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以下の予定でフィリピンを訪問してきた。<br />12/16  JAL741便でフィリピンへ<br />12/17  社会奉仕活動でアイタ族の集落を訪問<br />12/18  コレヒドール島訪問<br />12/19  JAL742便で帰国<br />今回の訪問で、印象に残ったポイントを以下に記す。<br /><br />12/16のJAL741便はクリスマス前のフィリピン人の帰国ラッシュとぶつかり満席、空席ゼロ状態、1週間以上前に購入手続きをしたが、残席数は2席のみだった。やっと購入できたが、マイレージ割り当て席も無く、割安航空券も無い状態、席が取れただけ良しとすべきか・・・。<br /><br />当日チェックイン時、なんとビジネスクラスへアップとのこと、ビジネスクラスの空席にアップしてもらえた。席は広く、ゆとり十分、美味しいワインが飲め、食事は豪華で十分満足した空の旅だった。<br /><br />12/17(土) 社会奉仕活動でルソン島北部のアイタ族集落の訪問<br /><br />12/17(土)の社会奉仕活動だが、なんと朝の3時に会社前に集合、バスに荷物の積み込みをして5時前には<br />出発、多くの現地I社員は前日夜から会社に泊まり込み、仕分け&梱包作業を行って対応していた。<br />睡眠時間は無かったのは?と思える。<br /><br />そしてみんなは一路バスで現地へ、我々は別の車で・・、マニラからは高速道路で1時間ほど北に上り、クラーク<br />着、今度はクラークよりスーベックに向って西に1時間以上走る。<br /><br />クラークもスーベックも共にアメリカ軍の大きな基地があったところ、1991年のピナツボ山の大噴火で両基地か<br />らは完全に撤退、しかし、空港、浮きドックやクレーン等、基地のあった面影はいまでも残っていた。<br /><br />更にスーベックから海岸線を北に2時間ほど走ると、Zambales州のBotolamに着く、此処から山岳地帯に入り込み、30分ほどで麓の大きな教会に到着、ここで休日ミサに一緒に参加、一緒に讃美歌を歌ったり、牧師さんの話を聞いたりして昼まで2時間ほど過ごした。<br /><br />日本語の上手な牧師さんで、講話にも日本語を交えて話していた。<br /><br />後で聞くと、若い時代には日本の大学(愛媛大学)に留学していたとのこと、教会で使用しているPCやプロジェク<br />ターがすべて日本製だったことも納得できた。<br /><br />その後、荷物はトラックに積み替え、我々は山道を徒歩で30分ほど上ると、この地元の教会から紹介された、<br />Aetas Community Damayan Eco−Village beneficiariesに到着、山裾の傾斜地に作られた小さな集落であり、51世帯が住んでいるとのこと、住居は小さな藁と竹だけで作られた粗末な掘立小屋状態、電気も、水道も来ていない。<br /><br />その集落のあった場所はピナツボ山の北西にあり、南シナ海の海岸から30分ほど山岳地帯に入ったところ、<br />Botolanという町の山側、ちょうど海岸から山岳地帯に入り込んでいく所のすぐ手前には、大きな川(Bucao river)があり、火山灰で埋め尽くされた川底が延々と見えた。自然の驚異とその規模の巨大さに驚くばかりだ。<br /><br />荷物を積んだトラックは部落の手前までしか入れず、トラックから部落まで荷物を運ぶことが最初の仕事、そし<br />て、傾斜面に作られた手製の集会所、と言っても竹の柱を立て、屋根代わりのビニールシートで覆った簡単なも<br />の、そして同じように竹で作った椅子が周りにあった。<br /><br />この集会所にみんなが集まり、まずは一緒に昼食、Jyolibee(フィリピンのTakeOutレストラン)の弁当(スパゲッティ、鳥の空揚げ、ご飯のセット)をみんなに配り、車座になって食べることに・・・。<br /><br />弁当を配りだしたら、子供や大人がいっきに集まり、コントロール不能状態になりそうになったが、酋長の一声(意<br />味不明)で整然と列を作り、さすが長の権威だと感心してしまった。<br /><br />その後、食後にアイタ族の皆さんからのお礼を受けた。<br /><br />はじめにサルの真似をしたしぐさ、大人と子供で見事にやってくれた。<br />その後、ギターの伴奏で夫婦の踊りや子供の踊り、そして最後は、6人で竹を持ち互いに竹を打ち合う踊り、と心<br />のこもったお返しを受けた。<br /><br />シンプルだが心のこもったもてなしを受け、お互いに感謝しあう、心のふれあいを非常に感じた。<br /><br />そして、Yさんと私とで、全員に一つずつリンゴと蜜柑を配り、更に51世帯すべてに、米、塩、ビスケット、おもちゃ、鉛筆、のセットを贈呈、更に集落にはまとめてスコップ、つるはしを贈った。<br /><br />酋長を始め、みんなが大喜びで本当のクリスマスプレゼントになったと思う。<br /><br />その後、教会経由で50,000ペソを寄付し解散、集落の子供達が帰り道を、ずっと一緒に見送りに着いてきて、<br />なかなか離れず心惹かれる思いで帰途についた。<br /><br />教会のシスターの方2人がずっと付き添ってくれて、我々の面倒を見てくれた。<br />その方々にお礼として使っていたHandy Speakerを寄付、大喜びされ、非常に感謝された。<br />(教会には、他に米200kgを寄付したとのこと、を後から聞いた)<br /><br />アイタ族(アエタ族)のこと<br /><br />今回、訪問したアイタ族は、ルソン島北部の山岳地帯に生活している原住民の一つであり、ピナツボ火山の大噴<br />火で山を追われ麓に散りじりになった民族、そして免疫抵抗が弱く、麓での生活で子供を中心に多数の命が失わ<br />れた気の毒な民族とのこと、現在はピナツボ火山の麓に散りじりなってに生活しているとのこと、今回訪問した集<br />落はその一つとのことだった。<br /><br />訪問して最初に感じたことだが、子供の数が非常に多いこと、湧くように出てくる。乳児を除いても300人以上は<br />居たのでは?・・・・と思う。<br /><br />そして、反対に高齢者の数は数名程度、短命の状況がこのことからも判る。<br /><br />多分、多数の子供達の内、成人になるまで生き延びれる子供は少ないのでは?とも感じた。<br /><br />栄養失調の兆候である、痩せているがお腹だけがとび出している子供を何人も見かけた。<br /><br />集落には、一族の長(酋長)がおり、指導力があり、住民全体をきちっとコントロールしていた。<br /><br />そして、家々の周りには小さな畑があり、ちょうどサトイモの葉が出ていた。他にもいくつかの種類の葉が出てい<br />たが、見たこともない野菜のようだ。<br /><br />多分、自給自足の生活が中心で、現金収入などほとんど無いのでは・・と想像できる。<br />ごく一部の家族では、マニラまで出稼ぎに行っている兄弟がいるという話があった程度だった。<br /><br />今回の集まりでは、現地社員が各家族毎に割り当てられ、家族の面倒を見ていた。重いものを家まで運んだり、<br />子供と一緒に遊んだり、年寄りの話を聞いてあげたり、・・・一人一人が心のこもった対応をしていた。<br /><br />そして、その時の現地I社員達の生き生きとした豊かな表情(会社では見ることの出来ない)をしており、社会奉仕<br />活動に参画して、もう一回り人間的にも成長している現地社員がそこに居たと思う。<br /><br />この社会奉仕活動が、一企業の活動としては、利潤追求だけを求めるのではなく、もっと広く、人間の豊かさを追<br />求する試みであり、組織の中で、全員の人間教育に非常に大きな影響を与えていることが良く判る。<br /><br />今回、このような催しに、私自身が参画し、体験出来たことに心から感謝したい。<br /><br />社会奉仕活動は素晴らしい活動だと、心から賛同する。そして、私も、微力ではあるが、今後とも参画させてもら<br />い、自分自身が少しでも一緒に成長できれば?・・と心から思っている。<br /><br />そして、いつも感じることだが、子供たちの目の力強い視線、そしていつまでも視線を逸らさずじっと見つめるひ<br />たむきな姿に驚く、日本の子供達からはこの姿は感じられない。<br /><br />そして、兄弟で助け合い一生懸命に家族の手伝いをする姿、真の家族の絆が存在していることをが良く判る。<br /><br />現地の社員の中でもよく聞く話だが、家族の為、一族親戚の為、必死に働き、仕送りしている話がよくある。<br />妹、弟の学費や両親の生活費を送る為、結婚を我慢している社員も多いと聞く。家族の絆の強さを感じる。<br /><br />日本では弱まった絆、いや、無くなった家族の絆では?・・・と思うが・・・。考えすぎか????<br /><br />数人の年輩のおじいさん、おばあさんがおり、赤ん坊の面倒を見ている姿からも昔の日本にはあったが・・・と懐<br />かしく感じられたが、核家族社会になった今の日本では失われた風景か?・・・・とも感じられた。<br /><br />コレヒドール島 訪問<br /><br />12/18(日)はマニラ湾沖にある、船で一時間ほどの距離のコレヒドール島を見学した。<br /><br />今回、日本人は我々三人だけだった為、日本人向けの専用ガイドはつかず、英語での説明グループに一緒に混<br />ざって回った。(コレヒドール島訪問は二回目で、前回訪問時は日本人向け専用ガイドの説明で回った)<br /><br />まず、最初にすぐに感じたことだが、前回の時と雰囲気が全然ちがうことで、団体内では刺すような視線を時々感<br />じること、そして、前回と同じ場所の説明でも、ガイドの説明内容が全然ちがうこと、また、訪れる場所や時間が微<br />妙に違うこと、等・・・幾つかの違いを感じた。<br /><br />例えば、ジャングルの中にある日本軍のトーチカには今回は寄りもしなかった。そこでは多数の日本軍人が自決<br />した所であり、前回はそこで慰霊の蝋燭と線香をあげ祈りをしたが・・・。<br /><br />インターネットで調べたところ、英語のガイドと日本語のガイドでは説明内容が全然違っているとの情報あり、やはり・・と思った。<br /><br />フィリピン人が本当に思っていること、感じていること、真の感情がそこにはあり、営業的な説明をする日本人向<br />けガイドからは受けることが出来ない本当の思いが伝わってくる。<br />(日本人としては非常につらく残念なことだが・・・(受け入れるしかない))<br /><br />始めは立ち止まって説明を聞く時は、集団の中で一緒に聞いていたが、だんだん時が経ると、居たたまれない気<br />持ちと、刺すような視線を感じ、集団の後ろでそっと聞くようになってしまったことが、自分の心の変化を表してい<br />ると思う。<br /><br />ガイド役はスペイン系フィリピン人の昔美人だっただろうと思われる中年の元気のよい良くしゃべる女性、英語で<br />常に何かをしゃべっている状態、時々冗談を言っているような雰囲気あり(英語の為、半分以上は理解不能だった<br />が・・・)<br /><br />そして、日本人と日本のことが、説明の中で度々出てきていることは良く判る。しかも、良くない話として・・・。<br /><br />日本軍の占領、バターン半島での死の行進、そしてマニラ占領、フィリピン人のゲリラ活動、占領下のフィリピン人<br />大統領のこと(2代あり)、そして米軍の反攻と上陸、日本人の連合軍への協力者の話、そして日本人の残虐な行<br />為と集団自決、・・・・と歴史の流れの中で、コレヒドール島での出来事を各場所で具体的に説明していた。<br /><br />今回の説明を受けたグループは一台のバスで30名程度の集団、日本人は我々3名のみ、他にタイ人が2人、オ<br />ーストラリア人が数名、アメリカ人が数名、他はフィリピン人だったと思う。そして、我々日本人には、日本人向け<br />のガイド見習いで4回目というフィリピン人中年女性がアテンドしてくれた。<br /><br />しかし、日本語が通じる程度で歴史やコレヒドール島のことはまだ勉強中とのこと、あまりガイドとしては役に立た<br />なかったが・・・。<br /><br />ガイド見習いとのことで、当然だが、賃金はなし、ただ船の料金と昼食のバイキング代は無料とのこと、家はケソ<br />ンにあり、ケソンから港までの交通費は自腹とのことだった。また、日本には15年間いたとのこと、多分フィリピ<br />ンパブで働いていたのでは?・・・・と思える。当然、15年は不法滞在だったはず・・・。<br /><br />日本滞在で覚えた日本語を活かし、日本人向けのガイドで生計を立てようとしているようだが、適性があるか?<br />は疑問。<br /><br />子供が3人もおり、しかも孫もいるとのこと、気の毒になり、100ペソのチップを渡しておいた。自腹の交通費以上はあるはず・・。<br /><br />第二次世界大戦における、フィリピンでの戦没者は日本人は軍人と軍属を合わせて50万人、フィリピン人は100<br />万とも300万とも言われており非常に悲惨な状況、そして、その象徴的な史跡としてコレヒドール島が残っている<br />ように感じる。<br /><br />日本人は今回のように、あらゆる国の人々と一緒にコレヒドール島を訪れ、歴史の事実を見つめ、一緒に説明を<br />真摯に聞き、歴史に素直に向き合うこと、そして歴史の事実を正面から受け止めること、このことが唯一の悲惨な<br />歴史を生かすことにつながると心から信じる。つらい時間だったが、やはり越えなくてはダメな場だとも思った。<br /><br />昔、ドイツのコール首相が、戦後初めてポーランドを訪問した時、空港でタラップをおりた時、地上に跪き、手をつ<br />いて戦時の残虐な行為をしたことに対して、ドイツ人すべてを代表して、ポーランド国民に許しを乞うている姿をテ<br />レビで見た記憶がある。<br /><br />なぜかそのことを思い出してしまった。日本人はフィリピン人に対して同じように許しを請う場があっただろうか?<br />けじめを着けず曖昧にしたまま、今まで来てしまったのでは?・・きちっと反省することが無かったのでは?・・と<br />も感じてしまった。<br /><br />ODAなる名のもと、金ですべてを解決したと思って居るのでは?とも感じた。<br /><br />今回のフィリピン訪問では、アイタ族の厳しい環境の中での心豊かな生活、現地I社員の社会奉仕活動に打ち込<br />む姿、コレヒドール島での歴史と向き合った時間、共に普段忘れている何かを感じさせてもらった貴重な時間だっ<br />たと思う。<br /><br />そして、ボランティア活動の真の意味は?との問いに、<br />   共に心をふれあうこと、共感、相手の立場/境遇に思い致すこと(身をおくこと)、・・・<br />答えはまだ見つかっていない。<br />

フィリピン社会奉仕活動&コレヒドール島訪問

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2011/12/16 - 2011/12/19

1293位(同エリア1975件中)

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sakataさん

以下の予定でフィリピンを訪問してきた。
12/16  JAL741便でフィリピンへ
12/17  社会奉仕活動でアイタ族の集落を訪問
12/18  コレヒドール島訪問
12/19  JAL742便で帰国
今回の訪問で、印象に残ったポイントを以下に記す。

12/16のJAL741便はクリスマス前のフィリピン人の帰国ラッシュとぶつかり満席、空席ゼロ状態、1週間以上前に購入手続きをしたが、残席数は2席のみだった。やっと購入できたが、マイレージ割り当て席も無く、割安航空券も無い状態、席が取れただけ良しとすべきか・・・。

当日チェックイン時、なんとビジネスクラスへアップとのこと、ビジネスクラスの空席にアップしてもらえた。席は広く、ゆとり十分、美味しいワインが飲め、食事は豪華で十分満足した空の旅だった。

12/17(土) 社会奉仕活動でルソン島北部のアイタ族集落の訪問

12/17(土)の社会奉仕活動だが、なんと朝の3時に会社前に集合、バスに荷物の積み込みをして5時前には
出発、多くの現地I社員は前日夜から会社に泊まり込み、仕分け&梱包作業を行って対応していた。
睡眠時間は無かったのは?と思える。

そしてみんなは一路バスで現地へ、我々は別の車で・・、マニラからは高速道路で1時間ほど北に上り、クラーク
着、今度はクラークよりスーベックに向って西に1時間以上走る。

クラークもスーベックも共にアメリカ軍の大きな基地があったところ、1991年のピナツボ山の大噴火で両基地か
らは完全に撤退、しかし、空港、浮きドックやクレーン等、基地のあった面影はいまでも残っていた。

更にスーベックから海岸線を北に2時間ほど走ると、Zambales州のBotolamに着く、此処から山岳地帯に入り込み、30分ほどで麓の大きな教会に到着、ここで休日ミサに一緒に参加、一緒に讃美歌を歌ったり、牧師さんの話を聞いたりして昼まで2時間ほど過ごした。

日本語の上手な牧師さんで、講話にも日本語を交えて話していた。

後で聞くと、若い時代には日本の大学(愛媛大学)に留学していたとのこと、教会で使用しているPCやプロジェク
ターがすべて日本製だったことも納得できた。

その後、荷物はトラックに積み替え、我々は山道を徒歩で30分ほど上ると、この地元の教会から紹介された、
Aetas Community Damayan Eco−Village beneficiariesに到着、山裾の傾斜地に作られた小さな集落であり、51世帯が住んでいるとのこと、住居は小さな藁と竹だけで作られた粗末な掘立小屋状態、電気も、水道も来ていない。

その集落のあった場所はピナツボ山の北西にあり、南シナ海の海岸から30分ほど山岳地帯に入ったところ、
Botolanという町の山側、ちょうど海岸から山岳地帯に入り込んでいく所のすぐ手前には、大きな川(Bucao river)があり、火山灰で埋め尽くされた川底が延々と見えた。自然の驚異とその規模の巨大さに驚くばかりだ。

荷物を積んだトラックは部落の手前までしか入れず、トラックから部落まで荷物を運ぶことが最初の仕事、そし
て、傾斜面に作られた手製の集会所、と言っても竹の柱を立て、屋根代わりのビニールシートで覆った簡単なも
の、そして同じように竹で作った椅子が周りにあった。

この集会所にみんなが集まり、まずは一緒に昼食、Jyolibee(フィリピンのTakeOutレストラン)の弁当(スパゲッティ、鳥の空揚げ、ご飯のセット)をみんなに配り、車座になって食べることに・・・。

弁当を配りだしたら、子供や大人がいっきに集まり、コントロール不能状態になりそうになったが、酋長の一声(意
味不明)で整然と列を作り、さすが長の権威だと感心してしまった。

その後、食後にアイタ族の皆さんからのお礼を受けた。

はじめにサルの真似をしたしぐさ、大人と子供で見事にやってくれた。
その後、ギターの伴奏で夫婦の踊りや子供の踊り、そして最後は、6人で竹を持ち互いに竹を打ち合う踊り、と心
のこもったお返しを受けた。

シンプルだが心のこもったもてなしを受け、お互いに感謝しあう、心のふれあいを非常に感じた。

そして、Yさんと私とで、全員に一つずつリンゴと蜜柑を配り、更に51世帯すべてに、米、塩、ビスケット、おもちゃ、鉛筆、のセットを贈呈、更に集落にはまとめてスコップ、つるはしを贈った。

酋長を始め、みんなが大喜びで本当のクリスマスプレゼントになったと思う。

その後、教会経由で50,000ペソを寄付し解散、集落の子供達が帰り道を、ずっと一緒に見送りに着いてきて、
なかなか離れず心惹かれる思いで帰途についた。

教会のシスターの方2人がずっと付き添ってくれて、我々の面倒を見てくれた。
その方々にお礼として使っていたHandy Speakerを寄付、大喜びされ、非常に感謝された。
(教会には、他に米200kgを寄付したとのこと、を後から聞いた)

アイタ族(アエタ族)のこと

今回、訪問したアイタ族は、ルソン島北部の山岳地帯に生活している原住民の一つであり、ピナツボ火山の大噴
火で山を追われ麓に散りじりになった民族、そして免疫抵抗が弱く、麓での生活で子供を中心に多数の命が失わ
れた気の毒な民族とのこと、現在はピナツボ火山の麓に散りじりなってに生活しているとのこと、今回訪問した集
落はその一つとのことだった。

訪問して最初に感じたことだが、子供の数が非常に多いこと、湧くように出てくる。乳児を除いても300人以上は
居たのでは?・・・・と思う。

そして、反対に高齢者の数は数名程度、短命の状況がこのことからも判る。

多分、多数の子供達の内、成人になるまで生き延びれる子供は少ないのでは?とも感じた。

栄養失調の兆候である、痩せているがお腹だけがとび出している子供を何人も見かけた。

集落には、一族の長(酋長)がおり、指導力があり、住民全体をきちっとコントロールしていた。

そして、家々の周りには小さな畑があり、ちょうどサトイモの葉が出ていた。他にもいくつかの種類の葉が出てい
たが、見たこともない野菜のようだ。

多分、自給自足の生活が中心で、現金収入などほとんど無いのでは・・と想像できる。
ごく一部の家族では、マニラまで出稼ぎに行っている兄弟がいるという話があった程度だった。

今回の集まりでは、現地社員が各家族毎に割り当てられ、家族の面倒を見ていた。重いものを家まで運んだり、
子供と一緒に遊んだり、年寄りの話を聞いてあげたり、・・・一人一人が心のこもった対応をしていた。

そして、その時の現地I社員達の生き生きとした豊かな表情(会社では見ることの出来ない)をしており、社会奉仕
活動に参画して、もう一回り人間的にも成長している現地社員がそこに居たと思う。

この社会奉仕活動が、一企業の活動としては、利潤追求だけを求めるのではなく、もっと広く、人間の豊かさを追
求する試みであり、組織の中で、全員の人間教育に非常に大きな影響を与えていることが良く判る。

今回、このような催しに、私自身が参画し、体験出来たことに心から感謝したい。

社会奉仕活動は素晴らしい活動だと、心から賛同する。そして、私も、微力ではあるが、今後とも参画させてもら
い、自分自身が少しでも一緒に成長できれば?・・と心から思っている。

そして、いつも感じることだが、子供たちの目の力強い視線、そしていつまでも視線を逸らさずじっと見つめるひ
たむきな姿に驚く、日本の子供達からはこの姿は感じられない。

そして、兄弟で助け合い一生懸命に家族の手伝いをする姿、真の家族の絆が存在していることをが良く判る。

現地の社員の中でもよく聞く話だが、家族の為、一族親戚の為、必死に働き、仕送りしている話がよくある。
妹、弟の学費や両親の生活費を送る為、結婚を我慢している社員も多いと聞く。家族の絆の強さを感じる。

日本では弱まった絆、いや、無くなった家族の絆では?・・・と思うが・・・。考えすぎか????

数人の年輩のおじいさん、おばあさんがおり、赤ん坊の面倒を見ている姿からも昔の日本にはあったが・・・と懐
かしく感じられたが、核家族社会になった今の日本では失われた風景か?・・・・とも感じられた。

コレヒドール島 訪問

12/18(日)はマニラ湾沖にある、船で一時間ほどの距離のコレヒドール島を見学した。

今回、日本人は我々三人だけだった為、日本人向けの専用ガイドはつかず、英語での説明グループに一緒に混
ざって回った。(コレヒドール島訪問は二回目で、前回訪問時は日本人向け専用ガイドの説明で回った)

まず、最初にすぐに感じたことだが、前回の時と雰囲気が全然ちがうことで、団体内では刺すような視線を時々感
じること、そして、前回と同じ場所の説明でも、ガイドの説明内容が全然ちがうこと、また、訪れる場所や時間が微
妙に違うこと、等・・・幾つかの違いを感じた。

例えば、ジャングルの中にある日本軍のトーチカには今回は寄りもしなかった。そこでは多数の日本軍人が自決
した所であり、前回はそこで慰霊の蝋燭と線香をあげ祈りをしたが・・・。

インターネットで調べたところ、英語のガイドと日本語のガイドでは説明内容が全然違っているとの情報あり、やはり・・と思った。

フィリピン人が本当に思っていること、感じていること、真の感情がそこにはあり、営業的な説明をする日本人向
けガイドからは受けることが出来ない本当の思いが伝わってくる。
(日本人としては非常につらく残念なことだが・・・(受け入れるしかない))

始めは立ち止まって説明を聞く時は、集団の中で一緒に聞いていたが、だんだん時が経ると、居たたまれない気
持ちと、刺すような視線を感じ、集団の後ろでそっと聞くようになってしまったことが、自分の心の変化を表してい
ると思う。

ガイド役はスペイン系フィリピン人の昔美人だっただろうと思われる中年の元気のよい良くしゃべる女性、英語で
常に何かをしゃべっている状態、時々冗談を言っているような雰囲気あり(英語の為、半分以上は理解不能だった
が・・・)

そして、日本人と日本のことが、説明の中で度々出てきていることは良く判る。しかも、良くない話として・・・。

日本軍の占領、バターン半島での死の行進、そしてマニラ占領、フィリピン人のゲリラ活動、占領下のフィリピン人
大統領のこと(2代あり)、そして米軍の反攻と上陸、日本人の連合軍への協力者の話、そして日本人の残虐な行
為と集団自決、・・・・と歴史の流れの中で、コレヒドール島での出来事を各場所で具体的に説明していた。

今回の説明を受けたグループは一台のバスで30名程度の集団、日本人は我々3名のみ、他にタイ人が2人、オ
ーストラリア人が数名、アメリカ人が数名、他はフィリピン人だったと思う。そして、我々日本人には、日本人向け
のガイド見習いで4回目というフィリピン人中年女性がアテンドしてくれた。

しかし、日本語が通じる程度で歴史やコレヒドール島のことはまだ勉強中とのこと、あまりガイドとしては役に立た
なかったが・・・。

ガイド見習いとのことで、当然だが、賃金はなし、ただ船の料金と昼食のバイキング代は無料とのこと、家はケソ
ンにあり、ケソンから港までの交通費は自腹とのことだった。また、日本には15年間いたとのこと、多分フィリピ
ンパブで働いていたのでは?・・・・と思える。当然、15年は不法滞在だったはず・・・。

日本滞在で覚えた日本語を活かし、日本人向けのガイドで生計を立てようとしているようだが、適性があるか?
は疑問。

子供が3人もおり、しかも孫もいるとのこと、気の毒になり、100ペソのチップを渡しておいた。自腹の交通費以上はあるはず・・。

第二次世界大戦における、フィリピンでの戦没者は日本人は軍人と軍属を合わせて50万人、フィリピン人は100
万とも300万とも言われており非常に悲惨な状況、そして、その象徴的な史跡としてコレヒドール島が残っている
ように感じる。

日本人は今回のように、あらゆる国の人々と一緒にコレヒドール島を訪れ、歴史の事実を見つめ、一緒に説明を
真摯に聞き、歴史に素直に向き合うこと、そして歴史の事実を正面から受け止めること、このことが唯一の悲惨な
歴史を生かすことにつながると心から信じる。つらい時間だったが、やはり越えなくてはダメな場だとも思った。

昔、ドイツのコール首相が、戦後初めてポーランドを訪問した時、空港でタラップをおりた時、地上に跪き、手をつ
いて戦時の残虐な行為をしたことに対して、ドイツ人すべてを代表して、ポーランド国民に許しを乞うている姿をテ
レビで見た記憶がある。

なぜかそのことを思い出してしまった。日本人はフィリピン人に対して同じように許しを請う場があっただろうか?
けじめを着けず曖昧にしたまま、今まで来てしまったのでは?・・きちっと反省することが無かったのでは?・・と
も感じてしまった。

ODAなる名のもと、金ですべてを解決したと思って居るのでは?とも感じた。

今回のフィリピン訪問では、アイタ族の厳しい環境の中での心豊かな生活、現地I社員の社会奉仕活動に打ち込
む姿、コレヒドール島での歴史と向き合った時間、共に普段忘れている何かを感じさせてもらった貴重な時間だっ
たと思う。

そして、ボランティア活動の真の意味は?との問いに、
   共に心をふれあうこと、共感、相手の立場/境遇に思い致すこと(身をおくこと)、・・・
答えはまだ見つかっていない。

旅行の満足度
4.5
観光
4.0
交通
4.0
同行者
友人
一人あたり費用
10万円 - 15万円
交通手段
レンタカー
航空会社
JAL
旅行の手配内容
個別手配

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