2011/05/05 - 2011/05/05
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のーとくんさん
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富田林の南端にある楠妣庵(なんぴあん)観音寺は、楠木正成ゆかりのお寺で、臨済宗妙心寺派の禅寺です。
なかなか良さそうなお寺なので、いつかは行ってみたいと思っていました。
今日の朝刊に、希望よコイ富田林に400匹と題して、富田林の石川河川敷でのこいのぼりが記事が載っています。
400匹のこいのぼりを見るのもまた良し。
まずは、錦織(にしこおり)神社に立ち寄り、そして楠妣庵観音寺から富田林の寺院を巡ってみました。
【写真は、石川河川敷のこいのぼりです。】
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
富田林を巡るということを、錦織神社に挨拶します。
錦織(にしこおり)神社の長い参道の向こうに、東拝殿と社務所が一体となった門のような建物が見えます。 -
狛犬です。
阿形(右)の後方が東拝殿で、吽形(左)の後方が社務所になっています。 -
本殿の周りには、格子状の塀で囲まれています。
本殿の主神は、中央が建速素戔嗚命(たけはやすさのおおみこと)、右が品陀別命(ほんだわけのみこと)、左が菅原道真公です。
屋根に特徴があります。
本殿の説明には、「桁行三間 梁間二間 一重 入母屋造 正面千鳥破風付 向拝三間 軒唐破風付 檜皮葺」となっています。
とにかく、千木が三方向に向いているのは、珍しいですよね。 -
彩色の施された綺麗な本殿です。
格子の間から撮りました。
「極彩色共斗(ますがた)栱拳鼻の手法(手法は亦優雅で佳作である。上野及日光本照宮にももちいられる)」と説明されています。 -
れんげ畑です。
錦織神社を出て、もとの国道170号線に戻るときちょっと迷ってしまいました。
そのときこのれんげ畑を見つけました。 -
国道170号線をもう少し走ったところにある、カフェテラス蘭館で朝食にします。
カフェテラス蘭館は、先日観心寺に行ったとき(旅行記‘河内長野、観心寺の国宝如意輪観音 http://4travel.jp/traveler/geru0201/album/10559654/’をご覧ください。)に、発見しました。 -
パンの食べ放題と飲み物のセットです。
美味しいパンで、どんどんお客さんが来ています。 -
観音寺の本堂です。
駐車場から裏門を通って境内に入ります。
まずは、一番南端の楠妣庵観音寺に行きました。
観音堂は、後醍醐天皇の崩御後、ここにお堂を建て、同天皇の念持仏であった千手観音を安置したのが、始まりです。
正行が四條畷の合戦で討ち死した後、母である楠公夫人は、ここに草庵(南妣庵)を結び、正成をはじめ一族郎党の菩提を弔いました。
楠公夫人がなくなった後、正行の弟正儀が観音寺として、楠一族の菩提寺としました。 -
本堂から見た山門です。
もとは、埼玉の恵林寺の青松軒のものを、昭和39年楠公夫人六百年祭に移設しました。
栗材による四脚門です。 -
山門から石段を降りていきます。
石段の一番下の横には楠母子像が、石段の中ほどの横には楠公像があります。
母子像は、父である正成公の首級を見た、正行が後を追おうとして、それを母親が止めたときの様子のようです。
正行が四條畷の合戦で討ち死した後、母である楠公夫人久子は、敗鏡尼と称し、生まれ故郷の甘南備に草庵(南妣庵)を結び、正成をはじめ一族郎党の菩提を弔い、寂寥の余生を16年ここで過ごした。敗鏡尼の没後、正行の弟正儀が観音殿を改め観音寺とし、楠一族の菩提寺とした。 -
石段を上って、また山門をくぐります。
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山門を入ってすぐのところに、このような鬼瓦が。
大正11年の本堂再建時から、平成15年まで本堂で使われていた鬼瓦です。
こんな大きなものが、本堂の屋根についているんですね。 -
本堂の前にある水桶でしょうか、菊水の紋が。
また四方を持ち上げているのは、鬼でしょうか。 -
境内から楠公夫人の墓所に上る石段です。
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石段をのぼってすぐの右側にある、草庵です。
楠公夫人が隠棲されていたところで、伊藤忠太博士の設計により、当時の様式をのっとり、大正6年5月に建立されました。 -
石段を登って正面にある、観音堂です。
楠公夫人の念持仏である十一面観音を安置しています。
草庵と同様に伊藤忠太博士の当時の様式に則した設計で、同時期に建立されました。 -
観音堂と並んである、楠公夫人の墓所です。
その横に、昭和天皇お手植えのくすの木があります。 -
観音堂から本堂を見ています。
左側に見えるのは、草庵です。
楠妣庵観音寺、思ったとおり、すっきりとした名刹です。 -
楠妣庵観音寺の境内のちょっと離れたところにある、夫人常用泉です。
今も昔に変わらず清泉が湧き出て参詣の人々の喉をうるおしている、とパンフレットに書かれていますが、鍵がかかっていて飲むことは出来ませんでした。
これより、来た道をもどりつつ、富田林の寺院を巡ります。 -
龍泉寺につきました。
駐車場から続く参道です。 -
八脚門が見えてきました。
牛頭山龍泉寺は、名勝庭園のある高野山真言宗のお寺です。 -
八脚門に近づいたところに、シャガの花が咲いています。
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八脚門をくぐると、正面に本堂があります。
龍泉寺は、推古天皇二年(595)勅命によって、蘇我馬子が創建しました。
昔この地に古い池があり、悪い龍がすんでいて人々に害をしていたので、馬子が修法を行って、龍を追い出しました。
その後、馬子は聖徳太子と、この地に寺を建て仏法を広めたとのことです。 -
右側には、鐘楼があります。
鐘楼のうしろのある山は、右は金剛山で、左は葛城山です。 -
本堂にへの途中で、蝶々を見つけました。
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本堂に突き当たって、左に向くとある、聖天堂です。
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国指定の名勝の庭園です。
その後、弘法大師の時代には、池の水が枯れて、寺も衰退してしまっていたのですが、弘仁十四年(823)にこの地を訪ね、池に向かって七日間の祈祷をすると、雨が滝のように降り始め、やがて夜が明けると池は清水満々として、三つの島が出来ました。
大師は、それらの島に聖天、弁財天、叱天を祀りました。 -
池を一回りして、また本堂に戻ってきました。
一昨日、昨日、今日と、この龍泉寺、年に一回の資料館を見せていただけるときなんだそうです。
池の中の弁財天に祀られていた弁天像や、閻魔大王像や、聖徳太子像や発掘された瓦などなど、いろいろ良いものを見ることが出来ました。
この日に参拝されるなんて、きっと良い縁があったんですね、と寺の人のお言葉です。 -
先ほど(楠妣庵観音寺に行くとき)は、この前を通り過ぎてしまった、滝谷不動尊につきました。
駐車場の向かいにある滝谷山総門です。 -
総門をくぐったところにある、手水です。
元近鉄バッファローズの吹石選手の子の女優、吹石一恵さん奉納の柄杓があります。 -
瀧田に不動尊の本堂です。
屋根の上に、ちょこっと多宝塔が見えます。
このお寺は平安時代、嵯峨天皇の弘仁十二年(821)に、弘法大師が開かれた道場で、本尊不動明王、脇侍(わきじ)の矜羯羅(こんがら)童子と制叱迦(せいたか)童子の御三体は、大師の一刀三礼の霊像で、重要文化財に指定されています。 -
滝谷不動尊の鐘楼です。
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多宝塔に上りました。
向こう側の嶽山(だけやま)にある滝谷不動尊の三宝荒神堂が見えます。 -
道路を渡ってある、滝行場と龍不動堂です。
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龍不動堂に行く前にある、水かけ不動です。
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三宝荒神堂まで上って、向こう側にある多宝塔です。
これから、目白不動願昭寺に行きます。 -
目白不動願昭寺の境内から、向かいの山の藤の花が見えます。
ここから先ほどの牛頭山龍泉寺からは、嶽山(だけやま)の向こう側なので結構近いので、ハイキングコースで歩けば行ける距離のようです。 -
境内から嶽山に上ったところにお宮さんがあります。
そこから本殿と、向こうにPLの塔が見えます。 -
今日の新聞に載っていた、石川河川敷のこいのぼりです。
新聞に載ったからでしょうか、駐車場は満車なので、車をちょっと停めて写真だけ撮りました。
こいのぼりを取り付けた竹を15mおきに立てています。
地元の住民でつくるNPO‘夢の会’が、使われなくなったこいのぼりを集めて、1984年から続けているもので、今年も新たに約50匹が集まったそうです。
大量のこいのぼりというと、横に張ったロープでのこいのぼりの泳ぎと思うのですが、普通にこいのぼりを揚げる、このスタイルの400匹、良いですよね。
これを見た人が、昇竜となると良いですね。
(おしまい)
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