2003/03/20 - 2003/03/25
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彷徨人MUさん
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1).旅の始めに
転寝と 旅を続ける 春炬燵
芥川龍之介の「長江游記」や、松本重冶の「上海時代」には、彼らが旅した1930年代の「廬山」での出来事等が、あれこれと書かれている。当時、国民党の蒋介石は、「廬山」で、侵略を拡大する「対日問題」と、解放区を拡大しつつある「対共問題」に関する、重要会議を開いている。その結果、1937年6月から8月に掛け、共産党の周恩来との間で、国共合作のための本格的な交渉が、行われていた。
2).廬山へ
「廬山」と言えば、『枕草子』の中で、清少納言が書いている「廬山」を、僕は思い出した。中宮に、「香炉峰の雪は?」と尋ねられ、「直ぐに御簾を挙げた」と、清少納言は、如何にも得意気に、書いている。
「白楽天」が、「九江」に左遷され、住んでいた草堂から「廬山」を眺め詠んだ詩に、「香爐峯雪撥簾看」(香炉峰の雪は簾を撥ねて看る)という件(くだり)があるが、その詩を、自分は既に知っていたのだと、言わんばかりの、清少納言の得意満面な様子が、そこには、描かれていた。
「白楽天」の、この地での無聊な日々を辿ろうと、僕は、「廬山」へ来たのだが、生憎と、冬への逆戻りの寒さの中で、朝を迎えた。国民党時代、蒋介石夫人「宋美齢」の名が付けられていた『美廬別荘』が、「廬山会議」のメイン会場であった。共産党による解放後は、「廬山」では、毛沢東主席出席のダンスパーティが、夜な夜な開かれていたようだが、毛沢東夫人江青女史を、ヤキモキさせていたと言う、噂もあったようである。
3).「香炉峰の雪は?」を尋ねて
翌日、「香炉峰」を、麓から眺めようと、「廬山」北面の「九江」側に下り、麓にある「鉄仏寺」と「東林寺」に出かけ、「香炉峰」について尋ねたが、生憎の曇り空の所為もあり、「廬山」の山影さえも、見えなかった。
「廬山」で、「香炉峰」と呼ばれる峯は、北と南の二峰があり、いずれも雲気の立ち上る姿が、「香炉」に似ていることから、「香炉峯」と呼ばれた。白楽天が、「香炉峰の雪は簾を撥ねて看る」と、詠んだのは、どうやら、「北香炉峰」のようである。
4).旅の終わりに
「廬山」からの帰り、「長江」の調整湖である「翻陽湖」近くで、「胡耀邦」(注1)の墓に、偶然出合った。墓地とは言え、大きな公園であるが、生憎の雨降りの所為か、僕以外、訪問者は見当たらなかった。
「山崎豊子」が、ある日本人残留孤児の半生を追い駆け、書き上げた『大地の子』の創作活動を、何かと配慮し、バックアップしたのは、「胡耀邦」であった。この墓の前で、泣き崩れる「山崎豊子」の写真を、僕は思い出していた。
旅の終わりは、何時もの事だが、次第に現実へと引き戻されて行くのである。(完)
(注1)胡耀邦:1987年1月、学生運動の責任を問われ、共産党「総書記」を解任される。
* Coordinator: H. Gu
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 タクシー 飛行機
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「廬山」の滝
『香炉峰の雪は?』と尋ねられ、清少納言は、簾を撥ね、山を眺めた。 -
「廬山」にある19世紀末のイギリス風別荘で、「蒋介石」夫人「宋美齢」の名が付いた『美廬別荘』の入り口に置かれている案内看板。
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「廬山」の日の出
この写真を撮った、極近くに置かれた案内看板には、「奥に見える山の峰は、毛沢東主席の横顔にそっくり」と、書かれてあった。 -
「廬山」の風景
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「廬山」の風景
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「廬山」 仙人洞
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「廬山」 仙人洞
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「九江」
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「九江」
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「九江」
たまたま、入ったレストランの生簀で泳いでいる、「長江」で獲れる大鯰(ナマズ) -
九江市を流れる「長江」に掛かる橋
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九江市から「南京」へ向かう列車の最後尾から撮った、沿線風景。
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