2010/05/31 - 2010/05/31
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5月24日(月)から6月2日(水)までの10日間の日程で、シリア、ヨルダンに出かけました。パルミラ2泊→ダマスカス1泊→アンマン1泊→死海1泊→ ペトラ2泊の7泊10日です。
5月31日(土)は世界遺産・ペトラ遺跡を終日観光しました。
死海の南に位置するペトラは、紀元前からの古都。「ペトラ」とはギリシャ語で「岩」の意味。岩を刳りぬいて造られたナバタイ人の都市です。
シーク(エル・ハズネに至る細い通路)、エル・ハズネ、ローマ円形劇場、王家の墓、エド・ディル(修道院跡)を徒歩(17,310歩)でめぐりました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- カタール航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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ホテルからペトラ入口までは車で15分弱でした。
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ペトラ遺跡の入口、ビジターセンターです。ここでチケットを買います。
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入口からシーク(Siq)と呼ばれる細い道までは、約1.5kmの砂利道が続き、最初に目につくのはオベリスクの墓(Obelisk Tomb)です。
遺跡内には馬やラクダ、ロバのタクシーがあります。それぞれ営業地域が分かれていて、通して乗ることができません。
遺跡入口からエル・ハズネまで(徒歩約1時間)の区間は馬または馬車の営業地域となっています。 -
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こんなシーク(Siq)が約1.2km続きます。シークとは狭い岩の裂目のことで、頭上に迫り出した崖の高さは80mもあります。
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極端に狭い断崖の峡谷を2kmほど抜けて、一番細くなったところにきたとき、突如、強い光を感じ、感動的にエル・ハズネ(El Khazneh)に到着しました。
ペトラは「バラ色の都」と呼ばれていますが、これほど感動的で劇的な都市の玄関というのは世界中のどこにもないと思います。 -
突然視界が開け、そこがエル・ハズネ(El Khazneh)でした。
エル・ハズネ(El Khazneh)は、紀元前1世紀〜紀元後2世紀のもので、崖を削り、掘り抜いた神殿風の正面をもつ宝物殿です。神殿だったとも、墳墓(霊廟)だったとも言われています。幅約30m、高さ約43m。
ご存じ、映画『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』の撮影舞台として一躍有名になりました。 -
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エル・ハズネ(El Khazneh)が宝物殿と呼ばれる由来は、建物の一番上に乗っている壺の中に宝物が隠されていると信じられていたことからきています。
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エル・ハズネ(El Khazneh)のところにいたスタッフの男性と記念撮影。
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エル・ハズネ(El Khazneh)が発見された当初は天井を支えている6本の柱のうち1本は折れた状態で、修復されて現在の状態になっているそうです。
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ネーム入りの砂絵ボトルを20$で注文しました。好きなデザインの砂絵ボトルを選び、名前や入れてほしい文字を紙に書いて渡して、支払いを済ませ、遺跡観光の帰りにピックアップしました。
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駱駝やロバのタクシーで観光客のために案内役をしてくれるのはベドウィンです。「ベドウィン」とはアラビア語で「砂漠の民」を意味します。
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ペトラ遺跡の真ん中あたりに位置している柱廊通り(Colonnaded St.)です。幅6mもある大きな柱廊で、この通りを囲むように遺跡が沢山残されていましたが、551年の大地震でほとんど崩壊してしまったそうです。
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凱旋門の跡と、敷き詰められた石畳。トラヤヌス帝に征服された後のペトラは、ローマ風に整備しなおされました。この凱旋門からエド・ディル(Ed Deir)と呼ばれる修道院跡(Monastery)まで歩いて行きます。
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凱旋門を超えると、左手にカスール・アル・ビント(Qasr al-Bint)が見えました。ペトラ遺跡の中で、おそらく唯一のナバテア時代の建物で、ドゥシャラ神に捧げられたものと言われています。
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レストラン前にはラクダがスタンバイ。
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このような登りの山道がずっと続きます。
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途中の風景もこれまでとは違って、すっかり山という感じです。
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これは地元の人です。歩くのが辛ければ、エド・ディル(Ed Deir)までは片道8JDぐらいでロバで登ることもできます。
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約50分でエド・ディル(Ed Deir)に到着しました。
1世紀中頃に建てられたナバタイ人の神殿で、ディル(Deir)というのは修道院のことです。以前このあたりに修道士が住んでいたことからこのような名前がついたそうです。
高さ45m、幅50mで、エル・ハズネより大きく、荘厳な感じがしました。 -
このような喫茶兼土産物屋さんがあります。日陰はここだけです。
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転落事故が発生した後、建物の上に登ることは禁止されました。
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エド・ディルからまだまだ奥に道は続いています。17時50分頃シークの入口の土産物屋さんで待ち合わせということにして、ここで友人と別れて、それぞれ自由に夕方まで遺跡を周ることにしました。
これだけ広大な現在公開されている部分は、ペトラ遺跡のごく一部にすぎず、公開中の部分だけでも3日かかっても回りきれないほど巨大な遺跡です。
栄華を極めたペトラは東京23区(621平方メートル)よりも広い巨大都市でした。 -
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セクスティウス・フロレンティヌスの墓(Sextius Florentinus Tomb)を目指して、当てもなく歩き続けましたが、一時間以上、一人の観光客、地元の人にも会いませんでした。団体の観光客はシーク、エル・ハズネぐらいしか見ない方も多いのかもしれません。エド・デイルや宮殿の墓などを回るには時間も体力も要りますから。この日の気温は37度で、日差しは相当きつかったです。
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奇岩の景色に見とれながら歩くうちに、セクスティウス・フロレンティヌスの墓(Sextius Florentinus Tomb)が見えてきました。
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127年の総督セクスティウス・フロレンティヌスの墓(Sextius Florentinus Tomb)。126-130年頃掘られたものです。
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セクスティウス・フロレンティヌスの墓の説明。
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王家の墓と呼ばれる岩窟墓群が4つ並んでいて、最大のものは一番北側にある宮殿の墓(Palace Tomb)です。1〜2世紀に建てられた三階建のローマ帝政期宮殿建築を模倣していて、コリント式の柱を使っているとのことです。
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遺跡のあちらこちらで見かけた、バラ色のマーブル模様のグラデーションを描いた岩肌が印象的でした。鉱物による化学反応が原因と言われています。
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アーンの墓(壺型墳墓、Urn Tomb)は、上部に壺(アーン)のような飾りがあることから、この名前がつけられたそうです。ローマ時代には、アル・マハカマ(正義の法廷:裁判所)とも呼ばれていました。その後、ビザンチン時代には教会として使用されました。高さ26m、幅16.5m、紀元前9年〜紀元40年頃に建造されました。二階のテラスからペトラ遺跡を一望できます。
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ここにトイレがあります。
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重いペットボトルを持ち歩かなくても、途中に飲み物を売っているお店があります。ここで、冷蔵庫でしっかり冷えたサイダー(1$)を飲んで、ゆっくり休憩させていただきました。
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帰りに見た、夕陽に照らされたエル・ハズネです。
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この近くに住んでいるという、ベドウィンの少女に出会いました。いつもこのあたりに遊びに来ているそうです。ビジターセンターを通らなくても、途中には自由に出入りできるところがいっぱいあるのでしょうね。英語が堪能な高校生でした。
「男子には興味がない。」と言うので、『私も。』と言うと、「気が合いますね。写真を撮りましょう。」ということで、お互いに入れ替わって数枚の写真を撮りました。 -
帰る頃になると徒歩観光に疲れた観光客を乗せた馬車がすごい勢いで走っています。帰りに馬車に乗りたい場合に、空いた流しの馬車はありませんから、行きに予約してチケットをもらっておく必要があります。
名残は尽きませんが、シークを抜けて、待ち合わせ場所の土産物屋さんに集合し、ホテルに帰りました。約8時間30分かけてゆっくり周り、17,310歩でした。
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