2007/05/03 - 2007/05/03
23位(同エリア106件中)
哈桑湖さん
リヴィウ近郊のお城めぐりです。一日で出来ます。素晴らしいお城です。
西ウクライナは、ロシアとは全然違います。
ヨーロッパです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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日本の旅行記ではオレフスキー城と紹介されています。
Олевский замокが露語表記です。
オレフスク城と表現したほうが、正しいかも知れません。
リヴィウから50キロの距離です。 -
目の前の教会です。
かつて西ウクライナは、ポーランド人が支配民族で、西ウクライナ人は農奴でした。西ウクライナの文化遺産は、西ウクライナ人の汗と涙によるものです。
ポーランド人荘園を管理していたのが、ユダヤ人です。それゆえ反ユダヤ感情が強い地域でした。しかし大半のユダヤ人は、まずしかったのです。 -
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入口です
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ここはレストランの入口です
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ポーランド人観光客です
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内部です。
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右の旨に刺しているのは、意味があったのですが、忘れました。
心臓は左です。 -
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人間は、必ずいつか死にます。
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人間は、最後の審判を受けます。
スペインのフランコ総統も、死を目前にして、
カトリック信者として生き、カトリック信者として死んでいくこと。
いよいよ、裁きの庭に立つときが来ましたと。
私は国民に許しを求めます。私のことを、敵だと思っている人たちにも。勿論、私は彼らのことを、敵だとは思っていないのです。
私が彼らを心から許すように、私を許してください。私が心から愛し、奉仕することを誓った、祖国の敵以外に、敵はいませんでした。
こんなことを言っていました。
この絵を見て、フランコさんの遺言を、思いだしました。
スペイン市民戦争勝利後、キリスト様の言う、敵を許すことはしなかったはずです。
フランコさんは、自称敬虔なカトリック信者でした。スペイン市民戦争時には、毎朝教会で、聖母マリア様へのお祈りである、ロザリオを唱えていたようです。
敬虔な信者のくせに、政府軍や共産主義者の捕虜を、闘牛場に集めて、射殺していたんです。不思議ですね。 -
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地獄に導かれます
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地獄です
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昔のオレフスキー城
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ナチスとの激戦で破壊
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安産祈願。
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安産祈願。
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リヴィウから60キロ
Пидгорецкий замок(露語表記)
Pidhirtsi Castle(英語表記)
Zamek w Podhorcach(ポーランド語表記)
英語と露語では、違うんです。
露語ではピドガレツキイー城。
英語ではピドハーシ城です。
ポーランド語表記では、Podhorce村にあります。
英語表記では、Pidhirtsi村にあります。 -
所有者は、ブラジルに亡命。
1939年、ソ連軍がこの地に侵攻。
当時はポーランド領 -
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火事になって廃墟
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ゾロチフ城として、日本語で紹介。
Золочевский замок(露語表記)
Zolochiv Castle(英語表記)
リヴィウから80キロ -
日本庭園
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1939年9月、当時ポーランド領だった西ウクライナに、ソ連軍が侵攻。
ここに、西ウクライナで民族主義者とされた人々は、ゲーペーウーに閉じ込められ、殺害されていきます。 -
今は、ここは博物館に。
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1939年にソ連軍が、ドイツとともに、ポーランドに侵攻。
ポーランド領だった西ウクライナを、ソ連が占領。
このときに、西ウクライナの民族主義者を、ソ連のゲーペーウー(秘密警察)が、この城に閉じ込めて殺害。
1941年、6月22日にドイツ軍、バルバロッサ作戦発動。
この地にも、ドイツ軍がやってきます。このときに、ゲーペーウーの犯罪が明らかに。 -
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西ウクライナの地元民から歓迎を受ける、ドイツ国防軍兵士たち。
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ドイツ国防軍を、歓呼の声で迎える、西ウクライナの人々。
リトアニア、ラトビア、エストニアでも、同じような光景が。
恐ろしいスターリンのソ連を追出すには、ナチス・ドイツと手を組むしかなかったのです。
この地は再度、ソ連に占領され復讐が。よくてシベリア送りでした。
現カザフスタンのマルカコリ湖近辺には、エストニア人が強制移住させられた集落がありました。今は、数家族のみですが。 -
西ウクライナ女性から、花束で迎えられる、ドイツ陸軍兵士たち。
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ドイツ軍将兵は、地元住民の歓迎には、驚いたようです。
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ドイツ軍がやってきます。
西ウクライナの人たちは、スターリンのポスターを剥がします。 -
ドイツ軍がせまって来ました。
ゾロチフ城に監禁されていた、まだ生きていた西ウクライナの人たちを、ゲーペーウーは急いで全員射殺して、置き去りのしてにげました。
お城から、死体が担ぎ出されます。 -
夫や息子の遺体を捜す、西ウクライナの女性たち
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ドイツ軍が到着。
変わり果てた遺体に涙する西ウクライナ女性たち。 -
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怒れるゾロチフ城近辺の西ウクライナの人は、ユダヤ人を迫害します。
ユダヤ人が、ソ連のゲーペーウーに協力したと、信じられていたからです。
でも大半のユダヤ人は貧しく、無関係な人たちでした。
ユダヤ人狩りには、ヨーロッパ中がナチスに協力したのです。
フランスもオランダもです。 -
ゾロチフ城近辺の西ウクライナ人によって追われる、ユダヤ人。
集団真理は怖いです。日本もかつて関東大震災のときに、朝鮮人を殺害しました。ごく普通の日本人がやったのです。朝鮮人が襲ってくるとか、毒を井戸にいれたとかという流言飛語からです。 -
ナチス親衛隊の特別行動隊(アイン・ザッツ・グルッペ)によって狩り立てられるユダヤ人。
ゲーペーウーによって殺害された、西ウクライナの民族主義者たちの墓堀を、ユダヤ人たちはさせられるのです。 -
ナチス親衛隊の特別行動隊によって、墓堀りをさせられる、ユダヤ人たち。
このあと、ユダヤ人たちは、ウクライナの民族主義者によってリンチで殺害されたりします。
ソ連のゲーペーウーに協力したと、信じられていたからです。
ドイツでは、旧ドイツ国防軍は、ユダヤ人虐殺とは、無関係とされています。でも、前線の背後では、ナチス親衛隊の特別行動隊が、くっついていて、ユダヤ人を殺害していたのです。 -
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ナチスに強力する西ウクライナの民族主義者たち。
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右手を高く。ファシスト式敬礼
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西ウクライナを訪れた、ナチスのアルフレート・ローゼンベルク東部占領地域大臣。
ローゼンベルクは、ドイツがオーストリアを併合したときに貰った花よりも、ウクライナの花の方が、美しかったと述べました。
ローゼンベルクは、「二十世紀の神話」の中で、北ヨーロッパのアーリア人種の優秀性を説き、劣等民族であるユダヤ人と血が混じることの危険を述べています。
この「二十世紀の神話」という本は、仲間からも馬鹿にされていたようです。ヒトラーすら、「ガラクタ」だと言っていました。
ローゼンベルクは、戦後ニュルンベルク裁判で、絞首刑。
ローゼンベルクは、エストニアのタリン生まれの、バルト・ドイツ人とされていますが、ユダヤ人とも言われています。 -
犠牲者の追悼。
でも、一番残虐なのは、キリスト教徒ですね。
イラクやアフガニスタンで戦争を、おっぱじめて。
トルストイは、時の権力者に刷り寄る教会に対して、キリストの教えに従っていないと批判していました。教会から破門されても、動じませんでした。
日露戦争勃発に対して、「殺生を禁じられた仏教徒と、神の愛を信じるキリスト教徒との戦争を、許すことができない」と言いました。
キリストの愛に目覚めたと言って、イラクやアフガニスタンで戦争を始めた、どこかの元首より、トルストイの方がよほどキリスト信者らしいですね。
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この旅行記へのコメント (6)
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- F.K.さん 2012/08/26 23:21:03
- 興味深く拝見しました
- 浦潮様、こんにちは。
ウクライナの「黄金の蹄鉄型」の三つのお城に関する情報は、日本ではほとんどないと思っていましてので、今日このサイトを発見して、驚きました! 実は、私もこの三つのお城のことをブログに書きかけていましたので、
情報をもとめてネット検索していたのです。すると、золочевский замок のキーワードに、日本語のサイトが反応したので、驚き、喜んで、早速覗かせていただきました。
たくさんのお写真と、詳しい記述、とても興味深く拝見しました。
オレシコ城(Олеський замок を私はこう日本語表記しています)で、私はヨハン・ピンゼルという天才彫刻家の作品に大衝撃を受けたのですが、浦潮さんは、ぜんぜん違う点にスポットを当ててごらんになったのですね。
お写真を拝見しながら、ウクライナの歴史の持つ複雑で重く暗い側面を、改めてつくづくと実感しました。
ありがとうございました。
また、ほかのページも見せていただこうと思っています。
- 哈桑湖さん からの返信 2012/08/27 20:30:05
- RE: 興味深く拝見しました
- FKさま
お便り有難うございます。
ゾロチフ城以外は、どのように日本語表記するか迷いますね。
1939年、ドイツは友好国だったソ連と、ポーランド分割をします。
このゾロチフ城は、ゲーペーウーの管理下に置かれ、西ウクライナの民族主義者とされた人が、収監されます。
1941年6月にドイツ軍が、ゾロチフにやってきます。このときに、収監されていた、西ウクライナの人は、ゲーペーウーにより、皆殺しにされます。
1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件の際に、ベルリンを鎮圧した、オットー・エルンスト・レーマー大佐は、このゾロチフに初めて占領してやってきたときに、西ウクライナの住民は、ゲーペーウーの手先とされたユダヤ人の男女を撲殺したり、ユダヤ人の赤ん坊を、窓から放り投げるのを、目撃したようです。
どんな町かと思っていましたが、空は快晴、平和そのもの。そんな恐ろしいことが起きたとは、信じられませんでした。
私は西ウクライナののんびりした雰囲気が、好きです。
ハンガリー系住民の住む、ザカルパチア地方や、かつてはルーマニアの一部だったチェルノフツィ地方に行きたいです。
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- まみさん 2011/10/11 20:30:56
- 勉強になりました
- 浦潮斯徳さん、こんにちは。
私はゾロチフ城を含むリヴィブ近郊の城めぐりは現地の英語ガイドさんに説明してもらったのですが、全く初めて聞く話ばかりで、ガイドさんの話についていくのにやっとでした。覚えきれなかったし、ぴんとこなかった話もたくさんあります。
ゾロチフ城の写真の解説はとても勉強になりました。ガイドさんからここまで詳しく話を聞きませんでしたから。いや、聞き取れませんでしたから。。
- 哈桑湖さん からの返信 2011/10/11 21:19:58
- RE: 勉強になりました
- まみ様
お便り有り難うございます。
私のガイドさんが、反露感情の強い人でした。
露語の先生で、オデッサ出身の方がいました。西と東のウクライナは、違うと聞いていました。
また、キエフのガイドさんも、東と西のウクライナは、違うと聞いていたので、私は興味を持って、ガイドさんに質問していたので、色々教えてくれました。
リヴィウと日本では紹介されていますが、リヴィフが正しい読み方のようです。
私の友人(日本人)の奥様が、ウクライナ国籍のロシア人ですが、リヴィウの町で、露語を使ったら、物を売ってくれなかったのです。日本人が露語を使う分には、ノン・プロブレムですが。
あちこちに警察がいるロシアと違い、ウクライナへ来ると、気分がハイになります。もう一度ウクライナに行きたいです。
お城の詳しいご説明、有り難うございました。
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- frau.himmelさん 2011/10/10 14:19:33
- 一連の物語を読むようでした。
- 浦潮斯徳 さま こんにちは。
旅行記読ませていただきました。
いつも早くから浦潮斯徳さまの旅行記投稿を楽しみにしているのに、この旅行記はどうしてかまだ読んでいませんでした。
息もつかずに読ませていただきました。
西ウクライナの歴史、ポーランド人との関わり…、よく判りました。
特に後半の、ソ連の西ウクライナ侵攻では多くの兵士を捕虜とし、ドイツのバルバロッサ作戦の開始によりあわてて、捕虜を虐殺するソ連軍。
そして、西ウクライナがドイツ・ナチスと手を組むしかなかった事実にいたっては、悲しいものがありますね。
ナチスに迎合してユダヤ人を迫害するようになる経緯、アインザッツ・グルッペの西ウクライナでの非道な行為…、など等。
並び立てればキリがありませんが、一連の物語を読んでいるようで、背景を考えながら一気に読ませていただきました。
またお写真がとてもきれいですね。とてもいい旅行記ありがとうございました。
himmel
- 哈桑湖さん からの返信 2011/10/10 14:58:25
- RE: 一連の物語を読むようでした。
- お便り有り難うございます。
私の友人(日本人)の奥様が、ウクライナのクリミア(クリム)出身です。
クリミアは、アジア系のタタール人とロシア人が居住しており、ウクライナ人は、殆どいません。
このクリミアを、フルシチョフが、ウクライナとロシアの友情の証として、ウクライナ・ソビエト共和国に、プレゼントしました。勿論、ソ連という一つの国でしたし、ソ連が崩壊するとは、考えられなかったからです。
ソ連が崩壊したときに、クリミアはウクライナ領になりました。クリミアに住むロシア人は、クリミアはロシアになるべきだと、運動しました。現在このクリミアでは、露語が主流です。
この奥様と日本人ご主人が、リヴィウの町に旅行したのです。奥様はウクライナ語が喋れず、露語を使いました。すると売店で物を売ってくれなかったようです。「もう西ウクライナには、二度といきたくない」と。日本人が露語を使う分には、問題ないのですが。
ウクライナは、パイプラインの関係上、ロシアと仲良くやっていった方が、うまく行くのですが、西ウクライナの人たちは、スターリンのしたことを忘れず、ロシアそのものに、拒絶感を抱いています。西ウクライナの人のロシア人への怨念は、韓国人の日本人にたいするものと、似ています。
あとドイツ側に立ってソ連軍と戦うために、ラトビア、エストニアでは武装親衛隊が組織されます。ドイツの敗戦が明白になり、ドイツとの同盟を破棄する国が出てくる中で、スターリンの復讐を恐れ、最後までドイツ側に立って戦いました。戦争末期には、リトアニアの青年も、ドイツ側に組み込まれて、ソ連軍と戦わされます。
リトアニアでは、戦争終結後にも、ドイツ側で戦っていた青年たちは、森の中に逃げ込み、ソ連軍にパルチザン攻撃を行なっていました。彼らは「森の兄弟」と呼ばれています。
バルト三国もロシア人に対する怨念が、今でもあります。ラトビア、エストニアは、ソ連時代に移住したロシア人が、沢山居住しています。現在、このロシア人たちは、マイノリティに転落し、地元民から差別や苛めを受けています。少し前でしたが、エストニアに住む、ロシア人の若者が暴動を起こしました。
西ウクライナでもバルト三国でも、スターリン時代の悪事を、次の世代の若者たちの心に刻ませています。日本と韓国もそうですが。
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