2012/07/04 - 2012/07/11
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空飛ぶドクターさん
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【7月4日出発 】
今回は旅行というより、里帰りです。たった一年間の高校留学ですが、思春期の経験は非常に新鮮で、今でもはっきりといろいろな事を覚えています。五大湖の一つエリー湖に面した田舎町、Westfield。ここが私の第二の故郷になりました。留学から帰国してちょうど40年、同窓会に参加するのが今回の目的です。英語でClass of‘72 40th Reunion(72年卒、40周年同窓会)です。
ウェストフィールドはニューヨーク州にありますが、人口数千人の典型的な五大湖周辺のぶどう畑(コンコルド種)に囲まれた田舎町です。ニューヨーク州は意外に広く、東西に長いのです。カナダとも国境を接していますし、実際、ウェストフィールドは国境にある有名なナイアガラの滝まで1時間半程度です。一度だけ車でニューヨーク市へ連れて行ってもらったことがありますが、高速道路を使っても7〜8時間かかりました。ウェストフィールドは西の果てで、マンハッタンは東の果ての島です。
マクドナルドが数十年前に開店した時には、わが町にもマクドナルドがやって来たとニュースになるくらいの田舎町ですが、日本でもぶどうジュースで有名なウェルチの工場と当時は本社までありました。中産階級の白人だけのコミュニティーで、貧困者がいないので安全です。黒人はいません。ニューヨーク州の特徴で、数家族だけプエルトリコ(厳密にはアメリカ合衆国の属州)人がいました。一般の人の危険なアメリカのイメージとはずいぶん違う、のどかな田舎です。
学校の正式名は WACS (Westfield Academy & Central School) です。かっこいい名前だくらい思っていたのですが、しばらくして気がついたのは、この地区でこういう名前の学校は全て同じです。日本式に言うと、何と幼稚園年長から小学校、中学校、高校の13年間みんなずっと同じ公立学校です。日本の田舎で育った私でもそんな経験ありません。ですから、私の同級生もみんな幼なじみから思春期までをともに過ごした濃密な人間関係です。
出発は7月4日、アメリカにとっては非常に重要な日・独立記念日です。少し時間的に余裕があるので、今回はまずオハイオ州 Cincinnati へ行くことにしました。医学部大学院終了後2年間のアメリカへの再留学、そのうち8か月ほどをここで過ごしました。
今回、(福岡〜)成田〜シカゴ線は日本航空のプレミアム・エコノミー席を予約しています。しかも、たまったマイレージを使っての無料航空券です。但し、サーチャージ(ガソリン代)として往復5万円程度は払っていますが。しかも、嬉しいことに空港に着くとビジネスクラスにアップグレードしてくれるとのことです。スタートからラッキーです。CA(客室乗務員)の密度が違うので、食事は食前酒、前菜、和食9小皿、御飯・味噌汁・魚料理、デザートと5回にも分けて運ばれて来ます。私は下戸なので、ワインの代わりに炭酸入りミネラルウォーターですが。
国際線の機内に入ったとたん、時差ボケ対策として時計を到着地・シカゴ時間(14時間遅れ)に切り替え、気持ちも切り替えます。そうすれば、本来は今頃夕食だの、寝ているはずの時間だのと自覚でき、対応しやすくなります。最近はこれでわりとうまく時差ボケを処理しています。
シカゴ・オヘア空港はユナイティド航空などのハブでもあり、日航の直行便もあり、以前から何度も乗り換え等で利用している巨大な空港です。何十回も往来している一番馴染みのある空港です。但し、シカゴの街にはほとんど行ったことがありません。小型飛行機の展示している空港のディスプレイでパイロット・オヘア(O’Hare)氏の名前から由来していることがわかりました。この変なつづりの名前はアイルランド系のようです。「風と共に去りぬ」で有名な Scarlett O’Haraと同じです。知らないと、日本人の小原さんのようですね。いつものように、移動のために広い空港を歩き回ります。今年は異常な熱波で、渡り廊下がものすごく熱いのです。体感温度は35度程度あります。いつもの乾燥してスッキリした気候とは違います。ちょっと長い4〜5時間待ってからユナイティド航空便でシンシナティ行きです。小さい飛行機で機内の荷物置きに納まらないというので、乗降口で手荷物を預けさせられました。ところが、同じようにシンシナティ空港に着いて乗降口で荷物を受け取ると、ボリビアで買ったばかりでデザインが気に入っているカバンの取っ手が壊れています。ガッカリです。
シンシナティはオハイオ州にありますが、実は、シンシナティ空港は隣の州、ケンタッキーにあります。シンシナティのダウンタウンは市の南端、オハイオ川沿いにあり、川を挟んで反対側はケンタッキー州で、空港は車で10分ほどと近いものの、何と隣の州にあるのです。
レンタカーはいつもの Budgetと違って Avisです。でも、買収されたのか共通並列のカウンターでした。しかも、返却場所が違ったりするせいか、いつものリンカーン・タウンカーは借りられず、ボルボ60でした。予定通り、すぐに電気店を探します。ここシンシナティもシカゴ同様、熱波でものすごく熱いです。住んでいたからよくわかりますが、冬には零下20度にも下がるところです、大陸で本来は夏でも湿気がなく暑さもそこそこなのですが、今回は異常に暑く感じます。午後4時を過ぎていますが、車を降りるとうだるような暑さです。Target の店で、予定通りGarmin の GPS、つまりカーナビを買います。取り外しの容易なポータブルです。思ったより高く、それでも200ドル以下、1万6千円程度です。言語も、「日本語」にも切り替えられ、たぶんインターネットでソフトを取り込めば、日本でも使えるはずです。レンタルすると、一日15ドルもします。それで、今回買うことに決めました。最悪アメリカでしか使えなくても、1〜2年に一回はアメリカへ来て使うので元は取れます。実は、カーナビを買うなどと言う発想はなかったのですが、知人の Twitterでの一言で、そうかいっそのこと買った方が安いし便利だと気がついたのです。
留学先の助教授だったダンに連絡して合流します。以前は Dr. Kesslerと堅苦しく呼んでいましたが、今は友達としてファーストネームで読んでいます。アメリカでは医者も普段はファーストネームで呼び合っています。患者さんの前でだけ、ドクター誰それと呼んでいます。
今働いている病院の一つを案内してくれ、自宅も案内してくれました。私の車は不審者に荒らされないよう(たぶん夜遅くなるので)に、病院の駐車場に置き、ダンの車で行動します。残念ながら、奥さんが病気で副作用に苦しみ家の中が暗いようです。そのせいか、私がビックリするくらい家の中は散らかっていました。アメリカの医者には特に多いそうですが、研修医などの時に忙し過ぎて奥さんの相手ができず、ほとんどの医者が離婚して、落ち着いてから再婚しているそうです。ダンもその典型らしく、前妻との子供がいます。二人だけでダウンタウンへ出かけます。今日は独立記念日なので、花火が上がっているのが少し見えます。
オハイオ川沿いのダウンタウンは思い出も多く、以前はプロ野球場(シンシナティ・レッズ)とプロフットボール場(シンシナティ・ベンガルズ)が兼用でリバーフロント球場と呼ばれていましたが、今は近くに別々に夫々新しい球場ができています。今回も野球のレッズの試合を見たかったのですが、残念ながらちょうどアウェイでした。私はレッズのファンですが、今年は久しぶりにナショナルリーグ中地区首位を独走しています。
ダウンタウン中心にあるシェラトンホテルの駐車場に車を置き、二人で歩きます。異常な熱波・猛暑で夜でも蒸し暑いです。夜のダウンタウンなので、私でもやや注意深くなるのですが、結構ダンは平気で無警戒で歩き回ります。ホテル前の広場には町のシンボル・噴水があります。レゲエのコンサートがあったようですが、残念ながら終わったばかりのようでした。同じく、街のシンボル・豚の銅像があちこちあります。ペニー硬貨でできた豚の像もあり、ダンも盛んに写真を撮っています。
10時頃になってようやくレストランへ入ります。私はニューヨークストリップ・ステーキをダンはサーモンステーキを頼みます。シアトルの大学にもいたダンはそこで、新鮮なサーモンの味を覚えたようです。塩・コショーだけの味付けですが、ちゃんとした店のアメリカン(ビーフ)ステーキは結構おいしいです。
ダンは私があきれるくらい色々な人に話しかけます。まずは、若い黒人の子連れカップルに声をかけ、子供の写真を撮ります。私もついでに撮ります。世界中の子供や赤ちゃんの写真を撮っています。何人でも可愛いからです。次に、中国人3人に声をかけると、ちょうど開催中の世界コーラス大会に参加しているそうで、ダンは得意の片言中国語で喋っています。
幸か不幸か、私はホテルをまだ決めていません。どうせ、いくらでもモーテル等が空いているからです。カーナビで lodgings と探せば近くのモーテル、ホテルを見つけるのも簡単です。病院の駐車場へ戻ると、ダンが近くにあるホテルで病院の関係で割引があると、Crowne Plaza Hotel(一時期日本では全日空ホテルと提携)を案内してくれました。自分の家へ泊める代わりという雰囲気でホテル代も出してくれました。こういう時、私は遠慮なく好意に甘えます。
【7月日5日(木)】
今日は移動日で、オハイオ州シンシナティからペンシルベニア州のノース・イーストまで6時間程度のドライブです。まず、久しぶりのシンシナティなので、飼っていた犬(シェルティー)のお墓参りです。帰国寸前、新しい飼い主が決まる直前に事故死しました。郊外北方向のハミルトンにあります。1988年に帰国して以来、一度だけ行ったことがあります。でも、カーナビもあるし、目的の住所までスムーズに到着したのに、墓地が見つかりません。しばらく、うろちょろしました。永代供養の書類を持って来ましたが、何とその書類の番地が4382と3482と間違えているのです。道理で見つかりませんでした。でも、以前は何とかわかったのに、ちゃんと墓石を買っていないので、A4−35という区画番号が見つかりません。仕方がないので、広い敷地のお墓全体に適当にお参りしてきました。
それから急いで以前住んでいた懐かしいアパートへ行きます。「Williamsburg of Cincinnati」という洒落た名前の通り、ワシントンDC近くの古都ウィリアムズバーグのような巨大な敷地内にあるアパートの集合体です。ドイツ系の街、シンシナティらしい場所です。でも、時間的に少し焦ります。と言うのは、この日の目的地の「おばさん」Aunt Jane の家に午後6時頃には着くと言っているからです。いよいよ出発するころには正午近くになっています。
同じオハイオ州の州都・コロンブスを通過し、クリーブランドまで来るとだいぶ近づいた感じがします。途中でガソリンを給油すると11ガロン(約40L)で35ドルです(3.2ドル/ガロン)。1ガロンは約3.8Lなので、計算がややこしいですが、1ドルを80円で計算すると約70円/Lです。アメリカのガソリン代もずいぶん高くなりました。40年前はたぶん10〜20円/Lでした。しかも、1ドル360円の時代です。私が再度留学した86年当時でも、50円/L程度でした。しかもその当時は1ドルが180円くらいしました。やはり、少し遅れてしまいましたが何とか午後7時20分頃には懐かしいおばさんの家にたどり着きました。農家の一軒家です。
前もって連絡を取っていたものの、多くの人が集まってくれていたのにはビックリすると同時に感激しました。亡くなったホストマザーの義理の妹がこのジェーンおばさんで、隣の州ですが、近いので何度も遊びに来たことがあるのです。このおばさんには思い出があります。生意気盛りの私は、ある時自分のことは棚に上げて、「おばさんの話し方は他の人と違う」と言ったのです。するとおばさんは怒りもせずに、私は出身がノースカロライナ州だから南部訛りがあるのだと答えてくれたのでした。独特の発音訛りとゆっくり話すのが特徴です。高校留学中、私は発音ではほとんど苦労しませんでした。何故なら、留学先の五大湖周辺の人々はほとんど、私が一生懸命NHKのテレビやラジオで勉強した標準(?)アメリカ英語を喋っていたからです。ところが、南部出身のおばさんには訛りがあったのです。
反面、アメリカ英語はまだ少々の訛りがあってもいいのですが、オーストラリア、イギリス、ましてやインドの英語や中国人の英語は苦手で聞き取れないことがよくあります。
私が是非会いたいと連絡していた Wendy はもちろん来ています。彼女は「いとこ」で、耳が聞こえず、喋れません。思い出しましたが、「音」は発しますが「声」にはなりません。留学時代、私が一生懸命英語を勉強していた頃、ウェンディは私に自信を与えてくれました。彼女は読唇術で理解できるのですが、私の口の動きを見て問題なく理解してくれました。外国人の私にとって、ネーティブ並みに普通の口の動かし方をしているか不安だったからです。フェースブックのおかげで1〜2年前から交流していたのですが、彼女はちゃんと結婚して子供もいます。正直、嬉しい誤算でした。彼女は白人なのですが、明らかに先天的な病気で、皮膚も浅黒く肌荒れし、障害者なので、可哀そうにこんな人はきっと結婚もできないのだろうなぁと単純に考えていたのをよく覚えているからです。彼女の息子とだんなさんも来ています。しかも、普通のアメリカ人らしく離婚し、再婚らしく、息子は前のだんなさんとの子供らしいです。
それから、ウェンディの両親も来ています。お母さんが、私のホストマザーの妹です。同じく、Aunt Jane です。実は、この両親のことはあまり印象にありません。娘のウェンディの印象が強すぎたせいかもしれません。また、その家には遊びに行っていないせいでしょう。
南部出身、Aunt Jane Post おばさんの娘の一人、近くに住む Amy とその娘 Emily も来てくれています。みんなで近くのレストランへチキン・ウィング(鶏の手羽先フライ)を食べに行きます。そこで、ホストブラザーの Doug と奥さんの Betty、娘の Jeniffer とそのボーイフレンドが合流します。彼らはベティの出身地、アトランタに住んでいますが、夏休みにはフィンリー湖(五大湖周辺には小さな湖が多数あります)の別荘で過ごすことが多いのです。ジェーンおばさんの家の近くの別荘で、私もホストファミリーと何度も行ったことがあります。ボートがあり、水上スキーなどを楽しみました。
総勢13名の親戚の集まりで楽しい夕食でした。私は割と好きなアメリカの分厚いハム・ステーキも頼みました。夜は、ジェーンおばさんの家に泊めてもらいましたが、デザートにブルーベリーパイを楽しみました。寝る前に、「いとこ」たち(おばさんの子供)の話題を色々聞きました。特に、私と歳が近く仲の良かった Lisa のことは興味深く、詳しく聞きました。こんな田舎から名門エール大学を出て、サンフランシスコにあるゴールデンゲートブリッジ(金門橋)を見下ろすバンカメリカの本店で働いていたのですが、今は二人の男性(元だんなさんと新しいボーイフレンド)の間を行ったり来たりしているようで、母親として冷静に批判していました。でも、娘の人生だから自分にはどうしようもないとも。
【7月6日(金)】
翌朝も朝食を取りながら、色々子供たちや親戚のことを聞きます。ちょうど、隣の農場で Gordie が畑仕事をしているのが見え、挨拶に行きます。彼も「いとこ」の一人で何度も会ったことがあります。ちょうど、今度はいつ来るのだろうと私のことを噂していたところだそうです。目の前の野菜だけでも、ズッキーニ、スクワッシュ、きゅうり、ジャガイモなど10種類はあるそうです。アメリカらしく巨大な農場です。そう言えば、以前秋に訪問した時に、ものすごくおいしいリンゴを御馳走になったのを思い出しました。九州に住む私はもぎたてのリンゴは食べたことがありません。
約束通り、エイミーが来てくれ、一緒に私のホストファミリー(エドワーズ家)のお墓参りに行きます。今回二度目で、次には一人でも行けるようにしっかりお墓の場所を覚えました。ついでに、ポスト家のお墓参りもしました。ホストマザーの弟、ラスティおじさんのお墓です。ジェーンおばさんの名前も彫ってあります。でも、まだ死亡の日時が彫られていません。日本では赤字で区別しますが、色の区別はないようですでに黒く彫っています。時間もあるし、インターネットをしたかったので、無料 Wi-Fi がある町の図書館を案内してもらい、そこでおばさんとエイミーと別れました。アメリカの図書館にも当然のように、日本の漫画本も置いてあるのには少しビックリしました。
しばらくメールチェックなどをして、1時過ぎになり、腹も減ったのでいよいよ目的地、留学先のウェストフィールドへ行きます。隣のニューヨーク州ですが、車で30分程度です。昼はエリー湖沿い、バルセロナの “Greasy”Jack’s に行くと決めていました。留学時代、友達とよく夜食に来たのでした。脂っぽいレストランということで、「グリーシィ」と呼んでいたのです。アメリカらしく普通にハンバーガーの店ですが、エリー湖で捕れる魚のバーガーがあり、”Fish with cheese, please!”と注文するのが我々の間で流行っていました。たぶん普通のメニューにはないのですが、無理やりチーズバーガーのように注文していたのです。たわいもない話ですが、青春の思い出です。
でも、中に入るとウェートレスがすぐに現れず、気が変わって向かい側のレストランへ行くことにしました。「ジャック」と以前と同じ名前の店ですが、オーナーが代わって、もうフィッシュはないのを知っているからです。考えてみると、一度もこの向かい側のレストランには行ったことがありません。たぶん、昔からありました。昼間だったので、ここの方がエリー湖に面していて眺めがいいのです。10ドルの perch サンドイッチを頼みました。Perch は日本語で何と言うのかわかりませんが、たぶんエリー湖で取れる淡水魚・白身魚でフライにしていますが、イギリスやオーストラリアの fish & chips の魚と違いまぁまぁの味でした。
腹ごしらえした後で、いよいよ懐かしいダウンタウンへ。と言っても、田舎ですから大したことはないのですが。まず、以前住んでいた家を見に行きます。実は、この家は歴史の浅いアメリカでは珍しくちょっと風情のあるビクトリア調の古い家でした。大手ドラッグストアの進出で取り壊しになりそうになったのを町の人が反対して、結局50Mくらい大移動して、今は一軒家のホテルになっています。掘り起こして、この大きな家を丸ごと移動したそうで、スケールの大きなアメリカでも珍しく、もちろん一大ニュースになったようです。
私が半年ほど住んだ懐かしい家です。外からはいつでも眺められます。時間があるので、玄関近くまで行ったり、裏口へ回ったりして中を覗きます。今は、一軒ごと貸し出すので、私のように一人旅だと借りることが難しく、しかも夏場は人気があるらしく連泊しないといけません。昔のことを思い出しながら立ち去ろうとすると、玄関が開きます。男性が出てきます。慌てて、玄関へ近づきます。私の気配に気づいて気になったようです。
以前にここに住んでいた留学生で、40年目の同窓会に参加するために戻ってきたと自己紹介すると、自分たちも50年目の同窓会でやって来て、8人程度でこのホテル(家)を借りているということで、中を見せてもらえることになりました。ラッキーです。移動する前、20年ほど前に新しい住居人にお願いして中を見せてもらって以来です。猫と一緒に昼寝をよくした居間や大きな冷蔵庫のある台所や二階への階段のある玄関口など懐かしい部屋の数々です。
それから、最初のホストファミリーの家を遠巻きに見に行きます。今でも確執のある元ホストシスターの Julieが一人で住んでいるようです。苦い思い出も多いのですが、懐かしいことにはかわりがありません。この家は学校のあるダウンタウンから少し離れています。おかげで低学年と一緒に騒がしいスクールバスに乗っていました。
それから学校へ行きます。夏休みで中には入れません。翌日はオープンスクールで中に入れるようです。裏へ回り込んで懐かしいグランドへ行きます。日本のグランドの3〜4倍の広さがあります。ナイター付きのフットボールの試合もやるグランドへ行きます。隔週で金曜日の夜はここでホームの試合があり、私はホットドッグなどを売る手伝いをした記憶があります。その時にアメリカ式お釣りの渡し方をマスターしました。そして同じグランドで、春シーズンは陸上(三段跳び、短距離)もやりました。冬シーズンはレスリングをやりましたが、これはもちろん室内です。
ダウンタウンにあるマクドナルドを見つけました。ここはあまりに田舎なので以前はマクドナルドもありませんでした。もちろん、マクドナルドの食べ物などには興味もありませんが、コーヒーだけ頼みます。目的は Wi-Fi ですが、どうも無料サービスはないようで繋がりません。
こうして時間をつぶしているうちに、午後7時が近づいてきました。今日は前夜祭で、同級生の一人、Rick Mathewsの自宅でパーティーです。下戸の私は飲み物がアルコールだけで困ることがよくあるので、スーパーでルートビアーを買って持ち込みます。案内にも、BYOB (Bring your own booze (beverage))と書いています。Candi、Nancy、Janet などの懐かしい女性たちに会います。ジャネットは盛んにどこの飛行機で来たかみんなに聞いています。なるほど、彼女はユナイティド航空の FA (flight attendant) だそうです。客室乗務員(スチュワーデス)のことを日本語では CA (cabin attendant) と呼ぶことが増えましたが、英語では FA と呼ぶことも多いようです。CA/FA と書くこともあります。
そんなに親しくはなかったけど、Rosemaryが一緒に写真に写ろうと言ってくれます。そう言えば、彼女の旧姓は Catalano、私の好きなイタリア系です。元フットボールの花形プレーヤー、Jim にも久しぶりに会います。幹事の Terry もいます。太ったおっさん風の友達と喋っていましたが、正直誰か覚えていません。名前が Dave と聞いてビックリ、昔はハンサムでテリーの元だんなさんです。今は面影もありません。但し、友達から聞くと脳腫瘍のホルモン異常で、こんなに太ってしまったようです。
名前をよく覚えている Mary Beth もいます。でも、彼女はほとんど私を無視します。思い出しました。彼女はお高くとまっているのか、白人の田舎町にやって来た東洋からの留学生である私に関心を示さなかった数少ない一人でした。逆に、そんなことも懐かしく思えます。
色々な友達に会い、懐かしく思い出しています。一人、見覚えがあるけど、思い出せない女性がいます。念のため持ってきた Yearbook(卒業アルバム)のコピーにも彼女の写真は見当たりません。でも、はっきり見覚えがあります。特に、昔の写真をコピーしたバッジにははっきり見覚えがあります。誰かと尋ねると、何と私の1年前に同じAFSで留学していたアルゼンチンの女性、Pattyです。昨年、自分の卒業学年の同窓会には来られなかったので、今年来たそうです。私もそうですが、田舎の学校だったので、一つ下の学年にも友達がたくさんいます。そう言えば、彼女のホームステイ先は同級生、テリーの家でした。私とすれ違いでもちろん会ったことはないのですが、前年のAFS留学生としていつも写真を見ていたから見覚えがあるのです。あまり英語の上手でないだんなさんも一緒に来ています。いいだんなさんで、自分はともかく奥さんのパティが楽しければいいとニコニコして言います。さすが、ラテンの国の男性です。女性に優しい。日本男児としては、見習わねばと思いました。
ブラジル人の奥さん、Marra と結婚した Mitch もいます。実は、彼とも留学中は会ったことがありません。私の留学と同じ年に、AFS生としてアルゼンチンへ留学していたからです。でも、以前の同窓会で会い、同じような体験をした同士、仲良くなっています。ようやく、Steve と最初のホストブラザーである Brad とその奥さん、Connie も見かけます。今晩から二晩、スティーブの家にブラッドとコニーと泊まる予定です。スティーブのお母さんには大変世話になりました。当時、AFSの地域の責任者で 、私がファミリーチェンジした時、新しい家庭が見つかるまでの2週間弱スティーブの家にいました。でも、残念ながら今回肝心のお母さんはニューハンプシャーの別荘へ出かけていて不在です。6年前には泊めてもらったのですが、今回は残念ながら会えません。スティーブはイチローで日本人にも有名になったシアトルに住んでいて、妹の Jean も近くに住んでいます。一度、サンディエゴでの学会ついでに会いに行ったことがあります。
実は、ブラッドとは微妙な関係です。最初のホストファミリー・ホストブラザーで、スティーブとも仲が良く、一緒に車であちこちに遊びに行きました。でも、どうしてもうまくいかないホストマザーとの関係でファミリーチェンジしてからは、少し関係が遠のきました。でも、最初のホストファーザーは大好きで、彼がラスベガスへ移り住んでからも数回遊びに行ったくらいです。そのことは、ブラッドもお父さんから聞いて知っているはずです。ブラッドがボストンに行ったこともあり、ブラッドとは40年間直接は会ったり、話したりしていないのです。今回、直前にスティーブに家に来ないかと誘われた時も、少し躊躇しましたが、ブラッドも会いたがっていると聞いて安心し、決心したくらいです。アメリカ人らしく、コニーもブラッドの再婚した奥さんですが、噂通り素晴らしい女性でした。離婚大国・アメリカですから、知り合いも離婚、再婚した人だらけです。
今晩は軽食のみです。私は日本から和菓子を2種類ほど持って来ました。夜10時頃になると、スティーブが Dick Scriven の家へみんなで行くので一緒に行こうと言います。取り敢えず、自分のレンタカーは置いて、ブラッドの車で移動します。ディックが新婚の奥さんと待っていてくれます。ディックは何と57歳にして初婚だそうです。奥さんは再婚だそうですが、アメリカ人にしては落ち着いた女性のようで、ディックは非常に遅い結婚に満足しているようでした。ディックは以前、当時流行っていた長髪でしたが、今はスキンヘッドです。歳をとって、一番見かけが変わった一人です。他に、ミッチとマラ夫婦、それに Chris と奥さんの Gail がいます。クリスはサンフランシスコにいるので、学会ついでに数回家へ会いに行ったので奥さんもよく知っています。スティーブとクリスは成績もよく、二人とも弁護士になって西海岸にいます。
パーティーで軽食だけだったので、夜遅くなりましたが、ステーキとスパイシーなソーセージを御馳走になりました。塩・コショーだけですが、私はアメリカの分厚いステーキは好きです。ここはアメリカですが、大人数での夜遅い食事でラテンの家族のようでした。みんなでわいわい大騒ぎでした。私の車まで戻って、スティーブの家へ着いたのは夜1時も過ぎていました。
【7月7日(土)】
昨夜は遅かったし、急ぐ必要もないので朝9時頃ゆっくり起きます。みんなで遅い朝食をとります。今回、スティーブは車を借りていないようで、ずっとブラッド夫婦と一緒のようです。幼なじみの仲良しです。この日はずっと一緒に行動するので、私も車は置いたままで、ずっと4人でブラッドの車で移動です。むしろ、これは40年前と同じで非常に懐かしいパターンです。留学生の私は運転免許がないし、あっても運転は許されていませんでした。ですから、当然17歳くらいの友人の車、スティーブやブラッドの車に乗って一緒に遊びに行っていました。当時、ニューヨーク州は16歳で日没までの免許証をもらえ、17歳になってから正規の免許証をもらえるという面白い制度でした。今は変わっているかもしれませんが。
どこに行くのかと思ったら、まず同級生の Dan Yeany の実家へ行きます。同窓会に来ているダンはいませんでした。私は初めての家ですが、彼らには懐かしいようでした。それから、ミッチのアパート所有らしいプールへ行き、鍵を預かりみんなで少し泳ぎました。私もいつプールに行くかもしれないアメリカなので、ばっちり水着を準備していました。ここで、テリーの弟、Rusty に会い、彼がAFS生としてイタリアへ留学したと聞きました。私の好きなイタリアです。どこへと聞くと、何とミラノでした。私の娘の留学先と偶然同じです。世界は狭い!
身内らしい高齢の女性が入って来ます。何と、私が会いたいから家に行きたいとテリーに伝えていたお母さんです。Mrs. Jensen です。残念ながら、ご主人はもう亡くなっているようです。テリーの妹の Barbara もいます。AFSと関わりのある家庭ですから、私も何回か留学中に家へ招待されました。
それから、私たちは改めて Mrs. Jensen の借りているエリー湖沿いの大きな家へ遊びに行きます。アルゼンチンからのパティ夫妻ももちろんここ、ホストマザーの家で過ごしています。もう一人のテリーの弟もわざわざコスタリカからコスタリカ人の奥さんと一緒に来ています。驚いたことに、彼らの息子、Michael がAFS生として数年前に日本に留学したと言います。日本も広く、70以上支部があるのですが、念のためにどこへと聞くと、何と私の出身、大分と言います。私のよく知っている人が支部長をしています。ほんと、つくづく世界は狭いものです。そして、こういう風にAFSの世界の輪の繋がりを感じることがよくあります。
アルゼンチンから40年ぶりにやって来たパティは午後のオープンスクールに行き、懐かしい校舎の中を見学したそうです。私が昨夜教えてあげて知っていたからです。私もできれば行きたかったのですが、スティーブやブラッドと行動を共にしたかったのであきらめました。私はこの40年間に何度も来て、見ているからです。それでも、最近講堂が建て替わったようで、我々過去の留学生の写真はなくなっているようです。
ジェンセン夫人はご主人を亡くして、今は高齢者用住宅の多い温暖なフロリダ州に住んでいるのです。アメリカ人にはよくあることです。確か、ご主人はぶどうジュースで日本でも有名な Welch’s の本社(当時は何故かこんな田舎に本社があった!)で働いていました。同窓会やオックス・ローストというお祭りのような行事の重なる独立記念日の週末に帰省する人が多いのがこの町の特色です。
田舎のいいところで、日本のお盆のような感じです。普段は遠くに住む母親が帰省する4人もの子供夫婦と元AFS留学生の夫婦を迎えるために、田舎でも珍しい大きな家を借りているようです。自分は一か月程度ゆっくり過ごしているようです。もちろん、昔からの友達がたくさんいる以前住んでいた田舎です。今回、孫やひ孫を連れて帰っている人は少なかったようですが、それにしてもすごい大家族の再会です。アメリカも日本と同じで、色々な問題があるし、経済的にも一時期ほどの勢いはありません。でも、中流家庭の知人がこうして集まっているのを見ていると、羨ましい気がします。アメリカの事を知らないくせにバカにする人も多いですが、こういう風景を目にするとまだまだ豊かな国だと感じます。そして、ラテンの国のように家族の絆も意外と強いのです。
いよいよ午後6時前に今日が本番の同窓会へみんなで行きます。以前参加した2回はレストランでありましたが、今回は同級生、 Delilah の自宅です。ビックリしました。いくら田舎とは言え、こんな大きな家と巨大な裏庭です。牧場の家という雰囲気です。アメリカですから、もちろんみんな車で来ます。30台でも平気で停められるスペースがあります。テントを張って、50人くらいの椅子を準備しています。同窓会でも夫婦で来る人も結構いますから、50人くらいはいます。いちいちチェックしている訳ではありませんが、5人くらいは昨日だけでこの日は来ていないようで、逆に昨日いなかった人も5人くらいいます。
ショックだったのは、フットボールの花形選手で生徒会長だった Jeff Corcoran が早くもアルツハイマー病、つまり痴呆症が始まっているらしいということです。私の日本人同級生にはまだいません。アメリカ人の方が、少し若年性があるのかもしれません。珍しいとはいえ、自分と同じ年齢の人間が痴呆症になるというのは、少しショックでした。
食事はアメリカらしくメーンが塩・コショーの分厚いステーキです。50枚くらいのステーキを巨大な鉄板で一気に焼くのは壮大なスケールです。最初にシュリンプカクテルがあり、ステーキの付け合せには色とりどりのパスタサラダ、じゃがいも、煮込んだ豆料理と結構おいしいのです。実は私はその理由を知っています。昨日話をしたローズマリーが、同じ町に住む妹が惣菜を料理して持ってくると聞いていたからです。そう、彼女らはイタリア系で当然の如く、おいしい料理の伝統を受け継いでいるのです。
デザートにフルーツカクテルもありましたが、私が日本から持ってきた和菓子(福岡のひよ子など)を昨日に続いて並べて置きました。昔と違って、だいぶ日本の料理も知られてきましたが、まだ和菓子は彼らには珍しいようで、好奇心たっぷりに味見してくれました。ステーキの後で、巨大な鉄板で corn on the cob と呼ばれる、丸ごとのとうもろこしも焼いていますが、みな腹いっぱいのようでほとんど余っていました。
今回の幹事であるテリーが不在の友人の消息も込みで近況報告の司会をとります。最初に、すでに亡くなった同級生5人の冥福を祈ります。まず、テリーが自分のことを言いますが、半分冗談で昨日は来ていたが、この日は不在の元夫、同級生のデーブのことをくそみそに言います。現在のご主人、Philip が同席しているせいかもしれません。温厚なだんなさんのようで、私が住んだことがあるシンシナティに住んでいます。
同じく同級生同士の結婚で離婚した Nancy は、前夫 Sam のことはあまり悪く言いません。私の親友の一人である Tom が不参加の理由をテリーが説明します。ちょうどこの日が娘の結婚式で、迷ったけどやはり娘の結婚式のほうが大事だと結論したと冗談を言います。実は、私は二度ほどトムのいるペンシルベニア州ハリスバーグには遊びに行ったことがあり、娘二人にも会っています。トムは変わっていて、一度離婚した奥さんと再婚しています。私が遊びに行ったのはその2回の結婚の後で、同じ奥さんなので何も気がついていませんでしたが、後で聞いてビックリです。
Jeff Ramm とその奥さんは昨日も来ていましたが、なかなか上品な感じの美人で、私の仕事に興味を持ってくれていろいろ話をしました。彼らはニューヨーク州中部のカナダとの国境に住んでいるようです。もう一人、是非会いたかったのに来ていないのが、イタリア系の Karen Trippy です。以前の同窓会にも来ていませんでした。近くの Jamestown に住んでいるようですが、孫の野球の試合が負けたら来るということでしたが・・・ 近くに住んでいるのに参加していないのは残念です。
午後10時45分頃になって帰ることになりました。私は少し期待し
ていたのですが、ブラッドたちは Eaton Hall には立ち寄る気は全く
ないようでした。各世代入り乱れてダンスをやっているはずで興味があったのですが・・・
【7月8日(日)】
今日は早く起きました。スティーブ、ブラッドたちとは別に、会いたい人がいるからです。まず、日曜日なので教会に行くかもしれないので8時過ぎに隣の家にいるはずの Mr. Young に会いに行きます。隣と言っても、歩くと時間がかかるので車で行きます。幸い、間に合いました。ヤング先生は直接習ってはいないのですが、元マイナーリーグのプロ野球選手で、よく力を込めて握手をしてくれたユニークな先生です。一つ下の娘はよく知っている美人ですし、奥さんも美人で学校の事務員をしていました。でも、離婚して新しいきれいな奥さんと暮らしているのでした。
80近い年齢で、病気がありますが、泌尿器科の私に関係のある病気ばかりで興味深く聞いていました。まず、娘のダイアンの腎臓を生体移植しているのでした。今は前立腺癌で放射線治療を受けているとのことです。近くの都会・バッファローにある Roswell Park Memorial Institute で治療しているそうです。亡くなったホストマザーも血液がんでしたが、やはりこの病院のようでした。ここは、がんの治療で有名なようです。略して RPMI が実験用の細胞培養培地として有名で私も知っていたので親近感を覚えます。
しかも、ヤング先生から大事な情報を得ました。経済的な詐欺で逮捕され収監されたこともあると聞いていたので遠慮していた Mr. Ponka がまだ町に住んでいるというのです。しかも、奥さんの Mrs. Ponka も離婚せずに一緒のようです。普通でも離婚の多いこの国で、収監されただんなさんと離婚もせずに同居しているとは思いませんでした。すぐに電話して後で会いに行くと言いました。
一度スティーブの家に戻り、彼らと朝食を取りながら、弁護士であるスティーブに以前から聞きたかったことを尋ねました。日本では、医療訴訟が増えていますが、民事訴訟はともかく、殺人罪などの刑事訴訟になることが私には理解できないので、アメリカの事情を聞きたかったのです。法律用語は英語では自信なかったのですが、結局日本語と同じで civil lawsuit と criminal lawsuit でいいとわかりました。私の予想通り、アメリカでは医療訴訟は確かに多いのですが、99.999% は民事訴訟だそうです。納得できます。
ここで、彼らとはお別れです。今晩はパスタ・パーティをするそうで、買い物の相談をしていました。新鮮なトマトを手に入れ、モッツアレラチーズをどこかで買い、などとアメリカ人にしてはレベルの高い食事のレシピを話し合っています。今回確認できたのは、40年前私がアメリカなのにそれなりにおいしいと思ったのはラッキーだったからです。ディックの家の食事、昨日のステーキなどの食事、少しは口の肥えた今の私が食べてもおいしいのです。幸い、食事に関しても私は運がよく、改めてこの町に留学できてラッキーだったと思います。後からわかったことですが、一般的に言われているように、アメリカはイギリス並みにまずいところも多いのです。
もちろん、もうここには戻ってこないのでカバンを入れて自分の車で出かけます。ポンカ先生夫婦の家へ行きます。心躍ります。会いたかったのに、40年ぶりです。実は、今朝電話した時に最初に出た奥さんは私の名前を聞いただけでは覚えてないと言われ、少しショックでした。当時、まだ新卒に近い金髪のきれいな先生でした。英語の先生、つまり国語の先生です。一方、ご主人のポンカ先生はフランス語の先生で、ユーモアたっぷりで私の大好きな先生の一人でした。何故か、ポーランド系ということをよく覚えています。
玄関に出迎えてくれたのは、Mrs. Ponka でしたが、電話を代わった後ですぐに私のことを思い出してくれたようで安心しました。さすがに40年ぶり、だいぶ歳をとっています。次いで、Mr. Ponka です。あまり変わっていません。今でも親戚はポーランドに住んでいるようで、Mr. Ponka はフランス語だけでなく、ポーランド語もかなり喋れるようです。途中で、見慣れない女性が出入りしますが、知り合いの音楽家のようで、部屋を貸しているようです。Chautauqua Institute での演奏のために来ているようです。
お昼頃になると、いよいよエリー湖岸、バルセロナにある Ox Roast 会場へ行きます。Ox とは、雄牛のことです。日本で言えば、盆祭り会場のようなもので、この時期に多くの人が帰省します。そして、昼から夜までずっと人が出たり入ったりしますから、多くの人に会えます。同窓会では、同級生だけですが、この日は主に年下の学校の友達に会えます。
まずは腹ごしらえに、名前の由来であるローストビーフ・サンドイッチを食べます。すぐに、同級生の Pat と Wendy を見つけます。昨日会ったテリーの家族もいます。テリーは孫を抱いています。美人だった彼女もすっかりおばあちゃんです。北欧系で背が高いのですが、少し縮んだような気もします。
2日前に会ったホストブラザーのダッグと奥さんのベティもフィンリー湖から来ています。この日しか来られないとフェースブックのやり取りで聞いていた Anita Belknap もだんなさんと来ています。名前の発音が特徴的で、正しいアメリカ英語の発音を知らないとわかりにくいのですが、”I need a ”と自分の名前“Anita”をもじったりしていました。友人が質問しているのを横から聞いていると、何と二人は結婚サイトで知り合った再婚同士のようです。クリスの両親、Mead夫妻に会いたいので電話した時に出たクリスの弟、Pete もやって来ています。
名前が印象に残っていた Melodie も来ています。突然見覚えのあるライザミネリのようなけばっこい女性が現れます。隣の友人に名前を聞くと思い出しました。一つ年下の学年のイタリア系 Kay Lachiusa です。その隣のでっかい女性も見覚えがあります。Betsy Cleveland です。アメリカの高校授業は日本の大学のように、色々な授業を自分で選べるし、学年も同学年だけでないので、高3(senior)だった私も年下の知り合いも多いのです。
5時過ぎになり、何度も会っているお気に入りの Mr. Odell の家に遊びに行きます。今回は短時間の訪問です。このオーデル先生だけは結婚してから、超肥満になった数少ない知り合いです。ハグすると肥満がよくわかります。奥さんは同じ学校の小学校の先生です。この奥さんと結婚して以来どんどん太りました。
少し遅くなったので、Jerry の奥さん、Pam へ電話しますが、出ないので留守電に7時過ぎに着くと伝言します。何度も行っている隣町、シャーマンに住んでいます。車で25分くらいかかります。到着すると、ジェリーは用事で外出中、パムだけがいました。パムは隣町、メイビル出身ですが、同じ年にノルウェーからのAFS留学生、Tine をホストしていたのと、当時からジェリーと付き合っていたので、私も40年前からの知り合いです。
パムから嬉しい知らせを受けました。私が連絡先を探していたティーナですが、何と1週間前に突然現れたそうです。彼女も同窓会にやって来たようです。留学時、毎月のように同じ地区のAFS留学生が集まっていたので仲良くなります。15人くらいいたのですが、ティーナはノルウェー人ですが明るかったのでよく覚えています。
ジェリーは9時頃まで帰宅しませんでした。帰って来るとテラスのバーベキューを準備し、チキン、アスパラガス、ヤム(いも)を焼いてくれます。お互いに歳をとりましたが、ジェリーは相変わらず筋肉マンです。冬シーズンのレスリングと春シーズンの陸上と放課後のクラブ活動が一緒でした。この家に来るのは6年ぶりくらいですが、いつの間にか、全てが可愛い孫のために準備されています。
【7月9日(月)】
ジェリーとパムには悪いけど、まだ会いたい人がいるので翌朝9時半には家を出ました。また、ウェストフィールドへ戻ります。Mr. Cluchey はずっと不在のようです。毎日取った体育授業の先生でした。本来は、月・水・金か火・木だけなのですが、私は授業がない日の自習をするくらいならと毎日、体育にしてもらったのです。ですから、同じ体育の時間ですが、私以外の生徒は月・水・金と火・木では違うのです。彼は陸上のコーチでもあります。そこで、Mr. Lynn の所へ行くことにします。同じくレスリングのコーチでした。今でもスリムな先生ですが、意外なことに上海でも仕事をしている息子は典型的な肥満でした。
電話で都合を聞いていたミード夫妻に会いたいので、正午までに Chautauqua Institute へ行きます。これはどう英語にしていいかいつも困ります。まず、最初の地名ですが、この辺にもいるインディアン(ネーティブ・アメリカン)語で、綴りとかなり乖離して「シータークヮ」のような発音をします。同じ名前の湖があります。グーグルの地図では、「シャトークア」と訳していました。私の記憶の発音とは少し違います。その一角にあるこの Institute には門があって、勝手には入場できない高級別荘地です。塀で囲まれています。特に、夏休みの5週間程度は毎晩のように、屋外で無料コンサートやオペラなどが楽しめます。だから、ここに住むには相当のお金を払わないといけないようで、結構全米的にも有名だそうです。
Institute は一般的には、会館や研究所を指すので、明らかに違います。辞書にもありません。つまり、何と訳していいのか困ります。施設と言うか、高級住宅地と言ってもいいかもしれません。入り口で入場料を12ドルも払い、車で中に入ります。留学時代、悪友と塀をよじ登ってただで中に入った思い出もあります。アメリカにしては狭い道路を通ってミード家を見つけます。昨日会ったピートとその家族がいます。お母さんのミード婦人もいます。しばらく喋ってから、Mr. Mead のパート仕事が終わるのを待ち、3人で近くのレストランへ行き一緒に昼食を食べながら会話します。私は結構好きな Reuben sandwich with Swiss cheese を頼みます。たぶん、これはドイツかスイスのサンドイッチです。
ミード婦人もきれいなお母さんでしたが、さすがにもう80歳に近いおばあちゃんです。ご主人も同じくずい分歳をとりました。自分が歳を取って寂しいのは、自分はともかく、お世話になった人たちがもっと歳をとって順番に亡くなっていくことです。ちなみに、私のホストペアレンツは二人ともとっくに亡くなっています。
ミード夫妻とお別れしてから、以前はなかった細長い Chautauqua 湖のど真ん中を横切る橋を渡り、Jamestown へ行きます。この辺りでは少し大きい町で、最初の家族とよくモールへ来ていました。目的地は以前来たのに遅くて閉まっていた Luci-Desi Museum です。残念ながら、もう若い人には知られていませんが、昔は日本でも放映され人気のあった「ルーシー・ショー」で有名な喜劇女優 Lucille Ball が生まれ育ったのがこの町です。もちろん、白黒テレビの時代です。私が留学中はもちろんまだ生きていて、時々ジェームズタウンに寄付をしたという記事が出たりしていました。15ドル払って入場し、懐かしいTV放送や彼女の歴史を振り返ります。自分のみやげとして、パネルを買いました。Vintage(ワインの高級、年代物の意味)Lucy, The Grapes of Laugh (明らかに有名な小説The Grapes of Wrath(怒りの葡萄)をもじっている) などと書いたものです。ぶどう畑にいるルーシーの絵もあります。ぶどう畑で有名なこの地方ならではとわかるので気に入りました。
まだ4時過ぎで、後は翌日のフライトに備えてバッファローの空港近くのホテルへ泊まるだけです。時間はたっぷりあるので、少し遠回りになりますが、もう一度ウェストフィールドへ戻ります。途中で、ジェームズタウン・モールを通りましたが、いつの間にか潰れているようです。何か寂しく感じます。もちろん、急ぐ時だけの I-90 (高速道)は使いません。アメリカにしては珍しくニューヨーク州は有料です。でも、バッファローまで約1時間で数ドル程度と安いのですが。やはり、一番好きな US20 でのんびりと北東へ向かいます。途中の町は名前もよく知っているところばかりです。途中で、US5 へ移動し、エリー湖沿い、水際の景色を楽しみながらゆっくり運転します。40年前と違い、どこの湖岸も泳いでいる人々が見えます。海と同じ巨大な五大湖です。
途中、ウェストフィールドで少しだけガソリンを給油しました。今回のレンタルは珍しく満タン返しではありません。でも、残りを計算すると少しだけ足りなくて、空っぽになりそうなので4ガロンだけ 14.56ドルで補給しました(3.6ドル/ガロン)。76円/Lにもなります。最初に給油したクリーブランドより高いです。日本と同じで田舎だからかもしれません。
空港近くの Days Hotel には午後7時半過ぎに到着しました。予約はしていませんが、昨日ヤング先生からしょっちゅう仕事で空港を利用するが、このホテルが一番近くて送り迎えがあって便利と推薦されたからです。普段ならウェストフィールドから1時間半程度で着くバッファロー空港ですが、今回は3時間以上もかけてゆっくりやって来ました。それなりの夕食を食べに行ってからレンタカーを返しにエービスへ行きます。今回はシンシナティからバッファローまでの乗り捨て料金100ドルがかかっています。以前は、乗り捨て料金がかからないことも多かった気がするのですが。今回は1週間で約千km走行です。全部で7万5千円でした。ホテルからの迎えの車を待ちます。戻ったのは9時頃ですが、ヨーロッパほどではないものの夏時間もあり、まだ明るいのです。
【7月10日(火)】
ホテルの送迎バスで早朝のバッファロー〜シカゴ便に乗ります。ユナイティド航空です。国内便ですが、何故かかなり多くのアジア人、それも中国人と思われる乗客が多いので異様な感じでした。バッファローもシカゴも特別に中国人が多い町ではないはずですが。偶然でしょうか?
朝からビックリしたのは、そのうちの一人、明らかに中国人がカップヌードルにお湯を入れ、そのまま手で運び機内に乗り込むのです。朝食なのでしょう。ちょうど近くの席でしたが、何故か3人掛けの真ん中にその中国人が座り、両端に黒人のカップルでした。露骨に黒人二人は嫌そうな顔をしています。堂々とカップヌードルを食べ終えた中国人ですが、やはり少し汁をこぼしたらしく、CAが事務的にふき取っていました。何事もなかったかのような中国人の顔と迷惑そうな黒人二人の顔が対照的でした。やはり、中国人にはマナーなんかはないのでしょう。
シカゴで成田便(日航)に乗り換えると、期待通り帰りの便もアップグレードでビジネスクラスです。広々とした席といい、豪華な食事といい、おかげで快適そのものでした。到着前の軽食は洋食を頼みましたが、バジルソースのニョッキとマンハッタン・クラムチャウダーと世界の食通の私でも満足する味でした。次回のエコノミークラス(たぶん)が辛いかもしれません。しかも、安いのが取りえの中国南方、東方航空だったら最悪です。成田からは羽田まで今回は自分で移動して、そこから福岡へ帰ります。
【後日談】
今回の同窓会は3月頃から盛り上がっていました。幹事のテリーが facebook に community を立ち上げたからです。同窓会直前には facebook 上で相当盛り上がり、終わった後も写真を共有したりして、もちろん余韻が残っています。便利な時代になったものです。
今回の旅行は1週間足らずですが、Westfield へ里帰りし、旧友、旧知の人々に会ったので、ずっと聞き慣れた英語で喋りまくっていたし、帰国しても心はアメリカに残っていたようです。
帰国して3日後に天草の病院で当直中のことです。早朝4時頃、当直ナースに院内携帯電話で起こされます。
私は “Hello?”と答えたようです。ナースは当然のように、「患者の○○さんが△△ですが・・・」と言います。私は半分夢心地で、何でアメリカに旅行に来ているのに、病院のナースに仕事で呼ばれるのだとか何とか答えます。日本語で答えたようです。しばらく(5分間くらい?)そんな受け答えをしていたようですが、突然、暗い天井を見て、ここは日本だ、そうだ病院の当直中だとようやく気がつきました。
もちろん、こんな経験は初めてです。そのことを facebook の同窓会のコミュニティに報告したら、反応がありました。やはりアメリカ人の友達のコメントはしゃれっ気があります。
“Yasuki, it was fantastic to see you and thank you for coming across the Pacific and the US to get here! You were stuck in a Westfield state of mind that will draw you back in 5 years!”
もう一人からは、
“Westfield has the effect on people Suki... like the Hotel California...you can check out, but you can never leave!”
ちなみに、Suki は私のニックネームです。「好き」ではなく、「ス〜キ」のような発音ですが。有名なイーグルスの「ホテルカリフォルニア」
の歌詞をもじっています。歌詞の最後、”You can check out anytime you like… but you can never leave.” からの引用のようです。
空飛ぶドクター(登録商標)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- その他
-
JALビジネスクラス食事
-
ゆったりした室内
-
シカゴ・オヘア空港
-
ケンタッキー州側からのシンシナティ・ダウンタウン
-
シンシナティ・リバーフロント
-
普段着のDr. Kessler
-
コインでできた豚の銅像
-
シンシナティ・ダウンタウンで
-
シンシナティ・ダウンタウンの噴水
-
街で見かけた黒人の子ども
-
ペット墓地、ハミルトン(シンシナティ郊外)
-
以前住んでいたアパート
"Williamsburg of Cincinnati" -
親戚集合
-
自分も親戚と
-
フィンリー湖の別荘前で
-
アトランタからのダッグ一家
-
でっかいアメリカのハム
-
Wendy夫妻と
-
おばさんの手作りパイ
-
おばさんの家
-
Gordie とおばさん
-
農場
-
ホストファミリーのお墓にて
-
おばさん(ポスト家)のお墓
-
North Ease(田舎町)の教会
-
いよいよNY州へ
-
Greasy Jack's
-
五大湖、エリー湖
-
私のホームステイ先の家(今はホテル)
-
ホームステイの家、居間
-
私の通った学校 (WACS)
-
学校のグランド
-
ブドウ畑(コンコルド種)
-
同窓会、前夜祭
-
国籍、アメリカ人、ブラジル人、アルゼンチン人
どこの国の同窓会? -
すでに亡くなった同級生
-
Connie と Steve
(Dick の家で) -
二次会 ディック夫妻
-
スティーブの家からのぶどう畑景色
-
ロス家のブドウ農場
-
ブドウ収穫に使うトラクター
-
ジェンセン家の人々
-
コスタリカ人の奥さんはどっち?
-
いよいよ同窓会会場
(個人の家です!) -
テントを張って、屋外で
(同窓会) -
同窓会
-
Mitch(40年前の写真と)
-
あれから40年!
-
豪快にステーキを焼く
-
おいしかった料理
-
同窓会(和気あいあいと)
-
スリムなローズマリーと
-
同窓会
-
ヤング夫妻
-
Mr. & Mrs. Ponka と
-
Westfield のダウンタウン
-
ウェストフィールドの教会
(プレズビテリアンー長老派) -
Ox-Roast 会場
(エリー湖岸) -
オックス・ロースト
(ローストビーフ・サンドイッチ) -
立派なおばあちゃん、テリー
-
Anita と
-
Mr. & Mrs. Odell
-
親友のジェリー夫妻と
-
リン・コーチの家族
-
Pete Mead 一家
(Chautauqua Institute にて) -
お世話になったミード夫妻と
-
ルーシー記念館
(ジェームズタウン) -
ルーシーの写真
-
買ったパネル
Vintage Lucy, The Grapes of Laugh -
ブラッドのカメラで撮った
同窓会全員集合写真
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