2011/06/19 - 2011/06/19
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Huumaさん
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四国遍路も今日、愛媛あと6ヶ寺を巡拝させて頂くと、88ヶ寺も土佐(高知)13ヶ寺で満願をむかえるところまで来ました。雨、時々晴の天気予報を見て朝3時8分家を出発、瀬戸内しまなみ海道を渡る頃は廻り一面の霧、こころ穏やかな気持ちで愛媛今治に向かいます。
第54番札所 近見山 延命寺 〜 第55番札所 別宮山 南光坊 〜 第56番札所 金輪山 泰山寺 〜 第57番札所 府頭山 栄福寺 〜 第58番札所 作礼山 仙遊寺 〜 第59番札所 金光山 国分寺を巡拝します。
その後、今治城へ。
表紙は、第55番札所 別宮山 南光坊山門 増長天像。
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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山陽自動車道の福山西ICを下り、国道2号線を走って瀬戸内しまなみ海道に入ります、霧一面の世界!
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現在6時少し過ぎたところ、まだ自動車の姿は時々しか見えません。
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第54番札所 延命寺山門。
この門は、元今治城々門の一つ・・・・と説明があります。
愛媛・今治に入って一番目の札所、予報通り雨です。 -
延命寺鐘楼。
祈りを捧げます。 -
第54番札所 近見山 延命寺(ちかみざん えんめいじ)本堂。
天平年間(729−49)行基により不動明王が刻まれ本尊として開創。享保12年(1727)に現在地に再建、寺号の延命寺は明治初期に改められたとのことです。 -
第55番札所 南光坊山門。
この山門には、表2体(多門天、持国天)、境内内側2体(広目天、増長天)の四天王が守護しています。山門に4体の四天王の配置は四国88ヶ寺で唯一のものです。 -
第55番札所 南光坊山門の四天王のうち多聞天像。
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第55番札所 別宮山 南光坊(べっくさん なんこうぼう)本堂。
本尊は大通智勝(だいつうちしょう)如来。
約1300年前、伊予の国主越智玉純は、文武天皇の勅命により大山明神を大三島に勧請して、法楽所として24坊を建立。坊は後にここ今治に移されましたが、戦国の兵火で焼失、この南光坊のみ再興されました。現在の本堂は、昭和56年に再建。 -
第56番札所 泰山寺の石標と参道。
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泰山寺参道。
今治市の郊外、田園の中に位置しています。高い石垣・白い塀に沿って本堂に向かいます。 -
泰山寺鐘楼。
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第56番札所 金輪山 泰山寺(こんりんざん たいさんじ)本堂。
弘仁6年(815)、弘法大師がこの地に入ると、近くの蒼社川が氾濫、大師は村人たちを集め堤防を築き、「土砂加持」の法を行った。この時地蔵菩薩を刻み本尊とし、寺を建立したのが始まりです。 -
弘法大師が土砂加持の地に松の木を手植えたのが「不忘松」、その石碑。
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第57番札所 栄福寺の石標。
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第57番札所 栄福寺鐘楼。
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第57番札所 府頭山 栄福寺(ふとうざん えいふくじ)本堂。
弘仁年間(810−24)嵯峨天皇の勅願により弘法大師が本尊の阿弥陀如来を刻み、堂宇を建立して開基。 -
八幡山(府頭山)の麓に、ここ栄福寺が建っています。のどかな田園風景です、雨は上がってきました。
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第58番札所 仙遊寺山門。
海抜340mの作礼山山頂が本堂、山門の前の山道を車で上って行きます。駐車場は本堂の近くにあります。 -
仙遊寺山門の阿形像。
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子安観音像。
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第58番札所 仙遊寺鐘楼。
ひっそりと静まり返った山に梵鐘の響きが伝わって行きます。 -
第58番札所 作礼山 仙遊寺(されいざん せんゆうじ)本堂。
天智天皇の勅令により伊予の国主越智守興が堂宇を建立、天皇の念持仏、千手観音を本尊として安置したのが始まりと伝えられています。 -
仙遊寺本堂と大師堂を勤業させて頂いた後に、お寺さんからお接待を勧められました。作礼山(標高約290m)の頂上足湯の場があります。ここから、歓喜寺山から瀬戸内海が臨まれます。
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作礼山足湯。
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甘酒と茹で卵のお接待を頂きました。ありがとうございました。
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石段を登り、第59番札所国分寺の本堂に向かいます。こどもさんたちもお参りに。
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第59番札所 金光山 国分寺(こんごうざん こくぶんじ)本堂。
天平13年(741)、聖武天皇の勅願により、行基が伊予の国分寺として創建、当時は七堂伽藍を備えた大寺院であったと伝えられています。 本尊 薬師瑠璃光如来。 -
握手修行大師と薬師のつぼ。
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七福神石像。
今日の勤業を済まさせて頂きました。徳島、愛媛、香川を全て巡拝し、高知の13ヶ寺を廻らせていただくと満願のところまでまいりました。 -
今治城。
説明によると、堀に海水が引かれた近世の平城で、大手二の丸に藩主の館を、三の丸大手口に鉄御門(くろがねごもん)・・・・
藤堂高虎は、慶長7年(1602)6月から普請を開始、慶長9年に完成した、とあります。 -
今治城鉄御門(くろがねごもん)。
平成19年、今治城築城400年を記念して復元されました。 -
藤堂高虎像。
豊臣秀長、豊臣秀吉、徳川家康に仕え、城作りと現場の体験から高虎独自の工夫と当時の先端の技術を生かした築城の名手として知られている。
自らの居城として、紀伊猿岡城、伊予宇和島城・大洲城・今治城、伊勢津城・伊賀上野城があり、その他命じられた聚楽第、再築伏見城、江戸城・・・・等全国に数多くある、と説明されています。 -
今治城天守。
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天守に入ります。
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今治城天守。
昭和55年(1980)に建てられた5重6階の天守。 -
天守最上階からの来島海峡、大島。遥かしまなみ海道も臨めます。
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来島海峡を前にした「海峡料理 伊豫水軍」。
遅くなった昼食をこちらで頂きます。 -
来島海峡大橋。
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美しい外の景色を眺めながら海峡料理を待ちます。
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うに釜めし、造り、天ぷらの御膳。
遅くまで探した甲斐がありました。 -
瀬戸田PAからの多々羅大橋。
石標は、故平山郁夫画伯(現尾道市瀬戸田町出身)の自筆です。 -
美しい多々羅大橋。
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ここでしか食べられないソフトクリーム。
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「しおなみソフト」を選びました。
ちょっと、しょっぱい!おつな味のソフトでした。 -
今治に向かうときは景色が殆んど霧で見えなかった瀬戸内しまなみ海道を渡って家路に向かいます。
今日1日、朝家を出て帰宅するまで16時間30分、575kmの車のお遍路旅でした。
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