2011/02/03 - 2011/02/03
2371位(同エリア5910件中)
哈桑湖さん
名古屋の駅裏(今は駅西と呼びます)に、ひっそりと神社があります。この神社は、松井石根大将ゆかりの椿神社です。
松井大将は、1937年の日本軍の南京占領の現地最高責任者でした。東京裁判で、南京事件の罪を問われました。
椿神社に入ると、柵で仕切られた中に、石碑があります
柵には、1995年10月8日の中日新聞の記事が、貼り付けられています。
「池に沈めた大将の碑」とあります。
その内容を、要約してみますと、
松井氏の出身地が神社のある牧野村だったため、1939年12月に、この石碑を地元の有力者が建立しました。碑文は、松井大将が南京入城後に作った詩が、刻まれています。天皇の権威と兵士の勇ましさをたたえています。終戦後、松井氏は、東京裁判でBC級戦犯として裁かれ、1948年11月12日に死刑判決が下りました。
碑はこれより前に、戦犯とかかわりなることをおそれた人々によって、中村公園の近くの池に投げ込まれました。
その後、この碑は引き揚げられ、再び椿神社に建立されたとのことです。
松井大将は南京占領後、日本に戻り、1939年に日本軍、中国軍の戦った地の土でもって、熱海・伊豆山に興亜観音を建立しました。日本、敵国の中国、区別なしの「怨親平等」の理念に依り、戦死者を弔って供養したのです。松井大将は、日中双方の犠牲者が、東洋平和の礎となる事を祈願して、朝夕、読経の生活を送っていたようです
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 自家用車
-
大分前ですが、先輩やお連れの方と、駅裏のビジネス・ホテルにとまり、フロントの人のすすめで、焼肉屋の「こちょうらん」へ。出張族のオトーサンにとって、駅裏に泊まる楽しみは、ここでの食事といっても過言ではない。まあ伝説のお店です。
名古屋の駅裏は、夜は何にもないんですよ。
このあと、タクシーの運転手さんの案内で、栄(こちらは、夜でも、遊ぶ場所、食べる場所はやまとあります)の、ロシアン・パブへ。
先輩が「君は、こういったお店は、はじめてだろう。今のうちに、うんと遊んどかんと。歳をとってから行くと、狂ってしまって、ワイドショーに出たりするんだ。君みたいな人間だぞ。あんな人が、信じられない、とあるだろうと」
私は、ああそうか、私みたいな人間が、このようなお店に行くと、ワイドショーに出るんだ。戒めないとと。ただ、ここへ来て、一つの収穫は、ウラジオストクやサハリンにも、行けるようになったことを、知ったことでした。かつては、外国人どころか、ソ連人でも、許可なく、ウラジオストクもサハリンもニェットでしたから。 -
これが椿神社です。
この近辺は、早朝は、卸売り市場が隣にあるので、人は沢山いますが、もう午前10時には、まばらになります。
夕暮れ時には、ポン引きのおばちゃんが、所々に立っている、本能が危ないと察知させるような町です。
予備校が近くにありますが、大半の生徒は、ここには足を踏み入れません。
私は危ないところが好きで、ときどきここの町に入りました。一度は、男性に襲われました。必死で振り切り、表通りの薬局に駆け込み、消毒薬を購入して、触られた手を消毒しました。手や腕が白くなった覚えがあります。オキシドールだったか、アルコールだったか覚えていませんが。 -
椿神社の中にある、池に沈めた松井大将の石碑です。
東条さんはA級戦犯ですが、松井大将はBC級戦犯です。
よく間違えられていますが。
そういえば、高校の先生は「お前は浪人したら、落ちるタイプだ。悪いことは言わん。入っとけ」と。
私は、この言葉を思い出し、髪を伸ばし、髭を生やし、ドブネズミのような格好にして、お色気を絶ちました。 -
私が通っていた予備校です。
浪人したことで、人生は全く変わりました。これで良かったのかなあと。あっちに入っていれば、大学時代は、もう少し暇で、彼女ぐらいできたかなあと。
大学時代は、要領が悪いため、心にゆとりがなかったです。最後の1単位が、ひっかかりました。本試で落ち、真剣に勉強したのに、再試もおちました。
「日頃、女を追っかけまわして、俺より勉強やっていない奴が合格できるなんて、世界の7不思議のひとつだ」と、感じました。
再再試に臨むにあたっては、万策も尽き、神頼みでした。 -
お色気を絶つと、食い気です。18禁のお店の立ち並ぶ町の入口に、「寿がき屋」というチェーン店ですが、名古屋では、安くて、旨いという有名なラーメン屋さんがあったのを、思いだしました。
お昼に、ここの寿がき屋のラーメンを食べることが、何よりの楽しみでした。
18禁の立ち並ぶお店の町に来ましたが、お店は無くなっていました。
ここの町に入っていきます。
この写真は、かつては旧遊郭が、旅館として再利用です。
いいですねえ。今度、泊まりたいですねえ。座敷わらしに、会えそうですねえ。 -
こちらも、旧遊郭です。
そういえば、町の人が、「戦前だけどねえ、若い娘さんが、真っ赤な着物を着て、お兄さんこっちへ寄って行ってえと、笑顔を振りまいていたけど、どことなく悲しそうだったよ。親に売られて来たんだからねえ」と。
あの頃、大日本帝国は、朝鮮、台湾、満州、あと南洋の島まで領土だったのに、ここへ売られてきた人がいたんだなあと。 -
-
私が浪人時代は、このタイルの建物は、18禁のお店として営業していました。
お隣は、今は閉まっている果物屋さんです。
この町は、18禁のお店の立ち並ぶ中に、果物屋さん、パン屋さん、床屋さん、薬屋さん、食べ物屋さんがあるのです。
この町に、若いお母さんが、幼い子どもを連れて買い物にくるという、不思議な町なんです。 -
旧遊郭です。私が浪人時代は、みすぼらしいアパートでした。これを壊す計画がありましたが、地元の熱意で、綺麗にお化粧直しです。
-
かつては、ここに女郎さんがいたのでしょうか。でもまだ、日本にいただけマシでした。慰安婦として、満州や南洋にも送られていた人も大勢いました。
-
-
-
-
旧遊郭が、料亭になり、今はデイサービスの施設に。
-
こちらも、旧遊郭。
私が住んでいた頃は、料亭兼レストラン。
今は、デイサービスの施設。 -
-
すさのお神社です。
-
-
-
18禁のお店の並ぶ町に薬局もスーパー・ピアゴもあります。
ですから、この町を歩いていても平気です。
でも、18禁のお店に入る人は、勇気が要ります。 -
白王寺・中村観音です。遊郭の女郎さんたちは、身売りされているので、お亡くなりになりと無縁仏になります。このお寺の十一面観音様は、女郎さんたちの無縁仏の遺骨で作られているのです。女郎さんの中には、病死だけでなく折檻もあったようです。自分の運命を、呪って死んでいったのでしょうか。合掌です。
戦後にも、「こんな女に誰がした」という歌がありましたねえ。
従軍看護婦として、満州に行っていた女性が、終戦後、突然なだれ込んできたソ連兵士に暴行を受け、本国帰還後は、ガードレールの下に立って -
「芸」の文字か書かれた石碑があります。
これは、名古屋にゆかりのある芸人の足跡を称えるために建てられたものです。 -
駅表にでます。
桂芳院です。 -
-
この桂芳院には、愚痴聞き地蔵様が、お耳に手をあてていらっしゃいます。
私も、「こんな男にだれがした」と、愚痴を聞いてもらいに来ました。
浪人して、全く進む方向は変わりました。これで良かったのかと、よく自問自答するのです。
やはり何も答えてくれませんでした。
門を出て、車に乗る瞬間です。
「お前、独身だから、カラボガズゴル湾やバルハシ湖に行けたのではないか。次はタジキスタンのカラクリ湖だ。結婚してたら、オンボロのツポレフ飛行機なんか乗れないぞ」という声が聞こえたのです。
さらに、「お前、結婚したら、お前みたいな子どもを、送ってやるぞ」と。
私は、「それだけは、勘弁してください。私みたいな愚かな子どもはいりません」
と。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
25