1979/01/23 - 1979/01/31
1320位(同エリア1731件中)
ルート3さん
成田空港が開港した翌年の遠い、遠い昔の話し。
阪急交通社から「火の鳥キャンペーン」の優待旅行に当選なる封書が舞い込んだ。そのような懸賞に応募した記憶が無く、家内も心当たりが無いと言う。
開封してブロッシャーを見ると、「火の鳥」にちなんでギリシャ・イタリア9日間が298,000円のところ198,000円の優待価格で参加できるとある。今では、当たり前の価格であるが、成田が開港したばかりで、ようやく海外旅行が一般的になろうかという1ドル230円(確か?)の時代である。
これは千載一遇のチャンス。タイミングよく東京から大阪に転勤の内示があり、転勤休暇にかこつけた休暇が取り易い旅行日程とも相まって俄然参加する気満々となる。
2名まで優待なので家内を誘ってみるが、家計が苦しいとの理由で一人で行ってこいとのお達し。 、費用はでローンを組み、出きるだけ小遣いを持っていくプランで、ルンルン気分でオプショナルツアーの選択、旅行用品等の準備に入る。今では考えられない旅行説明会に召集され、一通りの説明を受け、いやがおうにも海外旅行のワクワク感が高まる。
そして出発。会社の先輩に空港まで送って貰う。
集合場所に行くと30人ほど集まっている。ほとんどが、私と同年輩の若い男女だ。だが、中には親子での参加者もいる。ここで、添乗員から、「本日搭乗する予定のKLM便が遅れ、我々はマニラから同便に乗り込みます」、と。従って国際線初フライトは小さなフィリピン航空便。当時はソ連の上を飛ぶ事が許されず、ヨーロッパに行くには我々のように南回りか、アラスカ経由の北回りだった。
マニラに到着。飛行機は建物横付けではなく、タラップから地上に下りる。もっとも、テレビなどでこのシーンがよく映し出されていたので、これが当たり前と思っていた。機外にでると、そこは熱帯。36度。自宅を出る時は、マイナス3度だったので、その差は39度。勿論ヨーロッパに行くので厚着で、ターミナルビルに着くまで汗みどろ。
ターミナルの建物に行き、トイレを拝借する。用を足し水道の栓をひねろうとすると、横から7、8歳の男の子が飛び出し栓をひねってくれる。「おお、海外は何とサービスが良いのだ」、と感心していたら、男の子が掌を上に向けオネダリポーズ。何の事はない、チップ狙いの小僧だった。現地のコインは持ち合わせていないので、10円玉を掌に載せてやると、次の鴨に向かって一目散に駆け出していった。
これによく似た事を近年バンコクの大店で数回経験した。トイレに行き朝顔に向かって用をたしていると男が音もなく背後に忍び寄り、やにわに首筋をマッサージしてくるのだ。こちらは無防備状態なのであがなう術はなくなされるまま。ほんの数10秒の用足しの時間だけ首を揉み続け、そして、手を洗っていると、おひねりを要求してくるのだ。、私は20バーツ程度しか渡さないが、気前の良い人や気の弱い人ならば、もっとはずむのだろう。面白い商売もあったものだ。最近では、トイレにそれらしき男がいない事を確認してから用を足している。しかし、彼等はプロ、マッサージの技術に長けており、相当に気持ちが良いことは事実だ。
マニラからKLMオランダ航空のボーイング747に乗り換えアテネに向かう。初ジャンボだが、マニラまでの小さい飛行機に比べ揺れも少なく快適、快適。最初の寄港地バンコクまでの間に食事だ。フィリピン航空でも出されたので、本日2度目だ。食事はこの後、到着までにあと2度出されたが、海外旅行に行き始めた当初は、この機内食がとてつもなく楽しみだった。今はあまり興味もなく、パスすることもある。
バンコクで1時間給油待ちをし、ドバイに向かう。
バンコクで再搭乗すると、後方座席に一塊となってみすぼらしい一団が。後日、帰国後新聞で大きく報道されていたが、カンボジアの難民移動だった。その飛行機に乗り合わせるとは奇遇だ。
ドバイに到着。今は大金持ちの国だが、当時は飛行機からトロッコの様な貨物車に乗せられターミナルビルまで移動。ビルの中には機関銃を持った軍人が警戒に余念がないという怖い状況。
KLM南回り便でマニラ、バンコク、ドバイを経由し、成田を発って23時間後にようやくアテネに到着した。考古学博物館、パルテノン神殿など市内観光後ホテルにチェックインした時は既に夕刻になっており、各人小休憩後タベルナに夕食に出かける予定を添乗員から告げられる。部屋に入り、やることは一つ。長旅の疲れで睡魔に襲われたのだ。時計を見ると集合時間まで小1時間あり、そのまま寝入ってしまう。
良い気持ちで寝入っていると、扉をドンドン叩く不埒なヤツがいる。何だか夢の中で電話の呼び出し音も聞いた気がする。ウルサイな。何の用だ?ムニャムニャとヨダレを垂らしていると、同室者が、「大変、大変。集合時間を過ぎている!」と肩をゆすり、ようやく覚醒する。同室者も寝入っていたようだ。
呼びにきた添乗員を待たせ大急ぎで身支度を整えみんなのもとに駆けつける。バスの中で我々2人を待っていたツアー仲間は、白く冷たい視線を投げかけてくる。小さくなってバスに乗り込んだのは、決められた集合時間から1時間後であった。それでも、タベルナではダンサーと一緒になって踊ったりして旅の第一夜を満喫した。
翌日のエーゲ海クルーズはイドラ島ポロス島とエギナ島を終日かけて回る。食事は、どこかの島のレストランでの昼食。その時供されたサラダは、でっかいボウルのような容器にドサッと放りこまれた何の味付けもないもので、野菜の青臭さに一口食べてギブアップ。また、ある島では猫がヤケに一杯いた記憶がある。 夕食を済ませ、ホテルに戻り、同室者と「今日は昨日のような失敗はなかったね」と祝杯を上げているシリから、また失敗を起こしてしまった。バスタブに湯を溜めてている時、またウトウト。ふと目を覚まし、さあ、汗を流そうバスに向かおうとすると、何故かカーペットが濡れている。「あれ、さっき飲んだエビアンが零れたのかな?」。バスルームを覗いてみると、バスタブの湯がオーバーフローしている。普通オーバーフローしても、洪水にはならないだろうと部屋との仕切りを見ると、カーペット面よりバスルーム面の方が高い位置にあり、しかも水を遮断すべき堤防の高さは2cm程度。これじゃ、堤防が決壊し洪水発生は必至である。しかし、実際洪水になってしまったので、後始末に乗り出す事が先決とばかし、2人でバスタオルを使って2時間の大格闘。ようやく水は引いたが、果たして朝までにカーペットは乾くのかが気になり一睡もできず(ウソ)。
結局チェックアウト時までは乾かず、濡れたままで知らん顔の半兵衛を決めこみ部屋をあとにしたが、特段ホテル、旅行会社からお咎めはなかった。
アテネ空港からオリンピア航空機でローマに移動。
ローマでのフリータイム時、旅も終盤に差し掛かりツアー仲間ともすっかり打ち解け、何人かと買い物に市街に繰り出した。途中ひょんな拍子から、在ローマ駐在員の奥様と知り合い全員で食事をともにした。その後、みんなのリクエストから革問屋に案内して貰う話になりバスで問屋に向かうことになる。最初はガラガラの車内であったが次第に混み始め、私1人がみんなと離れた後方に押しやられる。「ここで降りますよ〜!」という奥様の声に「ごめんやっしゃ、降りるでぇ!」と人を掻き分け出口を目指すが、当然日本語が理解して貰えるわけがなく、出口までたどりつけない。私一人を残したままバスは発車してしまい、窓の外を見ると同行者全員が私の姿を求めてキョロキョロしている。それでも、バスからの街の風景を頭に焼付けながら、必死に出口を目指し、ようやくの思いで次の停留所で降りる態勢が整った。ところが、バス代の払い方、料金が解らなく、えーい、ままよと多目の札を運転手に渡す。運転手は笑いながら首を振り、行けというジェスチャーをしてくれる。これ以降も、言葉の通じない国でバスに乗ると同じような対応をされる。韓国、香港、英国などである。払う姿勢を見せれば、ヤリトリの出来ない外国人は運賃を免除する協定が各国のバス会社の間で結ばれているかも知れない?。バスを降りてからが大変であった。多分前の停留所で待っていてくれるだろうとの希望的観測で、バスが走ってきた道をかけ足で戻ること15分。真冬なのに汗をダラダラ(冷や汗含む)流し停留所に着くと全員不安そうな面持ちでヘタリこんでいる。皆さんごめんなさい。
当時はまだ舶来品死語崇拝傾向が残っていた。連れていかれた問屋で、12万円をはたいて裏に毛皮をあしらった革製のロングコートを購入。本当か嘘か、日本で買うと80万円はするという奥さんの甘言にのせられて。今考えると、コミッションが入っていたのかな?
「海外で一番気を付けるのは同胞の日本人!」、は常識なので。ただ、その前に立ち寄った日本料理店で食べた寿司を精算する折り、奥さんが、「ここは私が払います、表に出てから皆さんの分は徴収します」、なる一幕があった。メニューに記された価格は、日本円換算で一人前5,000円弱(高〜)。それが、表で徴収されたのは1,000円強。「あれは、観光客向けの価格なの」、に納得すると共に良い人と知り合ったと喜んでいた。その購入した革製のコートは完全な欧米人仕様で丈は合っているが、サイドポケットの底には指先が届かないちぐはぐさ。従って殆んど着用することなく廃棄処分の憂き目に。ああ、もったいない。
さて、当時から欧米ではポルノ雑誌は堂々と街中のスタンドで売られている。それを数冊買い求める。 初渡航でも持ち込みはヤバイという事くらいの知識はあり、持っていったスーツの裏側にガムテープで固定したり、下着の中に隠したりして工夫をこらした。さらに、ツアー仲間何人かに分散して持ち込みを依頼して成田で入国を試みる。が、挙動が不審だったのだろうバックを開けられ、エロ本を発見されてしまう。それも、ガムテープで固定など悪質とのレッテルを貼られ別室送り。別室で始末書等を書いていると、持込を依頼した何人かの女性もやってくる。芋づる式に一網打尽だ。
やっと税関から開放されて出口に到着するとツアー仲間が全員待っていてくれた。しかも、エロ本持込を依頼した1人がセーフだったらしく「ありがとう」と礼を言い受け取ろうとすると、「これは私が貰ったもの。だから私のもの!」と主張しそのまま持って帰ってしまった。自分以外は摘発され任意放棄したので、よほど貴重なものと考えたのであろう。それにしても、女の子がだれの土産にするのだろう?
さて、ローマからナポリ、フィレンツェなどのオプショナルツアーにも参加。太陽道路をバスで疾走し立ち寄ったイタリアのサービスエリアに興味津々。ナポリのビル間の洗濯物風景、ベスビオ火山噴火で埋もれたポンペイの遺跡、ミケランジェロ広場からのフィレンツェの風景、ウィフィツィ美術館、花の聖母教会、アシジの教会、もろもろ。そう。そう、ローマも街全体が美術館に見えるほどの素晴らしさに圧倒されるやら感激するやら。
後年、トレビの泉にコインを寄付した効果か、家内を連れてローマ、フィレンツェを訪れた。今度はバス、地下鉄を使って街歩きをしたが、やはり一度訪れた場所は何となく分かる。ローマはあまり雰囲気は変わっていないので分かり易い。フィレンツェには、イタリア新幹線をテルミニ駅で手配して訪問。日本ではグリーン車なんか乗れる身分ではないので、この時とばかり一等車。
フィレンツェも、そんなに変わっていない印象だった。やはり歴史のある街だ。
楽しい旅を終え、オプショナルツアーでパリに向かう半数と別れ帰国の徒に。帰りは北回りだ。ローマからアリタリア航空でアムステルダム・スキポール空港へ。機内からはスイスアルプスがくっきり見える。この時は、後年スイスにも行くとは、この時は思いもしなかった。
アムステルダムからはKLMオランダ航空機で、アラスカ・アンカレジ経由で帰国。アラスカ近辺では、今度は流氷が拝め感激。
さて、当時は、太平洋上の日付変更線を通過した証明書を乗客にもれなくプレゼントしてくれた。アメリカ往復を近年数回しているが、こんな物はくれなかったな。今は廃止されているのか、はたまたKLM独自のサービスだったのかは不明。まあ、今時こんな物を貰ってもありがたがる人はいないか。
それにしても、行きは南回りで行ったせいか、北回りはとてつもなく速く感じた。
こうして初海外は終わったが、今でもヨロッパへの憧れは強い。日常の仏教文化とは異なるキリスト教文化、歴史が織り成す様々な文化に惹かれるのだろう。ただ、12時間の長旅はもうキツく、昨今は専ら東南アジア。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 観光バス タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- KLMオランダ航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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