2008/08/26 - 2008/08/27
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Donkyさん
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旅の記録(19)・・・ぶらり長崎・嬉野
2004年8月長崎に次いで佐賀県に入り有田焼を鑑賞しました。
ところが 写真撮影禁止の名器ばかりで データは何も残っていないのです。2008年にも佐賀県嬉野の陶彩館に立寄りましたが、どういうわけか 写真はこれのみです。
そんなわけで まずは「長崎の街をぶらぶら」と歩いてみました。
今回は 中華街 出島 天守堂のあたりです。
「ぶらり長崎」次のURLでもご覧いただけます。
http://kj2k3.at.webry.info/200809/article_4.html
注)各写真のコメントのうち各地の詳細情報については 「 Wikipedia 」 などから転載・加筆したものです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス ANAグループ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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長崎観光の貴重な足 市電です。
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まずは 期待していた 中華街へ
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横浜の中華街をイメージしていたものですから これは小粒過ぎてビックリ。
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お店の数といい 中華料理店の数といい 私の知る限り 世界で最小規模の中華街
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数分で通り抜けてしまいました。
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長崎といえば「出島」ですが、出島(でじま)は、1634年江戸幕府の鎖国政策の一環として長崎に築造された人工島です。
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扇型になっており面積は3969坪(約1.5ヘクタール)。1641年から1859年まで対オランダ貿易が行われました。「出島和蘭商館跡」として国の史跡に指定されています。
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出島は1634年から2年の歳月をかけて、ポルトガル人を管理する目的で、幕府が長崎の有力者に命じて作らせました。
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築造費用は、門・橋・塀などは幕府からの出資であったが、それ以外は石嶺匠、高島四郎兵衛などの長崎の25人の有力者が出資しました。
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ポルトガル人は、彼らに土地使用料を毎年80貫支払う形式となっていました(初代のオランダ出島商館長となったマクシミリアン・ル・メールが交渉し、借地料は55貫、現在の日本円で約1億円に引き下げられたのだそうですが・・・)。
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1639年、幕府がキリスト教の布教と植民地化を避けるためにポルトガル人を国外追放としたため、出島は無人状態となりました。
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その後、出島築造の際に出資した人々の訴えにより、1641年に平戸(ひらど、現在の平戸市)からオランダ東インド会社の商館が移され、武装と宗教活動を規制されたオランダ人が居住することになりました。
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以後、約200年間、オランダ人との交渉や監視を行ってきました。原則として、日本人の公用以外の出入りが禁止され、オランダ人も例外を除いて狭い出島に押し込められました。
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医師・学者としての信頼が厚かったシーボルトなどは外出を許されていました。
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1651年に長崎諏訪神社が勧請造営され、祭礼長崎くんちも始められると、中国人と共にオランダ人も桟敷席での観覧が許されました。
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出島に残る古井戸
ペリー来航によって日本が開国されることになった翌年の1855年(安政2年)に日蘭和親条約締結によってオランダ人の長崎市街への出入りが許可されました。 -
1856年には出島開放令と共に出島の日本人役人が廃止され、3年後の1859年には、出島にあったオランダ商館も閉鎖され、事実上「出島」としての存在意義は失われました。
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出島は、1883年(明治16年)から8年間にわたって行われた中島川河口の工事によって北側部分が削られ、
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1897年(明治30年)から7年にわたって行われた港湾改良工事によってその周辺を埋め立てられ、島ではなくなりました。
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1984年(昭和59年)から2年にわたって、かつての出島の範囲を確認する調査を行った。その調査によって東側・南側の石垣が発見されています。(写真左奥)
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また、当時の出島との境界がわかるように、道路上に鋲を打ちました。 写真は境石。
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出島売店 マア観光地ですから・・・。
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出島売店内部
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市電停留所 天主堂下
正式名は日本二十六聖殉教者堂。その名のとおり日本二十六聖人に捧げられた教会堂で、殉教地である長崎市西坂に向けて建てられています。 -
大浦天主堂(おおうらてんしゅどう)は、長崎県長崎市にあるカトリックの教会堂で、1865年(元治2年)に建立された日本最古の現存するキリスト教建築物。
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天主堂前にて
1953年(昭和28年)に国宝に指定されました。また、2007年(平成19年)にユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定リストへ掲載が決まった「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を構成する文化財の1つです。 -
天主堂下交差点にて
観光客の増加に伴い、1975年(昭和50年)に、天主堂に登る石段横の隣接地にカトリック大浦教会が建てられ、毎日のミサは大浦教会で行われています]。 -
丸山オランダ坂(まるやまオランダざか)は、長崎県長崎市丸山町にある坂の名称。
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江戸〜明治時代に外国の人がよく通っており、その人々がオランダさんと呼ばれていたので、オランダ坂という名称がついたそうです。
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これが長崎の 文明堂
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歴史散歩は際限ありませんが 今回はこれくらいにして 佐賀県に向かいます。
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2004年8月長崎についで 佐賀県に入り 有田焼を鑑賞しました。ところが 写真撮影禁止の名器ばかりで データは何も残っていないのです。
2008年にも佐賀県嬉野の陶彩館に立寄りましたが、どういうわけか 写真はこれのみです。
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