2013/07/11 - 2013/07/11
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ペコちゃんさん
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毎月一回の○○会・・・今回は埼玉県の北部にある、人口約8万人の行田市を訪れました。
「古代蓮の里」で見頃を迎えた古代蓮を鑑賞した後、「古代蓮会館」から「田んぼアート」を眺め、その後は「忍城・行田市郷土博物館」「横田酒造」「さきたま古墳公園・さきたま史跡の博物館」と行田市の見どころを見て回りました。
写真を見て貰えば分かりますが、古代蓮は本当に見事で綺麗な蓮でした・・・古代のロマンが偲ばれます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 団体旅行
- 利用旅行会社
- 株式会社IACEトラベル
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「行田蓮まつり」は7月14日(日)ですが、今年は梅雨明けが早かったので、7月11日(木)に行きました。
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車2台に分乗し、地元を9時に出発して10時半には着きました。
午前中が蓮の花の鑑賞時間帯・・・快晴の下、見ごろを迎えた蓮の花を楽しむことが出来ました。
今回の参加者は11名で、「古代蓮の里」に入る前に「世界の蓮園」の所で集合写真を。 -
今日のメインは古代蓮ですが、手前の「世界の蓮園」も世界各地から集めた42種類の花蓮があり、見応え十分です。
花の開花時期は種類によって異なりますが、6月下旬~8月上旬にかけて、綺麗な花が咲きます。 -
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「古代蓮の里」・・・ここから程近い場所で公共施設の建設工事を行った際に、偶然出土した種子が自然発芽して甦り、池に開花しているのが発見されました。
地中深く眠っていた多くの蓮の実が出土し、自然発芽して一斉に開花した事は極めて珍しいことと言われています。 -
今から約2000年前、この辺りは沢山の水生植物が茂る湿地帯で、そこに咲いていた蓮の実が地中深く潜っていました。
昭和46年に、市が始めた新しい焼却場施設の造成工事の場所に水が溜って池となり、昭和48年に池の水面に多くの丸い葉が浮いているのが発見されました。
その後、葉の数も増え続け、ついに7月13日、長い眠りから覚めた古代の蓮が可憐なピンクの花を咲かせたのです。
その後、調査・採集を行った結果、1400年から3000年前のものと推定されました。 -
鮮やかなピンクの古代蓮・・・12万株もあります。
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2千年もの間、地中に眠っていた植物の生命力の強さに驚かされ、いとおしさも感じます。
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キバナバス
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古代蓮の里に隣接した「古代蓮会館」に行ってみました。
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平成13年にオープンした会館の地上50mの展望室からは、関東平野の大パノラマが望めます。
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古代蓮を観たのも初めてですが、この展望台の眼下には、何と、見事な「田んぼアート」が広がっています。
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平成20年から始まったようですが、全く知りませんでした。
(田んぼアートは、東北地方の専売特許と思っていました)
今年のテーマは「古代蓮の精」。 -
今年は6月15・16日に田植えが行われ、沢山の人が参加したそうです。
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7種類の稲を使った、見事なアートです。
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古代蓮の里は、上から見るとこんな感じです。
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古代蓮を見た後は、映画「のぼうの城」の舞台となった「忍城(おしじょう)」の本丸跡地に、1988年にオープンした「行田市郷土博物館」に行きました。
博物館の南東部には「忍城御三階櫓」が復元されています。 -
忍城は15世紀後半、地元豪族・成田氏によって築かれたとされ、関東七名城<太田城(茨城県)、宇都宮城(栃木県)、唐沢山城(栃木県)、金山城(群馬県)、前橋城(群馬県)、忍城(埼玉県)、川越城(埼玉県)>の一つに数えられました。
上杉、北条氏との戦いにも落城せず、石田三成の水攻めにも耐え、戦国の世を生き抜いた名城でした。
忍城は明治維新の際に壊されましたが、本丸の跡地は往時の面影を再現した忍城址として整備されています。 -
天正18年(1590)3月、豊臣秀吉は関東平定のため、そのころ関東を支配していた北条氏の拠点である小田原へ出陣しました。
忍城主の成田氏は北条氏に属していたため、秀吉方の武将・石田三成によって攻められることになりました。
6月5日、三成は地形や季節を考えて水攻めを計画し、約1週間で延長28キロにもおよぶ堤を築き、利根川と荒川の水を引き入れるという大作戦を行ないました。 -
しかし、城が沈まなかったため、これを見た人々は城が沈まないのは浮くからだと考え、忍城は『浮き城』として、その名を轟かせました。
実際には、忍城の地形が周りよりも少し高かったため、沈まなかったと考えられます。
その後、堤は切れてしまい、三成の水攻めは失敗に終わりました。
忍城の戦いは小田原城が7月6日に開城した後も続きましたが、最終的には開城して7月14日に豊臣軍に引き渡されました。 -
行田の歴史と文化に関する展示を行っている「行田市郷土博物館」・・・後ろには「御三階櫓」が見えます。
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展示内容は、埼玉古墳群、忍城下町、行田の特産品・足袋の製造風景など。
奥に進むと、御三階櫓の博物館へ行けます。 -
ロビーには、綺麗な折り紙で作った古代蓮が置いてあり、作り方の説明書や材料の紙も貰えます。
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ロビーで一休み・・・ ” 行田は見どころが多いね~ ”
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昼食は、ネットで探した「創作和食・渡ら瀬」に行きました。
昨年の秋にオープンした、会席料理の立派な店構えですが、ナビには電話番号がなかったので、住所で何とか辿り着きました。 -
この「渡ら瀬御膳」が税込1,260円です・・・安くて美味しい昼食で、メンバーの皆から喜ばれました。
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満腹の後は、恒例(?)の酒蔵見学・・・今回お邪魔したのは、文化二年(1805年)創業の「横田酒造」。
滋賀県出身の初代・横田庄右衛門が、他の近江商人と同じく、 江戸で一旗上げるため、 関東近郊の水の良い土地を選び、酒蔵を建てたのが始まりです。 -
行田市は、利根川と荒川が一番接近する場所にあり、伏流水が豊富で名水の産地。
「日本橋」の酒名は、創業者が日本橋の酒問屋で修行を積んで独立する際、 " 初心忘るべからず " との家訓を込めて付けられたものだそうです。 -
はじめに横田の酒造りについて簡単な説明を受け、 その後、蔵の中を見学しました。
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酒蔵見学の後は、お楽しみの試飲会・・・皆さん、「日本橋 大吟醸」など、お土産を買いました。
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昼食のビールと大吟醸で、良い気分になった後は、最後の観光「さきたま古墳」です。
「さきたま古墳公園」の周辺は、「埼玉」という地名が生まれた所で、今でも「行田市埼玉」という住所があり、公園の傍には「埼玉」という名前の信号もあります。
奈良時代に編纂された『万葉集』に、「前玉(さきたま)」や「佐吉多万(さきたま)」などと地名を表記した和歌が収められています。 -
埼玉古墳群は、9基の大型古墳が集中する東日本最大の古墳群・・・古墳群周辺は、さきたま古墳公園として整備されており、古代のロマンに想いを寄せながらの歴史散歩を楽しむことが出来ます。
園内には「県立さきたま史跡の博物館」や埴輪作りが体験できる「はにわの館」などがあり、多くの人が訪れます。 -
今日は暑かったし、お酒も効いていましたので、古墳の見学は止めて、冷房で涼しい「県立さきたま史跡の博物館」だけにしました。
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館内には、古墳群とその周辺から出土した装身具、はにわなど約250点が展示されています。
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一番の見ものは、国宝の「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」・・・古墳時代後期の471年に作られたもので、長さは73.5cm・・・展示室の中央に、腐食防止の窒素ガスを封入したガラスケースに保管・展示されています。
昭和43年に「稲荷山古墳」から出土した金錯銘鉄剣は、他の副葬品とともに国宝に指定されています。(金錯:金象嵌の意味) -
昭和53年に、腐食の進む鉄剣の保護処理のためX線による検査を行ったところ、鉄剣の両面に115文字(表面57文字、裏面58文字)の漢字が金象嵌で書かれていることが判明・・・古墳時代の刀剣に刻まれた銘文としては最長です。
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裏銘文の内容は、 ” ヲワケ(私)の先祖は、代々親衛隊長を務めてきた。私は雄略天皇に仕え、天下を治めるのを補佐した。そこで辛亥(しんがい)の年(西暦471年)7月に、この素晴らしい刀剣を作らせて、私と一族のこれまでの由緒を書き残しておく ” と記されています。
古代から、このような文化や技術があったとは・・・埼玉の歴史に触れて感銘を受けました。 -
館には学芸員が常駐し、質問に答えてくれます。
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埴輪や陶器などの展示品は、勿論、本物の出土品。
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埼玉の観光地と言えば、川越や秩父・長瀞が定番ですが、行田も素晴らしい所でした。
まだ行ったことがない方は、来年の7月に「古代蓮」を見に足を運んでは如何でしょうか。
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