2012/09/19 - 2012/09/19
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アリヤンさん
ついにトランス・アジア・エクスプレスに乗る時がやって来ました。
ワタクシにとっては約40数年ぶりのことです。
ヨーロッパで約4年の生活を終え、陸路でユーラシア横断旅行を敢行したときです。
そこに、ワタクシのタビの原点がありました。
あの時はパソコンもインターネットも無い時代でした。
ガイドブックも、こんな辺鄙なところを走る汽車のことなんかドコにも書いていませんでした。
手探り状態で乗った汽車でした。
*当時はSLの蒸気機関車が走っていた。
あの時、汽車はワン湖を渡ったのでした。
つまり、フェリーに乗ったまま乗り込み、乗ったまま陸にまた上がったのでした。
世にも奇妙な汽車であったことは間違いなかった。
40数年後の今回はどうでしょう?
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 鉄道
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
きのうは一日完全オフにしてゆっくりした。
ホテルのお風呂のお湯が出なくて大騒動だった。
ボイラー修理中とのことだが、一昨日もお湯問題で部屋替えしたところだけにアタマに来て、レセプションでやりあった。
レセプションのオバアちゃんが「お昼の3時までには直る」といい加減なことを言うので、余計アタマに来た。
大騒ぎをして、やっと夜中近くになってお湯がでて、バスタブに浸かれた。
お湯問題以外では、炭焼きサバも食べれたし、ネット屋でネットも出来たし、大きなスーパーでトランス・アジア・エクスプレスの2泊3日用の食料も調達できたし、部屋でゆっくりもできたので、満点でした。
今日はお天気もいいし、歩いて荷物を担いだり、引っ張ったりしてアンカラ駅までやって来ました。
エクスプレスは10:25発ですが、ワタクシたちはいつもの様に早目の9時には着いて、いつでもレディの態勢をとります。
朝日を受けて、駅前のこのコッケイな人物像の顔が良く見えます。 -
一体コレはダレなのか?
(上のターバンを巻いてヒゲモジャの人物)
まだ良く分かりませんが、ワタクシは勝手にイスラム世界では「偉大な旅人」とされている、イブン・バツータさんだと思っています。
確かモロッコかどこかの昔の人です。
*ウィキペディアからの抜粋;
来歴 [編集]1325年、21歳のときにメッカ巡礼に出発し、エジプトを経てマッカ(メッカ)を巡礼し、さらにイラン、シリア、アナトリア半島、黒海、キプチャク・ハン国、中央アジア、インド、スマトラ、ジャワを経て中国に達し、泉州・大都を訪問したとされる。1349年故郷に帰還したのちも、さらにアンダルシア(イベリア半島)とサハラを旅し、1354年にマリーン朝の都フェスに帰った。特にイスラームの境域地帯(スグール)を広く遍歴した。
マリーン朝スルターン・アブー・イナーン・ファーリスの命令を受けて、イブン・ジュザイーが口述筆記を行ない、1355年に旅行記『諸都市の新奇さと旅の驚異に関する観察者たちへの贈り物」が完成する。この旅行記は19世紀にヨーロッパにも紹介され、各国語に翻訳されて広く読まれた。
現在、タンジェには彼の名を冠した「イブン・バットゥータ通り」やイブン・バットゥータ国際空港があり、イブン・バットゥータの墓と伝えられる白亜の廟も建っている。
トルコの記述はありませんが、イランにはトルコ経由で行ったと思われるので、トルコを通ったに違いありません。
なんと、このヒト、24年間も旅を続けていたのです!! -
駅構内に入って、インフォメーションのおじさんに何番プラットホームかを聞く。
ついでにワン湖を渡るとき、列車も一緒にフェリーに乗るのか?聞いた。
インフォのおじさんは自信をもって「列車に乗ったままフェリーに入り、対岸のワンでそのまま出る」と言った。
最近のネット情報では、今はどうも列車はフェリーに乗らず、対岸で違う電車に乗ることになっている。
その旨をおじさんに話をすると、おじさんはビックリしてインフォの周りの人に確認した。
すると、ワタクシの言うとおりだった。
このように、インフォの人でさえ、40年前の記憶に浸っているヒトが居たのだ。 -
ネットの情報では、タト・ワンで一旦降りて、フェリーに乗って、対岸のワンで違う列車番号の列車に乗ることになっている。
拡大版⇒http://www.geocities.jp/ariyan9910n/TransasiaExpTT2.jpg -
こちらはインフォメーションより詳しい情報を持っているのです。
アンカラ⇒タト・ワンまでの停車駅と着発時間。 -
ワン⇒テヘランまでの停車駅と着発時間。
*DB BAHNのサイトより抜粋。 -
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イチオシ
2番プラットホームの電光掲示板にもちゃんとトランス・アジアが載っています。
(三日月マーク、下から2番目)。 -
チケットもアル。
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契約条項はどこかな?
裏ページにはペルシャ語で皆目分かりません。 -
裏から2ページ目、今度はトルコ語で、な〜んも、ワカリマセン。
ワタクシたち、日本を出てからもう4ヶ月が経ちますが、カードの旅行保険は3ヶ月間しかカバーしません。
よって、なにか事故でもあったら、何の保障もありません。
まあ、イランは危険情報で引っかかって保障の対象外カモ。。。
まさに「神のみぞ知る、インシャーアッラー」の境地です。 -
身が引き締まります?
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寝台列車が入ってきました。
このトランス・アジア・エクスプレスは1等寝台しかありません。
(40年前もそうでした)
ワタクシたちは大抵、2等寝台にのるのですが、ここは仕方アリマセン。 -
イチオシ
この寝台はタト・ワンまで行きます。
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中々きれいなコンパートメントです。
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寝台を作る前の座席状態のコンパートメント。
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イスラムの象徴=三日月(新月)とトルコの象徴=星が各窓に付いています。
これはトルコの列車だ、ということです。
*40年前はこんなマークは無かったように記憶しています。 -
寝台にした状態。
このコンパートメントは4人部屋なんですが、ワタクシたち2人で独占状態です。 -
イチオシ
トランス・アジア・エクスプレスは時刻どおりに発車しました。
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コンパートメント内ではどうも暖房が入っている。
それで、冷房に切り替えようとするのですが、扱い方がサッパリ分かりません。
それで、仕方なく、電源をオフにしました。
冷房が無くては、暑くて仕方ないのですが、暖房よりマシです。
暑い、アツイ、と言いながら通路に出て、通路の窓を開けていたら(上部に斜めに開ける小さな窓がある)、隣のコンパートメントのイラン人のおばさんが来てくれて、ちゃんと冷房が入るようにしてくれた。
やあ、親切です。 -
しばらく、トルコの乾いた大地を眺めます。
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とある小さな町の小さな駅。
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イチオシ
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食堂車が付いています。
タト・ワンまで1泊2日の汽車の旅です。
*正確にはディーゼル車の旅。 -
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約40年の間、「アノ汽車にもう一度乗ってみたい。あのフェリーに乗ってみたい」と思い続けてきましたので、感慨深いものがあります。
*エライ思いをさせて一緒についてきたパートナーにはちょっと悪い気がしないでもありませんが、、、 -
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日がだんだんと傾いてきます。
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広大なアナトリア高原が続きます。
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森の姿は少ない。
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アナトリア大地。
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や~、ヒマです。
「旅行人」のイラン版の切り取りを持っていますので(古い)、それを読んだり、写真の整理をしたりしますが、時間があまります。 -
野菜畑が続くときもある。
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ある都市の風景。
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17時ころという時間からすると、ここはカイセリです。
カッパドキアに近い大きな町です。 -
ある駅頭にて。
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このオッチャンとオバチャン、荷物に大きな冷蔵庫を持っています。
冷蔵庫をカイセリで買って、田舎にでも持って帰る途中カナ? -
夕方のアナトリア大地を、また、ひた走ります。
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車窓に流れるアナトリア大地。
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大きな湖が見えています。
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かなり大きい。
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ずいぶん大きい。
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太陽が地平線に沈んで行きます。
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イチオシ
湖はまだ見えています。
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もう夜の9時ですが、太陽の光がまだ残っています。
時間的にシヴァスの近くでしょう。 -
トルコ国鉄のマークの車窓に夜のとばりが張り付く。。。
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これ以上は真っ暗闇の世界ですから、もう寝ます。
おやすみ。
時刻表によれば、明日のお昼過ぎにワン湖の畔のタト・ワンに着くハズです。
拡大版⇒http://www.geocities.jp/ariyan9910n/120919.20Map.jpg
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