2013/06/09 - 2013/06/09
672位(同エリア1857件中)
吉備津彦さん
宇喜多家の菩提寺天台宗光珍寺参拝
光珍寺はもと岡山寺と称し、東側に隣接する岡山寺と一体の寺であった。「備陽記」によれば、奈良時代・天平勝宝元年(749)に、報恩大師が勅令を奉じて備前国に48ヶ寺を創建したおりに、その第2番として創建されたとされる。
山号の柴岡山は、もと岡山城内の柴津岡山の地に建立されていたことにちなんでいる。数回の移転の後、磨屋町に落ち着くが、その経緯については諸説があり一定しない。「備陽記」によれば、戦国時代・元正元年(1573)に金光氏のあと入城した宇喜多直家公(豊臣五大老・宇喜多秀家公の父)は、古京町へさらに中山下へと移転させた。この際に直家公は当寺を父、興家公(露月光珍居士)の位牌所としたことにより、岡山寺から光珍寺へと名乗ることになった。しかし、関ヶ原の戦い(1600)に敗れた宇喜多秀家公は八丈島へ流され、その後、慶長6年(1601)敵方であった小早川秀秋公の入国にあたって、もとの岡山寺へと復号した。慶長16年(1611)池田忠雄公の時代に磨屋町へ移された。慶安5年(1652)お寺の管理に関する公示により岡山寺光珍寺(現在の光珍寺)と岡山寺観音坊(現在の岡山寺)に分かれた。なお、その際に直家公の叔母の菩提寺・円明院と直家公の弟の菩提寺・月窓寺が光珍寺の子院となる。(吉備温故秘録巻之54、紀事の82の条)元禄年間(1688〜1703)に客殿・愛染堂を建立したのをはじめ、以後重層宝形造りの本堂、宝形造りの庫裏などが建立され、しだいに伽藍の整えられていった。
- 旅行の満足度
- 5.0
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