1993/02/12 - 1993/02/13
382位(同エリア1018件中)
がおちんさん
小馬散から徒歩で大馬散村へ。
ここは旧ワ族社会で最大勢力を誇った集落であり、岳宋とともにワ族世界の中心地だった所です。
スガンリの伝説が語り継がれてきた地で、村人の暮らしや、蓋房子の祭りの様子を見ることができました。
※写真は機織りをするワ族女性
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
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1993年2月12日(金)
小馬散を出発して大馬散に向かう。
アワ山は今朝も雲海に包まれている。 -
大馬散に続くトレイルは細くてわかりにくい。
標識や道しるべなどあるわけ無い。
行きも帰りも獣道に入ってしまい、少々焦った。 -
山から流れてくる小川。
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一休み。
顔を洗ってさっぱりした。 -
ついに大馬散村が見えた。
山の斜面に沿って村が形成されているのは、他の村からの襲撃を把握しやすいからだという。
かつては村の周囲を竹・木・棘のある植物等で覆って障壁とし、その外には塹壕を掘って外敵からの襲撃を防御していた。大馬散は大きな村のため、入り口となる門は10ヶ所あったが、どれも20〜30メートルのトンネル(横は土壁で天井は木と茨の草で覆ってあった)になっており、あちこちに毒を塗った竹串を潜ませていたため、敵が村に入ることは非常に困難だったという。
ワ族社会は窩郎(オーラン・姓氏)、頭人(村長)、珠米(ザウミ・富裕層)、魔巴(モーバはラフ族語・シャーマン)が中心となって形成されており、首狩りをするにも吉凶を占ってから行われていた。
元々は豊穣を祈っての「首狩り」行為であっても、互いの村で遺恨が残るのは当然のことである。村人は、どの村と敵対しており、それぞれ何人の首の貸し借りがあるか把握しており、仕返しの機会を伺っていたという。 -
大馬散に行く途中、ワ族の村が二ヶ所あった。
窩努寨は、邱鍔鋒先生が1957年に『スガンリ伝説』の聞き取りを行った村である。ワ族は文字を持たない民族だったため、伝説は代々の「頭人」によって口伝されてきた。
邱先生が聞き取りをした「アイサオ」という男性は「頭人」にして、西盟一帯で最大の「魔巴」だった人物。北京にも参観し、馬散区愛国生産委員会主任も務めたという。そのため、神秘的でユニークな『スガンリ伝説』も、終盤になると共産党が出てきて変な展開になる。ワ族人民は毛沢東のおかげで道理を知り、解放軍の援助で田畑を開墾し、北京と昆明に参観し、党のおかげで実りある収穫を得たというところで話が終わるのだ。邱先生も「伝説以外に、叙述者によって追加された」ことを指摘している。
彼(アイサオ)は昆明からアワ山に帰るまでの経由地(玉渓・元江・通関・普洱・思茅・登維・可恩寨・モンランバ・フーファ・トンツ・テンバ・モナイ)を詳しく述べているが、「普洱では酒を飲み、思茅では会議があった」と語っているのがリアル感があって面白い。
ワ族のスガンリ伝説に興味のある方は、『ワ族社会歴史調査(二)・雲南人民出版社』が最も参考になります。 -
大馬散に着いた。
ここは集落の規模が大きく、上寨・下寨・右寨に分かれている。
なるほど傾斜があるので、村全体の眺めがよい。 -
村に入ると、山の傾斜は思ったよりもきつかった。
移動するのに骨が折れる。 -
そんな坂道をものともせず、赤ちゃんをおんぶした子供が走り抜けていく。
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大馬散の村人。
民族衣装を着ている人も、ちらほら見かけた。
「モ・メイ」(こんにちは)。 -
蓋房子の様子。
儀式などは昨日行われ、今日一日で家を建ててしまうとのこと。
まだ基礎を組み立てている段階だけど、夕方までには間に合うらしい。
ワ族には小さな家は1月に建て、2月は大きい家を建てるという決まりがあるそうだ。この家は村長さんの家だという。 -
電気は無いので、大工作業はすべて人力で行われる。
東洋医学の骨度法のように、体の部位を使って寸法を測っていた。
まさに手作りの家。 -
村からアワ山を眺める。
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ワ族の段々畑。
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民族衣装を着ている人がいないか、村を歩いてみる。
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機織をしている女性がいた。
民族服を着ていたので、ちょっと感動する。 -
こうやって代々、手作業が受け継がれてきたのだろう。
ワ族の文化、ぜひとも絶やさずに残して欲しい。 -
孫が甘えると、ワ族おばさんは機織を中断してあやし始めた。
のどかな村の日常風景だ。 -
再び村を歩く。
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臼をつく娘さん。
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籾殻を飛ばす。
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ワ族のおじさん、楽器を演奏してくれた。
二胡のような擦弦楽器で、弦は1本。 -
小型の弓で擦って音を出す。
楽器の上に足をのせて弾くスタイルだ。 -
何名かの村人から写真を撮ってほしいと頼まれた。
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いつも思うのだが、その民族が一番映えるのが民族衣装だ。
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長刀を持った男性。
かつては首を狩ると、「英雄の印」として赤い布を巻いたという。 -
別の村から遊びに来ていた親子。
一番下の子は黒人のような顔立ちをしていた。 -
かつて村が要塞だった頃の様子は残っていないかたずねると、一部分だけあるという。
塹壕は埋めてしまったが、壁だった跡を確認することができた。 -
ここは木と茨で覆われた壁。足元にも棘のある植物がいっぱいあって近づけない。
さらに昔は毒をぬった竹串(いわゆるパンジステーク)があちこちに置かれて危険だったらしい。
1957年にワ族の村を訪れた邱鍔鋒先生によると、布靴の底などは簡単に貫通してしまう威力があったとのことだ。また、この竹串は首を狩って逃げる際にも、忍者のまきびしのようにばら撒いたという。 -
まさか、今はそんな竹串残ってないよなと思いつつも、足元に気をつけて村の中に戻る。
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ワ族の家は典型的な高床式だ。
下で家畜を飼い、人は上に住む。
テラスでは作業や物干しを行う。 -
屋根に使う萱を運ぶ女性。
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そろそろ新築中の家を見に行ってみよう。
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屋根の骨組みは完成していて、萱葺きを行っていた。
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つづいて妻側の骨組みに取り掛かる。
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村人が協力して、急ピッチで屋根を葺いていく。
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ちびっ子たちも見守る。
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ギャラリーが増えてきた。
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ついに家が完成!
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屋根の上に登って喜ぶ人。
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子供達もうれしそう。
小僧が胸にかけているのは、手製のパチンコ(スリングショット)だ。 -
お祝いに食事が振舞われる。
料理は男性が担当していた。
木の椅子がまな板のかわりだし、手も素材も洗わない。
大地で作られる料理はワイルドそのもの。
ヤワな日本人は下痢するわけだ。 -
皆に配られたグワンム(干飯)。大人も子供も均等に配るのがワ族のルールだ。
手づかみで食べる。これがなかなか美味しかった。
「ニュムテェ」は、おいしいという意味。 -
アワ山の夕暮れ。
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ワ族の村には山の傾斜を利用した、竹製の水道管がめぐらされている。
西双版納のアク族の村にあるものよりも規模が大きい。 -
突然やって来た日本人に興味津々のワ族の人達。
いつものように、村人から簡単な言葉を教えてもらう。
ワ族語にもいろいろあって、ここの人達は馬散方言を話すそうだ。
例えば「食べる」は「エッ」だが、岳宋では「ソーム」という。
「私はあなたが好きです」は、アリャンナアホム(好き)+オウ(私)+ナメイ(あなた)の順となる。
この語順を適当に使って言葉を組み合わせると、村の子供達は大喜びし、正しい言い方を教えてくれる。 -
ワ族の山に日が沈む。
とっても幻想的な眺め。 -
緑色の服はアイモンさん。村の会計係だ。
ワ族の小刀を身につけていた。 -
夜、祝いの踊りが始まった。
家の中で囲炉裏の周りをゆっくり回る。
電気が無いので、部屋の中が暗い。
ストロボを使って写真を撮った。 -
笛の音にあわせて、反時計回りに踊る。
踊りというより、手をつないで回る。 -
部屋の中は囲炉裏の煙が充満して空気が悪く、また大勢の人がいるので息苦しい。
外が寒いせいか、換気などしない。
咳をする村人も多いけど、誰も気にしていないようだった。 -
囲炉裏を囲んで談笑する、ワ族の人々。
歌も歌っていた。
テープレコーダーを忘れて録音できなかったのが残念。
今思えば、貴重な記録となったのに。 -
ブライ(水酒)を回しのみする。
木製コップは一つで、自分が飲んだあとは手で拭いてから隣の人に回す。
ピンク色の服を着た人が手に持っているのがそれだ。
ワ族は水がわりにブライを飲むからか、昼間から酔っている人もいた。 -
こら、君はまだタバコを吸う年齢じゃないだろう。
と思ったけど、けっこう子供が吸っているのを見かけた。
手馴れた吸いっぷりに苦笑する。 -
大勢の人が集まっているからか、人と人の距離が近い。
ときおり、「ニャッブライ」(飲め)と酒が回ってくる。
みんなよく喋る。どんなことを話しているのかはわからないけど、とても楽しそうだった。
ちょっとだけ引いたのは、ある男性が刀を抜いて隣の人の首に当てた時だ。「お前、首狩っちまうぞ」というような意味の冗談なんだろうけど、私には刺激が強かった。 -
おばあさんも楽しそう。
この踊りと団欒は朝まで続くということだが、私は退散して寝かせてもらった。 -
1993年2月13日(土)
大馬散村の朝。
今日は一気に西盟まで歩いて戻る。 -
村を出るとき、村人の写真を撮ろうとしたら、「ちょっと待て」と言って、なぜか木を担いでしまった。
ワ族らしい、力強いポーズだと思った。
「アッメーダィケッホア!」(さようなら) -
今朝も雲海が望めた。
小馬散に行くまでに再び道を間違え、ハラハラする。太陽は照りつけるし、坂はきついし、しまいには藪に入ってしまった。獣道を上へ上へと歩き、ようやく小道を見つけることができた。
小馬散では書記の家に寄り、水酒とグワンム(雑炊)を食べさせてもらい、出発する。
ラフ族村の近くで休んでいると、後から来たワ族の青年が荷物を持ってくれたが、荷物を持っても彼の歩き方は速く、付いて行くのに苦労した。
西盟に着いた頃はヘトヘトになったけど、以前より憧れの地だったアワ山を訪れることができて大満足。次は岳宋に向かう。
西盟・岳宋村で食べたワイルドな料理 ワ族の世界を訪ねて(3)〜雲南の旅1993に続く
http://4travel.jp/travelogue/10679741
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