見に行きます。先住民がいたので、何でもアメリカ最古になるのがこの辺りの特徴です。カーナビを頼りに行き、ちょうどいい無料らしい駐車場を見つけました。いつものことで、来てから思い出しました。以前に来た駐車場でした。7年前に、ナースの二人が外人に受けるというので浴衣姿で来たのがこの駐車場で、早速二人はスターで何人ものアメリカ人に写真を撮らせてくれと言われたのがここでした。<br /><br />何という事はない今は不動産屋が入っているアドビの家です。すぐ近くに同じくアメリカ最古の教会、San Miguel Church(サン・ミゲール)があります。時間に余裕があるので、本当は著名なジョージア・オキーフ美術館に立ち寄りたかったのですが、あいにく休館でした。<br /><br />ほとんどみんな朝食を抜いているので、ブランチにしようとしましたが、適当なレストランがなく無駄に時間を過ごしてしまいました。脂っこい卵やポテトだらけの朝食よりも却ってあっさりしているので、ステーキを食べれるレストランを探しました。でも時間が中途半端で10時過ぎなのでまだ朝食メニューだけが多いので、あまりステーキはありません。そこで、案内所で聞いて、電話までして確認して行ったメキシコ風レストランです。結構朝食で混んでいて、30〜40分も待たされました。が、ドリンクを頼んでいざ注文しようとすると、話が違ってメニューにステーキはないと言います。思い出しました、この辺りはメキシコ系らしく、こういういい加減なことがよくあります。たぶん、電話に応対した店の人が無責任な答えをしたのでしょう。ドリンクだけで出ました。<br /><br />待たされている間にIさんが見つけていた韓国料理の店へ行くことになりました。私はあまり気乗りしません。日本料理と焼き肉のレストランのようで、日本人が中にいました。聞くと、すぐ裏のレストランならステーキもあると教えてくれたので、そこへ行きました。Burro Alley Cafe(「ロバの小路」という意味)というレストランで、入り口で確認すると、11時過ぎなので昼食メニューでステーキもあるということでした。奥にテラスがあり、スペイン風というか、メキシコ風というかいい感じのレストランでした。しかも、ウェートレスがスペイン系のような美人でした。ようやく希望の食事にありつけました。<br /><br />Tの発音が少しDに近づく米語の特徴のことを書きましたが、横で皆さんの英語を聞いていると面白いように通じません。イギリスならもう少し通じるのかもしれませんが、アメリカでは日本人のローマ字読みは中々通じません。イタリア語ならローマ字読みでいいのですが。このレストランでも誰かが「ウォーター」と言ってましたが、やはり通じません。やはりアメリカでは「ウォワダ」や「ウォワラ」みたいに発音しないと通じません。<br /><br />Mさんがこの美人と写真を撮りたいと言うので、もちろん私が呼んで頼んであげました。もちろん、Mさんだけでなく、男性4人ともちゃっかり、一人ずつ美女とツーショットです。背景にアドビの建物が少し入り、いい写真が撮れました。Mさんがチップを彼女に渡したいと言いますが、残念ながら給仕は彼女ではなく、アメリカのシステムでは、食事代にチップをはずんでも彼女にはいかないはずです。後でIさんから聞くと、レストランを出る時にMさんは直接彼女にチップを10ドルも渡したそうで、彼女は非常に喜んだとのことでした。ウェートレスとしては、モデル料の10ドルは悪くないでしょう。<br /><br />今日は実質最終日なので、もちろんI-25(ニューヨーク州と違い無料の高速道路)で急いでアルバカーキへ行きます。直接、一昨日動いていなかった Sandia Peak ふもとの世界最長ロープウェイ(tramway)へ行きます。標高2千メートルのふもと(アルバカーキ市内)から約15分で一気に頂上へ。私の記憶と違い、富士山よりは低いものの3250Mほどあります。この日は風が強く、頂上はかなり寒かったです。<br /><br />私には見慣れた景色ですが、ずっと平地が続くのではるか彼方まで一望できます。解説を聞くと、何と200マイル(320km)先まで見えているそうです。何も障害物がないのと、空気が薄いから遠くまで見えるそうです。50m先が見えない最近の中国の大気汚染とは別世界です。世界は広い!<br /><br />近くにあるカフェに入ります。みんな、ドリンクを頼みます。私だけ思い出のある chili(スープ)を頼みます。これは結構おいしいのです。住んでいる時は、冬の間は毎日曜日一人でスキーに来ていました。砂漠に近い地形だけあって、雪質は最高でパウダースノウです。下手な私でもジーパンで滑っていました。転んでも濡れないからです。ここは変な地形で、冬でも日差しが強くスキーに出発するのに、アルバカーキ市内のアパートを出る時は車の冷房をつけます。I−40を通ってサンディア山の裏側(東側)へ回り込み、徐々に山を登って行くと雪景色になり、温度も一気に下がるので、車も暖房に切り替えます。不思議な体験でした。<br /><br />幸い、今回は誰も息苦しいとか頭痛がするとか、高山病の症状は出なかったので、ゆっくり頂上で過ごせました。7年前に子供らを連れて来た時は、よりによってアルバカーキ生まれの長男が息苦しいとか言いだし、早目に下山せざるを得ませんでした。<br /><br />次に、名前が有名なので、以前の「Route 66」を案内しました。と言っても、<br />現在ではただのアルバカーキ市内の Central Avenue で、名前通り幹線通りの一つに過ぎません。それでも以前の記憶では大きな看板のモーテルとかあったはずですが、意外と「ルート66」の看板もありません。やっと1ヵ所やや大きな看板を見つけました。この通りには、懐かしい UNM (University of New Mexico) のメインキャンパス(私の留学先の医学研究所は別ですが)や長男が生まれた Presbyterian (キリスト教長老派)病院があります。<br /><br />市内観光地の一つ、Old Town に急いだのですが、私の記憶があいまいなのと、カーナビでどう設定していいのかわからず、思ったよりダウンタウンより西側のオールドタウンに着いた頃には、あまりゆっくり散策して買い物をする時間がなくなりました。と言うのは、この日はハイライトの地平線に沈む夕日を見せたいので、逆算するとあまり時間に余裕がなく、添乗員の心境で時間を気にしていました。ただ、ある意味ではオールドタウンは少し大きいだけで、すでに行ったタオスやサンタフェのプラザとそんなには変わりません。<br /><br />アメリカ旅行最後の夕食レストランはアルバカーキ在住の知人に推薦してもらった El Pinto というメキシコ料理店です。住んでいる時は知らなかったのですが、その当時からあったようで、1962年創立と書いています。市内北のやや郊外にあり、土地の有り余ったアルバカーキとは言え、林の中にあるレストランと言う感じで駐車場だけでも百台以上軽く入りそうです。しかも、早目の午後5時過ぎに来ているのに、もうかなりお客さんが入っているようで駐車場にもかなりの車がありました。予約していませんが、さすがに巨大なレストランで待たずに入れました。日本人があまり知らない表現で、こういう時は “A party of six”と言えば、6人連れと通じます。日本語のパーティーの意味だけでなく、一団、一行などの意味があります。こういう簡単な単語だけど日本語の発想では絶対に思いつかない英語が使いこなせれば、少しネーティブに近づきます。何故か、日本人にはわかりやすい「グループ」という単語は使いません。通じるかもしれませんが。<br /><br />レストランの中心部にはこれでもかというくらい有名人、著名人の写真が並んでいます。父・息子両ブッシュ大統領、クリントン大統領、多くの歌手や俳優らしき人の写真が並んでいます。われわれは室内のテーブルでしたが、テラスにも多くのテーブルがあるようでした。<br /><br />6時過ぎには出ないといけないので1時間しかありません。こちらののんびりペースでは絶対に間に合わないので、私が中心になって最初に料理を注文し、しつこいくらい1時間後には食べ終わっていないといけないとウェーターに告げます。それから、ゆっくりと飲み物を頼みます。紹介してくれた日本人が味は大したことないと言っていましたが、幸い皆さんには好評で、ありふれたメキシコ料理ですが、結構おいしいと言ってくれました。もちろん、デザートなんかは頼みません。こちらはウェーターの縄張りがはっきりしているので(チップの関係で)、支払いにも意外と時間がかかります。ですから、みんなが食べ終わる前から私がウェーターを呼び、クレジットカードでの支払いをします。<br /><br />計算通り6時過ぎにはレストランを出て、I−25に戻り南下し、I−40に乗り継ぎ西へ向かいます。もう目の前にはでっかい太陽が沈み始めています。当然、選んだこの高速道路はほとんどまっすぐ西へひたすら向かうのでまぶしいです。準備万端でめったにしないサングラスをかけます。太陽がほとんど隠れ始めたところで高速道路の端に停車し、みんなで写真を撮りました。日本ではまず見られない地平線に沈んでいく夕日です。安全な路肩があるのを知っていますから、安心して停車できます。時折、アメリカらしく巨大なトラックがそばを通り、振動が伝わります。日没は6時45分くらいでした。夏時間とはいえ、9月の終わりでもうそんなに日が長くないのでした。福岡と同じ時間帯に日没です。<br /><br />それから、ひたすら東側のアルバカーキ市内へ戻り、先ほどのオールドタウンへ再度行きます。正解でした。全部ではないものの、まだ一部のレストランやお土産屋さんは開いていました。最後のショッピングのつもりでした。<br /><br />ところが、手軽なお土産を買いたいのでスーパーに行きたいと誰かが言うので、いつも行っていたスーパーのAlbertsons を思い出し、カーナビで探して近くのアルバートソンへ行きました。次男は珍しい瓶ビールのセットを買っていました。持って帰れるのか心配でしたが、意外と何とかなるのでした。ちょっとしたチョコなどを買っている人もいました。ところが、K君がお父さんのお土産に服を買いたいと言うので、K-Mart か Walmart にでも行こうかと思ったら、シアトルに留学していた次男が近くに見える Ross というチェーン店には衣料品があるというので入ると、確かにたくさんの服を売っています。お世話になったロス夫人の Ross と同じ苗字ですが、私はこのチェーンを知りませんでした。K君も目的のお土産のXXLサイズの服を見つけて、しかも値段も安かったようで無事全員の買い物も終了しました。K君も大きいけど、日本人でXXLサイズの人がいるとは、正直私には驚きでした。<br /><br />翌日の帰国へのフライトに備えて予約してあるアルバカーキ空港近くのホテルへ着いたのは夜10時半過ぎでした。バッファローの時と違い、翌日は午前10時頃の便、しかもデンバー乗り換えですから国内線であまり朝早くないので余裕があります。予約した私は期待していたのですが、Isleta Resort &amp; Casino という名前通りカジノ付きのかなり豪華なホテルでした。部屋もやたら広く、寝るだけにはもったいないくらいでした。<br /><br />10年以上前に気が付いたのですが、どうもインディアン保護区優遇のため、カジノが全米各地のインディアン保護区で解禁されているようです。真夜中なので少し迷いましたが、やはり一階のカジノへ行きました。いつものようにブラックジャックのみです。でも、以前のインディアン・ブラックジャックと違い、ディーラーへの特別料金はなく、ごく普通のブラックジャックでした。ディーラーはラスベガスのように外国人ではなく、アメリカ人でしかも先住民でなく普通のアメリカ人でした。いつものように軍資金100ドルだけで始め、15分くらいで2倍になりました。止めるのには少し早いかと思い、しばらくやるうちに流れが反転し、100ドルに戻りました。45分くらいたち眠いので、潔く止めました。金額は一緒ですが、楽しんだだけ得です。<br /><br /><br />【27日(金)、28日(土)】<br />翌朝早く、次男はアスレチックジムに行って戻って来て興奮していました。プールも広くていいと言うので、私も見に行きました。室内と屋外とプールがあり、ちょうどイタリアの温泉のようです。しかも、屋外にはジャクジーもあり入れば気持ちよさそうです。次回は、ここでゆっくりしようと思いました。<br /><br />みんなを空港で降ろし、私一人だけで近くの空港レンタカー・センターへレンタカーを返却し、サービスシャトルで空港へ戻ります。次男が買ったビール瓶の一箱があり、預け荷物のない私の荷物として預け、追加料金なしです。今は荷物の超過料金が結構高いのです。シカゴ・オヘア空港での乗り継ぎは何十回もしている私ですが、デンバーでの乗り継ぎは初めてです。帰りはずっとユナイティド航空です。デンバーのゲートで待っていると、どうもOさんの名前が呼ばれたようです。自分たちのゲートの責任者へ私が声をかけると、何とビジネスクラスのOさんの荷物に鍵がかかっているということで、鍵を渡せということでした。<br /><br />Oさんは鍵を持っているので、係員へ鍵を預け、出国手続きの税関で荷物をチェックしてもらい、何の問題もありませんでした。言葉がわからないとこういう時不安だと感謝されました。でも、よく聞くとひどい話で

ツアー風米国旅行ーNY州とNM州

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2013/09/21 - 2013/09/28

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空飛ぶドクター

空飛ぶドクターさん

【9月21日(土)】
今回は空飛ぶドクター手作りツアー第二弾です。第一弾はナポリ近郊でした。
今回はアメリカで、2ヵ所とも私が住んだことのある場所です。目玉は一ヶ所目で普通の家庭を訪問することと二ヶ所目は壮大な地平線を見ることです。ニューが付く州に縁があり、最初はニューヨーク州で二ヶ所目はニューメキシコ州です。ちなみに、アメリカ合衆国の50州のうち、ニューが付くのは全部でたった3つで、もう一つはニュージャージー州です。

第一弾は全部で4人だけでしたが、第二弾の今回は6人です。前回と同じメンバーは84歳女性のOさん、ベテラン添乗員のIさんと私の3人です。今回は私の次男を連れて来ました。実は、同じコースのツアーを家族旅行として7年前にやりました。他の3人の子供を連れ、知人のナース2人と娘の友だちと全部で7人でした。次男はその時、シアトルにAFS高校留学中でしたから不参加でした。他に、60代の社長Mさんと男子看護学生18歳のK君です。全部で6人です。

私と息子はもちろん福岡から、大阪在住のOさんも行きは名古屋中部空港からで4人と成田で合流し、全日空便でシカゴ・オヘア経由のバッファローまで(ユナイティド航空)です。シカゴでは入国審査で長い列があり、1時間以上かかりましたが、幸い、乗り継ぎ時間は余裕があったので慌てずにすみました。成田を夕方の便でバッファローに着いたのは午後7時過ぎでした。

予定通り、7人乗りのミニバンをいつものバジェットでレンタルし、運転手は慣れている私です。トヨタ車でした。昨年アメリカで買ったポータブル・カーナビ(Garmin)を持ってきたのですが、何故か繋がりません。助手席で息子に初期化(?)等、いじくってもらっているうちに幸い使えるようになりました。目的地は私がAFS高校留学していた Westfield で、バッファロー空港からはI-90(インターステート90号線)で約1時間です。エリー湖(五大湖の一つ)に面したウェストフィールドはかなりの田舎ですが、幸いI-90の出入り口があり便利です。一応、ニューヨーク州(西端)なのです。

途中で最初の食事をしたので、ウェストフィールドのホテルに到着したのは夜10時過ぎでした。ホテルが目玉で、一軒家をB&B、つまり民宿風に改造したもので、それも何と私のホームステイ先の家だったのです。村のメインストリートにあるのですが、実は本来の場所から100Mほど家ごと移動しているのです。大手のドラッグストアCVSが進出して、家が立ち退き壊されることになったのです。しかし、歴史が浅いのでかえって古い物を大事にするアメリカならでは、船長が建てたユニークなヴィクトリア調の一軒家、保存しろということになり、壊す代わりに家ごと移動するという日本では考えられないことになったのです。たぶん10数年前のことです。今はフロリダ州にいるホストシスター、ジャニスから聞きました。もちろん、引っ越しの際は一大ニュースになったようで、車で引っ張っている写真が残っています。ですから名前は船長にちなんで Captain Storm House B & B です。

昨年の40年目の同窓会でも、ここに来ている私ですが、一軒丸ごと借りきるにはグループでないと無理です。今回は6人で5部屋必要ですので、むしろ1部屋足りないくらいで、同じ敷地にある Candlelight Lodge に一人だけ泊まってもらいました。私は当然以前の自分の部屋を選択しました。ただ、厳密には私の部屋は広いジャクジー付きのバスルーム、シャワールームになっていました。それに隣接した部屋で寝ました。でも、おかげで思い出いっぱいの1階にある居間を自由に使えました。


【22日(日)】
このホテルは変わっていて、B&B (Bed & Breakfast) という名前なのに朝食は付きません。朝食は、名前は変わったものの以前からあるレストラン(Vine City Restaurant)へ行きました。すぐ隣で歩いて行けます。さすがにアメリカの朝食は卵が3個とソーセージ、ハム、またはベーコンそれとジャガイモと油っぽくボリューム満点です。味は大したことはありません。全部食べたら、朝から相当のカロリー摂取です。

ここウェストフィールドは名もない田舎「町」です。「村」かもしれません。行政の定義が違うらしく、Welcome to the Village of Westfield という看板もありますし、the Town of Westfield というのも見たことがあります。日本の住所表記のような厳密な名前はないのかもしれません。ちなみに、日本では私の田舎のように○○郡は△△市と同列ですが、アメリカでは大きな「市」にも「郡」の名前があります。

まず、東西に走るメインストリートと直角に交差する幹線のポーテッジ通りをずっと南下して Chautauqua Lake(ショトークア湖(五大湖とは別に数ある湖の一つ))に行き湖畔を散策します。海のように大きなエリー湖(ポーテッジ通りを北上するとすぐ)よりこちらの方が手ごろな大きさで別荘もたくさんあります。昨年アメリカで買って使ったカーナビを持ってきたので、メモリーに昨年行った住所が残っています。それらしい住所を設定して行くと、ショトークア湖の近くのアメリカにしては道路が狭い別荘が並ぶ一帯へ来ました。徐々に思い出しました。昨年訪れたこの全米的にも有名な Chautauqua Institute (Institution) に夏だけ住んでいる知人の家の一帯でした。夏には入場や中に住むにはかなりのお金が必要なここ Chautauqua Institute ですが、秋には自由に入れるらしく、何の制限もなかったので、いつの間にか入っていました。正面にある料金所(今は無人)を通過して思い出しました。昨年は、知人に会いに来たのに車ごと通過して10ドルも払いました。

ここにも思い出があり、留学生の時、悪友と塀をよじ登ってただで入った記憶があります。夏の間有料で高い理由に、夏の間中、色々な交響楽や著名な歌手のコンサートやオペラなどが屋外であるからです。中にいる住民は無料です。ですから、外部の人はその時だけ有料で入場できるのです。

それから、隣村のメイビルを通ってウェストフィールドへ戻って来ます。途中で、小高い丘からは海のようにでかいエリー湖がいい感じで見えます。この道を選んだ理由です。写真で真ん中あたりに色が変わって海のように見えるのがエリー湖です。大き過ぎてほとんど海と変わりません。

次にメインストリートとポーテッジ通りの角にある以前は映画館があった所へ行きます。少女(ベデル)とリンカーン大統領の銅像が1999年にできています。昨年も来ているのに、この銅像には気が付きませんでした。今回、ツアーにするのにインターネットで詳しく調べていて知りました。有名なエピソードで、この田舎町に住む12歳の少女、グレース・ベデルが大統領選さなかのリンカーンに手紙を書いたのでした。あごひげを生やしたほうが威厳があってかっこいいとアドバイスしたのです。リンカーンはそのアドバイスに従い、大統領選に当選したので、就任旅行中に彼女にお礼を言うためにわざわざこの田舎町に立ち寄ったのです。

この有名なエピソードは何故か一年間留学中誰も私に教えてくれませんでした。ただ、同じAFSでこの近くの村に留学していた日本人の先輩からかろうじて一度だけ聞いたことがありましたが、この銅像のことは昨年来た時も誰も話題にもしていないので、気が付きませんでした。でも、今回慌てて尋ねると当然の如くみんな知っているようでした。

11時半に約束していたロス夫人の家へ行きます。日曜日なので教会から帰って来る時間に合わせています。会うのは7年ぶりです。彼女は当時ボランティアで留学生の世話をしてくれていました。私がファミリーチェンジをした時、新しい家庭が決まるまでの10日間ほどこの家でお世話になりました。厳密には、数軒となりの以前の家でした。この家には地下に室内プールがあります。84歳とちょうど同行の0さんと同じ年ですが、週に3回ほど泳いでいるそうです。末っ子のハワードがぶどう農家を継いでいるので、いつもぶどう畑を見学させてもらいます。5時から収穫するのを見せてくれるということです。主に、コンコード種のぶどうを育てていて、日本でもカルピスと提携して売っている Welch’s のジュースの原料です。今は、より利益率の高いワイン用のぶどうも育てているようです。

久しぶりにロス夫人と話していて、気が付いたことがあります。米語ではTの発音が母音に挟まれるとDに近く濁ります。イタリア語を勉強している私は Italy を英語でも「イタリー」とはっきり発音する癖がついていました。ロス夫人に聞き返されて言い直しました。「イダリー」に近い感じです。アメリカに住んでいる時は自分の名前「坂本」も「サカモード」に近い感じで発音していました。

実は、昨年の40周年同窓会の時にこの家に泊まりました。次男のスティーブが私と同級生で帰省していて、最初のホストブラザーのブラッドとその奥さん(アメリカ人らしく再婚した二人目の奥さん)とともにこの家に泊めてもらいました。でも、肝心のロス夫人は親から引き継いだメイン州の別荘に行っていて、すれ違いでした。

5時までの間、バルセロナと別名のついているエリー湖にある港へみんなを案内します。車でたった5分です。アメリカ最古のガス灯がある灯台があります。近くには、私が友達とよく夜食を食べに行っていたジャックの店もあります。五大湖の一つ、エリー湖は大き過ぎて対岸は見えず、海みたいなものです。でも、採れる魚はもちろんワカサギなど淡水魚で、食べられます。この大きな湖が全て冬場は凍るので、歩いてカナダ側へ渡る人もいるそうです。この大きな湖の雪解けの具合で、このエリー湖沿い(隣のペンシルベニア州も)はぶどうの栽培に適しているのだそうです。

途中に、有名なウェルチ(Welch’s)の工場が見えます。ぶどうジュースで有名です。今月オープンしたばかりの Grape Dsicovery Center へ行きます。当然の如く、ぶどうジュースやワインがありますが、全て有料です。外にあるすぐ近くのぶどう畑は一部ぶどうの熟しているのが良くわかります。どうも、見せるために葉っぱを少し間引いているようです。

次に、町にいくつかできているワイナリーの一つ21Brix へ行きました。ここも試飲が無料ではなく、6杯で2ドルと格安ですが有料です。下戸の私には関係ありませんが。そんなに有名なはずはありませんが、偶然大型バスで15人程度の女性の団体がやって来て賑わっていました。

そうこうしているうちに、午後5時が近づき、先ほどのロスさんの家の裏にあるブドウ園へ直接行くと、大きなトラクターに乗ったハワードがいます。説明してくれて、何とぶどうを収穫する様子をトラクターに乗せてもらい上から見せてもらいました。今回はちょうど収穫の時期でラッキーでした。

私の昔の記憶と違い、大きなトラクターの車輪の間にぶどうの木をまたぎ、強く振動させながら強引にブドウの房を吸い取るようです。そして、隣の畝を並行して走るトラクターの空箱にどんどん取り込んでいくのです。少し液体状になった汁とほぼ丸いままのぶどうの房とがどんどん空箱に入って行きます。アメリカ農業らしいダイナミックな収穫です。とてもではありませんが、手で摘んだりしません。規模が違います。知り合いでもいないととてもこんな経験はできません。

その後、ちょうどタイミングよく約束した午後6時半頃、昨年2次会で行った同級生のディックの家へ行きます。今夜はレストランではなく、普通の家庭での食事をみなさんに経験して欲しかったのです。これも、普通のツアーでは決してできません。私の手作りツアーだから可能なのです。しかも、昨年おいしいステーキとソーセージを出してくれたので、味も私が保証できます。前もって頼んでおきました。但し、6人もの人数で押しかけるので材料費として150ドルは払います。

同じ年、59歳のディックは数年前までずっと独身だったそうです。でも、再婚であるスーザンと出会い幸せな結婚生活を送っているようです。はたから見ていてわかります。それも、私がこの家でのディナーをお願いした理由です。

アメリカの家らしく、大きな犬が一緒にお出迎えです。軽くドリンク、野菜サラダの後、ソーセージから焼きはじめ、大きなステーキを一人一枚ずつ焼いてくれます。もちろん、アメリカではバーベキューで焼くのは男のディックの仕事です。次に、アメリカらしく丸ごとのとうもろこし (corn on the cob) が出ます。この辺は田舎ですから、トウモロコシ畑もたくさんありました。そして、もちろんデザートはアップルパイです。アメリカらしく、2スクープ程度のバニラアイスクリームが付いています。

途中で、Iさんがピアノを見つけ日本の曲を弾き始め、何と84歳のOさんが歌い始めました。みなさん特技があるものです。私の予定以上に楽しいアメリカの一般家庭でのディナーでした。レストランなんかよりずっといい経験でした。みなさんにも楽しんでもらえたようで大成功です。翌日月曜日で仕事が早いと聞いていたので、別れを惜しみながら9時過ぎにはお暇しました。

ホテルと言うより以前の私の家へ戻って、居間でのんびりしました。どうせ時差ボケもあり眠れないので、40年前の思い出を探りながら、居間とホストシスターがいつも長電話をしていた食堂で過ごしました。高校留学のいいところで、いまだに記憶は新鮮です。色々なことを思い出します。しかもファミリーチェンジをしたので、この家で過ごしたのはたったの半年だけなのですが、たくさんの思い出があります。


【23日(月)】
早朝、訪問者があります。会いに来てくれと連絡していたテリーです。彼と会うのは25年ぶりくらいです。レスリングのチームで一緒で、私と同じ体重クラスで強敵でした。身長もたいして変わりません。つまり、アメリカ人にしては相当背が低いのです。かすかな記憶ではあまり優等生ではないと思っていましたが、レスリングがなければたぶん高校を中退していたなどと昔話をしてくれました。でも、今は立派にやっているようで娘さんが3人いるそうです。

今朝は、昨日とは違うところで朝食を食べましたが、少しましでした。私にとっては入るのは初めてでしたが、場所は良く知っているメインストリートにあります。

今日は月曜日なので、私が高校留学した学校へ寄らせてもらい、懐かしい教室を見せてもらいました。WACS (Westfield Academy and Central School) と言うのが正式名です。長くてかっこいい名前ですが、どうも central と付くのは、この辺では幼稚園年長と小学校、中学校、高校と13学年もが一緒の学校です。もちろん、田舎に唯一の公立学校です。その点は日本の田舎と同じです。でも、学校区が広がって行くので、日本の田舎では小・中・高が一緒ということはありません。ただ、人口減少で統廃合が増えているのは同じようです。これは日本と同じで関係者としては少しさみしいことです。

受付で元留学生と名乗り、案内係の女性がやって来て、アメリカらしい両側に幅の狭いロッカーが並ぶ廊下を歩き、教室を見せてもらいました。少し建て増したらしく、記憶と少し違っていました。

毎日体育をした体育館は同じでした。本来は月・水・金か火・木だけなのですが、スポーツ好きの私は自習するくらいならと、毎日体育を選択しました。講堂(日本と違って、体育館と別に集会用の部屋があります)は改修したと聞きましたが、あまり以前と変わりません。それより残念なのは、昨年友達から聞いていた通り、過去の留学生の写真が撤去されたことです。以前は私のはもちろん、見慣れた過去の留学生の写真が壁にぐるーっと年度順に並べてあったのですが。

懐かしいカフェテリアにも行きました。毎日、暖かい料理の定食かサンドイッチとスープの2種類のメニューから選べました。当時は古き良き時代で、留学生は何でも無料でした。もちろん、昼食も無料でデザートのアイスクリームまでただでした。でも、今回見るとそのちゃんとした料理がありません。アルミフォイルに包んだ軽食のみです。従業員に尋ねると、この日が午前中だけの特別な日だからだそうで、以前と同じで普通は2種類のちゃんとした料理があるそうです。聞いた話だと、マクドナルドが入っているようなとんでもない学校もあるようですが、私の経験したこの辺りの学校は食生活もアメリカにしてはまともでした。

遠回りになるので少し迷いましたが、次にやはり Jamestown の Lucy-Desi Museum へ行くことにしました。私は昨年初めて行きましたが。50代以上くらいの人ならみんな知っているはずですが、テレビ放送の開始したころ日本でも人気の喜劇「ルーシーショー」の女優、Lucille Ball が生まれたのが、ウェストフィールドの近くのジェームズタウンなのです。私の留学中はまだ活躍していて、地元に寄付をしたというようなニュースを時々耳にしていました。日本で言えば、黒柳徹子級の超有名人です。日本では全て「ルーシーショー」でしたが、原題は”I love Lucy”, “Here’s Lucy”, “Lucy show”の3つの番組でした。

私の最初のホストファミリーはこの近くの Chautauqua Mall に時々連れて来てくれました。当時日本には(ショッピング)モールなどなく、大きな商店街という感じでビックリしたものです。でも、今見ると小さくて(大都会のモールではないので)、しかもついにモール自体が潰れてしまったようです。

ルーシーの資料館には、多くの写真、説明文とともに当時の衣装や車などが展示してあり、モニターテレビで昔の放送を流したりしています。数年前の生誕100周年の行事のニュースも流しています。予想通り、Oさん、Iさん、Mさんには楽しんでもらえました。若い二人には少し退屈だったかもしれませんが。

それから北上し、I-90(インターステート、州間高速道路)を飛ばして昼食は Fredonia にある White Inn(ホテル)のレストランへ行きました。ちょうど、昨夜ディックが推薦してくれたのでした。この町、フレドニアにも思い出があり、芸術系の大学があり、留学生の世話人の一人がオペラに連れて来てくれたことがあります。推薦通りまぁまぁのレストランでした。私は昼食らしくサンドイッチを頼みました。私の好きな Reuben sandwich がありました。たぶん、ドイツ系のロイベン・サンドイッチです。英語では、ルーベンと発音しますが。本当にドイツにあるかどうかは知りませんが、アメリカらしくたっぷりのコーンビーフ(日本の缶詰と違って、もうちょっとハムっぽい)、スイスチーズとともにドイツのザワークラウト(酢キャベツ)が入っているからです。パンはライ麦パンが多いようです。

それから、I-90に戻りバッファローの都市圏を通過して、ナイアガラへ向かいます。I は interstate throughway または freeway の略です。日本語で使うhighway とはアメリカ英語ではあまり言いません。州をまたいで全米に整備された高速道路なので、この名前のようです。基本的には無料のところが多いです。でも、ニューヨーク州は数少ない有料です。でも、ウェストフィールドからバッファローまで1時間走って1ドルちょっとですから、無料に近い料金です。多くの都市圏でそうですが、市内に入るとループ状になるので、I-190 とか I-290 とか3ケタになり、区別します。ナイアガラの滝に行く時はいつもバッファローの西側を通過して、北上します。I-90 からいつのまにか I-190 になります。

途中で、私には懐かしい多くのバッファローの地区の名前が道路標識に出てきます。Tonawanda, Lackawanna, Seneca, Cheektowaga などです。とても英語の名前には聞こえませんね。多くはこの辺りにもいる先住民、つまりアメリカン・インディアンの名前なのです。ニューヨークと言えば、誰でも大都会ニューヨーク市を思い浮かべ、この州に先住民がいたとは信じられないと思います。私の留学中にバスケットボールをしている体育館へ連れて行かれ、今日は中国人街にでも来たのかと思っていたら、インディアンの酋長が現れビックリしたのを覚えています。この辺りにも Indian Reservation(インディアン保護地区)があるのです。

徐々にエリー湖が終わり、川(ナイアガラ)になり、しばらくするとナイアガラの滝に到着します。ナイアガラ瀑布とも言います。五大湖のエリー湖と繋がる川とオンタリオ湖(同じく五大湖)から繋がる川の間に落差があり、そこが滝になっているのです。ちょうどアメリカとカナダの国境にあります。私は何度も来ています。しかも、日本のツアーと違い常にバッファロー(アメリカ)側から来ています。滝は大きく二つあり、一つはアメリカ側に直線的にあり、もう一つが馬蹄形で、アメリカ側からカナダ側へ繋がっています。ですから、Maid of the Mist(霧の乙女号)の船に乗って滝の近くまで行く以外は、アメリカ側の方が迫力満点の滝の真下まで見に行けるのです。確かに、映像のように遠くから滝の全体像を見るだけならカナダ側も悪くありませんが。

9月末で時期的にもう終わっているかもと心配していましたが、まだ船は出ていました。30分に一本くらい出ますが、ギリギリ定員オーバーで目の前の船に乗れませんでした。でも、圧倒的な中国人集団からはぐれたので、却ってよかったです。しかも、次の船には最初に乗船できたので、一番眺めのいい先頭へ陣取りました。どうせ、アメリカ側ですぐそばから滝を見て迫力を感じられるので、船に乗るのを止めようかとも一瞬思いましたが、やはり何回も乗った私はともかく、他のみなさんにはこの有名な「霧の乙女号」に乗ってもらってよかったです。以前に来たことのあるOさんが、以前のカッパは使い捨てでなく臭かったのが気になったそうですが、今回はディスポの黄色いビニール製で安心したようです。私はというと、こういう事には鈍感で気にもならないので、以前に数回乗ったことがありますが覚えていません。7年前は青いビニール、つまりディスポだったような気もしますが、定かではありません。

いつも思い出すのですが、晴れていれば一年中虹が見えます。但し、水しぶきを浴びるような滝の近くまで来る必要があります。大量の水しぶきが太陽に反射するようで、常に虹(レインボー)が見れます。だから、すぐ近くの国境をまたぐ橋の名前が Rainbow Bridge なのです。

その後、すぐに船乗り場から歩いて登って行ける滝のすぐ真下まで行ける小道を行こうとしたら、5時ちょっと前なのに、もう今日は終わりと追い出されました。さすが、アメリカ人。きっちり5時に帰れるように、早目に入場禁止にして片づけに入ったようです。残念!

それでもう一か所、Cave of the Winds(風の洞窟)へ行きます。先ほどの船乗り場の滝の反対側で、ゴートという名前の島です。この島の反対側から馬蹄形の滝(カナダ滝とも呼ぶようですが)が始まります。ともかく、滝の真下へ降り、カッパと麻袋のような足カバーをもらいます。ここでは、船以上に滝の真下まで行けるので、迫力はもっとあります。わざわざ、大雨の中(滝の水しぶきで)へ突っ込んで行く若者(バカモノ?)もいます。すごい水量なので、轟音でうるさいくらいです。近づくと、滝の下は大きな岩場です。多くの冒険家が滝の上から樽等を使って落下を試みていますが、たいてい失敗して死んだのも、ここを経験すれば納得できます。

こうしてみなさんに真のナイアガラの滝の迫力を経験してもらいました。ただ唯一の誤算は、思ったより時間がかかり、車に戻ってレインボー橋から国境を渡ろうとすると、40分くらいかかり、夏時間でも真夏ほど日没まで時間がなく、7時を過ぎたので、国境を渡ってカナダ側にたどり着いた時には真っ暗になってしまいました。ですから、カナダ側から全体を眺めるのは無理でした。しかも、期待した夏にはやっているライトアップもなさそうで真っ暗です。

レストランやお土産屋はカナダ側の方が充実しているので、時間的にも夕食にしました。前もってインターネットで調べておいたSandstone Grillhouse にしました。もちろん、滝から近くのクリフトンの丘からも遠くない場所を選んでいます。この辺は何度も来ているので、地理が頭に入っています。正解でした。カナダ(アメリカ)のレストランのレベルにしてはまぁまぁでした。

私はロブスターと貝柱と中エビ、次男は surf & turf(ロブスターとステーキ)の一番豪華な料理を頼みました。次男は私と同じAFSでアメリカ高校留学して、TOEICも何とか900点取ったみたいですが、私から見るとまだまだ知らないことが多過ぎます。この surf & turf もアメリカ、カナダ(まとめて北アメリカとも言いますが)のメニューではよくあります。勘のいい私は初めてメニューで見た時すぐにピンときましたが、日本語の「海の幸と山の幸」のように語呂がよく、韻を踏んで(サーフ N ターフ)、「波」と「芝」ということで、各々「ロブスター」と「牛のステーキ」という意味のようです。もちろん、日本と同じで一皿にロブスターとステーキですから高級品です。後で次男に聞くと今回の旅行で一番おいしかったそうで、しかもステーキだけでも1ポンド(450g)ありました。値段もチップ抜きでも45ドル程します。

今年初めて行ったニュージーランドでは、”Beef & Reef Deluxe”と呼ぶメニューが同じ内容でした。Reef とは岩礁で、同じく象徴的にロブスターを指しているのでしたが、ネーミングはアメリカに軍配を上げます。一応、(ビーフ N リーフ)と同じく韻は踏んでいますが、センスの差です。

他の人は、fettucine (フェツッチーネ)やペンネを頼んでいましたが、見ただけでわかりますが、まぁまぁおいしそうでした。この fettucine は6月にIさんがナポリ近辺で気に入ったパスタ(平打ち麺)です。でも、彼女は日本語式(?)にフィットチーネと「ィ」にアクセントを置いて発音するので、正しいイタリア語にこだわる私はいちいちフェツッチーネと「チ」にアクセントを置いて訂正していました。

それから、クリフトンの丘に並んでいるお土産屋さんに連れて行きました。私は一切買いませんが、みなさんは色々おみやげが必要でしょうから、ここはお土産にはいい場所です。この辺に駐車して、歩いて下って行ってナイアガラの滝の見える大通りに行くのがいつものコースですから、私は何度もここを歩きました。以前よりゲームセンターなどができ、ネオンが派手になりました。シンシナティに住んでいる時に家族で来て、この辺のモーテルに泊まったこともあります。私は懐かしいメープルシロップなどを眺めていました。カナダみやげで有名ですが、近くのバッファロー近辺(アメリカ)にもたくさんあります。留学先でもよく食べていました。次男が買ったTシャツ等のお金を払う時だけが私の出番です。

ひょっとしてと期待して、わざと少し回り道をして再度ナイアガラの滝の目の前の道路を通ると、夜遅くの方がライトアップしていました。車の中からですが、かろうじてカナダ側から滝を見せることができました。

カナダを出発したのは午後10時半過ぎでした。それから、急いでバッファローの空港近くのホテル、Days Hotelへ行かないといけません。幸い、帰りのレインボー橋の税関は時間が遅いので空いていて、すぐにパスポートを6人分見せるだけで通過できました。ずっとインターステート(高速道路)なのですが、それでも小一時間かかりました。全員チェックインしているともう真夜中です。でも、私にはもう一仕事あります。翌朝早いので、一人でレンタカーを返しに行く必要があるのです。実は、このホテルは昨年も泊まりました。ウェストフィールドの先生が便利だからいつも利用すると教えてくれたのでした。空港に近いホテルはたくさんあるのですが、ここは本当にターミナルまで車ですぐ、5分以内なのです。真夜中を過ぎたので契約書と鍵を無人ポストに返却します。携帯電話でホテルを呼び、サービス車で迎えに来てもらいます。寝る時には2時を過ぎていました。明日は7時の便なので、5時過ぎには起きないといけません。


【24日(火)】
完全に寝不足ですが、飛行機の中で寝れるので何とかなるという計算です。私は運転手でもあるので、しっかり寝ておかないと危険です。7時の便でバッファローを出て、シカゴ・オヘア空港で乗り換え、アルバカーキ(NM州)までは数時間かかります。全てスターアライアンスのユナイティド航空です。夫々、時差が1時間ずつあります。つまり、アルバカーキはバッファローの時間より2時間も遅いので、得をします。乗換えを入れてかなりの時間がかかっていますが、時差のおかげで昼過ぎにはアルバカーキへ到着します。何回もアメリカを旅行していて気が付いたことですが、アメリカを横断する場合はできれば東側から西側へ移動した方が今回のように時差を有利にできます。逆だと、時差の関係でアルバカーキからバッファロー移動だけで丸一日かかります。

ところで、アルバカーキのつづりはほとんどのアメリカ人が書けません。Albuquerque です。どうもスペイン人の名前から由来しているようです。ローマ字読みのスペイン語は普通はつづりも簡単なのですが。今回訪れる Santa Fe や Taos などは簡単なのですが。

アルバカーキでは、いつものバジェットで予約が取れなかったので、ハーツで予約していました。7人乗りから少し大きくて中が広いと進められて150ドル上乗せして8人乗りのGMCのミニバンを借りました。結果的には、値段はともかく車自体は確かにかなり大きいものの、肝心の内装はそんなに広くなく、しかも乗りにくいのでした。たぶん、普通の7人乗りの方がよかったです。いわゆる「アメ車」で、無駄に大きい感じでした。GM(ゼネラル・モーター)です。でも、荷物はゆっくり載せれました。

時間的に頂上で軽食をと思い、Sandia Peak(サンディア山)へ行こうとしましたが、何と点検中でこの日だけ午後5時まで休みでした。仕方がないので、予定変更し、適当にレストランを探し、意外にもギリシャ料理店に入ることにしました。名前が気に入りました。「ミコノス」です。エーゲ海に浮かぶ島で建物が全て白色で、青い空と青い海とのコントラストがきれいな島です。私は23日間新婚旅行の欧州7ヶ国(もちろん自由旅行)の一つとして行きました。

特別にギリシャ料理が好きではありませんが、まぁ珍しいのでたまにはいいですし、たぶん他の人は初めての人ばかりです。有名なのが Gyro です。「ジーロ」です。英語読みは「ジャイロ」です。ケバーブみたいなものです。

ホテルは2泊ともアルバカーキとタオスの中間のサンタ・フェです。時間はかかるのですが、わざと州道14号線を通り、回りが荒涼とした(先日までのNY州とは全然違う)道路をのんびりと北上します。途中で、文字通りゴーストタウン、マドリッドへ立ち寄りました。廃墟の家を中心に、逆に観光地にもなっているので、一部カフェやお店があります。でも、炭鉱で栄えて今は寂れた街の面影はあります。

目的地のLodge at Santa Fe に着く頃には、薄暗くなっていました。本当は唯一思い出のある La Fonda on the Plaza に泊まりたかったのですが、2部屋しか空いていずあきらめました。場所も名前通りサンタフェ・プラザの目の前で便利なのですが。でも、期待通りこのホテルもアドビ(日干しレンガ)でできたこの辺りらしい建物です。色ももちろん茶色です。

知人の日本人(アルバカーキ在住)に推薦されたレストランへ行く予定でしたが、直前に調べて気が付いたからよかったのですが、何とこの辺りのレストランは9時で閉まるのです。これから出かけるとたぶん間に合いません。幸い、このホテルに付随したレストランはアルバカーキで私がよく行っていた Garduno’s という店で、たぶん姉妹店です。ここなら、移動しなくていいので少しはゆっくり食事できます。

集合までの時間に次男がプールで泳いでいましたが、寒いのですぐにジャクジーに入っていました。呼びに行くと、若いカップルがいて喋っていました。隣の州、コロラドのデンバーから来ているそうです。住んでいた頃に同州アスペンに行ったことがあります。夏のアスペンは夏の信州のようなもので最高でした。しかも、ここは全世界的に有名なスキー場があり、ヨーロッパからも人がたくさん来るせいか、レストランもアメリカにしては美味しいのです。屋外にジャクジーがあり、最高の眺望の中で風呂に入った記憶があります。アメリカでは珍しいことです。

それで、デンバーからアスペンまではどのくらいと聞くと、可愛い女の子が1時間と言います。「えっ?」と聞き返すと、彼氏が「数時間」と訂正します。すぐに女の子が「私、女の子だから(方向音痴なの)」と悪びれずに答えます。そのしぐさが可愛く、どこの国も女の子は一緒だなと思ったわけです。この子が私の好みの白人女性だったこともありますが。

レストランでは3種類のスープとエンチラーダなどを3皿頼みます。何回食べてもメキシコ料理は区別がつきません。全部同じようなものです。どこが違うのか、所詮チーズとミンチ肉、付け合せに刻んだレタスを中心に生野菜、ワイルドライス(雑穀米のようなもので焼き飯風でもある)、あずき色の豆の潰したやつ、緑色の潰したアボカドなどです。ただ私がはっきりわかるファヒータスは日本の焼き肉風でおいしいです。何故か日本のメキシコ料理店ではあまりこのメニューは見ませんが。大きめの野菜(パプリカ、玉ねぎなど)とサイコロ状の肉を焼いたものです。ビーフ、チキンと選べます。ウェートレスの娘の白い服がメキシコ風で可愛いです。

翌日の朝食はこの同じレストランです。Iさんが朝食はバイキング料理(食べ放題形式)かどうか英語で聞きます。通じません。ウェートレスはキョトンとした顔をしています。私までつられて、とっさに Viking の「V」の発音が通じなかったのだろうと勘違いして、大きな声で「Viking?」と叫んでしまいました。ほぼ同時に、私は「バイキング」は和製英語だと思い出していたので、すぐ「buffet?」と言いなおしました。これも、日本語式にビュッフェではなく、バフェイです。もともとフランス語ですから、最後のTはいずれにせよ発音しません。ラスベガスに行った人はわかりますが、ラスベガスのホテルはこの buffet が有名です。しかも、朝食だけでなく昼食、夕食などです。でも、40年前に私が前出のウェストフィールドで学んだ単語は smorgasbord です。後で知ったのですが、この smorgasbord という英単語はもともとスウェーデン語らしいのです。同じスウェーデン語由来なのに、日本語では「スモーガスボード」ではなく、バイキング(料理)と呼ぶのは面白いですね。

ところで、一般的にアメリカでは一部の高級ホテルやラスベガス以外はほとんど食べ放題形式の朝食はないと思います。ドリンクの種類、卵料理の種類、パンの種類やハム、ベーコン、ソーセージをいちいち選ぶのがアメリカ式です。面倒くさいくらい詳細に聞かれます。よほど英語のできる人でないとかなり難渋すると思います。多くの日本人にはいちいち何を聞かれているのかピンとこないようですから。


【25日(水)】
他の人たちは朝食を昨夜と同じホテルのレストランで食べたようですが、私は久しぶりに朝食を抜きました。アメリカに来て食べ過ぎ気味なので、朝からたっぷりのアメリカ朝食はパスです。予定通り、一般道しかない道路で北に位置する Taos へ向かいます。そのまま、タオスと発音します。以前、ドラマのタイトルになったそうで、普通のアメリカ人は「テイオス」と発音すると地元の人が笑っていました。インディアン語はスペイン語と同じでかなりローマ字読みが多いので、日本人には簡単です。タオスまで北上すると、ロッキー山脈の山が近いので、緑も増えます。アルバカーキの荒野とは違います。

まずは、世界遺産でもある Taos Pueblo へ行きます。サンタフェから1時間くらいかなと思っていましたが、1時間半ほどかかりました。「プエブロ」は私自身よく混乱します。何故なら、この辺のインディアンの部族名にプエブロ族があります(有名なアパッチ族、シャイアン族のような名前)。ところが、この場合のプエブロはもう一つの意味で、米国南西部のインディアンのアドビの集合住宅や部落のことを指すのです。私はわかり易いようにわざとインディアンと書いていますが、現在の英語では native American と言わなければいけません。要するに、先住民です。このタオス・プエブロがすごいのは、アメリカ独立よりはるか前から(少なくとも千年前から)、この先住民はこの集落に住んでいるし、今でも実はここで暮らしているのです。自分たちの村を開放して、観光客を相手にお店を開いている家が多いのです。でも、よく見ると裏側には普通に暮らしている人々がいるのです。先住民の色々な昔からのお守りや砂絵や飾りなどを売っています。
turquoise ターコイス(トルコ石原石)の装飾品も多いです。私はずっとターコイスのついた時計のバンドをしています。

入り口近くにアドビでできた教会があります。以前に来た時、長男が腕を広げて十字架の真似をして写真に納まったのでよく覚えています。でも、お土産屋さんで絵葉書を見ると、この教会もアドビ(日干しレンガ)らしく全て茶色いのです。でも、現在では一部はまっ白くなっています。お店の先住民が不満そうに、本来はアドビで茶色なのに、赴任してきた牧師が勝手に一部を白く塗ったと教えてくれました。いろいろあるようです。

昼食は調べていたレストランが見つからず、適当に(ニュー)メキシコ料理店に入りました。El Taoseno Restaurant という名前で、アドビの建物の入り口が少し特徴的で、気のせいか絵葉書で見たような気もします。料理自体は普通のメキシコ料理で、ボリュームたっぷりです。

それから、私は何度も行ったタオス・プラザへ行きます。サンタフェ・プラザと同じでスペイン風というか、中庭(広場)を四角に囲んでアドビの建物があり、お土産屋、レストランなどが並んでいます。思い出しましたが、中央部にサンタフェと同じ La Fonda Hotel があります。

朝来た道路をサンタフェまで戻りますが、途中にはロス・アラモスの町があります。ここは広島、長崎の原爆を開発した場所です。この広大なニューメキシコ州の砂漠で地下実験をしたらしいのです。かなりサンタフェの近くまで戻って来て、Camel Rock に気が付きました。忘れていましたが、自然のいたずらで、ちょうどラクダに見える岩があるのでした。有名な野外劇場、サンタフェ・オペラの会場も通過します。

サンタフェへ戻った時には6時過ぎで、もうプラザには先住民の売り子たちはいませんでした。できれば宿泊したかった La Fonda on the Plaza Hotel の中を少しブラブラしました。

夕食は、さすがにみなさんメキシコ料理には少し飽きてきたようなので、見つけたスペイン料理にしようと思いました。よさそうなレストランがあったのですが、あいにく満席でした。観光地で結構レストランが充実した街なので、しばらく歩き回るとちゃんとしたイタリア料理店を見つけました。Il Piatto という名前で、英語で plate または dish、つまり皿、料理という意味です。店構えと名前でちゃんとしたレストランかどうかわかります。自信を持って入りました。正解で、ちゃんとしたイタリア料理を食べれました。はっきり言って、やはり(ニュー)メキシコ料理よりやはりおいしいです。ここは親切(?)で、前もって18%のチップをちゃんと計算して清算されていました。内容を考えれば、6人でチップ込み326ドルは安いと思いました。


【26日(木)】
今朝はうちの次男以外みんな朝食を抜いていました。みなさんもだいぶ胃がもたれてきたのでしょう。もう一度、サンタフェ・プラザへ行きました。広場の四つの角のうち一か所だけインディアンが座り込んで小物を売っています。私の記憶では、二か所だったと思ったのですが。みんな、ネックレスなどを買っています。私は砂絵を買おうとしたのですが、ちょうど店の人が不在でした。よく見ると売り子はインディアンだけでなく、普通の白人もいるようです。感心したのは、そうは言っても主に先住民が商売しているのに、以前のように決済が現金だけではないのです。新聞で読んだ、iPhone に接続したちょっとした簡易端末で、クレジットカード決済ができるようです。先住民も時代の最先端を行っています。

それから、近くのアメリカ最古の家を見に行きます。先住民がいたので、何でもアメリカ最古になるのがこの辺りの特徴です。カーナビを頼りに行き、ちょうどいい無料らしい駐車場を見つけました。いつものことで、来てから思い出しました。以前に来た駐車場でした。7年前に、ナースの二人が外人に受けるというので浴衣姿で来たのがこの駐車場で、早速二人はスターで何人ものアメリカ人に写真を撮らせてくれと言われたのがここでした。

何という事はない今は不動産屋が入っているアドビの家です。すぐ近くに同じくアメリカ最古の教会、San Miguel Church(サン・ミゲール)があります。時間に余裕があるので、本当は著名なジョージア・オキーフ美術館に立ち寄りたかったのですが、あいにく休館でした。

ほとんどみんな朝食を抜いているので、ブランチにしようとしましたが、適当なレストランがなく無駄に時間を過ごしてしまいました。脂っこい卵やポテトだらけの朝食よりも却ってあっさりしているので、ステーキを食べれるレストランを探しました。でも時間が中途半端で10時過ぎなのでまだ朝食メニューだけが多いので、あまりステーキはありません。そこで、案内所で聞いて、電話までして確認して行ったメキシコ風レストランです。結構朝食で混んでいて、30〜40分も待たされました。が、ドリンクを頼んでいざ注文しようとすると、話が違ってメニューにステーキはないと言います。思い出しました、この辺りはメキシコ系らしく、こういういい加減なことがよくあります。たぶん、電話に応対した店の人が無責任な答えをしたのでしょう。ドリンクだけで出ました。

待たされている間にIさんが見つけていた韓国料理の店へ行くことになりました。私はあまり気乗りしません。日本料理と焼き肉のレストランのようで、日本人が中にいました。聞くと、すぐ裏のレストランならステーキもあると教えてくれたので、そこへ行きました。Burro Alley Cafe(「ロバの小路」という意味)というレストランで、入り口で確認すると、11時過ぎなので昼食メニューでステーキもあるということでした。奥にテラスがあり、スペイン風というか、メキシコ風というかいい感じのレストランでした。しかも、ウェートレスがスペイン系のような美人でした。ようやく希望の食事にありつけました。

Tの発音が少しDに近づく米語の特徴のことを書きましたが、横で皆さんの英語を聞いていると面白いように通じません。イギリスならもう少し通じるのかもしれませんが、アメリカでは日本人のローマ字読みは中々通じません。イタリア語ならローマ字読みでいいのですが。このレストランでも誰かが「ウォーター」と言ってましたが、やはり通じません。やはりアメリカでは「ウォワダ」や「ウォワラ」みたいに発音しないと通じません。

Mさんがこの美人と写真を撮りたいと言うので、もちろん私が呼んで頼んであげました。もちろん、Mさんだけでなく、男性4人ともちゃっかり、一人ずつ美女とツーショットです。背景にアドビの建物が少し入り、いい写真が撮れました。Mさんがチップを彼女に渡したいと言いますが、残念ながら給仕は彼女ではなく、アメリカのシステムでは、食事代にチップをはずんでも彼女にはいかないはずです。後でIさんから聞くと、レストランを出る時にMさんは直接彼女にチップを10ドルも渡したそうで、彼女は非常に喜んだとのことでした。ウェートレスとしては、モデル料の10ドルは悪くないでしょう。

今日は実質最終日なので、もちろんI-25(ニューヨーク州と違い無料の高速道路)で急いでアルバカーキへ行きます。直接、一昨日動いていなかった Sandia Peak ふもとの世界最長ロープウェイ(tramway)へ行きます。標高2千メートルのふもと(アルバカーキ市内)から約15分で一気に頂上へ。私の記憶と違い、富士山よりは低いものの3250Mほどあります。この日は風が強く、頂上はかなり寒かったです。

私には見慣れた景色ですが、ずっと平地が続くのではるか彼方まで一望できます。解説を聞くと、何と200マイル(320km)先まで見えているそうです。何も障害物がないのと、空気が薄いから遠くまで見えるそうです。50m先が見えない最近の中国の大気汚染とは別世界です。世界は広い!

近くにあるカフェに入ります。みんな、ドリンクを頼みます。私だけ思い出のある chili(スープ)を頼みます。これは結構おいしいのです。住んでいる時は、冬の間は毎日曜日一人でスキーに来ていました。砂漠に近い地形だけあって、雪質は最高でパウダースノウです。下手な私でもジーパンで滑っていました。転んでも濡れないからです。ここは変な地形で、冬でも日差しが強くスキーに出発するのに、アルバカーキ市内のアパートを出る時は車の冷房をつけます。I−40を通ってサンディア山の裏側(東側)へ回り込み、徐々に山を登って行くと雪景色になり、温度も一気に下がるので、車も暖房に切り替えます。不思議な体験でした。

幸い、今回は誰も息苦しいとか頭痛がするとか、高山病の症状は出なかったので、ゆっくり頂上で過ごせました。7年前に子供らを連れて来た時は、よりによってアルバカーキ生まれの長男が息苦しいとか言いだし、早目に下山せざるを得ませんでした。

次に、名前が有名なので、以前の「Route 66」を案内しました。と言っても、
現在ではただのアルバカーキ市内の Central Avenue で、名前通り幹線通りの一つに過ぎません。それでも以前の記憶では大きな看板のモーテルとかあったはずですが、意外と「ルート66」の看板もありません。やっと1ヵ所やや大きな看板を見つけました。この通りには、懐かしい UNM (University of New Mexico) のメインキャンパス(私の留学先の医学研究所は別ですが)や長男が生まれた Presbyterian (キリスト教長老派)病院があります。

市内観光地の一つ、Old Town に急いだのですが、私の記憶があいまいなのと、カーナビでどう設定していいのかわからず、思ったよりダウンタウンより西側のオールドタウンに着いた頃には、あまりゆっくり散策して買い物をする時間がなくなりました。と言うのは、この日はハイライトの地平線に沈む夕日を見せたいので、逆算するとあまり時間に余裕がなく、添乗員の心境で時間を気にしていました。ただ、ある意味ではオールドタウンは少し大きいだけで、すでに行ったタオスやサンタフェのプラザとそんなには変わりません。

アメリカ旅行最後の夕食レストランはアルバカーキ在住の知人に推薦してもらった El Pinto というメキシコ料理店です。住んでいる時は知らなかったのですが、その当時からあったようで、1962年創立と書いています。市内北のやや郊外にあり、土地の有り余ったアルバカーキとは言え、林の中にあるレストランと言う感じで駐車場だけでも百台以上軽く入りそうです。しかも、早目の午後5時過ぎに来ているのに、もうかなりお客さんが入っているようで駐車場にもかなりの車がありました。予約していませんが、さすがに巨大なレストランで待たずに入れました。日本人があまり知らない表現で、こういう時は “A party of six”と言えば、6人連れと通じます。日本語のパーティーの意味だけでなく、一団、一行などの意味があります。こういう簡単な単語だけど日本語の発想では絶対に思いつかない英語が使いこなせれば、少しネーティブに近づきます。何故か、日本人にはわかりやすい「グループ」という単語は使いません。通じるかもしれませんが。

レストランの中心部にはこれでもかというくらい有名人、著名人の写真が並んでいます。父・息子両ブッシュ大統領、クリントン大統領、多くの歌手や俳優らしき人の写真が並んでいます。われわれは室内のテーブルでしたが、テラスにも多くのテーブルがあるようでした。

6時過ぎには出ないといけないので1時間しかありません。こちらののんびりペースでは絶対に間に合わないので、私が中心になって最初に料理を注文し、しつこいくらい1時間後には食べ終わっていないといけないとウェーターに告げます。それから、ゆっくりと飲み物を頼みます。紹介してくれた日本人が味は大したことないと言っていましたが、幸い皆さんには好評で、ありふれたメキシコ料理ですが、結構おいしいと言ってくれました。もちろん、デザートなんかは頼みません。こちらはウェーターの縄張りがはっきりしているので(チップの関係で)、支払いにも意外と時間がかかります。ですから、みんなが食べ終わる前から私がウェーターを呼び、クレジットカードでの支払いをします。

計算通り6時過ぎにはレストランを出て、I−25に戻り南下し、I−40に乗り継ぎ西へ向かいます。もう目の前にはでっかい太陽が沈み始めています。当然、選んだこの高速道路はほとんどまっすぐ西へひたすら向かうのでまぶしいです。準備万端でめったにしないサングラスをかけます。太陽がほとんど隠れ始めたところで高速道路の端に停車し、みんなで写真を撮りました。日本ではまず見られない地平線に沈んでいく夕日です。安全な路肩があるのを知っていますから、安心して停車できます。時折、アメリカらしく巨大なトラックがそばを通り、振動が伝わります。日没は6時45分くらいでした。夏時間とはいえ、9月の終わりでもうそんなに日が長くないのでした。福岡と同じ時間帯に日没です。

それから、ひたすら東側のアルバカーキ市内へ戻り、先ほどのオールドタウンへ再度行きます。正解でした。全部ではないものの、まだ一部のレストランやお土産屋さんは開いていました。最後のショッピングのつもりでした。

ところが、手軽なお土産を買いたいのでスーパーに行きたいと誰かが言うので、いつも行っていたスーパーのAlbertsons を思い出し、カーナビで探して近くのアルバートソンへ行きました。次男は珍しい瓶ビールのセットを買っていました。持って帰れるのか心配でしたが、意外と何とかなるのでした。ちょっとしたチョコなどを買っている人もいました。ところが、K君がお父さんのお土産に服を買いたいと言うので、K-Mart か Walmart にでも行こうかと思ったら、シアトルに留学していた次男が近くに見える Ross というチェーン店には衣料品があるというので入ると、確かにたくさんの服を売っています。お世話になったロス夫人の Ross と同じ苗字ですが、私はこのチェーンを知りませんでした。K君も目的のお土産のXXLサイズの服を見つけて、しかも値段も安かったようで無事全員の買い物も終了しました。K君も大きいけど、日本人でXXLサイズの人がいるとは、正直私には驚きでした。

翌日の帰国へのフライトに備えて予約してあるアルバカーキ空港近くのホテルへ着いたのは夜10時半過ぎでした。バッファローの時と違い、翌日は午前10時頃の便、しかもデンバー乗り換えですから国内線であまり朝早くないので余裕があります。予約した私は期待していたのですが、Isleta Resort & Casino という名前通りカジノ付きのかなり豪華なホテルでした。部屋もやたら広く、寝るだけにはもったいないくらいでした。

10年以上前に気が付いたのですが、どうもインディアン保護区優遇のため、カジノが全米各地のインディアン保護区で解禁されているようです。真夜中なので少し迷いましたが、やはり一階のカジノへ行きました。いつものようにブラックジャックのみです。でも、以前のインディアン・ブラックジャックと違い、ディーラーへの特別料金はなく、ごく普通のブラックジャックでした。ディーラーはラスベガスのように外国人ではなく、アメリカ人でしかも先住民でなく普通のアメリカ人でした。いつものように軍資金100ドルだけで始め、15分くらいで2倍になりました。止めるのには少し早いかと思い、しばらくやるうちに流れが反転し、100ドルに戻りました。45分くらいたち眠いので、潔く止めました。金額は一緒ですが、楽しんだだけ得です。


【27日(金)、28日(土)】
翌朝早く、次男はアスレチックジムに行って戻って来て興奮していました。プールも広くていいと言うので、私も見に行きました。室内と屋外とプールがあり、ちょうどイタリアの温泉のようです。しかも、屋外にはジャクジーもあり入れば気持ちよさそうです。次回は、ここでゆっくりしようと思いました。

みんなを空港で降ろし、私一人だけで近くの空港レンタカー・センターへレンタカーを返却し、サービスシャトルで空港へ戻ります。次男が買ったビール瓶の一箱があり、預け荷物のない私の荷物として預け、追加料金なしです。今は荷物の超過料金が結構高いのです。シカゴ・オヘア空港での乗り継ぎは何十回もしている私ですが、デンバーでの乗り継ぎは初めてです。帰りはずっとユナイティド航空です。デンバーのゲートで待っていると、どうもOさんの名前が呼ばれたようです。自分たちのゲートの責任者へ私が声をかけると、何とビジネスクラスのOさんの荷物に鍵がかかっているということで、鍵を渡せということでした。

Oさんは鍵を持っているので、係員へ鍵を預け、出国手続きの税関で荷物をチェックしてもらい、何の問題もありませんでした。言葉がわからないとこういう時不安だと感謝されました。でも、よく聞くとひどい話で

旅行の満足度
4.5
同行者
その他
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
レンタカー
航空会社
ユナイテッド航空
旅行の手配内容
個別手配
  • 一軒家の私の泊まった部屋<br />(隣が私のホームステイ時の部屋)

    一軒家の私の泊まった部屋
    (隣が私のホームステイ時の部屋)

  • 以前の私の部屋は豪華なバスタブとシャワールームに

    以前の私の部屋は豪華なバスタブとシャワールームに

  • これが一軒家<br />(元私のホストファミリーの家)

    これが一軒家
    (元私のホストファミリーの家)

  • 夜の一軒家

    夜の一軒家

  • 同じ敷地内のもっと大きな家(ホテル)

    同じ敷地内のもっと大きな家(ホテル)

  • 一軒家引っ越し(家ごと移動)の写真

    一軒家引っ越し(家ごと移動)の写真

  • いきなりたっぷりの朝食

    いきなりたっぷりの朝食

  • 懐かしい部屋(食堂)<br />巨大な冷蔵庫(アメリカ標準)

    懐かしい部屋(食堂)
    巨大な冷蔵庫(アメリカ標準)

  • いつも過ごしていた居間

    いつも過ごしていた居間

  • 家の出入り口(二重戸)<br />すぐに2回への階段が

    家の出入り口(二重戸)
    すぐに2回への階段が

  • ショトークワ湖

    ショトークワ湖

  • 夏の間は有料の<br />Chautauqua Institute の入り口

    夏の間は有料の
    Chautauqua Institute の入り口

  • メイビルからの眺め<br />真ん中にエリー湖が見える

    メイビルからの眺め
    真ん中にエリー湖が見える

  • 少女ベデルとリンカーン大統領の像

    少女ベデルとリンカーン大統領の像

  • 今は使われていない向かい側の<br />Welch&#39;s 本社ビル

    今は使われていない向かい側の
    Welch's 本社ビル

  • ロス夫人の家で<br />後ろは全てぶどう畑

    ロス夫人の家で
    後ろは全てぶどう畑

  • 日本にあるウエルチのジュース<br />(日本ではカルピスと提携)

    日本にあるウエルチのジュース
    (日本ではカルピスと提携)

  • ロス夫人曰く 双子です!<br />(ずいぶんデコボコですが・・・)

    ロス夫人曰く 双子です!
    (ずいぶんデコボコですが・・・)

  • 新しくできた<br />Grape Discovery Center

    新しくできた
    Grape Discovery Center

  • 最古のガス灯灯台<br />(エリー湖ぞいバルセロナ)

    最古のガス灯灯台
    (エリー湖ぞいバルセロナ)

  • これがコンコード種紫色のぶどう<br />(昔ながらのポリフェノールたっぷりの品種)

    これがコンコード種紫色のぶどう
    (昔ながらのポリフェノールたっぷりの品種)

  • 巨大なトラクターでぶどう収穫<br />隣の畝のトラクターへどんどん収穫

    巨大なトラクターでぶどう収穫
    隣の畝のトラクターへどんどん収穫

  • こうやって積んでいく

    こうやって積んでいく

  • 巨大なトラクターに乗せてもらってます

    巨大なトラクターに乗せてもらってます

  • 実際の収穫

    実際の収穫

  • ディックの家で夕食

    ディックの家で夕食

  • 普通のアメリカの家での食事

    普通のアメリカの家での食事

  • corn on the cob<br />(丸ごとのとうもろこし)

    corn on the cob
    (丸ごとのとうもろこし)

  • みんなで記念写真

    みんなで記念写真

  • 会いに来てくれたテリー<br />(レスリングで同じ重量級で背の高さも一緒)

    会いに来てくれたテリー
    (レスリングで同じ重量級で背の高さも一緒)

  • 典型的なアメリカの田舎<br />メインストリート<br />ウエストフィールド

    典型的なアメリカの田舎
    メインストリート
    ウエストフィールド

  • 同じく街並み

    同じく街並み

  • 懐かしい学校の前で

    懐かしい学校の前で

  • 学校の講堂

    学校の講堂

  • 学校のカフェテリア

    学校のカフェテリア

  • 有名なルーシーの写真の前で

    有名なルーシーの写真の前で

  • 実際はきれいな女優

    実際はきれいな女優

  • ルーシー記念館の近くの教会<br />(ジェームズタウン)

    ルーシー記念館の近くの教会
    (ジェームズタウン)

  • 結構好きな Reuben sandwich

    結構好きな Reuben sandwich

  • ナイアガラの滝(アメリカ滝)<br />アメリカ側から

    ナイアガラの滝(アメリカ滝)
    アメリカ側から

  • レインボー橋<br />右手、手前はアメリカ側<br />左手の対岸がカナダ側

    レインボー橋
    右手、手前はアメリカ側
    左手の対岸がカナダ側

  • 霧の乙女号から<br />虹が見える

    霧の乙女号から
    虹が見える

  • 水しぶきが巻き上がっている<br />アメリカ滝

    水しぶきが巻き上がっている
    アメリカ滝

  • 迫力満点の滝の下<br />虹も見える

    迫力満点の滝の下
    虹も見える

  • カナダ滝(馬蹄形)

    カナダ滝(馬蹄形)

  • カナダのレストラン<br /> Surf &amp; Turf

    カナダのレストラン
    Surf & Turf

  • Fettuccine<br />フェツッチーネ

    Fettuccine
    フェツッチーネ

  • 賑やかになったクリフトンの丘

    賑やかになったクリフトンの丘

  • NY州から一気にNM州へ<br />アルバカーキ空港

    NY州から一気にNM州へ
    アルバカーキ空港

  • アルバカーキ空港

    アルバカーキ空港

  • ギリシア料理<br /> Gyro

    ギリシア料理
    Gyro

  • ゴーストタウン<br />マドリッド

    ゴーストタウン
    マドリッド

  • ホテルのレストラン<br />ガルデゥノス<br />メキシコ服姿のウエートレス

    ホテルのレストラン
    ガルデゥノス
    メキシコ服姿のウエートレス

  • ホテル<br />アメリカらしくプール付き

    ホテル
    アメリカらしくプール付き

  • アドビ(日干しレンガ)のホテル前

    アドビ(日干しレンガ)のホテル前

  • 典型的なニューメキシコの景色

    典型的なニューメキシコの景色

  • 観光地によくある<br />控えめのマクドナルド<br />(明らかに規制)<br />アドビにマッチして却って上品

    観光地によくある
    控えめのマクドナルド
    (明らかに規制)
    アドビにマッチして却って上品

  • タオス・プエブロの教会

    タオス・プエブロの教会

  • 山の麓にあるタオス・プエブロ

    山の麓にあるタオス・プエブロ

  • 空の青さとアドビの茶色のコントラスト

    空の青さとアドビの茶色のコントラスト

  • 小グランドキャニオンのような峡谷<br />(リオ・グランデ峡谷)

    小グランドキャニオンのような峡谷
    (リオ・グランデ峡谷)

  • 橋からの峡谷

    橋からの峡谷

  • ニューメキシコ名物<br />チリ(赤唐辛子)の干し物<br />日本の干し柿のように各家庭の入り口に

    ニューメキシコ名物
    チリ(赤唐辛子)の干し物
    日本の干し柿のように各家庭の入り口に

  • Camel Rock<br />自然の造形物、ラクダの形の岩

    Camel Rock
    自然の造形物、ラクダの形の岩

  • サンタフェ・プラザの一角

    サンタフェ・プラザの一角

  • アメリカ最古の家

    アメリカ最古の家

  • アメリカ最古の教会<br />サン・ミゲール教会

    アメリカ最古の教会
    サン・ミゲール教会

  • スペイン風のレストラン

    スペイン風のレストラン

  • 若いK君も美人ウェートレスとツーショット

    若いK君も美人ウェートレスとツーショット

  • アルバカーキ<br />世界最長のロープウェイでサンディア山頂上へ

    アルバカーキ
    世界最長のロープウェイでサンディア山頂上へ

  • 何気なく200マイル先が見えている<br />(サンディア山頂上から)

    何気なく200マイル先が見えている
    (サンディア山頂上から)

  • アルバカーキと反対側(東側)<br />こちら側で冬はスキーができます<br />同じく200マイル先が見えます

    アルバカーキと反対側(東側)
    こちら側で冬はスキーができます
    同じく200マイル先が見えます

  • ルート66

    ルート66

  • オールドタウンの教会

    オールドタウンの教会

  • エル・ピント(レストラン入り口)

    エル・ピント(レストラン入り口)

  • メキシコ料理

    メキシコ料理

  • 地平線に沈む夕日

    地平線に沈む夕日

  • 夕暮れの地平線

    夕暮れの地平線

  • 空港近くのホテル(カジノ付き)

    空港近くのホテル(カジノ付き)

  • ホテルからの<br />アルバカーキ独特の景色

    ホテルからの
    アルバカーキ独特の景色

  • ホテルのジャクジー

    ホテルのジャクジー

  • 帰りの飛行機は<br />最新式B787(ドリームライナー)

    帰りの飛行機は
    最新式B787(ドリームライナー)

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