2010/08/01 - 2010/08/01
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mas98765さん
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名古屋城の公式ページを参考に名古屋城を見学しました。これは最新の旅行ではありませんが、風景などの参考にどうぞ。(スペインの旅行記を優先していたら、投稿の時点で季節が逆になってしまいました。)
参考:名古屋城の公式ページ
http://www.nagoyajo.city.nagoya.jp/
名古屋城周辺の地図はこちら
http://maps.google.co.jp/maps?ie=UTF8&brcurrent=3,0x6003715f5a4d1bef:0xed0bca7c7e0e349a,1&source=embed&ll=35.184875,136.89997&spn=0.012294,0.01929&t=h&z=16
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 私鉄
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地下鉄名城線の市役所前で降りて、7番出口から外に出ると、
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このように右側に通りがありますが、右ではなく左側に行くと、
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名古屋駅東門は右だとあるので、右に行きます。
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このような道を進んでいくと、
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名古屋城東門は左へという看板があるので、左に曲がります。
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橋を越えて進みます。橋の両側には、
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草が生い茂るお堀が見えます。
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この先を左に曲がると、
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東門の入口が見えてきます。チケット売り場には人もいますが、
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左手の自動販売機で買うことも出来ます。500円です。チケットを見せて入ります。
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門を入ったところは二之丸という場所で、右手正面に天守閣が見えます。東門を入ったので、西の方向に向いています。暑いのでまっすぐ天守閣に向かいたいところですが、我慢して右(北側)に曲がると、
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二之丸東庭園と書かれています。明治時代に兵営を建築するために壊された二之丸庭園を、昭和になって整備し直したものです。
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ここは池のようですが、水はありません。
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ぼたん園や
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しゃくやく園、つばき園などの花壇があります。夏なのでしゃくやくは見えません。
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先ほどの池の左側を、まっすぐ(つまり北側に)歩いていくと、このような場所があって、
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説明板によると、これは霜傑亭という茶席の跡です。かつての二之丸庭園には6つの茶席があって、これはその中で最大規模のものです。畳だった部分を五郎太石、廊下を砕石、漆喰たたき、平面部分を小砂利で表示しているそうです。
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さらに歩いていくと、このような場所があって、
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説明板によると、北暗渠(あんきょ)といって、庭園に雨水を引き入れる水道石樋の跡です。蓋石が花崗岩、側石が硬質砂岩でできているそうです。この写真の右上方向に道なりに進むと、
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名古屋城の北の端の道が延びています。現在、西を向いていて、右手には
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堀が見えていて、水もあります。道をまっすぐ進んだつきあたりの右手には、
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このような場所があって、
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南蛮たたき鉄砲狭間といって、南蛮たたきというしっかりした壁のところどころに鉄砲を撃つための狭間が開いています。当時は堅固な壁だったのでしょうが、今はボロボロな感じがします。
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つきあたったので、今度は左(つまり南)を向くと、このようにぼたん園の花壇が延びています。しばらく歩くと右手に、
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このような場所があります。埋門(うずめもん)の跡です。いざという時に脱出するための門です。門を出ると垂直の石段があって、堀を渡って逃げることが決められていたそうです。
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埋門跡を右手に見ながら少し前方左手には、このような場所があります。これは二の丸茶亭です。
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前方に歩いていくと、最初に東門から入って前方に延びていた道に出ます。この写真で左手が東門で、右手が天守閣方向に向かう道です。この辺りで左手前を振り返ると、
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名勝名古屋城二之丸庭園と書かれています。二之丸には、先ほど見た二之丸東庭園とこの名勝二之丸庭園があって、こちらの方が江戸時代からある庭園です。
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初めの道に戻って西に向かって歩きます。このように道が前方に延びていて、
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右手にはこのようなものがあります。説明板によれば、これは藩訓秘伝の碑で、初代藩主徳川義直の勅撰「軍書合艦」の中の題目であり、勤王の精神について述べていて、歴代の藩主はこれを藩訓としたそうです。この碑の場所にはかつて、二之丸御殿があったそうです。
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しばらく歩くと左手にこのような像があります。これは、清正の石曳きと呼ばれるものです。1610年に加藤清正は徳川家康に願い出て、名古屋城の石垣工事を始めました。この工事のとき清正は、石の上に乗って掛け声をかけたそうです。
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右前方には、このような建物が見えています。これは東南隅櫓(すみやぐら)です。辰巳櫓とも呼ばれます。
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櫓の手前には水のない堀があります。
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しばらく行くと看板があって、まっすぐ行くと西之丸や正門へ、右に曲がると
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本丸に向かうための表二之門があります。本丸方面は後にします。表二之門の反対側にはきしめん屋があって、その右には
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大手馬出跡(おおてうまだしあと)があります。表二之門前の小郭があったところで、大手とは城郭の正面のことをいうそうです。
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更にまっすぐ進みます。表二之門の前から西側は、西之丸と呼ばれるところです。
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右手に天守閣を見て進みます。手前に見える建物は西南隅櫓といいます。
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西のつきあたり少し左前には正門があります。正門を一時的に出るには特別券を発行してもらう必要があるようなことを書いてあるので、向こうに出るのはやめておきます。この位置の右手前方には、
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このように金のシャチホコが展示されていて、正門から入ってきた人たちが記念写真を撮っています。この位置の右に少し歩いたところには、
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榧(かや)の木があります。樹齢600年以上の天然記念物です。初代藩主徳川義直が大阪の陣に出た際、この実を食べたと言われています。
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表二之門に戻ります。この位置の左側の道をまっすぐ向こう側(北側)に歩いていけば、深井丸という場所を通って裏から本丸に入ることも出来ますが、今回は右のもと来た道を戻ります。写真は、先ほど通りかかった西南隅櫓(すみやぐら)です。未申櫓ともいわれます。屋根は2層で内部は3階建てです。1層目の屋根は千鳥破風で、その下に四角い部分が外に張り出していますが、ここは落狭間(おとしはざま)といって、敵に向かって石を落とすための仕組みです。明治時代の濃尾地震で崩壊した後、修復されました。
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櫓の下の部分です。このように名古屋城の本丸部分は堀に囲まれていて、
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シカがいます。
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表二之門に戻る途中で、はち丸というマスコットキャラクターとすれ違いました。
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表二之門に戻りました。本丸への入口です。門の入口部分が鉄板になっています。
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堀を見ながら橋を渡り、門を入ると
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このような石垣に出くわします。これは表一之門跡です。戦災で焼失しました。右に曲がると、
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右手隅に東南隅櫓があります。屋根が2層で内部が3階建てです。築城当時のものだそうです。上に上る階段がありましたが、入口は閉まっていました。この角を左(北側)に曲がって進みます。前方左手(写真の位置からみると左手後方)では、現在本丸御殿の復元工事が行われていて、希望者はヘルメットをかぶって工事の様子を見学できます。まっすぐ進むと、
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左手に天守閣が見えてきます。
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つきあたりはこんな感じで、左手が天守閣ですが、まずは寄り道して右に進みます。すると、写真右手の壁は
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このようになっていて、これは東一之門跡です。昭和20年の戦災で焼失しました。この位置の左側の壁には、
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このような大きな石があります。
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防備を誇示するためのものだそうです。加藤清正が運んできたという伝説があって清正石と呼ばれていますが、どうやら違うようです。この位置の反対側には、
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東鉄門と呼ばれる門があります。柵があって向こうには行けません。
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天守閣前にやってきます。ここが一番きれいに見える場所で、たくさんの人がここで記念撮影をします。
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天守閣へ行く前に、左手の本丸御殿復元工事見学コーナーに立ち寄ります。
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いくつかの説明パネルがあって、
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木材や
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土壁と漆喰や
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木曽ヒノキを伐倒するための三つ紐伐り作業のサンプルが展示されています。
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このような場所があって、復元作業の映像をみながら座って休めます。ここはエアコンが効いていて、夏に来る時はとてもありがたい場所です。
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外に出ます。みやげもの屋を右手に見ながら天守閣に向かいます。
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天守閣に行くためには、正面左手の階段をのぼり、左側に見えている小天守閣という建物から入り、前方に見えている渡り廊下を通って右側の天守閣に抜けます。
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階段の入口にはこのような注意書きがあります。1階はフラッシュ撮影禁止(つまり写真撮影可能)で2階は撮影禁止です。
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渡り廊下の部分です。上を見上げると
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天守閣がそびえています。
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上には金のシャチホコが見えます。あいにく横から撮るのを忘れました。
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入ってすぐのところはこんな感じで
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金のシャチホコの原寸大模型があります。石膏に金粉を塗ったものだそうです。
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これは江戸城のどこかにあったシャチホコです。向こうに見えているのは黄金水井戸跡です。
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カゴもあります。
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これも黄金井戸です。井戸を掘ったら水が濁っていたので、清正が黄金を敷き詰めて祈ったらたちまち清水が湧いてきたという伝説があります。
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写真は、十二月花鳥図押絵貼屏風というものです。宮脇有景(みやわきゆうけい)という尾張藩と縁の深かった幕末の画家の代表作だそうです。同じような屏風がもう1つありました。
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刀や
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太刀なども数本並んでいます。
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つばです。
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名古屋城の模型です。
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本丸御殿の模型もあります。先ほどの注意看板をよく見ると、2階は写真撮影禁止とあって、3階以上は禁止と書いてなかったのですが、てっきり1階しかダメなのかと思って写真を撮りませんでした。
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天守閣の最上階から周囲を見渡します。最初に目につくのは名古屋のビル群です。
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それぞれの方向には東西南北の表示と主な建物の説明があります。つまりこれは西で、
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中央やや左の一番高いのがミッドランドスクエアで、その右つまり写真中央にセントラルタワーズがあります。ミッドランドスクエアの左の少し変わった形の建物はスパイラルタワーズです。一番右に見えるやや高い建物は名古屋ルーセントタワーです。
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南西方向で、
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南方向です。すぐ下に西南隅櫓が見えていて、その方向に熱田神宮がありますが、はるか向こうにあってよく見えません。この写真に写っている一番高い建物の少し右が名古屋港の方向ですが、これまた遠くてよく見えません。
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東方向で、
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北方向です。この写真の正面が白山の方向で、空気が澄んでいれば見えるようです。天守閣の屋根に隠れたところに、木が茂ってこんもりした場所があって、その方向のはるか向こうに犬山城や昔ながらの名古屋空港があります。
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天守閣を出ます。天守閣の入口に向かって右手には、天守閣の上の階に直結する近代的な建物があって、これは高齢者や車椅子、ベビーカー専用のエレベーターです。写真前方(つまり北側)にまっすぐ歩いていくと、
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天守閣の裏門があります。不明門という名前です。本丸から北側に抜ける秘密の門で、常に施錠され、開かずの門だったそうです。この門は再建されたものです。門の手前右には、
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江戸時代から本丸御殿南の庭にあった御殿椿があります。不明門をくぐって左に曲がります。この辺りから西側は深井丸と呼ばれます、少し歩くと、
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左手に説明書きがあります。これは石垣の刻銘の説明です。石垣は、加藤清正など20の諸大名が分担しました。そのうち天守閣の石垣は清正が担当したもので、4箇所の隅石に担当した家臣の名前を刻んであるそうです。手前の角をよく見ると、
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こんな風に、名前のようなものが刻まれている目立つ石があります。東北隅北面のこの石には「加藤肥後守内小代下総」と刻まれています。
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更に少し西に歩いた所の右手には、このような場所があります。
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これは、もとの天守閣の礎石で、現在の天守閣を再建した時にここに移したものだそうです。
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天守閣の石垣の勾配は、扇勾配と呼ばれ、独特の曲線です。石垣を内側に湾曲させることで、石の重みと内側の土の圧力を分散させるためだそうです。この石垣を左横に眺めながら、写真の右手奥に向かいます。すると、
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名古屋城の北西の角に、このような建物があります。これは、西北隅櫓(すみやぐら)です。戌亥櫓とも呼ばれます。他の櫓と違って屋根が三重になっているのが特徴です。ここまで来る人はほとんどいません。
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本丸への入口である表二之門の向かいにあるきしめん亭に行きます。食券制です。
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きしめんを食べて帰ります。450円です。
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