2013/05/01 - 2013/05/01
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hidamari09さん
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旅行4日目(最終日)、昨夜までは沛県鎮から次の行き先は隣の豊県鳳城鎮か東側にある微山湖を考えていました。すこし体を休める意味も含めて徐州市内に戻ることにしました。「亀山漢墓」、「楚王陵」は今回相性が悪かったので、郊外にある「銅山茅村漢画像石墓」を訪ねてみることにしました。バスを乗り継ぎ石墓に辿りついてみると門が閉まっていました。このまま引き下がるのは癪なので、茅村の文物局を訪ね開けてもらいました。早くに墓泥棒にあったらしく埋葬者の副葬品は何もありませんでしたが、地面の下にある漢代の石室にはいることが出来ました。多くの墓は、深いところにあるので多方埋め戻されてしまっています。
市内に戻った後、夜行列車の出発までまだ時間があったので、南西の方向にある雲龍湖を訪ねてみました。湖の脇の雲龍山「興化寺」があり、馬鹿でかい金ピカの大仏様の顔が鎮座しています。周りの石壁に唐代の仏像が刻まれています。この大仏様、文化大革命の時に紅衛兵に埋められてしまったそうです。岩に刻まれた唐代の文字を熱心に眺めていたら、掃除のおばさんが話しかけて来て、そんな事を教えてくれました。
名所・景観を見るだけでなく旅先での地元の人との交流がより楽しいと思わせてくれた旅でした。
茅村漢画像石墓は徐州市の北12km、銅山県茅村鳳凰山西山麓に位置します。1952年に発見され整理されました。墓は早期に盗掘に会い副葬品等はありませんが,墓石の保存状態は良いです。墓室は全部青石を積み上げて建てられています。墓の門は東向きです。墓室は前、中、後部の三室からなります。全長8m,最大幅7m,室内の一番高いところで3mです。南側に長い廊下があり前後の部屋と通じています。北側には4っの小部屋が通じています。墓室の画像は前、中、後部の壁に刻まれています。北側の壁に「喜平四年四月十三口己酉」が記されています。画像は18幅あります。
前室は6幅で,主なものは門吏、空想の動物、仙人とキリン、九つの頭を持つ動物、車馬での外出等で,表現の主題は埋葬者が天界に行く途中で,中心となる思想は埋葬者が仙人になる事を意図している。中室は12幅で,主に宴会、武芸試合、客との会見、建物などで,表現の主題は埋葬者の生前の生活風景です。画像の手法は,浅い浮き彫りです。
(参考《文物参考資料》1953年第一期)。
参考: 熹平4年(175年),後漢の霊帝の治世に使われて2番目の元号。
青石: 石碑等に使われる黒い石のことです。
- 同行者
- その他
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
-
旅行4日目(最終日)の移動の軌跡です。
沛県鎮から徐州の汽車站まで一度戻り、北北東にある茅村を訪ねています。また、徐州市の汽車站まで戻り、市内バスで雲龍山へ、山越えをして雲龍湖から、市内の彭城飯点を経由して火車站に戻っています。 -
8:00a.m.沛県汽車站を後にしました。宿は背後100mの場所にあります。
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9:20a.m.徐州市の汽車站東に戻りました。1時間20分ほど、19元は沛県鎮行きと同じです。
路線図から12路のバスが茅村の方向にあります。出発地点が分かりません。駅横の路地で、小さな商店の前に座っているおばさんに聞きます。すると、脇の3輪電動タクシーの運転手が、俺が12路の乗車地点まで連れて行ってやると口を挟んできます。おばさんが話に乗っちゃ駄目としきりに目配せを送ってきます。実際、バスの発着場は100mも離れていなかったのですから。中国人、油断も隙も見せられません。中国、騙されるものが悪いという国柄なのです。 -
茅村行きのバスは銅山汽車站から出発します。
茅村は徐州火車站の北北西12km程に位置します。
路線図に乗っている12路、106路、102路のバスが見当たりません。
おばさんの次に聞いた、酒店の主人は88路が茅村に行くと教えてくれました。
この場所に、88路バスがありました。運転手に茅村に行くかと聞くと「行かない」という返事が帰ってきました???
2代目の発車準備をしている88号車の運転手に、茅村に行くにはどのバスに乗れば良いかと聞くと、今度は丁寧に説明をしてくれました。88号は茅村にはいかないが、途中近くのロータリーは通過すると分かりました。12路などは、途中の橋が工事中で河を挟んで折り返し運転を行っているようです。
そこで、この88路バスにのり途中のロータリーまで行くことにしました。
二人の意見が違ったら三人目-のセオリーです。
運賃は3.5元です。 -
親切に説明してくれた88路バスの運転手です。下車する場所が解らないので、近場に座って声を掛けてもらうことにしました。
左手に座った30前後の女性が雑談の中でもう少し詳しく説明をしてくれました。
都市生活と農村生活、学歴の高低で日本では感じたことの無い、人のレベル差を覚えるのがこの中国です。ただ、最近の若者は多くネット接続の出来るカメラ付きの端末を持っていて、受ける情報量が格段に平等に多いため、この受けるレベルの差は少なくなっています。
中国を変えるのはネットの力かもしれません。
中国政府が躍起になってネットの規制を強化するのもうなずけます。しかし、規制しきれないでしょう。 -
郊外に出ました。前方を湯けむりを上げたタンクローリーが貼りします。液化天然ガスでもはこんでいるのでしょうか。
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ロータリーに到着です。
運転手と左手の女性が声を掛けてくれました。
別段、バス停車場でなないようです。
中国広いので、郊外では手を上げれば結構バスが停まってくれます。また、停留所と停留所の間が長いので、降りたい場所で運転手に声を掛けると車を停めてくれます。これは、高速道路バスでも同様です。 -
ロータリーを西に歩きます。前方の陸橋を超えたあたりに茅村のようです。
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ロータリーから300mほど歩いて交差点に到着しました。
交差点を200mほど北上すること、目的地の「銅山茅村漢画像石墓」に到着しました。
とても小さな場所です。幅20mx奥行40mといったところでしょうか。
左隣は実験中学校です。
あれ、門が閉まっている!
右隣の工事現場前に佇む若者に聞くと、最初は「開放してない」と素っ気無かったですが、雑談している内に打ち解けて、管理している茅村の文物局へ行って相談してみると良いと教えてくれました。 -
向こうの立木の場所が交差点で、その先に茅村の通りがあります。
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さすが農村です。農機具を販売しています。
4件ほど並んでいる内の一軒です。
ナタ、スキ、クワ、カマ・・・
うーん!名前が思い出せまん。
12mmの鉄筋が器用に使われています。 -
これは材料はなんでしょうか?
真ん中に見える炉で材料を溶かし、この場で鋳造、販売しています。 -
こちらは、先ほどの鉄製農具につける木の柄です。
見ていて飽きません。 -
竹製のざるや箒ですかね。
この先、ゴザ、ムシロ等が続きます。 -
村の文物局にきました。
写真の人物は、芸術家で作成した石版画が先ほどの博物館に展示されていました。
門を入った右手の建物の2Fの「老齢活動室」に詰めていました。
老齢活動?
ともあれ、見学に来た旨を説明すると案内人をつけて開けてくれることになりました。
本来は、毎週日曜日に開けているのだそうです。 -
案内のおじさんです。表の門を入った右手の建物5mも歩かない場所が入口のようです。
帰りに、文物局からここまで一緒に乗った3輪動力車代として10元、門票として20元を請求されました。
なにわともあれ、お礼を申し上げます。 -
建物に入るとすぐに、墓室へ入る通路です。この感じでは、墓室の天井は地化2mもないのではないでしょうか?
おそらく、この上には塚があったのでしょうが、長い年月で削られてしまったのかと推測します。
この墓路は実際はとても長かったそうです。 -
さて、墓室に入ります。
本来は、墓室は石の門で閉じられていたはずです。
入口の丈夫に、龍が刻まれています。
龍を墓に刻むことができるので誰かはしりませんが、皇位の人物の墓? -
面倒なのでパノラマ画像で。
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北側の壁の、北側の4っの小部屋への入口。ライトの左の黒ずんでいる部分に大きく「熹平四年四月十三口己酉」と刻まれています。
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左側の通路です。
本来は、この壁に壁画が描かれていたはずです。
すでに、風化して何も無くなっています。
この反対側には、厨房、トイレが設けられています。
死後も生前と同様の生活が出来るようにとの目的です。 -
描かれた人物は蛇のような身体を見せています。
全般的に岩の侵食が進んでいて、現場で見ると不鮮明です。
拓本で見たほうが描かれた形状は良くわかるでしょう。
大きさも然程大きくはありません。
見所は、石で作られ絵が刻まれた古い中国のお墓ということでしょうか。 -
墓室内部に証明が設置されていて、わかりやすい写真撮影が出来なかったので,徐州の漢画像石芸術ネットから借用したものを貼り付けます。
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墓室の配置図です。
徐州の漢画像石芸術ネットから借用したものを貼り付けます。 -
見た目はかなり荒れていますが,拓本を取るとはっきりと見えるようです。
徐州の漢画像石芸術ネットから借用したものを貼り付けます。 -
午後3時公共バス12路、106路と乗り継ぎ午後の3時に徐州の汽車站に戻りました。帰りの夜行列車の出発時間は夜7時46分と時間があります。そこで、駅前から23路バスに乗り、南西の方向の彭園にきました。ここから、山を横切り雲龍湖まで散歩です。
大変な人出です。 -
馬棚山を超えて下ると雲龍山の斜面に建てられた興化寺につきました。
ここで、60歳は過ぎているんだけどと門番の坊さんに告げると、日本人は仏教徒ですよね。どうぞお入りくださいと通してくれました。
物欲にとりつかれた共産主義者に比べ、仏教徒は心が広いです。 -
説明が気によると、この岩山全体に石仏が刻まれていたのだそうです。
ここの建物で覆われた部分は、比較的残存したほんの一部分ということになるそうです。
正面の像の背後に往時の石段が、両脇の岩壁に往時に刻まれた仏像が残っています。 -
先ほどの石段です。
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右側の岩に刻まれた仏像です。
説明書によると北魏から唐、宋の時代に280龕、877尊があったそうです。 -
先ほどの建物の横の雨ざらしの岩に刻まれた文字です。
周囲の岩を眺めていると、結構な場所に刻まれた文字が残っています。 -
金ピカの仏像です。光り輝いています。手前の人間と比べると大きさがわかってもらえると思います。
ほとんどの石碑は打ち壊され修復した跡を留めています。
掃除のおばさんが、文化大革命の時にこの仏像は埋められてしまったと話してくれました。 -
興化寺の山頂側の門を出ると、尾根の部分に「雲龍山碑廊」が設けられ、明代、元代、清代の書家の書画刻まれています。
ここも、打撃を受けた跡を方法に残しています。
雲龍山側に、「大士岩寺」があります。龍門料は3元です。 -
雲龍山を下り、雲龍湖の水晶埠頭にきました。
暖かいので、舟遊びの船が湖面一面に広がっています。 -
地図の湖岸に「漢画像石館」なる名前があったので訪れてみました。誰もいません。右手の奥のシャッターが半開きなので入室し、電灯のスイッチを勝手に入れてみました。
ここには、各地の墓石等に刻まれた絵の拓本が展示されていました。 -
市内バスの料金は1元です。
「漢画像石館」近くから47W路バスにのり、繁華街の彭城飯店で乗り換え午後6時に火車站に戻りました。
夜7時46分の1553次寝台車で帰ります。
慌ただしい4日間の旅行はかくして幕を閉じました。 -
最後に、今回の旅行で使った費用の内訳を載せておきます。
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