オデーサ (オデッサ)旅行記(ブログ) 一覧に戻る
  (この旅行記の構成は、ギリシャでの、とある女性との出逢い、その女性は、世界一の美女揃いの国、と云われている国の女性であり、その後、オデッツサで、その彼女との素敵なデート、又、彼女と、私の近況、参考文献など。その他、ウクライナの女性達を少し、オデッツサに、まつわる事、など。又、あとから、想いだす度に、文章を継ぎ足し、継ぎ足し、しましたので、纏まりが悪く、冗長になり、多少長めの文章になりましたが、最後まで、お読み戴いた方には、ほんの少しでも、何かが、残れば、幸いに思います。尚、私の誕生日(この10月6日、74歳)に送られてきた素顔の彼女の写真{私が一際飛びぬけて美しいといった私の天使を得とご覧あれ!}とそれ以前に送られてきた写真を合わせて数十枚、追加しました。)<br /><br />???2015の新年の挨拶に、、My best wish to you in 2015とあっ<br /><br />た!!!?この旅行記を書いてから、1年半以上も経ってしまった?のだ!<br /><br />実は、オデッサで、来年も(2014)、必ず会いにくると、約束をしてい<br /><br />たのだった!<br /><br />ところが、いやはや、何と云うことか?!2月に始まった抗議運動から、内<br /><br />乱になってしまうと云う始末だ、?ったくゥ、ロクでもない事になってし<br /><br />まった! 暫く様子を見ていたが、中々、落ち着きそうにもなかった!<br /><br />それで、アンジェラには、来年に行く事にすると、連絡をしたのだ!<br /><br />そして、今日は、1,1,2015で、寒川町は、ちらちらと雪が舞い、初<br /><br />雪、室内温度11度である!<br /><br />                                  ???フランク、シナトラのナンバーに”<br /><br /><br /><br />Strangers in the night exchanging glances&quot;というヒット曲がある。<br /><br /><br />美しいオデッツサの街を,二人で歩いていると,ふと耳にしたのは, 金色の<br /><br />鈴の音のように、小川の流れのように 女の口ずさむ懐かしい調べは、この<br /><br />曲であった。それは、ギリシャ。(三島由紀夫も、アテネに憧れたように、<br /><br />私も、憧れていた。)ギリシャ世界遺産の旅、8日間、2011,11月下旬、H,<br /><br />I,S。そしてまた、この度は,強行スケジュールでもあったため、ロマンスの<br /><br />ロの字も、頭では想い描いては、いなかった、、、だが、事実は、小説より<br /><br />も奇なり、ともいう、、、) 晩秋のある朝早く、Meteoraのホテルで、早<br /><br />めに部屋を出て,レストランを覗いたら、ホテルの愛想いい、素敵な女主人<br /><br />が、どうぞ、といってくれたので、ツァーの客たちより一足先に、1時間も<br /><br />早く,一人朝食を摂っていた。 私の他には、未だ誰も来ていなかった。 <br /><br />そこに,背後の階段から,一団の女性たちが、ドヤドヤと降りてきた。 私の<br /><br />右前方のテーブルの席に,座をとった四人の女性の内の一人が,一際目立ち、<br /><br />とびきりの素晴らしく美しい女性に見えた。 私は、きれいな女性でも、い<br /><br />るのかな、位の気持ちで、20人程の女性を、一通り見渡していた。 そし<br /><br />て、その成り行きで、視線は、その彼女の方に向かった。 丁度その時、そ<br /><br />の彼女も、顔を上げ、私の方を見たので、見知らぬ二人の視線が、交差し<br /><br />た。 彼女らの会話の雰囲気で、ロシア人かと思った。 中でも圧倒的に美<br /><br />しい彼女の視線に、再び、吸い寄せられて、視線を合わせたが、私は,一瞬<br /><br />気おくれして、目をそらした。 それほど、彼女の視線は強かったのだ。 <br /><br />そして、その印象は、衝撃的で、強烈であった。 私は食後、2階の自分の<br /><br />部屋に戻り、バスの出発には十分な時間があったので、ホテル周辺でも散策<br /><br />してみようと,部屋から出たら、その踊り場に,食事の終えた女性達が,数人<br /><br />で何やら話込んでいた。 と見ると、何と,そこに、あの美しい彼女が,いる<br /><br />ではないか! 私は即座に、手持ちのカメラを,それらの一人に預け,彼女に<br /><br />ずき、笑顔で並んでポーズを、採った。 彼女も微笑みながら,私に、寄り<br /><br />添ってくれた。そして、シャッターが切られた! これが唯一ギリシャで,<br /><br />彼女との貴重で、幸運を呼ぶことになる、記念写真,となった。( 彼女の<br /><br />親友が,シャッターを押してくれたのだと、オデッツサで、彼女は話してく<br /><br />れた。)そのあと,直ぐに,彼女は名刺(Ukraine kotovsk)を、私にくれたの<br /><br />で、私も手づくりのカードを,渡した。 で階段を降り、フロントを通り,玄<br /><br />関から散策に出たが、心は最早景観にあらず、彼女への想いの景観に,占め<br /><br />られていた。何とかしなければ、何とかならぬものかと、、、。散策どころ<br /><br />ではないのだ、程なくして,ホテルへ、戻って見ると、フロントの前で,女性<br /><br />達が出発の前らしく,数人で,何やら立ち話をしながら,たむろしていた。 <br /><br />見れば,そこに美しい彼女もいるではないか! はやる心を、抑えきれず、<br /><br />そこえ,割って入り、私は,いきなり、彼女の左腰に,右手を回して引き寄せ,<br /><br />キスをしょうとした!が、彼女の右頬の手前で,止まってしまった。 これ<br /><br />は、一体どうした事であろうか,と一瞬 思ったが、後の祭り。 彼女は,少<br /><br />し後ろに下がり,避けただけであった。そして、特に,騒ぎにはならなかった<br /><br />のは、私には,幸いであった。 私は、その瞬間も、そのあとも,彼女の眼<br /><br />は,ミナカッタ、或は、どっちでも同じ事だが、見よう,としなかった! そ<br /><br />れを,見てたら、とても出来るものではない! 多分,私は、次にどうしたら<br /><br />良いのかわからずに,階段を上り部屋に戻り、出発の準備をした。( 或<br /><br />る、スペイン映画で、男がある意図のもとに、ある女を,何とかしなければ<br /><br />という思いで、その女が,女友達と話をしているさ中に,割って入り、いきな<br /><br />り,キスをしてしまうシーンがあった。良し悪しは,別として、私の頭の中に<br /><br />は、それが,イメージされていたのだ。私は、、、やりそこねたか!フンク<br /><br />ソッタレめ!、、、でも、無謀としかいいようがないではないか! 映画<br /><br />で,一発で上手くいったからとて、それは、何度もテストをして,okをだして<br /><br />いるのだから! それが,テストもなしに,ぶっっけ本番ときたんじゃ、本番<br /><br />が,聞いてあきれるよ、ッタク!)部屋を出て,階段を降り、ロビーから玄関<br /><br />を見ると、その出入口の左側にあるソファに,美しい彼女が,こちらを向い<br /><br />て、座っているではないか! 私は,これ幸いとばかり、直ぐ彼女の左隣り<br /><br />のソファに座るなり、彼女は,待っていたかのように、雲雀のさえずりよろ<br /><br />しく,英語らしい口調で,軽やかに,ピーチクパーチクとさえずり,始めたが、<br /><br />私は,チンプンカンプンで、you are crazy(色々な意味がある。)だけし<br /><br />か,頭に,残らなかった。 俺を,気違い,と言っているのか。でもそんな訳で<br /><br />ない事は,自分で自覚できているし、そんな言葉に,かかずっているばかりに<br /><br />もいかず、それに、彼女に対抗するだけの,英語力がなかった事でもあり、<br /><br />私が言うには、I love you! Only Love! とだけを,繰り返すことになっ<br /><br />た。そうこうしているうちに、彼女達のバスが,玄関前に,横ずけにになり、<br /><br />ゾロゾロと観光客達は,乗り出した、私は何んでもいいので,ロシア語でも,<br /><br />浮かばないものかなと,モガイタ結果、ハラショウ,が出た.その意味する事<br /><br />は,浮かばなかったが、それは、分かったとか、承知したとか(いいでしょ<br /><br />う、よろしい)、のようであるが、彼等には、それがロシア語であり,東洋<br /><br />人が,ロシア語を使ってくれている事に、好感を持っているな,とは感じとれ<br /><br />た。何はともあれ、意味などは、どうでもよかった,のだ。彼女は,立ち上が<br /><br />り,バスへ向かう、私も離れたくないので,付いて行く、皆乗っていた。彼女<br /><br />が最後に,なっていた。私は,乗車口前での別れ際に、彼女に,迫ったのだ。K<br /><br />iss me,kiss me ,please!と,彼女は,立ち止まり,ちょっと下を向いた。が、<br /><br />右の頬を,差し出してくれた。勿論、私は,収まりが,ついて納得して,その右<br /><br />頬に,キスを,した!彼女は,バスに乗り込んだ。私は,ホテル入口の玄関前に<br /><br />戻り、バスを見送るために,乗客の彼女らに,お別れの手を一人振り始めた。<br /><br />すると、バスのあちこちの窓に,内部から振る手が見え始め、それが段々多<br /><br />くなり始めた。私は,両手振って、大声を出した。ハラショウ!ハラショ<br /><br />ウ!と,声を限りに叫んでいた。バスは動き始めようとしていた。バスの中<br /><br />の人たちが,私のほうに,手を振って別れを告げている丁度その時、その中央<br /><br />に,突然、美しい彼女の顔が現れ,ニッコリ、純白の歯を見せ、微笑みなが<br /><br />ら,手を振ってくれていた!私は,尚一層嬉しくなった。そうする中、バス<br /><br />は,動き始め,その後ろ姿を,見せ始めた。そして、見る間に見えなくなって<br /><br />しまった。これで、サヨナラなんだな,と思った。ところがドッコイ、メテ<br /><br />オラ修道院の観光中に、幸運にも、二度も,彼女に会えたのだ。一度目は、<br /><br />修道院から修道院への移動中の,行き違いに一度。みんなと前方から来るで<br /><br />はないか!私はここぞ,と声をかけた。弾む心をおさえて、、、 Angela!<br /><br />と。 彼女は登り坂であったので、6,7m先から顔を上げ,ニッコリ、<br /><br />ウットリするような微笑みで,通り過ぎた。これは、脈ありだな,と実感し<br /><br />た。この分だと,必ずもう一度位は,この近くで会えるに違いない!そうだ!<br /><br />何か記念になるものを渡したい、渡しておこう! 早速土産店で、岸壁に聳<br /><br />え立つ、修道院の小さなミニチュア,を手にし、チャンスを伺う。丁度,我々<br /><br />のバスが,とまっている広い駐車場に、らしきバスが止まり、彼女が,バスか<br /><br />ら降りたの見た。やはり,敵中した。私の心臓は,早鐘を打ち始めた!これは<br /><br />見逃せない!私は,バスから素早く飛び下り、すっ飛んでゆき、彼女に近づ<br /><br />き、それを,無事手渡せた。彼女は,ビックリ仰天のようであったが、ニッコ<br /><br />リ,Thank you!と微笑んで受け取り,先へ急いだ。ああ、渡せて良かった。こ<br /><br />れで安心して,本当にサヨナラだ,と安堵した。程なく、我々のバスは,デル<br /><br />フィ,そして、最終地,アテネへ向かった。 <br /><br />帰国して、ウクライナの彼女へ,二人での写真を,A4版に拡大し、モリ ハ<br /><br />ナエ,の香水を,封筒に吹込み、送つた!約2週間程掛かり,届いたようだ。<br /><br />青天の霹靂の思いで,それを受け取り、その彼女の喜びは、幾枚かの彼女の<br /><br />写真と共に,メールで伝わって来た。その写真を見ると、彼女達も,そのあと<br /><br />か先かはわからないが、アテネに,来ていたんだ,とわかった。その一枚など<br /><br />は、アテネの街中にある小高い丘(リカブィトスの丘)の頂上から,アクロ<br /><br />ポリスの神殿を背景にしたもので、私も全く同じ場所で,撮っていた。12<br /><br />月に入っていた事でもあり、偶々,アマゾンで格安の香水が出たのを幸い<br /><br />に、その格安の香水を,クリスマスプレゼントで,送った。ところが,何んと,<br /><br />賀状とクリスマスを兼ねたお礼のメールで、I very like this smell! と、<br /><br />こうきたもんだ。喜んでよいのやら,悲しんでよいのやら、I am sorry!の気<br /><br />分にもなってしまったものだ。 その後,メールで写真のやり取りをしなが<br /><br />ら,1年猶予、オデッサでの,デートのオフアーに、彼女は またまたビック<br /><br />リ仰天、驚きはしたが、何とか,遣り繰りをしてみるわ、と。そして、6月<br /><br />は、とても気候がいいのよ!Yes、と答えてくれた。3月に予約していた、<br /><br />その出発の日が、やって来た。5月29日、羽田空港、夜発、大阪関西空港<br /><br />を経て、13時間、イスタンブール空港、5月30日05時、着、同日、1<br /><br />7時発、オデッサ空港21時着、21時45分、ホテルイン。6月1日、約<br /><br />束の日、コトフシクから、朝4時に起き、列車に乗り、6時間かけて、(と<br /><br />彼女は言った。)オデッサのホテルのロビーに、時間通りに、来てくれた彼<br /><br />女。私は、郷に入れば郷に従え通り、ロシアの彼氏達が、愛する人に、する<br /><br />ように、前日に(5月31日)、大和魂、即ち、武士の面目にかけても、こ<br /><br />れだけは、はずせない思いに駆られて、アタフタとほっつき歩いてバザール<br /><br />の前に並んでた、5,6軒のバラの花屋を、人がぞろぞろ通る中、見比べて<br /><br />110グリブナの真紅のバラの束(50グリブナからあつたが、花が小ぶり<br /><br />でとても買う気にならなかった。10グリブナ、約120円)を奮発した。<br /><br />当日、部屋を出る前に、用意していたそのバラに、水道の水を、垂らし込<br /><br />み、少しは元気に見せかけて、タラタラ水の滴が垂れている、そのバラの包<br /><br />みを、彼女にサッサと、手渡した。そして、すんなりと、挨拶の抱擁を、交<br /><br />わした。二人で部屋に戻り、彼女は、”二人のための美しき旅の良き思いで<br /><br />に”と書いた、素敵な手つくりのカードと、ウクライナの民芸品、可愛らし<br /><br />い男女ペアの郷土人形、を持って来てくれた。私は、ニコン(ダブルキッ<br /><br />ズ、64ギガsdカード一枚に、バッテリーのスペア、と充電器にcタイプ<br /><br />の差し込みと英文使用マニアルを付けた)のD5100と、品数の多い虎屋の羊<br /><br />羹と、日本茶に茶こし一式の、贈り物を。 ギリシャのメテオラで、私は、<br /><br />都合6度、会っているが、それはあくまで、表面上だけ、だった。その後の<br /><br />メールを、遣り取りする中で、その内容から、彼女の的確さと信頼性を、感<br /><br />じとっていた。で、この度のオデッサでの逢うせは、やはり、seeではな<br /><br />く、 meetを使っていた。二人は8階の窓側に向き合う、ダブルベッドの傍<br /><br />の椅子に座り、暫しの、談話。 I say,,,You are clever!  She says,,, <br /><br />Yes,I&#39;m clever! I also mastered English only two years!  <br /><br />I say ,,,So,you are my English teacher! I believe you and trust you!<br /><br /> その時、彼女は言葉ではなく、私をジッと見つめていて、何かを語ってい<br /><br />るように、私には思えた。が、何も語っていなかったのかもしれない。何故<br /><br />なら、彼女はO,ヘップバーンのように、或は、のような、サングラスを、か<br /><br />けていたのだから、、、。それから暫くして、彼女は、それはそれは美し<br /><br />い、パリとも、オーストリアとも、ローマとも、スペインとも、思える風情<br /><br />に満ちた、オデッツサの街並みを、案内をしてくれた。美しい街の、名所の<br /><br />名前を、尋ねたりして、丁度、オデッツサの階段に、通り掛かった、(現在<br /><br />では、ポチョムキンの階段、と呼ばれている。)その頂上で、写真を撮りた<br /><br />い、と私のメールで、彼女に書いていたように、彼女は、その付近にいた<br /><br />人、偶々、男性であったが、声をかけて、そのように計ってくれた。本当<br /><br />は、そこで記念のキスを、したい、と憧れていたのだが。残念ながら、撮影<br /><br />に、気をとられて、忘れてしまっていた。階段の数も、二人で数え192<br /><br />段、とわかった。その他の名所の写真も撮りつつ、食事をしたり、時に、公<br /><br />園のベンチで、時に、コーヒーを飲みながら、お互い関する事を、聞かれた<br /><br />り、聞いたり、ふざけたりしながら、段々気持ちが、ほぐれていった、、、<br /><br />丁度、折よく若い二人の結婚式、の近くを通った。これ幸い、と私は、時<br /><br />を、みはからい。 I say,,,”Will you marry me!?”  She says<br /><br />”I think good!”と。(何と、心地よい、言葉であり、響きであり、反応<br /><br />で、あった事であったろうか!) 最初の挨拶を、かわす瞬間まで、お互い<br /><br />の事は、何も知らなかった! やがて、気持ちがより深く通じあい、更にや<br /><br />がて、恋を分かち合う夜が訪れる! 彼女の瞳が、何かとても誘っていたん<br /><br />だ! そして、彼女の微笑みで、何かが、とてもときめいたんだ! まだ明<br /><br />るい、でも、夜になってきた。疲れは感じない、、、オペラも、カラオケに<br /><br />も、彼女は誘ってくれたが、何か、その気に、自分がなり切れず、別に急ぐ<br /><br />理由もないわけなのに、ホテルに向かう。 部屋に入るなり、 She says,,,<br /><br />I sleep soon...。衣服を脱ぎ捨て、バスルームへ、シャーワーの飛沫の音<br /><br />が、聞こえていた、、、。そして、それから、二人は、ながい夜を、ロマン<br /><br />チックに、夜の果てる前まで、激しくを肌を合わせあい、愛を分かち合い、<br /><br />確かめあった! 愛はただ過ぎ去る瞬きか!!!。。。 明けた午後、オ<br /><br />デッツサ駅で、熱い、お別れの抱擁を交わし、互の瞳に、煌めく滴を認めあ<br /><br />い、そして今、再会を約して、彼女のコトシフクへ向かう列車を、見送っ<br /><br />た! 実は このベットシーンは 願望で 真相は 以下の通り?     <br /><br />EVに乗り 私の部屋に 二人で入った <br /><br />夕刻の7時過ぎになっていた<br /><br />彼女は 中央に据えてあるベット回り込み <br /><br />窓側のソファに腰を下ろした<br /><br />明日の 打ち合わせである <br /><br />翌朝8時には 駅で 帰りのチケットを 買いに出るので<br /><br />心配しないでね そのあと朝食に 外へ出る事に <br /><br />で これから直ぐ 寝るわ <br /><br />と云われて 私は 頷くだけだった <br /><br />彼女は 立ち上がったので <br /><br />私は ドアを開けようと 入り口ドアに 向かった <br /><br />扉を開けると 彼女は前を 通り抜けた<br /><br />一人になった スルことはないので <br /><br />バスにとっぷりと浸かってから 寝入った<br /><br />9時半頃に 部屋の扉に ノックの音が聞こえた<br /><br />アンジェラが 立って待っていた <br /><br />私は用意が出来ていたので 二人で 外に出た<br /><br />この時期の 朝の空気は 爽やかで 軽い<br /><br />街路沿いに 歩いていると アンジェラは<br /><br />立ち止まり ここよ と 指さした<br /><br />見ると 5階建てのビルの地階である<br /><br />階段を降り 入口から中へ入ると 左手に<br /><br />食材をいれたケースが並び 右手はレジである<br /><br />適当に皿に載せ テーブルに向かう<br /><br />早いせいか 客は居なかった<br /><br />向かいに座ったアンジェラが <br /><br />それピロシキよ と 指さした とても<br /><br />美味しかったが そう言われなければ 多分<br /><br />わからなかったかも 目を窓に移すと<br /><br />人の膝下だけが 動いて見えた<br /><br />コーヒを飲み終えて 外に出た<br /><br />12時が 列車に乗る時間と云う<br /><br />一旦ホテルに戻り 仕度をして<br /><br />11時30分に 集合することに<br /><br />部屋に戻り スーツに着替えた<br /><br />最初に ロビーで 会ったようにした<br /><br />時間にホテルを出て スーツ姿での写真がなかった<br /><br />と 話していたら 前方からきた一人の女性に <br /><br />アンジェラが話をして カメラを渡した<br /><br />二枚位シャッターを 押してくれた<br /><br />駅までは 徒歩で5,6分である<br /><br />駅で少し 待ち時間ができた 写真を数枚撮った<br /><br />オデッツサ駅は バグザールでターミナル駅<br /><br />程々の人が 動いている<br /><br />中には 駅特有な人種が 徘徊しているので<br /><br />アンジェラも 私が変な目に あわないように<br /><br />それとなく 気を使ってくれる<br /><br />刻々と 出発の時刻が 近づくにれ アンジェラは<br /><br />私の事が 気になってきているようだ で こちらと<br /><br />言って 前に抜けた地下道に戻り 階段を上がり切って <br /><br />道端で 止まった 人通りは少ない 駅は目の前 ここなら私が <br /><br />ホテルに戻りやすく アンジェラも時刻を計れる<br /><br />なにやかにや 話はしたが ふと 私はI miss you~I’m cryingと小さな声で<br /><br />つぶやいた アンジェラは 私に顔を向け 目を見つめた<br /><br />私も、見つめた アンジェラの目は 潤んでいた<br /><br />涙を流した訳ではないので すかさず私は in my heartと言った <br /><br />もう列車にむかわねばならむ 寸前である 少し離れてはいたが <br /><br />アンジェラは 私に近かより 両手で私の両頬を挟み 唇を合わせたあと <br /><br />急いで階段を降り 地下道に 顔が隠れる前に 私の方を見て<br /><br />消えてしまった あゝ?いって しまった? <br /><br /><br /><br />  ホテルに戻ると、この旅ように、用意していたipad miniに、彼女か<br /><br />らのメールが、届いていた。乗換のイスタンブール空港から、少ない言葉で<br /><br />いいので、メールをくれと! あくる午後、オデッサ空港へ。だが、イスタ<br /><br />ンブール空港は広い。空港では、1時間30分の待ち時間しか、なかったの<br /><br />で、少し焦っていた。彼女のメールは、ウクライナの天使の声であり、彼女<br /><br />の要請には、最優先で、応じなければ!何はさて置き、メールをしなくて<br /><br />は!心は急ぐ、オデッサからイスタンブール空港までの3時間も、如何に上<br /><br />手く、メールを出せるかを、考え考え乗り降りした。着いたぞ、wifiを探さ<br /><br />なければ、思い出さなければ、往路の時に聞いて居た箇所を、思い出しなが<br /><br />ら、急いだ、いたいた!2階の片隅のレストランの奥に、カードを載せた<br /><br />ボックスを前に、若い女性(彼女は、年の頃23,4位でどうやらトルコ<br /><br />系、背たけは日本人女性といったところか、 ?一般にイスラム系の女性<br /><br />は、うりざね顔、或は卵形が多く、眼がパッチリで、大体は小顔で美形だ。<br /><br />この1月に、忘れもしない、イスタンブールのホテルで見た、あのトルコ系<br /><br />美人は、眼を見張るばかりで、飛びぬけていた。連れの男性も、さもあるか<br /><br />なと思わせるほど、ではあった。やはり、イスタンブールだけあるわい、し<br /><br />かも、これが目のまえの現実とは!女は男の右腕に自分の腕を通し並んで、<br /><br />上りのエレベーターを、待っていた。そのスタイルといい、ファションとい<br /><br />い、その面持といい、まるで、素敵なイタリア映画の名ワンシーン、のよう<br /><br />に、印象に残っている。とにかく、ハリウットの美男美女、顔まけなんだか<br /><br />らね。ところが、上には上があるもんで、ロシアやウクライナの女性、と来<br /><br />たら、色が白く、フワフワと空気に浮くような美しさなんだからね、ッタ<br /><br />ク、たまったもんじゃないよ。それに名前が、エカテリーナとか、アナスタ<br /><br />シア、マルガレータとか、美女やら女帝のものが、やたらと多い、ときたも<br /><br />んだ。名前負けするどころか、何れも噂にたがわず、ビックリ仰天、怖ろし<br /><br />い程の圧倒的な美女揃い、ときたもんだ、だだ。眼の色が変わる程という言<br /><br />葉、もあるが、彼女らの眼は、色とりどりで、ゴールド、ブルー、グレイ、<br /><br />グリーン、勿論、黒も、茶色も有るわけだから、カラーコンタクトを、地で<br /><br />行っている、わけだ。特に、御みあしは、スッキリとキリンのように長く、<br /><br />その美しさにおいて、ホッソリとしたカモシカの美脚に劣るものではないの<br /><br />だよ。街中を歩く、背の高い三人連れの真ん中の女の子なんか、気持ち良さ<br /><br />そうに、高い靴底のスパーハイヒールに、シミーズ一枚の姿で、歩いている<br /><br />んだからね。ッタク、砂糖もアイスクリームも、泣けて溶けちまうよ?<br /><br /> !)?話を前に戻して。 が、立っていた。それで、wifiは、okか?と<br /><br />セッパつまるような、面持で、多分、聞いたのであろう。彼女は、ビックリ<br /><br />仰天したかのように、イエス!と。そのカードは、幾らだ? 15ドルよ! <br />では、それを、で、時間はどの位、使えるのか? 24時間よ! 15分も<br /><br />あればいいのに、と思っているのに、ッタク、ままならぬものだわい。残り<br /><br />の、23時間45分は、使わないではないか、どうしてくれようか、このお<br /><br />嬢さん目が! だが、どうのこうのと言ってる、場合ではなかったのだ、も<br /><br />う既に、搭乗のアナウンス、が聞こえていたのだった。、、、集中して、短<br /><br />い文で、メールが送れた、よ。ああ、良かった!あぶない、あぶない! 長<br /><br />い機中の果て、翌、関空経由で6月4日、夜、無事羽田に、着いた。 こう<br /><br />して、ある朝のふとした出逢いのきっかけが、二人の恋の焔を燃え揚がらせ<br /><br />た、、、、。And then,,, 今、二人は、,永遠の恋の最中にいる!  <br />恋とは、愛とは、まさに、視線で語り合うものか!!!???。。。! <br /><br />Strangers in the morning at the Hotel in Meteora,Greece <br /><br />Exchanging glances... or Strangers in the night?,,,?!!!<br /> <br /><br /><br />?後記、一人の美しい女性との、旅での出逢いを、契機として、思いもしな<br /><br />かった世界に、導かれた旅、にもなった。これまでは、ツアーでの旅、で<br /><br />あったが、今回は、一人旅が故に、色々、要らざる、心配もした。  ?<<br /><br /><<例えば、イスタンブール空港で、無事に乗り換えができるのだろうか、<br /><br />バカな話が、無事オデッサに着けるのだろうか、彼女は、ちゃんと来てくれ<br /><br />るのだろうか、ホテルまで、無事たどり着けるのだろうかとか、はた又、無<br /><br />事に帰国できるのだろうか、絶えず頭をよぎり、余り考え過ぎれば、ノイ<br /><br />ローゼ気味になりかねない、と思い、終いには、なるようにしかならないも<br /><br />のだ、と腹を決めたものだ。、、、が、やはり、預けた、スーツケースが、<br /><br />イスタンブール空港での乗り換え時に、本当は探さなくてもよかったのだけ<br /><br />れども、自分勝手に探してしまうことになり、係に、どこにあるかを尋ね歩<br /><br />き、一人目は、尋ねた場所から最も離れた9番に、行けと、テクテク9番に<br /><br />行き、そこで、彼方此方、探したがなく、そこにいた、係のような者に、又<br /><br />尋ねると、今度は、反対側の3番にあるという、そういわれれてみれば、嫌<br /><br />でも行かねばなるまいと、3番に行き、探したが、なかったので、最初のと<br /><br />ころの事務所に戻り、(一体、これは、どうなっているんだ!俺のスーツ<br /><br />ケースは、どこにあるんだ!あちら、というので、あちらにいけば、あちら<br /><br />には、ないし、また、こちらと言われこちらに、きてみても、こちらにもな<br /><br />いではないか。これは一体、何ということだ!これでは、いったい、何が何<br /><br />だか、わからないし、サッパリ訳がわかんない、ではないか、いいように振<br /><br />り回しやがって、このロクデナシ目が!)、と詰め寄れば、事務所の中か<br /><br />ら、責任者らしき鼻の下に八の字の髭をはやした者が、応対し、(乗継便の<br /><br />場合には、自動的に目的地に、荷物は積み替えられているのだ、と言<br /><br />う。)、(この、キチガイども、人でなし、ロクデナシ目が、初めからそう<br /><br />言えば、半日も探し回らなくて済んだものを!ッタク、タクシーで、グラン<br /><br />ドバザールへ、行つて来られたじゃないか!この下劣な悪党ども、くたばり<br /><br />やがれ、悪摩、コン畜生ども目、コンマ以下野郎ども目が、地獄におちやが<br /><br />れ、、、!)「相手の言葉は、端はしから聞き取ったもの。私の言葉は、心<br /><br />の中で呟いたもの。その多くは、日本の明治初期の文豪に大きな影響を与え<br /><br />た、偉大なロシア、リアリストの始祖プーシキン、ゴーゴリで、”検察<br /><br />官””鼻”に著しい。更に、短編の名手アントン、チェーホフから、でもあ<br /><br />ります。」、と、言った、ところで、あとの祭り、ここが、一人旅の堪えど<br /><br />ころ、と一人慰めた、、、。と、いうわけで、その騒ぎのせいでもあるのか<br /><br />しらん、オデッサ国際空港での、私のスーツケースは、いの一番に顔を出し<br /><br />てくれた。その空港の名の響きは、とても良い感じがして、好きだが、その<br /><br />姿は、日本で言えば、地方の駅舎。よく言って、トルコの、かの有名な駅<br /><br />舎、その待合室には、アガサクリスティや、映画の写真が、壁に大きく飾っ<br /><br />てある、オリエント急行の終着駅に、その内部も、よく似ている、と言った<br /><br />ところか、但し、写真はない、、。タラップを降りると、バスが待っている<br /><br />訳だけれど、乗り込むまでの間、空港の写真をパチパチと撮つていたら、突<br /><br />然、デリート!と軍人に、叫ばれた。ああ、削除しろ、といってるんだな、<br /><br />と思い、カメラを指して、ノーかと聞けば、イエスと頷く。カメラでも取り<br /><br />上げられるのか、とも思つたが、撮った空港の写真を、見せながら、目の前<br /><br />で削除しただけ、で済んだ。現下は、撮影NGの空港、であった訳だった。手<br /><br />荷物検査は、なかった。ので、ほっとして、出口に向かって2,3歩きだし<br /><br />たら、背後から、いかつい係官に、ドルは幾ら持っているか、と呼び止めら<br /><br />れた。咄嗟のことでもあったので、ビックリ仰天、ものだった。だって、未<br /><br />だかって、どこの空港で、そんな事を聞かれたためし、があったろうか?一<br /><br />度もなかった、のだから。チョット思いつかなかった、のでモタモタしてい<br /><br />たら、強い調子で、せまってきたので、多く言うと、ヤバイな、と一瞬感<br /><br />じ、咄嗟に浮かんだ数字、300ドル、と言ったら、彼は、頷き、軽く、ok<br /><br />だった。そしてそれから、一歩出口を出ると、タクシードライバーが、纏わ<br /><br />りつく、、、そのあとは、私の口コミ情報へと続く。>  >> 前の<<<br /><br /><の続き。 ?が、何とか乗りきれ、これで心のもやもやも、ふっきれた。<br /><br />世界は、広く面白い!この一人旅を、何とか無事に乗り切れて、新しい旅の<br /><br />世界が開けて来たようだ。あゝ、私の黄金の旅の女神よ、純白な天使よ、あ<br /><br />りがとう!Thank you so much!  家に着くなり、私は、娘に、無事戻っ<br /><br />た、 and all good!とメールを。又、彼女へは、無事帰国した!とメール<br /><br />を送った。彼女からの返信は、無事帰れたのが一番だわ and all good!と<br /><br />あった。  <br /><br />?で、あれから2ヶ月たったが、彼女からは、森にキノコを採りに行った写<br /><br />真と、友達の所へ行った写真と、娘がオデッサの大学を卒業した、という近<br /><br />況が、入った!  私の近況は、というと、大事なのは、愛、性的愛着、そ<br /><br />して官能の一致、と言い切った、チェーホフを、覗いている。  チェーホ<br /><br />フは、30前後(1890年)で露小説界の寵児になったが、自身の肺疾患<br /><br />を、自覚しつつも、果断に、単独で陸路鉄道がないので、途中から2頭馬車<br /><br />に乗り換え、約10000露里(1露里は1,1km)を走破し、囚人収容<br /><br />地、ロシア最果ての極東、凍てつくサハリン島へ向かい、約半年間にわた<br /><br />り、その南北にある収容所にいる、全ての徒刑囚人、約10000人に医師<br /><br />の立場で、個別面接で、実態調査をし、資料を作り上げ、帰路は、海路で、<br /><br />オデッサ港に、戻った。日本にも、寄る予定もあったが、コレラがあるとい<br /><br />う事で、避けたようだ。その後、5年をかけて、報告書とした学位論文<br /><br />が、”サハリン島”である。これは、ルポ形式のドキュメントであるが、天<br /><br />性の才能を持つ、あの軽妙洒脱な短編小説の無類の語り口で、一気に読み飛<br /><br />ばせる唯一無二のチェーコフの長編小説、とさえ言えるのではないか。これ<br /><br />を読了すれば、自身の内で、何かが変わる、とさえ言われている位の、スサ<br /><br />マしい描写力だ。この論文は、時の政府にも影響を与え、徒刑人への対応が<br /><br />改善された、と。又、、チェーコフは、この論文だけでも、歴史に名は残っ<br /><br />た、と言われている。この旅を契機として、彼は、トルストイ崇拝が吹っ切<br /><br />れ、更に、その独自のスタイルに、磨きがかかり、”美と真”の芸術を目指<br /><br />す、新しいチェーコフが誕生した!チェーコフは、自己改造のために!  <br /><br /><br /><br />私は、愛のために! 70過ぎの、齢も顧みもせずに!   更に今、私<br /><br />は、ウクライナ、ロシアについて、下記の文献にある通り、関連文献を、自<br /><br />分の蔵書で飽き足らず、近くの図書館を漁り、毎日読み漁り、少しでも、彼<br /><br />女への理解を、深めようと、モガキニ もがいている、と言い切りたいとこ<br /><br />ろ、だけれども、実は、急行列車が、進むようにスラスラと、それらの内容<br /><br />が濾過されてゆく、と言う訳だ、と言う事で、私のカブは、塩漬け、私自身<br /><br />は、露塩漬け、なのであります。     更に更に、言えば、この旅の<br /><br />私の成果は、ギリシャから帰国以来、共通語である英語の勉強に、勤しんで<br /><br />いる事であり、NHK、TVの英語、ロシア語講座は、すべからく録画し、再生<br /><br />し、習得に励み、又、FACE bookからAnastasia DateでUkuraineを選び、プ<br /><br />ロフィールを登録した。今では、毎日、途轍もない美女達からも、Love Let<br /><br />terが、舞い込み嬉しい悲鳴の極み、でもある。だが 決して返事は、出さ<br /><br />ないが、英辞書を、引き引き、甘い想いにも、浸っているわけでもある。  <br /><br />今では、Angelaに対しては、何と平静で、落ち着いた心持ち、で居られるこ<br /><br />とか、という事である。ギリシャから、帰国以来、彼女への想いは、日に日<br /><br />に、募るばかりであり、何とか再会したいものだ、と思っていた。それで、<br /><br />これは、世界を股に賭けた恋になるではないか。男なら一度は、そしてこれ<br /><br />は、一つの男の夢ではないか、と思った!それが、世界一の美女揃いの国の<br /><br />女性と、想いが成就出来たのだから、心安まらずには、おられない、のだ!<br /><br />そして、最後になったが、何よりも嬉しいことに、この”4トラベル”とい<br /><br />うサイトがあったという事だ!これは、何という事だ!こんなサイトがあっ<br /><br />た、という事は!そして、初めて、旅行記なるものを、拙いながら、書き綴<br /><br />り終えた、という事、これは、私の、永遠のメモリアル、である。このサイ<br /><br />トに、心から感謝の意、を表する者である。次のオデッツサへの旅は、私の<br /><br />非日常の日常生活、になり得るので、書かないからね!サヨナラ、サヨナ<br /><br />ラ、サヨナラ!!!<br /><br /><br />       参考文献、 ”知られざる魅惑の都市たち”平田達治著(世<br /><br />界思社)、 ”物語 ウクライナの歴史”黒川裕次著(中公新書) ”オ<br /><br />デッサ”嵐田洪吉著(東洋書店) ”遠景のロシア”<オデッツサの誕生><br /><br />中村喜和著(彩流社) ”都市と芸術の[ロシア ]”<オデッツサ巡遊>嵐<br /><br />田浩吉著(水声社)  ”オデッツサ物語”イサーク、バーベリ著、中村唯<br /><br />史訳(群像社)”騎馬隊”(世界の文学、28巻)  ゴーゴリ著、”隊長<br /><br /> ブーリバ””検察官””死せる魂”  プーシキン著、”ペールキン物<br /><br />語””大尉の娘””オネーギン””スペードの女王”(岩波文庫)ゴーリ<br /><br />キー著?零落者の群れ””どん底””幼年時代””イゼルギり婆さん””<br /><br />チェルカッシ”26人の男と1人の女” アントン、チェーホフ著”チェー<br /><br />ホフ、ユモレスカ”(新潮社刊)短編、中編、サハリン島、戯曲(岩波文<br /><br />庫)                     (オデッサは、横浜と姉<br /><br />妹都市であり、ウクライナの首都は、キエフで京都とも姉妹都市、である。<br /><br />オデッサの地名は、アメリカとカナダ、にもあるが、このウクライナに、大<br /><br />飢饉があったときに、それら両国に、身体ひとつで移民した人達が、大勢い<br /><br />る。私には、古代ギリシャを彷彿とさせる、オデッサ、の響きが心地よい。<br /><br />18世紀後半、ロシアのエカテリーナ二世が、ピョートル大帝が、ペテルブル<br /><br />クに、ヨーロッパへの窓として、「北方の窓」になる港町を、建設したこと<br /><br />から、「南方の窓」として、黒海北岸に位置するオデッサに、港町を建設し<br /><br />た。この海は、古くは、ギリシャ人の海であり、イオニアの都市国家ポリス<br /><br />が7,8あり、その一つがオデッソスであり、それがブリガリアの領土にあっ<br /><br />たのを、オデッサ産みの親ナポリ生まれのスペイン人ーデ、バリスー(女帝<br /><br />の家臣)が1774年に、そこを、オデッソスと思い込み、オデッサと命名し<br /><br />た。オデツサは、その美しさ故、「黒海の真珠」、と呼ばれ、魅力溢れる独<br /><br />特な雰囲気と、輝きを持つ、コスモポリスで、国際自由貿易港として、つと<br /><br />に知られている。それ故、民族も多様で、ウクライナ人、ロシア人、フルが<br /><br />リア人、ユダヤ人、モルトヴァ人、ベラルーシ人、アルメニア人、ポーラン<br /><br />ド人、グルジア人、アゼルバイジャン人、タタール人、ガガウース人、アラ<br /><br />ブ人、ドイツ人、ギリシャ人、フランス人、イタリア人、アメリカ人、イギ<br /><br />リス人、デンマーク人、トルコ人、等々である。従って、話す言語も多様、<br /><br />ロシア語、イディッシュ語、ウクライナ語、ポーランド語、ドイツ語、ギリ<br /><br />シャ語、タタール語アルメリア語、フランス語、ベラルーシ語等々。又、ウ<br /><br />クライナは、肥えた黒土のステップ、或はステーピ(大草原地帯)を持ち、<br /><br />ヨーロッパの大穀物倉庫とも、呼ばれた。 日本でも、上映された不朽の名<br /><br />作、ロシア人エイゼンシュタイン監督の「戦艦 ポチョムキン」での、階段<br /><br />の名シーンのオデッサの階段は、今では、ポチョムキンの階段、と呼ばれて<br /><br />いる。世界的文化人も輩出、画家のカンディンスキー、作家の プーシキ<br /><br />ン、ゴーゴリ、バーベリ、ゴーリキー、チエーコフ、国民的詩人シェフチェ<br /><br />ンコ、ピアニスト リヒテル、ヴァイオリニスト等、芸術家も多彩。そのシ<br /><br />ンボルが、イタリア、ルネッサンスと、バロック様式を折衷した、ヨーロッ<br /><br />パ最良の劇場のひとつ、壮麗なオベラ バレエ劇場、が今でも在ることが、<br /><br />広く知られている。又その劇場のバレエ団の素晴らしい公演が、ご承知のよ<br /><br />うに、近年、日本でも行われている。)

メテオラのホテルで(ギリシャ)朝食時に 愛コンタクトを交わしたのは なんと何と 世界一の美人大国と言われるウクライナの女性だった(スラブ系は古より 美人の誉れが高い評判がある)モデル女優顔負け~and continuing now~

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2013/05/29 - 2013/06/03

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mon

monさん

  (この旅行記の構成は、ギリシャでの、とある女性との出逢い、その女性は、世界一の美女揃いの国、と云われている国の女性であり、その後、オデッツサで、その彼女との素敵なデート、又、彼女と、私の近況、参考文献など。その他、ウクライナの女性達を少し、オデッツサに、まつわる事、など。又、あとから、想いだす度に、文章を継ぎ足し、継ぎ足し、しましたので、纏まりが悪く、冗長になり、多少長めの文章になりましたが、最後まで、お読み戴いた方には、ほんの少しでも、何かが、残れば、幸いに思います。尚、私の誕生日(この10月6日、74歳)に送られてきた素顔の彼女の写真{私が一際飛びぬけて美しいといった私の天使を得とご覧あれ!}とそれ以前に送られてきた写真を合わせて数十枚、追加しました。)

???2015の新年の挨拶に、、My best wish to you in 2015とあっ

た!!!?この旅行記を書いてから、1年半以上も経ってしまった?のだ!

実は、オデッサで、来年も(2014)、必ず会いにくると、約束をしてい

たのだった!

ところが、いやはや、何と云うことか?!2月に始まった抗議運動から、内

乱になってしまうと云う始末だ、?ったくゥ、ロクでもない事になってし

まった! 暫く様子を見ていたが、中々、落ち着きそうにもなかった!

それで、アンジェラには、来年に行く事にすると、連絡をしたのだ!

そして、今日は、1,1,2015で、寒川町は、ちらちらと雪が舞い、初

雪、室内温度11度である!

                                  ???フランク、シナトラのナンバーに”



Strangers in the night exchanging glances"というヒット曲がある。


美しいオデッツサの街を,二人で歩いていると,ふと耳にしたのは, 金色の

鈴の音のように、小川の流れのように 女の口ずさむ懐かしい調べは、この

曲であった。それは、ギリシャ。(三島由紀夫も、アテネに憧れたように、

私も、憧れていた。)ギリシャ世界遺産の旅、8日間、2011,11月下旬、H,

I,S。そしてまた、この度は,強行スケジュールでもあったため、ロマンスの

ロの字も、頭では想い描いては、いなかった、、、だが、事実は、小説より

も奇なり、ともいう、、、) 晩秋のある朝早く、Meteoraのホテルで、早

めに部屋を出て,レストランを覗いたら、ホテルの愛想いい、素敵な女主人

が、どうぞ、といってくれたので、ツァーの客たちより一足先に、1時間も

早く,一人朝食を摂っていた。 私の他には、未だ誰も来ていなかった。 

そこに,背後の階段から,一団の女性たちが、ドヤドヤと降りてきた。 私の

右前方のテーブルの席に,座をとった四人の女性の内の一人が,一際目立ち、

とびきりの素晴らしく美しい女性に見えた。 私は、きれいな女性でも、い

るのかな、位の気持ちで、20人程の女性を、一通り見渡していた。 そし

て、その成り行きで、視線は、その彼女の方に向かった。 丁度その時、そ

の彼女も、顔を上げ、私の方を見たので、見知らぬ二人の視線が、交差し

た。 彼女らの会話の雰囲気で、ロシア人かと思った。 中でも圧倒的に美

しい彼女の視線に、再び、吸い寄せられて、視線を合わせたが、私は,一瞬

気おくれして、目をそらした。 それほど、彼女の視線は強かったのだ。 

そして、その印象は、衝撃的で、強烈であった。 私は食後、2階の自分の

部屋に戻り、バスの出発には十分な時間があったので、ホテル周辺でも散策

してみようと,部屋から出たら、その踊り場に,食事の終えた女性達が,数人

で何やら話込んでいた。 と見ると、何と,そこに、あの美しい彼女が,いる

ではないか! 私は即座に、手持ちのカメラを,それらの一人に預け,彼女に

ずき、笑顔で並んでポーズを、採った。 彼女も微笑みながら,私に、寄り

添ってくれた。そして、シャッターが切られた! これが唯一ギリシャで,

彼女との貴重で、幸運を呼ぶことになる、記念写真,となった。( 彼女の

親友が,シャッターを押してくれたのだと、オデッツサで、彼女は話してく

れた。)そのあと,直ぐに,彼女は名刺(Ukraine kotovsk)を、私にくれたの

で、私も手づくりのカードを,渡した。 で階段を降り、フロントを通り,玄

関から散策に出たが、心は最早景観にあらず、彼女への想いの景観に,占め

られていた。何とかしなければ、何とかならぬものかと、、、。散策どころ

ではないのだ、程なくして,ホテルへ、戻って見ると、フロントの前で,女性

達が出発の前らしく,数人で,何やら立ち話をしながら,たむろしていた。 

見れば,そこに美しい彼女もいるではないか! はやる心を、抑えきれず、

そこえ,割って入り、私は,いきなり、彼女の左腰に,右手を回して引き寄せ,

キスをしょうとした!が、彼女の右頬の手前で,止まってしまった。 これ

は、一体どうした事であろうか,と一瞬 思ったが、後の祭り。 彼女は,少

し後ろに下がり,避けただけであった。そして、特に,騒ぎにはならなかった

のは、私には,幸いであった。 私は、その瞬間も、そのあとも,彼女の眼

は,ミナカッタ、或は、どっちでも同じ事だが、見よう,としなかった! そ

れを,見てたら、とても出来るものではない! 多分,私は、次にどうしたら

良いのかわからずに,階段を上り部屋に戻り、出発の準備をした。( 或

る、スペイン映画で、男がある意図のもとに、ある女を,何とかしなければ

という思いで、その女が,女友達と話をしているさ中に,割って入り、いきな

り,キスをしてしまうシーンがあった。良し悪しは,別として、私の頭の中に

は、それが,イメージされていたのだ。私は、、、やりそこねたか!フンク

ソッタレめ!、、、でも、無謀としかいいようがないではないか! 映画

で,一発で上手くいったからとて、それは、何度もテストをして,okをだして

いるのだから! それが,テストもなしに,ぶっっけ本番ときたんじゃ、本番

が,聞いてあきれるよ、ッタク!)部屋を出て,階段を降り、ロビーから玄関

を見ると、その出入口の左側にあるソファに,美しい彼女が,こちらを向い

て、座っているではないか! 私は,これ幸いとばかり、直ぐ彼女の左隣り

のソファに座るなり、彼女は,待っていたかのように、雲雀のさえずりよろ

しく,英語らしい口調で,軽やかに,ピーチクパーチクとさえずり,始めたが、

私は,チンプンカンプンで、you are crazy(色々な意味がある。)だけし

か,頭に,残らなかった。 俺を,気違い,と言っているのか。でもそんな訳で

ない事は,自分で自覚できているし、そんな言葉に,かかずっているばかりに

もいかず、それに、彼女に対抗するだけの,英語力がなかった事でもあり、

私が言うには、I love you! Only Love! とだけを,繰り返すことになっ

た。そうこうしているうちに、彼女達のバスが,玄関前に,横ずけにになり、

ゾロゾロと観光客達は,乗り出した、私は何んでもいいので,ロシア語でも,

浮かばないものかなと,モガイタ結果、ハラショウ,が出た.その意味する事

は,浮かばなかったが、それは、分かったとか、承知したとか(いいでしょ

う、よろしい)、のようであるが、彼等には、それがロシア語であり,東洋

人が,ロシア語を使ってくれている事に、好感を持っているな,とは感じとれ

た。何はともあれ、意味などは、どうでもよかった,のだ。彼女は,立ち上が

り,バスへ向かう、私も離れたくないので,付いて行く、皆乗っていた。彼女

が最後に,なっていた。私は,乗車口前での別れ際に、彼女に,迫ったのだ。K

iss me,kiss me ,please!と,彼女は,立ち止まり,ちょっと下を向いた。が、

右の頬を,差し出してくれた。勿論、私は,収まりが,ついて納得して,その右

頬に,キスを,した!彼女は,バスに乗り込んだ。私は,ホテル入口の玄関前に

戻り、バスを見送るために,乗客の彼女らに,お別れの手を一人振り始めた。

すると、バスのあちこちの窓に,内部から振る手が見え始め、それが段々多

くなり始めた。私は,両手振って、大声を出した。ハラショウ!ハラショ

ウ!と,声を限りに叫んでいた。バスは動き始めようとしていた。バスの中

の人たちが,私のほうに,手を振って別れを告げている丁度その時、その中央

に,突然、美しい彼女の顔が現れ,ニッコリ、純白の歯を見せ、微笑みなが

ら,手を振ってくれていた!私は,尚一層嬉しくなった。そうする中、バス

は,動き始め,その後ろ姿を,見せ始めた。そして、見る間に見えなくなって

しまった。これで、サヨナラなんだな,と思った。ところがドッコイ、メテ

オラ修道院の観光中に、幸運にも、二度も,彼女に会えたのだ。一度目は、

修道院から修道院への移動中の,行き違いに一度。みんなと前方から来るで

はないか!私はここぞ,と声をかけた。弾む心をおさえて、、、 Angela!

と。 彼女は登り坂であったので、6,7m先から顔を上げ,ニッコリ、

ウットリするような微笑みで,通り過ぎた。これは、脈ありだな,と実感し

た。この分だと,必ずもう一度位は,この近くで会えるに違いない!そうだ!

何か記念になるものを渡したい、渡しておこう! 早速土産店で、岸壁に聳

え立つ、修道院の小さなミニチュア,を手にし、チャンスを伺う。丁度,我々

のバスが,とまっている広い駐車場に、らしきバスが止まり、彼女が,バスか

ら降りたの見た。やはり,敵中した。私の心臓は,早鐘を打ち始めた!これは

見逃せない!私は,バスから素早く飛び下り、すっ飛んでゆき、彼女に近づ

き、それを,無事手渡せた。彼女は,ビックリ仰天のようであったが、ニッコ

リ,Thank you!と微笑んで受け取り,先へ急いだ。ああ、渡せて良かった。こ

れで安心して,本当にサヨナラだ,と安堵した。程なく、我々のバスは,デル

フィ,そして、最終地,アテネへ向かった。 

帰国して、ウクライナの彼女へ,二人での写真を,A4版に拡大し、モリ ハ

ナエ,の香水を,封筒に吹込み、送つた!約2週間程掛かり,届いたようだ。

青天の霹靂の思いで,それを受け取り、その彼女の喜びは、幾枚かの彼女の

写真と共に,メールで伝わって来た。その写真を見ると、彼女達も,そのあと

か先かはわからないが、アテネに,来ていたんだ,とわかった。その一枚など

は、アテネの街中にある小高い丘(リカブィトスの丘)の頂上から,アクロ

ポリスの神殿を背景にしたもので、私も全く同じ場所で,撮っていた。12

月に入っていた事でもあり、偶々,アマゾンで格安の香水が出たのを幸い

に、その格安の香水を,クリスマスプレゼントで,送った。ところが,何んと,

賀状とクリスマスを兼ねたお礼のメールで、I very like this smell! と、

こうきたもんだ。喜んでよいのやら,悲しんでよいのやら、I am sorry!の気

分にもなってしまったものだ。 その後,メールで写真のやり取りをしなが

ら,1年猶予、オデッサでの,デートのオフアーに、彼女は またまたビック

リ仰天、驚きはしたが、何とか,遣り繰りをしてみるわ、と。そして、6月

は、とても気候がいいのよ!Yes、と答えてくれた。3月に予約していた、

その出発の日が、やって来た。5月29日、羽田空港、夜発、大阪関西空港

を経て、13時間、イスタンブール空港、5月30日05時、着、同日、1

7時発、オデッサ空港21時着、21時45分、ホテルイン。6月1日、約

束の日、コトフシクから、朝4時に起き、列車に乗り、6時間かけて、(と

彼女は言った。)オデッサのホテルのロビーに、時間通りに、来てくれた彼

女。私は、郷に入れば郷に従え通り、ロシアの彼氏達が、愛する人に、する

ように、前日に(5月31日)、大和魂、即ち、武士の面目にかけても、こ

れだけは、はずせない思いに駆られて、アタフタとほっつき歩いてバザール

の前に並んでた、5,6軒のバラの花屋を、人がぞろぞろ通る中、見比べて

110グリブナの真紅のバラの束(50グリブナからあつたが、花が小ぶり

でとても買う気にならなかった。10グリブナ、約120円)を奮発した。

当日、部屋を出る前に、用意していたそのバラに、水道の水を、垂らし込

み、少しは元気に見せかけて、タラタラ水の滴が垂れている、そのバラの包

みを、彼女にサッサと、手渡した。そして、すんなりと、挨拶の抱擁を、交

わした。二人で部屋に戻り、彼女は、”二人のための美しき旅の良き思いで

に”と書いた、素敵な手つくりのカードと、ウクライナの民芸品、可愛らし

い男女ペアの郷土人形、を持って来てくれた。私は、ニコン(ダブルキッ

ズ、64ギガsdカード一枚に、バッテリーのスペア、と充電器にcタイプ

の差し込みと英文使用マニアルを付けた)のD5100と、品数の多い虎屋の羊

羹と、日本茶に茶こし一式の、贈り物を。 ギリシャのメテオラで、私は、

都合6度、会っているが、それはあくまで、表面上だけ、だった。その後の

メールを、遣り取りする中で、その内容から、彼女の的確さと信頼性を、感

じとっていた。で、この度のオデッサでの逢うせは、やはり、seeではな

く、 meetを使っていた。二人は8階の窓側に向き合う、ダブルベッドの傍

の椅子に座り、暫しの、談話。 I say,,,You are clever!  She says,,,

Yes,I'm clever! I also mastered English only two years!  

I say ,,,So,you are my English teacher! I believe you and trust you!

 その時、彼女は言葉ではなく、私をジッと見つめていて、何かを語ってい

るように、私には思えた。が、何も語っていなかったのかもしれない。何故

なら、彼女はO,ヘップバーンのように、或は、のような、サングラスを、か

けていたのだから、、、。それから暫くして、彼女は、それはそれは美し

い、パリとも、オーストリアとも、ローマとも、スペインとも、思える風情

に満ちた、オデッツサの街並みを、案内をしてくれた。美しい街の、名所の

名前を、尋ねたりして、丁度、オデッツサの階段に、通り掛かった、(現在

では、ポチョムキンの階段、と呼ばれている。)その頂上で、写真を撮りた

い、と私のメールで、彼女に書いていたように、彼女は、その付近にいた

人、偶々、男性であったが、声をかけて、そのように計ってくれた。本当

は、そこで記念のキスを、したい、と憧れていたのだが。残念ながら、撮影

に、気をとられて、忘れてしまっていた。階段の数も、二人で数え192

段、とわかった。その他の名所の写真も撮りつつ、食事をしたり、時に、公

園のベンチで、時に、コーヒーを飲みながら、お互い関する事を、聞かれた

り、聞いたり、ふざけたりしながら、段々気持ちが、ほぐれていった、、、

丁度、折よく若い二人の結婚式、の近くを通った。これ幸い、と私は、時

を、みはからい。 I say,,,”Will you marry me!?”  She says

”I think good!”と。(何と、心地よい、言葉であり、響きであり、反応

で、あった事であったろうか!) 最初の挨拶を、かわす瞬間まで、お互い

の事は、何も知らなかった! やがて、気持ちがより深く通じあい、更にや

がて、恋を分かち合う夜が訪れる! 彼女の瞳が、何かとても誘っていたん

だ! そして、彼女の微笑みで、何かが、とてもときめいたんだ! まだ明

るい、でも、夜になってきた。疲れは感じない、、、オペラも、カラオケに

も、彼女は誘ってくれたが、何か、その気に、自分がなり切れず、別に急ぐ

理由もないわけなのに、ホテルに向かう。 部屋に入るなり、 She says,,,

I sleep soon...。衣服を脱ぎ捨て、バスルームへ、シャーワーの飛沫の音

が、聞こえていた、、、。そして、それから、二人は、ながい夜を、ロマン

チックに、夜の果てる前まで、激しくを肌を合わせあい、愛を分かち合い、

確かめあった! 愛はただ過ぎ去る瞬きか!!!。。。 明けた午後、オ

デッツサ駅で、熱い、お別れの抱擁を交わし、互の瞳に、煌めく滴を認めあ

い、そして今、再会を約して、彼女のコトシフクへ向かう列車を、見送っ

た! 実は このベットシーンは 願望で 真相は 以下の通り?     

EVに乗り 私の部屋に 二人で入った 

夕刻の7時過ぎになっていた

彼女は 中央に据えてあるベット回り込み 

窓側のソファに腰を下ろした

明日の 打ち合わせである 

翌朝8時には 駅で 帰りのチケットを 買いに出るので

心配しないでね そのあと朝食に 外へ出る事に 

で これから直ぐ 寝るわ 

と云われて 私は 頷くだけだった 

彼女は 立ち上がったので 

私は ドアを開けようと 入り口ドアに 向かった 

扉を開けると 彼女は前を 通り抜けた

一人になった スルことはないので 

バスにとっぷりと浸かってから 寝入った

9時半頃に 部屋の扉に ノックの音が聞こえた

アンジェラが 立って待っていた 

私は用意が出来ていたので 二人で 外に出た

この時期の 朝の空気は 爽やかで 軽い

街路沿いに 歩いていると アンジェラは

立ち止まり ここよ と 指さした

見ると 5階建てのビルの地階である

階段を降り 入口から中へ入ると 左手に

食材をいれたケースが並び 右手はレジである

適当に皿に載せ テーブルに向かう

早いせいか 客は居なかった

向かいに座ったアンジェラが 

それピロシキよ と 指さした とても

美味しかったが そう言われなければ 多分

わからなかったかも 目を窓に移すと

人の膝下だけが 動いて見えた

コーヒを飲み終えて 外に出た

12時が 列車に乗る時間と云う

一旦ホテルに戻り 仕度をして

11時30分に 集合することに

部屋に戻り スーツに着替えた

最初に ロビーで 会ったようにした

時間にホテルを出て スーツ姿での写真がなかった

と 話していたら 前方からきた一人の女性に 

アンジェラが話をして カメラを渡した

二枚位シャッターを 押してくれた

駅までは 徒歩で5,6分である

駅で少し 待ち時間ができた 写真を数枚撮った

オデッツサ駅は バグザールでターミナル駅

程々の人が 動いている

中には 駅特有な人種が 徘徊しているので

アンジェラも 私が変な目に あわないように

それとなく 気を使ってくれる

刻々と 出発の時刻が 近づくにれ アンジェラは

私の事が 気になってきているようだ で こちらと

言って 前に抜けた地下道に戻り 階段を上がり切って 

道端で 止まった 人通りは少ない 駅は目の前 ここなら私が 

ホテルに戻りやすく アンジェラも時刻を計れる

なにやかにや 話はしたが ふと 私はI miss you~I’m cryingと小さな声で

つぶやいた アンジェラは 私に顔を向け 目を見つめた

私も、見つめた アンジェラの目は 潤んでいた

涙を流した訳ではないので すかさず私は in my heartと言った 

もう列車にむかわねばならむ 寸前である 少し離れてはいたが 

アンジェラは 私に近かより 両手で私の両頬を挟み 唇を合わせたあと 

急いで階段を降り 地下道に 顔が隠れる前に 私の方を見て

消えてしまった あゝ?いって しまった? 



  ホテルに戻ると、この旅ように、用意していたipad miniに、彼女か

らのメールが、届いていた。乗換のイスタンブール空港から、少ない言葉で

いいので、メールをくれと! あくる午後、オデッサ空港へ。だが、イスタ

ンブール空港は広い。空港では、1時間30分の待ち時間しか、なかったの

で、少し焦っていた。彼女のメールは、ウクライナの天使の声であり、彼女

の要請には、最優先で、応じなければ!何はさて置き、メールをしなくて

は!心は急ぐ、オデッサからイスタンブール空港までの3時間も、如何に上

手く、メールを出せるかを、考え考え乗り降りした。着いたぞ、wifiを探さ

なければ、思い出さなければ、往路の時に聞いて居た箇所を、思い出しなが

ら、急いだ、いたいた!2階の片隅のレストランの奥に、カードを載せた

ボックスを前に、若い女性(彼女は、年の頃23,4位でどうやらトルコ

系、背たけは日本人女性といったところか、 ?一般にイスラム系の女性

は、うりざね顔、或は卵形が多く、眼がパッチリで、大体は小顔で美形だ。

この1月に、忘れもしない、イスタンブールのホテルで見た、あのトルコ系

美人は、眼を見張るばかりで、飛びぬけていた。連れの男性も、さもあるか

なと思わせるほど、ではあった。やはり、イスタンブールだけあるわい、し

かも、これが目のまえの現実とは!女は男の右腕に自分の腕を通し並んで、

上りのエレベーターを、待っていた。そのスタイルといい、ファションとい

い、その面持といい、まるで、素敵なイタリア映画の名ワンシーン、のよう

に、印象に残っている。とにかく、ハリウットの美男美女、顔まけなんだか

らね。ところが、上には上があるもんで、ロシアやウクライナの女性、と来

たら、色が白く、フワフワと空気に浮くような美しさなんだからね、ッタ

ク、たまったもんじゃないよ。それに名前が、エカテリーナとか、アナスタ

シア、マルガレータとか、美女やら女帝のものが、やたらと多い、ときたも

んだ。名前負けするどころか、何れも噂にたがわず、ビックリ仰天、怖ろし

い程の圧倒的な美女揃い、ときたもんだ、だだ。眼の色が変わる程という言

葉、もあるが、彼女らの眼は、色とりどりで、ゴールド、ブルー、グレイ、

グリーン、勿論、黒も、茶色も有るわけだから、カラーコンタクトを、地で

行っている、わけだ。特に、御みあしは、スッキリとキリンのように長く、

その美しさにおいて、ホッソリとしたカモシカの美脚に劣るものではないの

だよ。街中を歩く、背の高い三人連れの真ん中の女の子なんか、気持ち良さ

そうに、高い靴底のスパーハイヒールに、シミーズ一枚の姿で、歩いている

んだからね。ッタク、砂糖もアイスクリームも、泣けて溶けちまうよ?

 !)?話を前に戻して。 が、立っていた。それで、wifiは、okか?と

セッパつまるような、面持で、多分、聞いたのであろう。彼女は、ビックリ

仰天したかのように、イエス!と。そのカードは、幾らだ? 15ドルよ! 
では、それを、で、時間はどの位、使えるのか? 24時間よ! 15分も

あればいいのに、と思っているのに、ッタク、ままならぬものだわい。残り

の、23時間45分は、使わないではないか、どうしてくれようか、このお

嬢さん目が! だが、どうのこうのと言ってる、場合ではなかったのだ、も

う既に、搭乗のアナウンス、が聞こえていたのだった。、、、集中して、短

い文で、メールが送れた、よ。ああ、良かった!あぶない、あぶない! 長

い機中の果て、翌、関空経由で6月4日、夜、無事羽田に、着いた。 こう

して、ある朝のふとした出逢いのきっかけが、二人の恋の焔を燃え揚がらせ

た、、、、。And then,,, 今、二人は、,永遠の恋の最中にいる!  
恋とは、愛とは、まさに、視線で語り合うものか!!!???。。。!

Strangers in the morning at the Hotel in Meteora,Greece

Exchanging glances... or Strangers in the night?,,,?!!!
 


?後記、一人の美しい女性との、旅での出逢いを、契機として、思いもしな

かった世界に、導かれた旅、にもなった。これまでは、ツアーでの旅、で

あったが、今回は、一人旅が故に、色々、要らざる、心配もした。  ?<

<<例えば、イスタンブール空港で、無事に乗り換えができるのだろうか、

バカな話が、無事オデッサに着けるのだろうか、彼女は、ちゃんと来てくれ

るのだろうか、ホテルまで、無事たどり着けるのだろうかとか、はた又、無

事に帰国できるのだろうか、絶えず頭をよぎり、余り考え過ぎれば、ノイ

ローゼ気味になりかねない、と思い、終いには、なるようにしかならないも

のだ、と腹を決めたものだ。、、、が、やはり、預けた、スーツケースが、

イスタンブール空港での乗り換え時に、本当は探さなくてもよかったのだけ

れども、自分勝手に探してしまうことになり、係に、どこにあるかを尋ね歩

き、一人目は、尋ねた場所から最も離れた9番に、行けと、テクテク9番に

行き、そこで、彼方此方、探したがなく、そこにいた、係のような者に、又

尋ねると、今度は、反対側の3番にあるという、そういわれれてみれば、嫌

でも行かねばなるまいと、3番に行き、探したが、なかったので、最初のと

ころの事務所に戻り、(一体、これは、どうなっているんだ!俺のスーツ

ケースは、どこにあるんだ!あちら、というので、あちらにいけば、あちら

には、ないし、また、こちらと言われこちらに、きてみても、こちらにもな

いではないか。これは一体、何ということだ!これでは、いったい、何が何

だか、わからないし、サッパリ訳がわかんない、ではないか、いいように振

り回しやがって、このロクデナシ目が!)、と詰め寄れば、事務所の中か

ら、責任者らしき鼻の下に八の字の髭をはやした者が、応対し、(乗継便の

場合には、自動的に目的地に、荷物は積み替えられているのだ、と言

う。)、(この、キチガイども、人でなし、ロクデナシ目が、初めからそう

言えば、半日も探し回らなくて済んだものを!ッタク、タクシーで、グラン

ドバザールへ、行つて来られたじゃないか!この下劣な悪党ども、くたばり

やがれ、悪摩、コン畜生ども目、コンマ以下野郎ども目が、地獄におちやが

れ、、、!)「相手の言葉は、端はしから聞き取ったもの。私の言葉は、心

の中で呟いたもの。その多くは、日本の明治初期の文豪に大きな影響を与え

た、偉大なロシア、リアリストの始祖プーシキン、ゴーゴリで、”検察

官””鼻”に著しい。更に、短編の名手アントン、チェーホフから、でもあ

ります。」、と、言った、ところで、あとの祭り、ここが、一人旅の堪えど

ころ、と一人慰めた、、、。と、いうわけで、その騒ぎのせいでもあるのか

しらん、オデッサ国際空港での、私のスーツケースは、いの一番に顔を出し

てくれた。その空港の名の響きは、とても良い感じがして、好きだが、その

姿は、日本で言えば、地方の駅舎。よく言って、トルコの、かの有名な駅

舎、その待合室には、アガサクリスティや、映画の写真が、壁に大きく飾っ

てある、オリエント急行の終着駅に、その内部も、よく似ている、と言った

ところか、但し、写真はない、、。タラップを降りると、バスが待っている

訳だけれど、乗り込むまでの間、空港の写真をパチパチと撮つていたら、突

然、デリート!と軍人に、叫ばれた。ああ、削除しろ、といってるんだな、

と思い、カメラを指して、ノーかと聞けば、イエスと頷く。カメラでも取り

上げられるのか、とも思つたが、撮った空港の写真を、見せながら、目の前

で削除しただけ、で済んだ。現下は、撮影NGの空港、であった訳だった。手

荷物検査は、なかった。ので、ほっとして、出口に向かって2,3歩きだし

たら、背後から、いかつい係官に、ドルは幾ら持っているか、と呼び止めら

れた。咄嗟のことでもあったので、ビックリ仰天、ものだった。だって、未

だかって、どこの空港で、そんな事を聞かれたためし、があったろうか?一

度もなかった、のだから。チョット思いつかなかった、のでモタモタしてい

たら、強い調子で、せまってきたので、多く言うと、ヤバイな、と一瞬感

じ、咄嗟に浮かんだ数字、300ドル、と言ったら、彼は、頷き、軽く、ok

だった。そしてそれから、一歩出口を出ると、タクシードライバーが、纏わ

りつく、、、そのあとは、私の口コミ情報へと続く。>  >> 前の<<

<の続き。 ?が、何とか乗りきれ、これで心のもやもやも、ふっきれた。

世界は、広く面白い!この一人旅を、何とか無事に乗り切れて、新しい旅の

世界が開けて来たようだ。あゝ、私の黄金の旅の女神よ、純白な天使よ、あ

りがとう!Thank you so much!  家に着くなり、私は、娘に、無事戻っ

た、 and all good!とメールを。又、彼女へは、無事帰国した!とメール

を送った。彼女からの返信は、無事帰れたのが一番だわ and all good!と

あった。  

?で、あれから2ヶ月たったが、彼女からは、森にキノコを採りに行った写

真と、友達の所へ行った写真と、娘がオデッサの大学を卒業した、という近

況が、入った!  私の近況は、というと、大事なのは、愛、性的愛着、そ

して官能の一致、と言い切った、チェーホフを、覗いている。  チェーホ

フは、30前後(1890年)で露小説界の寵児になったが、自身の肺疾患

を、自覚しつつも、果断に、単独で陸路鉄道がないので、途中から2頭馬車

に乗り換え、約10000露里(1露里は1,1km)を走破し、囚人収容

地、ロシア最果ての極東、凍てつくサハリン島へ向かい、約半年間にわた

り、その南北にある収容所にいる、全ての徒刑囚人、約10000人に医師

の立場で、個別面接で、実態調査をし、資料を作り上げ、帰路は、海路で、

オデッサ港に、戻った。日本にも、寄る予定もあったが、コレラがあるとい

う事で、避けたようだ。その後、5年をかけて、報告書とした学位論文

が、”サハリン島”である。これは、ルポ形式のドキュメントであるが、天

性の才能を持つ、あの軽妙洒脱な短編小説の無類の語り口で、一気に読み飛

ばせる唯一無二のチェーコフの長編小説、とさえ言えるのではないか。これ

を読了すれば、自身の内で、何かが変わる、とさえ言われている位の、スサ

マしい描写力だ。この論文は、時の政府にも影響を与え、徒刑人への対応が

改善された、と。又、、チェーコフは、この論文だけでも、歴史に名は残っ

た、と言われている。この旅を契機として、彼は、トルストイ崇拝が吹っ切

れ、更に、その独自のスタイルに、磨きがかかり、”美と真”の芸術を目指

す、新しいチェーコフが誕生した!チェーコフは、自己改造のために!  



私は、愛のために! 70過ぎの、齢も顧みもせずに!   更に今、私

は、ウクライナ、ロシアについて、下記の文献にある通り、関連文献を、自

分の蔵書で飽き足らず、近くの図書館を漁り、毎日読み漁り、少しでも、彼

女への理解を、深めようと、モガキニ もがいている、と言い切りたいとこ

ろ、だけれども、実は、急行列車が、進むようにスラスラと、それらの内容

が濾過されてゆく、と言う訳だ、と言う事で、私のカブは、塩漬け、私自身

は、露塩漬け、なのであります。     更に更に、言えば、この旅の

私の成果は、ギリシャから帰国以来、共通語である英語の勉強に、勤しんで

いる事であり、NHK、TVの英語、ロシア語講座は、すべからく録画し、再生

し、習得に励み、又、FACE bookからAnastasia DateでUkuraineを選び、プ

ロフィールを登録した。今では、毎日、途轍もない美女達からも、Love Let

terが、舞い込み嬉しい悲鳴の極み、でもある。だが 決して返事は、出さ

ないが、英辞書を、引き引き、甘い想いにも、浸っているわけでもある。  

今では、Angelaに対しては、何と平静で、落ち着いた心持ち、で居られるこ

とか、という事である。ギリシャから、帰国以来、彼女への想いは、日に日

に、募るばかりであり、何とか再会したいものだ、と思っていた。それで、

これは、世界を股に賭けた恋になるではないか。男なら一度は、そしてこれ

は、一つの男の夢ではないか、と思った!それが、世界一の美女揃いの国の

女性と、想いが成就出来たのだから、心安まらずには、おられない、のだ!

そして、最後になったが、何よりも嬉しいことに、この”4トラベル”とい

うサイトがあったという事だ!これは、何という事だ!こんなサイトがあっ

た、という事は!そして、初めて、旅行記なるものを、拙いながら、書き綴

り終えた、という事、これは、私の、永遠のメモリアル、である。このサイ

トに、心から感謝の意、を表する者である。次のオデッツサへの旅は、私の

非日常の日常生活、になり得るので、書かないからね!サヨナラ、サヨナ

ラ、サヨナラ!!!


       参考文献、 ”知られざる魅惑の都市たち”平田達治著(世

界思社)、 ”物語 ウクライナの歴史”黒川裕次著(中公新書) ”オ

デッサ”嵐田洪吉著(東洋書店) ”遠景のロシア”<オデッツサの誕生>

中村喜和著(彩流社) ”都市と芸術の[ロシア ]”<オデッツサ巡遊>嵐

田浩吉著(水声社)  ”オデッツサ物語”イサーク、バーベリ著、中村唯

史訳(群像社)”騎馬隊”(世界の文学、28巻)  ゴーゴリ著、”隊長

 ブーリバ””検察官””死せる魂”  プーシキン著、”ペールキン物

語””大尉の娘””オネーギン””スペードの女王”(岩波文庫)ゴーリ

キー著?零落者の群れ””どん底””幼年時代””イゼルギり婆さん””

チェルカッシ”26人の男と1人の女” アントン、チェーホフ著”チェー

ホフ、ユモレスカ”(新潮社刊)短編、中編、サハリン島、戯曲(岩波文

庫)                     (オデッサは、横浜と姉

妹都市であり、ウクライナの首都は、キエフで京都とも姉妹都市、である。

オデッサの地名は、アメリカとカナダ、にもあるが、このウクライナに、大

飢饉があったときに、それら両国に、身体ひとつで移民した人達が、大勢い

る。私には、古代ギリシャを彷彿とさせる、オデッサ、の響きが心地よい。

18世紀後半、ロシアのエカテリーナ二世が、ピョートル大帝が、ペテルブル

クに、ヨーロッパへの窓として、「北方の窓」になる港町を、建設したこと

から、「南方の窓」として、黒海北岸に位置するオデッサに、港町を建設し

た。この海は、古くは、ギリシャ人の海であり、イオニアの都市国家ポリス

が7,8あり、その一つがオデッソスであり、それがブリガリアの領土にあっ

たのを、オデッサ産みの親ナポリ生まれのスペイン人ーデ、バリスー(女帝

の家臣)が1774年に、そこを、オデッソスと思い込み、オデッサと命名し

た。オデツサは、その美しさ故、「黒海の真珠」、と呼ばれ、魅力溢れる独

特な雰囲気と、輝きを持つ、コスモポリスで、国際自由貿易港として、つと

に知られている。それ故、民族も多様で、ウクライナ人、ロシア人、フルが

リア人、ユダヤ人、モルトヴァ人、ベラルーシ人、アルメニア人、ポーラン

ド人、グルジア人、アゼルバイジャン人、タタール人、ガガウース人、アラ

ブ人、ドイツ人、ギリシャ人、フランス人、イタリア人、アメリカ人、イギ

リス人、デンマーク人、トルコ人、等々である。従って、話す言語も多様、

ロシア語、イディッシュ語、ウクライナ語、ポーランド語、ドイツ語、ギリ

シャ語、タタール語アルメリア語、フランス語、ベラルーシ語等々。又、ウ

クライナは、肥えた黒土のステップ、或はステーピ(大草原地帯)を持ち、

ヨーロッパの大穀物倉庫とも、呼ばれた。 日本でも、上映された不朽の名

作、ロシア人エイゼンシュタイン監督の「戦艦 ポチョムキン」での、階段

の名シーンのオデッサの階段は、今では、ポチョムキンの階段、と呼ばれて

いる。世界的文化人も輩出、画家のカンディンスキー、作家の プーシキ

ン、ゴーゴリ、バーベリ、ゴーリキー、チエーコフ、国民的詩人シェフチェ

ンコ、ピアニスト リヒテル、ヴァイオリニスト等、芸術家も多彩。そのシ

ンボルが、イタリア、ルネッサンスと、バロック様式を折衷した、ヨーロッ

パ最良の劇場のひとつ、壮麗なオベラ バレエ劇場、が今でも在ることが、

広く知られている。又その劇場のバレエ団の素晴らしい公演が、ご承知のよ

うに、近年、日本でも行われている。)

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  • daughter

    daughter

  • 最近送られてきた写真の彼女。

    最近送られてきた写真の彼女。

  • 上に同じ。

    上に同じ。

  • 下に同じ。

    下に同じ。

  • 上に同じ。

    上に同じ。

  • May be my wife!?

    May be my wife!?

  • 更に一休み

    更に一休み

  • 同じ。

    同じ。

  • ポチョムキンの階段最上段(192段)上にあるリシュリー公爵像(フランスの将軍。

    ポチョムキンの階段最上段(192段)上にあるリシュリー公爵像(フランスの将軍。

  • ストレートカフェで一休み。

    ストレートカフェで一休み。

  • オデッツサ、オペラ劇場に近いお花の公園で。花が蝶の形をしている脇で。

    オデッツサ、オペラ劇場に近いお花の公園で。花が蝶の形をしている脇で。

  • お花の公園で見とれる男。

    お花の公園で見とれる男。

  • 上に同じ。

    上に同じ。

  • イタリアの巨大クルーズ船に見入る。

    イタリアの巨大クルーズ船に見入る。

  • オデッツサの街のカフェで一休み。

    オデッツサの街のカフェで一休み。

  • オデッツサ駅

    オデッツサ駅

  • 50グりブナでサングラスを。

    50グりブナでサングラスを。

  • ホテル前カラオケ店

    ホテル前カラオケ店

  • オデッサ港に停泊するイタリアの巨大クルーズ船。

    オデッサ港に停泊するイタリアの巨大クルーズ船。

  • オデッツサホテルとイタリアの巨大クルーズ船。

    オデッツサホテルとイタリアの巨大クルーズ船。

  • ホテルのビュフェ壁面。

    ホテルのビュフェ壁面。

  • 子供たちが乗馬で楽しむ。

    子供たちが乗馬で楽しむ。

  • オペラ劇場、その庭は、コンサート会場にも使われた模様。

    オペラ劇場、その庭は、コンサート会場にも使われた模様。

  • 埠頭に浮かぶオデッツサホテル

    埠頭に浮かぶオデッツサホテル

  • オデッツサの港に係留されているヨット。

    オデッツサの港に係留されているヨット。

  • 港から見た階段。

    港から見た階段。

  • 下から見上げた階段。

    下から見上げた階段。

  • エカテリーナホテル前に立つ、エカテリーナ二世像。

    エカテリーナホテル前に立つ、エカテリーナ二世像。

  • 夜中の強雨風で大木が倒れた。

    夜中の強雨風で大木が倒れた。

  • ホテルのベランダから見下ろしたイスラム寺院。

    ホテルのベランダから見下ろしたイスラム寺院。

  • 売り建物。

    売り建物。

  • 前からの見たオペラ劇場。

    前からの見たオペラ劇場。

  • 同じ。

    同じ。

  • ホテルビュフェ入口。(シェへノィ、モレ)

    ホテルビュフェ入口。(シェへノィ、モレ)

  • ビュフェ壁面

    ビュフェ壁面

  • 同じ。

    同じ。

  • 同じ。

    同じ。

  • ホテル前にリムジンが。

    ホテル前にリムジンが。

  • 売り建物。

    売り建物。

  • ショウウインドウ。

    ショウウインドウ。

  • 同じ。

    同じ。

  • 同じ。

    同じ。

  • 両替所。

    両替所。

  • オデッツサ駅近くのバザール。

    オデッツサ駅近くのバザール。

  • 同じ。

    同じ。

  • カフェ

    カフェ

  • 街のレストラン。

    街のレストラン。

  • マキシム、小さなコンビニ店。

    マキシム、小さなコンビニ店。

  • ホテルフロント。

    ホテルフロント。

  • ホテルのプール(無料)、ジム、サウナ在り。

    ホテルのプール(無料)、ジム、サウナ在り。

  • ホテル内部。

    ホテル内部。

  • エレベーター前踊り場。

    エレベーター前踊り場。

  • オデッツサ駅。

    オデッツサ駅。

  • 同じ。

    同じ。

  • 同じ。

    同じ。

  • オデッツサ駅の彫像。

    オデッツサ駅の彫像。

  • 両替所

    両替所

  • 両替所

    両替所

  • 両替所

    両替所

  • 銀行

    銀行

  • ストレートカフェ

    ストレートカフェ

  • イスタンブール空港、オデッツサ便

    イスタンブール空港、オデッツサ便

  • ホテル前にマバやき耀く朝の寺院建築

    ホテル前にマバやき耀く朝の寺院建築

  • ホテル前のスーパー

    ホテル前のスーパー

  • 行き交うトロリーバス

    行き交うトロリーバス

  • イスタンブール空港喫煙室

    イスタンブール空港喫煙室

  • daughter

    daughter

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