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アメリカでホームスティしたのが初めての海外旅です。<br /><br />ホームステイ先までひとりで向かい、ホームステイ終了後、NYへ飛び街を歩いて、と意図せず結果的に1人旅になった具合。<br /><br />その頃学生だった人、少なくともわたしの周りはそうだったのですが、バイト代が貯めて休みになったら何処かへ行くの繰り返しで、たいていひとりで出掛けてて。行先の国の好みもバラバラだったこともあったのかな、インドもいたし、東欧巡りの子もいたし。<br /><br />学生の頃のそんな経験からか「旅=ひとり」という感じが自分にはあるのかもしれません。<br /><br />========<br /><br />夏休みになると友人のほとんどが欧州の国々へ旅立つのを横目に、私だけが米国へ。この旅以降4回、アメリカ各地を旅することになります。<br /><br />その頃のアメリカは今と違いました、違ったと思います。 <br /><br />見るものがすべて大きくて明るくて魅力に溢れていた。人は底抜けに明るくてフレンドリーで、右も左もわからず英語も話せない自分にみんな親切にしてくれてとても感激した。<br /><br />初めてのアメリカ、広大な国の時差を越えた事に気付かず飛行機に乗り遅れそうになりながら、14人乗りプロペラ機でホームステイ先のあるインディアナ州の”ど”田舎の町へ。<br /><br />日本人どころか、アジア系の人さえ見かけない田舎町でホームステイを3週間。その後ニューヨークへ観光しに行くのですが、それまでずっと英語オンリーの生活だったので、日本語が出てこなくなってしまっていました。<br /><br /><br />NYのホテルのエレベーターで一緒になった日本人カップルに<br /><br />「何階ですか?」と聞かれて<br /><br />「Nine.(9階です)」と英語で返してしまい、<br /><br />”あっ!しまった!”と思い、<br /><br />慌てて「ゴメンなさい!」って日本語で言わなきゃと思ったら<br /><br />「Sorry!」と言ってしまい<br /><br />・・・露骨にイヤ~な顔をされたのを覚えています。<br /><br /><br />あれくらい”英語アタマ”になったのは、後にも先にもその時だけです。あのまま英語を続けていたら、もうちょっとレベルが上がっていたかな。<br /><br />マンハッタンの先っちょに、今はもうない”あの双子のビル”が建っていた頃の話です。<br /><br /><br />=========<br /><br /><br />昔のスケジュール帳に日程やらチケット代が書き込んであったので転記。<br /><br />1989.8.23<br />TYO LAX 18:00 11:50 ”SQ”←シンガポール航空、CAの制服は今に至るまでほとんど変わってません。伝統の制服。<br /> <br />LAX CVG 06:45 13:51 DL648 <br />CVG EVV 14:38 14:38 DL3190<br />↑ロサンゼルスに入ってシンシナティで乗り換え。<br />エバンスビルという小さな村へプロペラ機で飛んでホームスティ先へ<br /><br />1989.9.13<br />EVV CVG 07:59 09:55 DL3188<br />CVG LGA 10:35 12:20 DL352<br />3週間のホームスティ後、ニューヨーク、ラ・ガーディア空港に飛びました。<br /><br />==========<br /><br />NYにはもっと長く居たつもりでしたが実質6日の滞在。お金がないのでボロボロのホテルでしたが、記憶はしっかり残っています。<br /><br />今はもうない42丁目のホテルで、ベッドは真ん中がへこんでいて、ガランとした白い殺風景な部屋でしたが、眺めが素晴らしくエンパイアステートビルが見える部屋でした。<br /><br />毎朝出かける際に通る図書館のセキュリティの男性と顔見知りになって、挨拶を交わす毎日。<br /><br />ホテルのロビーで知り合った大学生たち。中でも、休学してアメリカ武者修行中だという京都産業大学の学生は面白くて親切なひとで、髪ボサボサで見かけは構わない風だったけど、フォークとナイフの綺麗な使いこなしに、”このひとはきっとお坊ちゃんなのだろう”と推察したりしたけれど、今はどうしているのだろう。<br /><br />(京都産業大学がどんな大学でどんな規模がまったく知らないのだけど、何故覚えているか? この後の数度のアメリカ旅で知り合う人がかなり高い割合で京都産業大学の方だったから。不思議な縁があるのか、マンモス大学なのか、その大学がその当時学生に海外旅を奨励していたのか。今だに謎である。)<br /><br />1989.9.19<br />LGA CVG 0635 0824 DL343 <br />CVG LAX 0930 1058 DL425<br />LAX TYO 14:45 17:55 9.21 SQ11<br /><br />=========<br /><br /><br />チケットは総額で18万円くらいだったような。<br /><br />国際線はシンガポール航空で137,000円で抑えたのだけれど、アメリカの国内線を別の航空会社に購入したから結局割高になってしまった。<br /><br />お得な買い方なんてその頃はわからなくて、なんせ情報は一律に公開されてなくて旅行会社の担当者頼みだった。担当者が気を利かしてまわしてくれなかったら、安いチケットが出てこないようなところがあった。<br /><br />今は「HIS」って呼ばれている”秀インターナショナル”という格安航空券を扱う店が新宿の雑居ビルの2階で営業していて、そこに何回か通ってチケットを購入。<br /><br />あの時の担当してくれた長い黒髪の、いつも全身黒い服を着ていた大きな黒縁メガネの女性が今でもあの会社に残っているとすれば、会社の重役の1人だったりするんではないだろうか。<br /><br /><br /><br /><br />

初めての旅。インディアナ州名前を忘れた田舎町、そしてニューヨーク。 1989.8.

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1989/08/23 - 1989/09/21

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sally

sallyさん

アメリカでホームスティしたのが初めての海外旅です。

ホームステイ先までひとりで向かい、ホームステイ終了後、NYへ飛び街を歩いて、と意図せず結果的に1人旅になった具合。

その頃学生だった人、少なくともわたしの周りはそうだったのですが、バイト代が貯めて休みになったら何処かへ行くの繰り返しで、たいていひとりで出掛けてて。行先の国の好みもバラバラだったこともあったのかな、インドもいたし、東欧巡りの子もいたし。

学生の頃のそんな経験からか「旅=ひとり」という感じが自分にはあるのかもしれません。

========

夏休みになると友人のほとんどが欧州の国々へ旅立つのを横目に、私だけが米国へ。この旅以降4回、アメリカ各地を旅することになります。

その頃のアメリカは今と違いました、違ったと思います。 

見るものがすべて大きくて明るくて魅力に溢れていた。人は底抜けに明るくてフレンドリーで、右も左もわからず英語も話せない自分にみんな親切にしてくれてとても感激した。

初めてのアメリカ、広大な国の時差を越えた事に気付かず飛行機に乗り遅れそうになりながら、14人乗りプロペラ機でホームステイ先のあるインディアナ州の”ど”田舎の町へ。

日本人どころか、アジア系の人さえ見かけない田舎町でホームステイを3週間。その後ニューヨークへ観光しに行くのですが、それまでずっと英語オンリーの生活だったので、日本語が出てこなくなってしまっていました。


NYのホテルのエレベーターで一緒になった日本人カップルに

「何階ですか?」と聞かれて

「Nine.(9階です)」と英語で返してしまい、

”あっ!しまった!”と思い、

慌てて「ゴメンなさい!」って日本語で言わなきゃと思ったら

「Sorry!」と言ってしまい

・・・露骨にイヤ~な顔をされたのを覚えています。


あれくらい”英語アタマ”になったのは、後にも先にもその時だけです。あのまま英語を続けていたら、もうちょっとレベルが上がっていたかな。

マンハッタンの先っちょに、今はもうない”あの双子のビル”が建っていた頃の話です。


=========


昔のスケジュール帳に日程やらチケット代が書き込んであったので転記。

1989.8.23
TYO LAX 18:00 11:50 ”SQ”←シンガポール航空、CAの制服は今に至るまでほとんど変わってません。伝統の制服。

LAX CVG 06:45 13:51 DL648 
CVG EVV 14:38 14:38 DL3190
↑ロサンゼルスに入ってシンシナティで乗り換え。
エバンスビルという小さな村へプロペラ機で飛んでホームスティ先へ

1989.9.13
EVV CVG 07:59 09:55 DL3188
CVG LGA 10:35 12:20 DL352
3週間のホームスティ後、ニューヨーク、ラ・ガーディア空港に飛びました。

==========

NYにはもっと長く居たつもりでしたが実質6日の滞在。お金がないのでボロボロのホテルでしたが、記憶はしっかり残っています。

今はもうない42丁目のホテルで、ベッドは真ん中がへこんでいて、ガランとした白い殺風景な部屋でしたが、眺めが素晴らしくエンパイアステートビルが見える部屋でした。

毎朝出かける際に通る図書館のセキュリティの男性と顔見知りになって、挨拶を交わす毎日。

ホテルのロビーで知り合った大学生たち。中でも、休学してアメリカ武者修行中だという京都産業大学の学生は面白くて親切なひとで、髪ボサボサで見かけは構わない風だったけど、フォークとナイフの綺麗な使いこなしに、”このひとはきっとお坊ちゃんなのだろう”と推察したりしたけれど、今はどうしているのだろう。

(京都産業大学がどんな大学でどんな規模がまったく知らないのだけど、何故覚えているか? この後の数度のアメリカ旅で知り合う人がかなり高い割合で京都産業大学の方だったから。不思議な縁があるのか、マンモス大学なのか、その大学がその当時学生に海外旅を奨励していたのか。今だに謎である。)

1989.9.19
LGA CVG 0635 0824 DL343
CVG LAX 0930 1058 DL425
LAX TYO 14:45 17:55 9.21 SQ11

=========


チケットは総額で18万円くらいだったような。

国際線はシンガポール航空で137,000円で抑えたのだけれど、アメリカの国内線を別の航空会社に購入したから結局割高になってしまった。

お得な買い方なんてその頃はわからなくて、なんせ情報は一律に公開されてなくて旅行会社の担当者頼みだった。担当者が気を利かしてまわしてくれなかったら、安いチケットが出てこないようなところがあった。

今は「HIS」って呼ばれている”秀インターナショナル”という格安航空券を扱う店が新宿の雑居ビルの2階で営業していて、そこに何回か通ってチケットを購入。

あの時の担当してくれた長い黒髪の、いつも全身黒い服を着ていた大きな黒縁メガネの女性が今でもあの会社に残っているとすれば、会社の重役の1人だったりするんではないだろうか。




旅行の満足度
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
30万円 - 50万円
航空会社
シンガポール航空
  • ホームステイ先のおうちの周り。<br />本当に田舎だったなぁ。。。

    ホームステイ先のおうちの周り。
    本当に田舎だったなぁ。。。

  • Hotel Diplomat<br />108-166, w, 43nd Street near Sixth Avenue.<br />The hotel began life in 1911 demolished 1994.<br />(New York Public Library 資料から。)<br /><br />わたしが滞在した5年後にはもうなくなってたんですね。2002年に再訪した際、確かこのホテル周辺を歩いて少し探したような気がします。もちろん、ないわけです。

    Hotel Diplomat
    108-166, w, 43nd Street near Sixth Avenue.
    The hotel began life in 1911 demolished 1994.
    (New York Public Library 資料から。)

    わたしが滞在した5年後にはもうなくなってたんですね。2002年に再訪した際、確かこのホテル周辺を歩いて少し探したような気がします。もちろん、ないわけです。

  • そうそう、この看板と、真ん中の階にあるバルコニー付きな部屋があったのを覚えてます。<br />この看板がね、なんかニューヨークって感じがミョーにしたんです、根拠なく、ただの若者の思い込みだけど。

    そうそう、この看板と、真ん中の階にあるバルコニー付きな部屋があったのを覚えてます。
    この看板がね、なんかニューヨークって感じがミョーにしたんです、根拠なく、ただの若者の思い込みだけど。

  • 滞在した部屋<br /><br />お金がないのでボロボロのホテルでしたが、記憶はしっかり残っている。ベッドは真ん中がへこんでいて、ガランとした白い殺風景な部屋でしたが、眺めが素晴らしくエンパイアステートビルが見える部屋だった。

    滞在した部屋

    お金がないのでボロボロのホテルでしたが、記憶はしっかり残っている。ベッドは真ん中がへこんでいて、ガランとした白い殺風景な部屋でしたが、眺めが素晴らしくエンパイアステートビルが見える部屋だった。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • ひびき56さん 2017/08/09 11:42:13
    古いお話も新発見があり、楽しいです
    HISの新参者だった頃の話を始めとして知らない世界を楽しめてよかったです。
    自分のその当時を振り返る一因にもなりました。

    今と違う世の在り様、時として過去の時代が気ぜわしくなく人間として豊かではなかったか、とも思います。

    今後AIが生活の中に深く入り込み、たとえばAIが医者になって総合的に瞬時に病気の診断をしてくれると病院をたらい回しにされる手間も省けるかな、などと素人は考えてしまいます。

    sallyさんは古い旅行の記録を保存しておられるのですね。立派です。

    自作を楽しみに待っています。

    sally

    sallyさん からの返信 2017/08/09 18:54:00
    懐かしき90年代、なんて。
    ひびき56さん、こんばんわ!
    感想を寄せていただきありがとうございます。

    > HISの新参者だった頃の話を始めとして知らない世界を楽しめてよかったです。

    「あの会社は今では有名企業だけど、小さな頃から知ってるよ」という類の話を
    自分もできる年になっているとは。年を経た証拠で我ながら少し驚きです。

    > 今と違う世の在り様、時として過去の時代が気ぜわしくなく人間として豊かで
    はなかったか、とも思います。

    ほんとですね。携帯電話やネットがない時代はのんびりしてたな、というような話
    になりますよね。

    > 今後AIが生活の中に深く入り込み、たとえばAIが医者になって総合的に瞬時に
    病気の診断をしてくれると病院をたらい回しにされる手間も省けるかな、などと
    素人は考えてしまいます。

    お元気にされてますか? 
    AIがある生活なんて想像したことなかったですが、ちょうど最近職場で”これもあれもAIに
    やらせられるね!”という話をしてたら最後には「わたしたちいらないじゃん」
    と、、おあとがよろしい話に・・・。

    あれ、NYに行かれるのはいつごろだったでしょうか?

    わたしの初スペインは来月です。バルセロナが何かと混乱中(空港ストライキ、
    観光業への攻撃するグループ、加えて近づく独立投票選挙)で少しメゲそうです。

    そんなに難しい国に行くつもりではなかったのに、こんなの初めてで困ってます。

sallyさんのトラベラーページ

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