2012/05/09 - 2012/05/10
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ひま人さん
平清盛ゆかりの地も京都、神戸と訪ねたが、今回、広島県の呉から宮島を訪れ平清盛が成し遂げたと言われる事業を見て廻った。1151年に安芸守となった平清盛は、日宋貿易の要となる瀬戸内海航路開拓の一環として1165年呉市・倉橋島と本州の間に水路「音頭の瀬戸」を開削したといわれる。ここは地形が入り組んでいるうえに潮の流れも速い船頭泣かせの難所でした。現在はこの水路の上に「音戸大橋」が架けられている。広島で一泊後宮島へ高速船で渡る。宮島桟橋で屋形舟に乗り換え宮島を海から遊覧した。そして宮島に上陸後、世界遺産・厳島神社、清盛神社、宮島歴史民俗資料館(平清盛館)、小卿屋敷を訪れ宮島桟橋からJR宮島口駅経由新幹線で帰路に着いた。
写真は平清盛「日招像」。伝説によれば、瀬戸開削の難工事も終盤となったある日、潮の流れとの兼ね合いから日没までに作業を完成させねばならなくなった。しかし、日没は間近・・・。そこで清盛が高烏の岩の上に立ち、扇で太陽を呼び戻すと、なんと沈みかけた日が戻ったという。音頭の瀬戸開削800年を記念して昭和42年(1967年)7月建てられ、立烏帽子直垂姿の銅像です。伝説のとおり日没の方向に向けて立ち、海上交通の安全を見守っています。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス 船 新幹線 私鉄 徒歩
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音頭大橋、幅90mの音頭に架かる主橋梁長172mの真紅の橋。1000トン級船舶の航行を可能とするため螺施式とループ式の取り付け道路をもつ高架橋として、総工費3億6200万円をかけて昭和32年(1961年)12月に完成しました。
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音頭の瀬戸、本州と倉橋島との間の水路。平清盛が開削したとの伝説がある。
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「グリーンピアせとうち」の玄関前に展示されている、「平清盛」撮影に使用された和船(全長10m)。
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大河ドラマ「平清盛」の撮影に使用されたロケ最大の船・ジャンク船(宋船・全長22m)。8隻建造された内の1隻で呉市の「グリーンピアせとうち」の桟橋に展示されている。その対岸の島等でロケされた。
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柏島、「グリーンピアせとうち」の対岸の島で、「平清盛」のロケ地。
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「平清盛」ロケ地の柏島のオープンセット。この海域で壮絶な海賊との戦いが繰り広げられた。
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宮島周囲の屋形舟による遊覧。江戸時代からの灯台。
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宮島の遊覧船で見た小島の祠。
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海上から見た、厳島神社の鳥居。残念ながら今年4月3日の暴風により被害を受けた大鳥居が緊急修理のため足場を組まれ、厳島神社のシンボルである朱色の鳥居が見れなかった。本来なら遊覧船で鳥居をくぐることが出来るのです。
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厳島神社大鳥居、足場の囲いから僅かながら朱色の鳥居が見える。奈良の大仏とほぼ同じ高さ16m。重量は60トン。主柱は樹齢500〜600年のクスノキの自然木で造られており、8代目にあたる現在の鳥居を建立するにあたっては、巨木探しに20年近い歳月を要したといいます。また根元は海底に埋められているわけではなく、松材の杭を打って地盤を強化し、箱形の島木の中に石を詰めて加重するなど、先人の知恵と工夫によって鳥居の重みだけで立っています。
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海上から見た厳島神社。厳島(宮島)は俗に「安芸の宮島]と呼ばれる日本三景の一つ。平家納経で有名。国重文、国宝。社殿の創建は推古天皇即位元年(593年)土地の有力豪族佐伯鞍職による。現在の社殿は、平安時代末期、平清盛が建てたもので、時の権力者の尊敬を常に集め、清盛以降、修理改修が行われている。特に毛利元就が大掛かりな修復を行っている。
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厳島神社本殿。繊細華麗な切妻両流造りで正面には緑青塗りの引違の菱形の格子戸がはめられた本殿には、市杵島姫(いちきしまひめ)・淵津姫(たぎつひめ)・田心姫(たごりひめ)の主像三女神が祀られています。屋根は神社の定番とも言える千木と鰹木を持たず、檜皮葺の屋根に瓦を積んだ化粧棟のスタイルを取り入れた寝殿造りの様式が特徴です。現在の本殿は元亀2年(1571年)毛利元就により改築されたものです。
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厳島神社回廊。回廊は幅4m、長さ275m。床板の間に目通しという隙間があり、高潮の時に下から押しあがってくる海水の圧力を弱め、海水や雨水を海へ流す役目を果たしています。
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厳島神社能舞台(重文・江戸時代)。国内で唯一海に浮かぶ能舞台。現在、重要文化財に指定されている5つの能舞台のうちの一つです。厳島での演能は、永禄11年(1568年)の観世太夫の来演がその始まりとされ、慶長10年(1605年)には福島正則が常設の能舞台を寄進。現在の舞台と橋掛及び楽屋が建立されたのは藩主が浅野氏に代わった延宝8年(1680年)のことです。この能舞台は海上にあるため通常は能舞台の床下に置かれる共鳴用の甕(かめ)がなく、足拍子の響きをよくするため舞台の床が一枚の板のようになっているのが特徴。春の桃花祭神能がこの舞台で演じられるほか、茶道表千家と裏千家が隔年交互に執り行う献茶祭が点てられご神前に献じられます。
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厳島神社五重塔。
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清盛神社、清盛の没後770年を記念し、西の松原を延長し、清盛を祭神とする清盛神社が創建されたのが昭和29年(1954年)です。その前年には平清盛の遺徳を偲んで清盛祭りが始まっています。
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宮島歴史民俗資料館・平清盛館。宮島の歴史と文化に係わる多彩な資料や、近代化の中で失われようとしていた民俗文化財の保存と継承を目的につくられた文化施設です。併設として「平清盛」放映とともに、出演者が実際に着た衣装・道具等やドラマの概要を紹介している。
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重要文化財・林家住宅表門、通称上卿屋敷(しょうけいやしき)。宮島は古来より「神の島」といわれ、島内には人は住まず、厳島神社に勤める神職も、対岸に居を構えていたが、宮島に移り住むようになったのは、鎌倉末期から南北朝にかけてといわれる。
林家は古くから厳島神社の社家「小卿職」で、明治の始め頃まで、祭事の時、朝廷から差遣わされる奉幣使「勅使」の代参を務めた神職の家である。
一間薬医門で屋根は杮葺き、全体に装飾が多く、賑やかな妻飾りを持っている。今では珍しい鹿戸(鹿の進入を防ぐ戸)が付いている。 -
小卿屋敷、主屋。入母屋造り、桟瓦葺き、妻入りで正面右寄りには敷台付き玄関を構え、手のこんだ出窓をはさんで、左寄りに母屋出入り口がある。
現在の屋敷の建立年代は、表門に打ってある祈祷札に「元禄16年(1703年)」の記があり、建物の建築法が江戸初期の手法を示しているところから、この頃の建立と考えられる。 -
小卿屋敷庭園、建物と同時代、江戸中期の作庭と思われる。静静園と称され、池泉観賞式となっている。
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JR山陽本線「宮島口駅」。ここから「宮島口桟橋」まで徒歩5分、JR連絡船に乗り換え「宮島桟橋」へ15分位乗船。上陸後、徒歩で宮島、厳島神社と他の施設巡りへ。
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