2011/10/14 - 2011/10/14
2006位(同エリア4379件中)
愛吉さん
あじさい会と云う会に参加しています。
同じ区内に住む60歳以上の親睦団体で、スタートは区の勉強会がきっかけで、もう10年続いています。
名前の由来は、一人一人既に花を咲かせていますが、その花が又一緒になって大輪の花を咲かせようと云う趣旨です。
毎月一回幹事を定め、イベントを開催します。
今月の幹事が計画したのが、表題の江戸の大川端を歩くです。
スタートは地下鉄の三ノ輪駅から。
では一緒に歩きましょう。
写真は昼食に食した駒形どじょう
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 徒歩
-
三ノ輪駅から5分で投込み寺として有名な浄閑寺に到着です。
吉原遊女の眠るところです。
門の前には、お地蔵さんが立って居ます。 -
お地蔵さんの横には、投込み寺としての案内板があります。
アップして読んで下さい。 -
新吉原総霊塔です。
多くの遊女達が葬られて居ます。
聞く処によると、江戸、明治、大正、昭和の350年間に2万数千人が葬られたそうです。 南無阿弥陀仏。 -
塔の前には、”生まれては苦界、死しては浄閑寺”花酔 の石碑が嵌めこまれています。
-
吉原の遊女達に同情を示した永井荷風の筆塚です。
総霊塔の正面に有ります。 -
総霊塔より10M程奥に入った処に、ひまわり地蔵尊が立っています。
案内板によると、山谷で一人さびしく人生を終えた日雇い労働者の為の供養塔です。
山谷老友会が建立しました。 -
案内板を読んで下さい。
-
墓地の入口に近い処に、三遊亭歌笑塚が有りました。
確か昭和の20年代後半に活躍した人気落語家で、歌笑純情詩集が有名です。
ラジオで聞いた覚えがあります。 下に書かれた文がその一節です。
碑文の文字は、武者小路実篤です。 -
寺を出て、土手道を浅草に向います。
土手道は、吉原へのメイン道路で、昼より夜に賑わった道です。
左手に古風な家が見えます、天麩羅の文字が読めます。
それなら土手の伊勢屋です、隣はさくら鍋の中江でしょう。
腹がへっては戦が出来ぬ、味は濃い目だそうです。
一度入りたい老舗ですが、今日は別の予定になっています。 -
ガソリンスタンド前、柳の木の下に人が集まって居ます。
-
見返り柳です。
吉原帰りの男性が、此処まで来て、今一度中を振り返った事から名付けられました。
きぬぎぬの後ろ髪引く柳かな。 -
こちらも説明板を読んで下さい。
-
大門址から旧吉原遊郭を見た処です。
面影はありません。 -
いつの間にか、浅草寺に到着です。
裏の駐車場口から入ります。
市川団十郎の銅像が有りました、ここに団十郎の銅像が有るとは知りませんでした。
見得を切った立派なものです。 -
銅像の隣には、針供養ならぬ、釘供養塔がありました。
-
浅草寺の本堂です。
何時も参詣客で賑わっています。 -
参道
-
仲見世通り
-
雷門を通過します。
-
吾妻橋を左に見て、真っ直ぐ進むと、駒形橋に到着です。
-
橋のたもとにある案内板です。
吉原の高尾大夫が詠んだと言う”君はいま、駒形あたりほととぎす”の句で有名です。 -
漸く予定した昼食場所、駒形どじょうに到着しました。
暖簾をくぐります。 -
これが有名などじょう鍋、江戸から続く味です。
-
駒形どじょうの店を出て、駒形橋を振返ります。
スカイツリーとアサヒビールが見えました。 -
ここからは、土手下の遊歩道を川に沿って歩きます。
所どころ道が中断し、上に上がらねばなりません。
早くつながる事を願います。
厩橋です、橋が完成したのは、明治になってからで、それまでは渡し船でした。 -
蔵前橋の碑です。
江戸時代、幕府の米倉が並んでいました。左の銅版に当時の風景が描かれています。 -
こんな風景だったのでしょう。
-
現在の蔵前橋です、何も有りません。
-
遊歩道に掛る橋で、江戸を演出して赤く塗られて居ます。
この先で遊歩道は行き止まりとなり、上の道に上がらねばなりません。
上がった所は、浅草橋の問屋街の外れで、駅まで10分程でした。 -
一日付き合って呉れた大川端と別れるにあたり、最後に川を主題に写してみました。
皆さんお疲れさまでした。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
30