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小馬散から徒歩で大馬散村へ。<br /><br />ここは旧ワ族社会で最大勢力を誇った集落であり、岳宋とともにワ族世界の中心地だった所です。<br /><br />スガンリの伝説が語り継がれてきた地で、村人の暮らしや、蓋房子の祭りの様子を見ることができました。<br /><br /><br />※写真は機織りをするワ族女性

西盟・大馬散村の蓋房子 ワ族の世界を訪ねる(2)~雲南の旅1993

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1993/02/12 - 1993/02/13

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がおちん

がおちんさん

小馬散から徒歩で大馬散村へ。

ここは旧ワ族社会で最大勢力を誇った集落であり、岳宋とともにワ族世界の中心地だった所です。

スガンリの伝説が語り継がれてきた地で、村人の暮らしや、蓋房子の祭りの様子を見ることができました。


※写真は機織りをするワ族女性

同行者
一人旅
交通手段
徒歩
  • 1993年2月12日(金)<br /><br />小馬散を出発して大馬散に向かう。<br /><br />アワ山は今朝も雲海に包まれている。<br /><br />

    1993年2月12日(金)

    小馬散を出発して大馬散に向かう。

    アワ山は今朝も雲海に包まれている。

  • 大馬散に続くトレイルは細くてわかりにくい。<br /><br />標識や道しるべなどあるわけ無い。<br /><br />行きも帰りも獣道に入ってしまい、少々焦った。<br /><br /><br /><br />

    大馬散に続くトレイルは細くてわかりにくい。

    標識や道しるべなどあるわけ無い。

    行きも帰りも獣道に入ってしまい、少々焦った。



  • 山から流れてくる小川。

    山から流れてくる小川。

  • 一休み。<br /><br />顔を洗ってさっぱりした。

    一休み。

    顔を洗ってさっぱりした。

  • ついに大馬散村が見えた。<br /><br />山の斜面に沿って村が形成されているのは、他の村からの襲撃を把握しやすいからだという。<br /><br />かつては村の周囲を竹・木・棘のある植物等で覆って障壁とし、その外には塹壕を掘って外敵からの襲撃を防御していた。大馬散は大きな村のため、入り口となる門は10ヶ所あったが、どれも20〜30メートルのトンネル(横は土壁で天井は木と茨の草で覆ってあった)になっており、あちこちに毒を塗った竹串を潜ませていたため、敵が村に入ることは非常に困難だったという。<br /><br />ワ族社会は窩郎(オーラン・姓氏)、頭人(村長)、珠米(ザウミ・富裕層)、魔巴(モーバはラフ族語・シャーマン)が中心となって形成されており、首狩りをするにも吉凶を占ってから行われていた。<br /><br />元々は豊穣を祈っての「首狩り」行為であっても、互いの村で遺恨が残るのは当然のことである。村人は、どの村と敵対しており、それぞれ何人の首の貸し借りがあるか把握しており、仕返しの機会を伺っていたという。

    ついに大馬散村が見えた。

    山の斜面に沿って村が形成されているのは、他の村からの襲撃を把握しやすいからだという。

    かつては村の周囲を竹・木・棘のある植物等で覆って障壁とし、その外には塹壕を掘って外敵からの襲撃を防御していた。大馬散は大きな村のため、入り口となる門は10ヶ所あったが、どれも20〜30メートルのトンネル(横は土壁で天井は木と茨の草で覆ってあった)になっており、あちこちに毒を塗った竹串を潜ませていたため、敵が村に入ることは非常に困難だったという。

    ワ族社会は窩郎(オーラン・姓氏)、頭人(村長)、珠米(ザウミ・富裕層)、魔巴(モーバはラフ族語・シャーマン)が中心となって形成されており、首狩りをするにも吉凶を占ってから行われていた。

    元々は豊穣を祈っての「首狩り」行為であっても、互いの村で遺恨が残るのは当然のことである。村人は、どの村と敵対しており、それぞれ何人の首の貸し借りがあるか把握しており、仕返しの機会を伺っていたという。

  • 大馬散に行く途中、ワ族の村が二ヶ所あった。<br /><br />窩努寨は、邱鍔鋒先生が1957年に『スガンリ伝説』の聞き取りを行った村である。ワ族は文字を持たない民族だったため、伝説は代々の「頭人」によって口伝されてきた。<br /><br />邱先生が聞き取りをした「アイサオ」という男性は「頭人」にして、西盟一帯で最大の「魔巴」だった人物。北京にも参観し、馬散区愛国生産委員会主任も務めたという。そのため、神秘的でユニークな『スガンリ伝説』も、終盤になると共産党が出てきて変な展開になる。ワ族人民は毛沢東のおかげで道理を知り、解放軍の援助で田畑を開墾し、北京と昆明に参観し、党のおかげで実りある収穫を得たというところで話が終わるのだ。邱先生も「伝説以外に、叙述者によって追加された」ことを指摘している。<br /><br />彼(アイサオ)は昆明からアワ山に帰るまでの経由地(玉渓・元江・通関・普洱・思茅・登維・可恩寨・モンランバ・フーファ・トンツ・テンバ・モナイ)を詳しく述べているが、「普洱では酒を飲み、思茅では会議があった」と語っているのがリアル感があって面白い。<br /><br />ワ族のスガンリ伝説に興味のある方は、『ワ族社会歴史調査(二)・雲南人民出版社』が最も参考になります。

    大馬散に行く途中、ワ族の村が二ヶ所あった。

    窩努寨は、邱鍔鋒先生が1957年に『スガンリ伝説』の聞き取りを行った村である。ワ族は文字を持たない民族だったため、伝説は代々の「頭人」によって口伝されてきた。

    邱先生が聞き取りをした「アイサオ」という男性は「頭人」にして、西盟一帯で最大の「魔巴」だった人物。北京にも参観し、馬散区愛国生産委員会主任も務めたという。そのため、神秘的でユニークな『スガンリ伝説』も、終盤になると共産党が出てきて変な展開になる。ワ族人民は毛沢東のおかげで道理を知り、解放軍の援助で田畑を開墾し、北京と昆明に参観し、党のおかげで実りある収穫を得たというところで話が終わるのだ。邱先生も「伝説以外に、叙述者によって追加された」ことを指摘している。

    彼(アイサオ)は昆明からアワ山に帰るまでの経由地(玉渓・元江・通関・普洱・思茅・登維・可恩寨・モンランバ・フーファ・トンツ・テンバ・モナイ)を詳しく述べているが、「普洱では酒を飲み、思茅では会議があった」と語っているのがリアル感があって面白い。

    ワ族のスガンリ伝説に興味のある方は、『ワ族社会歴史調査(二)・雲南人民出版社』が最も参考になります。

  • 大馬散に着いた。<br /><br />ここは集落の規模が大きく、上寨・下寨・右寨に分かれている。<br /><br />なるほど傾斜があるので、村全体の眺めがよい。<br />

    大馬散に着いた。

    ここは集落の規模が大きく、上寨・下寨・右寨に分かれている。

    なるほど傾斜があるので、村全体の眺めがよい。

  • 村に入ると、山の傾斜は思ったよりもきつかった。<br /><br />移動するのに骨が折れる。<br /><br /><br />

    村に入ると、山の傾斜は思ったよりもきつかった。

    移動するのに骨が折れる。


  • そんな坂道をものともせず、赤ちゃんをおんぶした子供が走り抜けていく。

    そんな坂道をものともせず、赤ちゃんをおんぶした子供が走り抜けていく。

  • 大馬散の村人。<br /><br />民族衣装を着ている人も、ちらほら見かけた。<br /><br />「モ・メイ」(こんにちは)。

    大馬散の村人。

    民族衣装を着ている人も、ちらほら見かけた。

    「モ・メイ」(こんにちは)。

  • 蓋房子の様子。<br /><br />儀式などは昨日行われ、今日一日で家を建ててしまうとのこと。<br /><br />まだ基礎を組み立てている段階だけど、夕方までには間に合うらしい。<br /><br />ワ族には小さな家は1月に建て、2月は大きい家を建てるという決まりがあるそうだ。この家は村長さんの家だという。

    蓋房子の様子。

    儀式などは昨日行われ、今日一日で家を建ててしまうとのこと。

    まだ基礎を組み立てている段階だけど、夕方までには間に合うらしい。

    ワ族には小さな家は1月に建て、2月は大きい家を建てるという決まりがあるそうだ。この家は村長さんの家だという。

  • 電気は無いので、大工作業はすべて人力で行われる。<br /><br />東洋医学の骨度法のように、体の部位を使って寸法を測っていた。<br /><br />まさに手作りの家。

    電気は無いので、大工作業はすべて人力で行われる。

    東洋医学の骨度法のように、体の部位を使って寸法を測っていた。

    まさに手作りの家。

  • 村からアワ山を眺める。

    村からアワ山を眺める。

  • ワ族の段々畑。

    ワ族の段々畑。

  • 民族衣装を着ている人がいないか、村を歩いてみる。

    民族衣装を着ている人がいないか、村を歩いてみる。

  • 機織をしている女性がいた。<br /><br />民族服を着ていたので、ちょっと感動する。

    機織をしている女性がいた。

    民族服を着ていたので、ちょっと感動する。

  • こうやって代々、手作業が受け継がれてきたのだろう。<br /><br />ワ族の文化、ぜひとも絶やさずに残して欲しい。<br /><br />

    こうやって代々、手作業が受け継がれてきたのだろう。

    ワ族の文化、ぜひとも絶やさずに残して欲しい。

  • 孫が甘えると、ワ族おばさんは機織を中断してあやし始めた。<br /><br />のどかな村の日常風景だ。

    孫が甘えると、ワ族おばさんは機織を中断してあやし始めた。

    のどかな村の日常風景だ。

  • 再び村を歩く。

    再び村を歩く。

  • 臼をつく娘さん。

    臼をつく娘さん。

  • 籾殻を飛ばす。

    籾殻を飛ばす。

  • ワ族のおじさん、楽器を演奏してくれた。<br /><br />二胡のような擦弦楽器で、弦は1本。

    ワ族のおじさん、楽器を演奏してくれた。

    二胡のような擦弦楽器で、弦は1本。

  • 小型の弓で擦って音を出す。<br /><br />楽器の上に足をのせて弾くスタイルだ。

    小型の弓で擦って音を出す。

    楽器の上に足をのせて弾くスタイルだ。

  • 何名かの村人から写真を撮ってほしいと頼まれた。

    何名かの村人から写真を撮ってほしいと頼まれた。

  • いつも思うのだが、その民族が一番映えるのが民族衣装だ。

    いつも思うのだが、その民族が一番映えるのが民族衣装だ。

  • 長刀を持った男性。<br /><br />かつては首を狩ると、「英雄の印」として赤い布を巻いたという。

    長刀を持った男性。

    かつては首を狩ると、「英雄の印」として赤い布を巻いたという。

  • 別の村から遊びに来ていた親子。<br /><br />一番下の子は黒人のような顔立ちをしていた。

    別の村から遊びに来ていた親子。

    一番下の子は黒人のような顔立ちをしていた。

  • かつて村が要塞だった頃の様子は残っていないかたずねると、一部分だけあるという。<br /><br />塹壕は埋めてしまったが、壁だった跡を確認することができた。<br /><br />

    かつて村が要塞だった頃の様子は残っていないかたずねると、一部分だけあるという。

    塹壕は埋めてしまったが、壁だった跡を確認することができた。

  • ここは木と茨で覆われた壁。足元にも棘のある植物がいっぱいあって近づけない。<br /><br />さらに昔は毒をぬった竹串(いわゆるパンジステーク)があちこちに置かれて危険だったらしい。<br /><br />1957年にワ族の村を訪れた邱鍔鋒先生によると、布靴の底などは簡単に貫通してしまう威力があったとのことだ。また、この竹串は首を狩って逃げる際にも、忍者のまきびしのようにばら撒いたという。

    ここは木と茨で覆われた壁。足元にも棘のある植物がいっぱいあって近づけない。

    さらに昔は毒をぬった竹串(いわゆるパンジステーク)があちこちに置かれて危険だったらしい。

    1957年にワ族の村を訪れた邱鍔鋒先生によると、布靴の底などは簡単に貫通してしまう威力があったとのことだ。また、この竹串は首を狩って逃げる際にも、忍者のまきびしのようにばら撒いたという。

  • まさか、今はそんな竹串残ってないよなと思いつつも、足元に気をつけて村の中に戻る。

    まさか、今はそんな竹串残ってないよなと思いつつも、足元に気をつけて村の中に戻る。

  • ワ族の家は典型的な高床式だ。<br /><br />下で家畜を飼い、人は上に住む。<br /><br />テラスでは作業や物干しを行う。<br /><br />

    ワ族の家は典型的な高床式だ。

    下で家畜を飼い、人は上に住む。

    テラスでは作業や物干しを行う。

  • 屋根に使う萱を運ぶ女性。

    屋根に使う萱を運ぶ女性。

  • そろそろ新築中の家を見に行ってみよう。

    そろそろ新築中の家を見に行ってみよう。

  • 屋根の骨組みは完成していて、萱葺きを行っていた。

    屋根の骨組みは完成していて、萱葺きを行っていた。

  • つづいて妻側の骨組みに取り掛かる。

    つづいて妻側の骨組みに取り掛かる。

  • 村人が協力して、急ピッチで屋根を葺いていく。

    村人が協力して、急ピッチで屋根を葺いていく。

  • ちびっ子たちも見守る。

    ちびっ子たちも見守る。

  • ギャラリーが増えてきた。

    ギャラリーが増えてきた。

  • ついに家が完成!

    ついに家が完成!

  • 屋根の上に登って喜ぶ人。

    屋根の上に登って喜ぶ人。

  • 子供達もうれしそう。<br /><br />小僧が胸にかけているのは、手製のパチンコ(スリングショット)だ。

    子供達もうれしそう。

    小僧が胸にかけているのは、手製のパチンコ(スリングショット)だ。

  • お祝いに食事が振舞われる。<br /><br />料理は男性が担当していた。<br /><br />木の椅子がまな板のかわりだし、手も素材も洗わない。<br /><br />大地で作られる料理はワイルドそのもの。<br /><br />ヤワな日本人は下痢するわけだ。<br />

    お祝いに食事が振舞われる。

    料理は男性が担当していた。

    木の椅子がまな板のかわりだし、手も素材も洗わない。

    大地で作られる料理はワイルドそのもの。

    ヤワな日本人は下痢するわけだ。

  • 皆に配られたグワンム(干飯)。大人も子供も均等に配るのがワ族のルールだ。<br /><br />手づかみで食べる。これがなかなか美味しかった。<br /><br />「ニュムテェ」は、おいしいという意味。

    皆に配られたグワンム(干飯)。大人も子供も均等に配るのがワ族のルールだ。

    手づかみで食べる。これがなかなか美味しかった。

    「ニュムテェ」は、おいしいという意味。

  • アワ山の夕暮れ。

    アワ山の夕暮れ。

  • ワ族の村には山の傾斜を利用した、竹製の水道管がめぐらされている。<br /><br />西双版納のアク族の村にあるものよりも規模が大きい。

    ワ族の村には山の傾斜を利用した、竹製の水道管がめぐらされている。

    西双版納のアク族の村にあるものよりも規模が大きい。

  • 突然やって来た日本人に興味津々のワ族の人達。<br /><br />いつものように、村人から簡単な言葉を教えてもらう。<br /><br />ワ族語にもいろいろあって、ここの人達は馬散方言を話すそうだ。<br /><br />例えば「食べる」は「エッ」だが、岳宋では「ソーム」という。<br /><br />「私はあなたが好きです」は、アリャンナアホム(好き)+オウ(私)+ナメイ(あなた)の順となる。<br /><br />この語順を適当に使って言葉を組み合わせると、村の子供達は大喜びし、正しい言い方を教えてくれる。<br />

    突然やって来た日本人に興味津々のワ族の人達。

    いつものように、村人から簡単な言葉を教えてもらう。

    ワ族語にもいろいろあって、ここの人達は馬散方言を話すそうだ。

    例えば「食べる」は「エッ」だが、岳宋では「ソーム」という。

    「私はあなたが好きです」は、アリャンナアホム(好き)+オウ(私)+ナメイ(あなた)の順となる。

    この語順を適当に使って言葉を組み合わせると、村の子供達は大喜びし、正しい言い方を教えてくれる。

  • ワ族の山に日が沈む。<br /><br />とっても幻想的な眺め。

    ワ族の山に日が沈む。

    とっても幻想的な眺め。

  • 緑色の服はアイモンさん。村の会計係だ。<br /><br />ワ族の小刀を身につけていた。<br /><br /><br />

    緑色の服はアイモンさん。村の会計係だ。

    ワ族の小刀を身につけていた。


  • 夜、祝いの踊りが始まった。<br /><br />家の中で囲炉裏の周りをゆっくり回る。<br /><br />電気が無いので、部屋の中が暗い。<br /><br />ストロボを使って写真を撮った。

    夜、祝いの踊りが始まった。

    家の中で囲炉裏の周りをゆっくり回る。

    電気が無いので、部屋の中が暗い。

    ストロボを使って写真を撮った。

  • 笛の音にあわせて、反時計回りに踊る。<br /><br />踊りというより、手をつないで回る。

    笛の音にあわせて、反時計回りに踊る。

    踊りというより、手をつないで回る。

  • 部屋の中は囲炉裏の煙が充満して空気が悪く、また大勢の人がいるので息苦しい。<br /><br />外が寒いせいか、換気などしない。<br /><br />咳をする村人も多いけど、誰も気にしていないようだった。

    部屋の中は囲炉裏の煙が充満して空気が悪く、また大勢の人がいるので息苦しい。

    外が寒いせいか、換気などしない。

    咳をする村人も多いけど、誰も気にしていないようだった。

  • 囲炉裏を囲んで談笑する、ワ族の人々。<br /><br />歌も歌っていた。<br /><br />テープレコーダーを忘れて録音できなかったのが残念。<br /><br />今思えば、貴重な記録となったのに。<br /><br /><br /><br />

    囲炉裏を囲んで談笑する、ワ族の人々。

    歌も歌っていた。

    テープレコーダーを忘れて録音できなかったのが残念。

    今思えば、貴重な記録となったのに。



  • ブライ(水酒)を回しのみする。<br /><br />木製コップは一つで、自分が飲んだあとは手で拭いてから隣の人に回す。<br /><br />ピンク色の服を着た人が手に持っているのがそれだ。<br /><br />ワ族は水がわりにブライを飲むからか、昼間から酔っている人もいた。

    ブライ(水酒)を回しのみする。

    木製コップは一つで、自分が飲んだあとは手で拭いてから隣の人に回す。

    ピンク色の服を着た人が手に持っているのがそれだ。

    ワ族は水がわりにブライを飲むからか、昼間から酔っている人もいた。

  • こら、君はまだタバコを吸う年齢じゃないだろう。<br /><br />と思ったけど、けっこう子供が吸っているのを見かけた。<br /><br />手馴れた吸いっぷりに苦笑する。

    こら、君はまだタバコを吸う年齢じゃないだろう。

    と思ったけど、けっこう子供が吸っているのを見かけた。

    手馴れた吸いっぷりに苦笑する。

  • 大勢の人が集まっているからか、人と人の距離が近い。<br /><br />ときおり、「ニャッブライ」(飲め)と酒が回ってくる。<br /><br />みんなよく喋る。どんなことを話しているのかはわからないけど、とても楽しそうだった。<br /><br />ちょっとだけ引いたのは、ある男性が刀を抜いて隣の人の首に当てた時だ。「お前、首狩っちまうぞ」というような意味の冗談なんだろうけど、私には刺激が強かった。

    大勢の人が集まっているからか、人と人の距離が近い。

    ときおり、「ニャッブライ」(飲め)と酒が回ってくる。

    みんなよく喋る。どんなことを話しているのかはわからないけど、とても楽しそうだった。

    ちょっとだけ引いたのは、ある男性が刀を抜いて隣の人の首に当てた時だ。「お前、首狩っちまうぞ」というような意味の冗談なんだろうけど、私には刺激が強かった。

  • おばあさんも楽しそう。<br /><br />この踊りと団欒は朝まで続くということだが、私は退散して寝かせてもらった。

    おばあさんも楽しそう。

    この踊りと団欒は朝まで続くということだが、私は退散して寝かせてもらった。

  • 1993年2月13日(土)<br /><br />大馬散村の朝。<br /><br />今日は一気に西盟まで歩いて戻る。

    1993年2月13日(土)

    大馬散村の朝。

    今日は一気に西盟まで歩いて戻る。

  • 村を出るとき、村人の写真を撮ろうとしたら、「ちょっと待て」と言って、なぜか木を担いでしまった。<br /><br />ワ族らしい、力強いポーズだと思った。<br /><br />「アッメーダィケッホア!」(さようなら)

    村を出るとき、村人の写真を撮ろうとしたら、「ちょっと待て」と言って、なぜか木を担いでしまった。

    ワ族らしい、力強いポーズだと思った。

    「アッメーダィケッホア!」(さようなら)

  • 今朝も雲海が望めた。<br /><br />小馬散に行くまでに再び道を間違え、ハラハラする。太陽は照りつけるし、坂はきついし、しまいには藪に入ってしまった。獣道を上へ上へと歩き、ようやく小道を見つけることができた。<br /><br />小馬散では書記の家に寄り、水酒とグワンム(雑炊)を食べさせてもらい、出発する。<br /><br />ラフ族村の近くで休んでいると、後から来たワ族の青年が荷物を持ってくれたが、荷物を持っても彼の歩き方は速く、付いて行くのに苦労した。<br /><br />西盟に着いた頃はヘトヘトになったけど、以前より憧れの地だったアワ山を訪れることができて大満足。次は岳宋に向かう。<br /><br /><br />西盟・岳宋村で食べたワイルドな料理 ワ族の世界を訪ねて(3)〜雲南の旅1993に続く<br />http://4travel.jp/travelogue/10679741

    今朝も雲海が望めた。

    小馬散に行くまでに再び道を間違え、ハラハラする。太陽は照りつけるし、坂はきついし、しまいには藪に入ってしまった。獣道を上へ上へと歩き、ようやく小道を見つけることができた。

    小馬散では書記の家に寄り、水酒とグワンム(雑炊)を食べさせてもらい、出発する。

    ラフ族村の近くで休んでいると、後から来たワ族の青年が荷物を持ってくれたが、荷物を持っても彼の歩き方は速く、付いて行くのに苦労した。

    西盟に着いた頃はヘトヘトになったけど、以前より憧れの地だったアワ山を訪れることができて大満足。次は岳宋に向かう。


    西盟・岳宋村で食べたワイルドな料理 ワ族の世界を訪ねて(3)〜雲南の旅1993に続く
    http://4travel.jp/travelogue/10679741

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