2013/04/30 - 2013/04/30
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hidamari09さん
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旅行3日目は徐州に来ました。
最初に亀山漢墓を見ようと思っていましたが、帰って移動の記録を見ると、反対方向の楚王陵に向かっていたようです。間違って向かった先の「楚王陵」では、60歳以上の無料の表示は外国人(日本人)には適用しないよう上司から言われていると言います。気色が悪いので、少しの参観料も払いたくないと引き返してきてしまいました。
徐州市とはそりが合わないようなので、漢高祖劉邦の生誕地である沛県鎮に行き先を変えました。中国人から見た劉邦の位置づけがわかりませんが、建築物の作りが粗雑です。しかし、人々の気持ちは暖かく楽しい旅行を送ることが出来ました。
帰宅して、冷静に考えてみると、随分と思い違いをしていた。また、確認を怠っていたことに気づきました。旅は時に思いがけないことに出会います。
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
最初に訪れようと考えていた「亀山漢墓」は徐州の火車站の北西に位置します。帰ってGPSの記録を見ると、道を訪ねて実際に向かっていた先は、火車站の南東に位置する「楚王陵」でした。
早朝で、まだ頭がはっきりしていなかった、旅の疲れが影響したとは言い訳!確認しなかった私の失敗でした。 -
早朝、5:20a.m.1時間遅れで列車は徐州火車站に到着しました。
硬席(二等席)の通路側で、4時間ほどはまどろむことが出来ました。
早速、最初の「亀山漢墓」に向かうべく、公共バスの乗り場を探します。 -
ついでですが、中国の列車には各車両毎に車掌がつきます。これから出勤する車掌が駅前に集合したのを見てみると、掃除用の箒を担いでいます。
車掌は掃除道具を外から自分で運び込んで乗車とは、始めて知りました。 -
早朝のため徐州市の路線図を売る売り子は駅前広場に姿が見えません。
しかたがないので、手書きのメモを頼りに、バス停車場で行き先を調べます。
バス停は写真の火車站に向かって左側の、建物の後ろ側にあります。
メモを二つ折にしていました。下半分に大雑把な地図を書き、上半分に「亀山漢墓」の路線、下半分に「楚王陵」への路線をメモしておきましたが。この時点で、下半分ばかり見ていたので、「楚王陵」の路線が、「亀山漢墓」の路線と無意識の内にすり替わってしまっていました。本来13附路に乗らねければならないところを、601路に乗ってしまいました。 -
7:00a.m.「亀山漢墓」と勘違いした「楚王陵」に到着しました。
正式な開門は8時半でそれ以前は、地元住民に開放されています。門の中の広場では、集団体操をする人。裏山を散歩する人で溢れています。
誰も、何も言わないので、私も勝手に中に入りました。 -
立派な銅像があります。写真をよく見ると、台座に「楚王」の文字が刻まれています。写真撮影時には、文字を良く観察していなかったことがわかります。
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裏山に登ります。小鳥のさえずりが聞こえ、暖かい日差しがさしています。鄭州での洗濯物が乾ききっていなかったので、開門の8時半まで洗濯物を干し、日向ボッコをすることにしました。
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8:40a.m.門票の売り場に戻りました。ここに60歳以上は無料と書かれてあります。窓口にパスポートを出すと、切符売りの女の子が、この条例は外国人には適用しないと上司に言われているといいます。
金を取る、取らないは公園側が決めることですが、他の地域は国内外の差別を撤廃しているのに、なぜ徐州は国内外を差別するのかと食い下がります。切符売りの娘は、上司に確認しますとポーズを見せて無視する体制を構えます。
切符売りの娘を責めても仕方がありません。この時点で、観光する気持ちは失せて、火車站までもどることにしました。
ということで、「亀山漢墓」、「楚王陵」とも観光していません。 -
徐州駅に戻り市内の路線地図を購入しました。眺めていると、広域地図に沛県の名前が目に飛び込んできました。漢高祖劉邦の生誕地です。行ってみることにしました。
ここかから沛県行きのバスに乗車しました。 -
沛県鎮での移動の記録です。
劉邦の生誕地を地元の人間に聞いてみました、今となってはわからないと言います。「劉氏会館」を訪ねてみたらと勧められました。
観光した場所は、漢街、漢高祖原廟、漢城、歌風台です。 -
沛県鎮は徐州の火車站から北北西63kmに位日します。
徐州を10時に出発し、沛県汽車站に11時20分に到着しました。
前日の2日間の急行軍で体が大分披露しているようです。気力で立っているような状態です。 -
汽車站を出たところで、真向かいの道路の中程に「旅館」の看板が目に入りました。吸い込まれるように足が旅館に向かって進みます。
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受付のお兄さんです。パスポートを差し出すと、「わー!始めて見ました。」といいます。なんとかしてみますというので、パスポートを預け209号室に入り一休みします。
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ドアをノックするので開けると公安が3人立っていました。正面から撮影しようとすると断られたので、帰るところを撮影させてもらいました。
旅行の目的、現在の滞在地などの質問をし、パスポートをカメラ撮影して帰っていきました。
あんちゃんに事情を聞くと、始めての事なので事前に公安に相談の電話を掛けたのだそうです。制服の色違いを聞くと、濃紺の制服が「民警」と呼ばれる正式の警官で、「薄い青」の制服は「副警」という補助的な役割だといいます。
なにはともあれ、このまま宿泊出来そうです。宿代は60元です。
都市部だとこの他に「城管」と呼ばれる、街頭を取り締まる警官に近いようなものがいます。中国、どれだけ警察関係の人間がいるのでしょう? -
部屋は、お世辞にも綺麗とは言いかねます。右手に、シャワーとトイレが一体となったスペースがあります。珍しいことに便座は椅子型でした。
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表通りに出て「玉米人」というレストランで昼食を食べました。
店内は若者が席を占めています。「大衆食堂」より、値段は多少高めですが、「大衆食堂」に比べ、店内は清潔、サービスもそこそこ良い、支払いにはカードを一旦購入する(実際は店のシステムの都合)など目新しいところが、若者を引きつけているのでしょう。
安さを重視する年寄り世代に対し、幾分豊かな時代に育って来た若者たちの消費行動はよりよい質とサービスを求めると変化しているようにみえます。 -
歩き疲れたので3輪電動タクシーを使うことにしました。タクシーより1元程度安上がりになります。ただ、転倒の危険性が高いのでお勧めはしません。
まず目指したのは、漢街です。 -
漢街の南門です。北門までの600mほどに商店が並びます。
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玉石、骨董品の露天商が続きます。
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その隣が、「漢高祖原廟」です。
門票は10元で、60歳以上と告げて半分の値段で入りました。
中の「楽沛殿」に金ピカの劉邦が鎮座しています。
建物は立派ですが、細部の作り込みが雑です。
それよりも興味深かったのは、「楽沛殿」の入口両側に詰める二人の坊さんです。蜘蛛が張り巡らした蜘蛛の巣に獲物を粘り付けるように、参観する少ない客を巧みな話術で誘い込み、お布施を出させるのです。見ていると、6割方は捉えられているのではないでしょうか。
かく言う私も、つい逃げきれず20元のお布施を出してしまいました。 -
「沛県漢城」は漢城公園の中にあります。
門票は20元で、割引の条件は同じです。
正面の建物、門は閉められていて入れません。 -
建物の裏手に回ると、劉邦の人形が中央に座しています。
裏手に建物の説明がありました。「漢魂宮」というのだそうです。
劉邦が晩年故郷に帰ったときに言ったことばから名づけているようです。
下段に、劉邦を支えた部下たちが並んでいます。劉邦に絡む人物を調べてゆき、どれが誰かを推測すると、更に興味が湧くでしょう。 -
「未央宮」劉邦の奥様方が住んだ場所だそうです。
西漢皇室家の宮殿は、長楽宮、未央宮、建章宮の三宮ですが。実際に建てられていたのは陝西省咸陽市の長安です。
今日の長安は、2年前まだ荒地のままでした。行っても農地以外何もありません。
まあ、テーマパークと考えるとよいでしょう。 -
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「歌風台」です。劉邦の歌、
《大风歌》:“大风起兮云飞扬,威加海内兮归故乡,安得猛士兮守四方!
にちなんで建てられたそうです。
ここは、閉門間際に訪れたので中は良く見ていません。 -
歌風台の中は結構広いです。
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裏手は公園になっています。
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劉邦の生誕地を探すべく、「劉氏会館」へやってきました。
説明を見ると、世界劉氏総会館・・・とあります。会館は午前9:00-11:30、午後2:30-5:00で無料です。
何やら、雲行きがあやしいような・・・ -
中国科学院の調査《中国姓氏統計》による「新百家姓」の中で、「劉」の姓を持つ人の数は第4位にあり、世界で8千万以上いると書いてあります。
劉氏の成り立ちと各国への展開を説明しているようです。 -
数は少ないですが漢代の遺物が何点か展示してあります。
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劉一族の系譜を記録した書物の中に「大蔵朝臣原田」という日本名が出ています。
頭がぼんやりしていて記憶が曖昧で申し訳ないですが。大雑把に言うと、「劉」の姓を持つ者が日本に渡り、帰化し改名した。その子孫が大蔵朝臣原田一族だというのです。
もう一つ、高橋という名前が出たような・・・
現代の原田姓の誰かが訪れたらしく、盛大に写真が飾られていました。「漢太祖原廟」でもその写真を魅せられました。お布施の引き出しの出汁に使われていましたので、訪れる日本人の方々は要注意です。
そのストーリーを眺めていて、現代ばかりでなくその当時も中国よりは日本の方が住みやすかったんだろうな・・と思考は別の方向に飛んでいました。 -
午後7時、玉米人で夕食を食べ旅行3日目は終了です。
シャワーを浴びて、早々に寝ることにします。
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