フローレス旅行記(ブログ) 一覧に戻る
12月14日<br />前日バスでかなり心配をしていたけんたろーさんだがその予想とは真逆に、デラックスバスで快適に過ごすことができた。2階建てのバスで、シートが寝る状態まで倒れ、足置きもあった。今迄こんな快適なバスは乗ったことがなかったから、気持ちよく寝れると思った♪が、、、、俺の席の後ろのおばちゃん、めちゃくちゃうるさいです。深夜というのに、周りの乗客を気にせず、音楽を大音量でながしたり、しまいには歌い出しました。起き上がる時は俺の座席を引っ張るのですが、一度誤って俺の髪の毛を引っ張り、マジで痛かったです(真っ暗だから仕方がないか、、、。)笑。で、早朝にフローレス周辺のバスの停留所に着きました。グアテマラシティーでもそうだったのですが、ターミナル内にはそこを寝床にしている先住民の方もたくさんいました。貧富の差、経済情勢が悪いのでしょう、、、。なにかしてあげたいのだが、俺には何もできない、、、。そのかわり、子供達には売店でお菓子を買ってあげました。フローレスから宿街に向かうまでに、今日のティカル遺跡のバスの往復チケットと明日のベリーズ行きのバスのチケットを購入しました。俺が狙ってた宿はシングルルームが空いてなくて、ダブルの部屋にしたんだけど、そこからはペテンツァ湖がみれ、テラスもあり最高の環境です♪なんか久々に緊張感がほぐれました。なにかしら銃とかにビビっていたからな〜。でも、気を抜かず安全な旅を心がけなくちゃね♪少しフローレスとその周辺について書きたいと思います。この街はマヤ文明最大の神殿都市遺跡として有名なティカル遺跡の拠点となる街です。熱帯雨林のジャングルの中に姿を現すティカル遺跡は大迫力間違いない!そしてマヤ文明がいかに高度であったのかを身をもって感じられるだろう。一般にフローレスとはフローレス島とサンタエレーナ地区を示しており、俺が止まっている場所は湖に囲まれたフローレス島である。少し贅沢かな♪久々にリラックスして羽を伸ばしたいし、インターネットも使えるからテンションが上がっています♪さっき街を一周したり、サンタエレナ地区で買い物をしてきました。1時間もあれば全部まわれちゃうんじゃないかと思うほどこじんまりとしていて、長閑です♪俺はこういう街が大好きです♪今はご褒美シャンパンを飲みながら湖をみて、この日記を打ってます♪午後からはティカル遺跡に行ってきます♪<br /><br />調子に乗りすぎているけんたろーさん、やってしまいました、、、、。浮かれてシャンパンなんて飲んでいる場合じゃありませんでした。。。バスは10時発で、しかもそれが最終バスです。。。。。。OMG!!やっぱり俺は詰めが甘いしぬけていますな、、、、。どうしよう、、、諦めようかな、、、。でもラストリゾート一美人なともえさんが、お勧めしてたしな、、、。これは行くしかありませんな!!ほんとは他のタクシーを使えば良かったんだけど、めんどくさくて、一人でバスをチャーターして、ティカル遺跡に行きました。余計な出費$40は結構痛いです笑本当は払わなくてよいものを。。。。ま、お金より思い出の方が大切です♪ティカル遺跡に着くとそこで入園料20ドル支払いました。それにしてもドル、グアテマラではめちゃめちゃ弱いです、、。ドル泣かせのケッツアールです、、、。換金率がものすごい悪いので、グアテマラにきてから急速にドルが無くなってきました。。。遺跡は、俺が旅してみてきた中でも最大級で、メチャメチャ広大でした。何度も迷いへとへとになりました。正直、マヤ文明の事をもっと勉強してから行くべきだと思いました。遺跡に行っても全く感動が無く、アンコールトムのバイヨンの方が俺の中では何倍も感動がありました。けど、ピラミッドから見渡した熱帯雨林のジャングルの海は凄かったです!!マヤ文明については日記の下に補足をいれときます。<br /><br />出費<br />ホテル$16 タクシー$40 入園料$20 その他$10 バスベリーズ行き$20  バスティカル行き往復$10<br /><br />マヤ文明について<br />大規模な都市遺跡が築かれ始めたのは、形成期後期 (先古典期後期)からで、いわゆる「中部地域」で、現ベリーズのラマナイ(Lamanai)、グアテマラのペテン低地に、ティカル、ワシャクトゥン、エル=ミラドール(El Mirador)、ナクベ(Nakbe)などの大都市遺跡が建設され、人口の集中が起こり繁栄した。エル・ミラドール、ナクベ、カラクムなど大都市では、古典期を凌ぐ大建造物が、紀元前400年以降に建てられたことが分かってきた。開花期の古典期(A.D.300-900)にはティカル(Tikal)、カラクムル(Calakmul)などの大都市国家の君主が「優越王」として群小都市国家を従えて覇権を争った。「優越王」であるティカルとカラクムルの王は、群小都市国家の王の即位を後見したり、後継争いに介入することで勢力を維持した。各都市では、巨大な階段式基壇を伴うピラミッド神殿が築かれ、王朝の歴史を表す石碑(stelae)が盛んに刻まれた。古典期後期(A.D.600-900)の終わり頃の人骨に栄養失調の傾向があったことが判明しているため、焼畑(ミルパ)農法や建造物に使用する漆喰を造るために、森林伐採を行い続けたため、地力の減少によって食糧不足や疫病の流行が起こり、それによる支配階層の権威の失墜と、数少ない資源の奪い合いによって戦争が激化したことが共倒れを招き、衰退に拍車をかけたと考えられている。 この時期にはテオティワカンの影響が消えたことやティカルにかわって多くの小都市国家が発展した。 特に8世紀はマヤ文化の絶頂期であるといえる。この期の壮麗な建築物、石彫、石細工、土器などの作品にマヤ文化の豊かな芸術性が窺える。また、天体観測に基づく暦の計算や文字記録も発達し、鹿皮や樹皮を材料とした絵文書がつくられた。碑文に刻まれた王たちの事績や碑文の年号表記などから歴史には高い関心を持っていたことが推測できる。都市は祭事の場であるだけでなく市の立つ通商の場でもあった。通商はメキシコ中央部の各地や沿岸地方とも交渉をもちいくつかの商業都市も生まれた。なお、古典期マヤ文明は金属を持たず、基本的には新石器時代に入っていたといえる。 しかし、9世紀頃から中部地域のマヤの諸都市国家は次々と連鎖的に衰退していった。原因は、遺跡の石碑の図像や土器から、メキシコからの侵入者があった(外敵侵入説)、北部地域に交易の利権が移って経済的に干上がった(通商網崩壊説)、農民反乱説、内紛説、疫病説気候変動説、農業生産性低下説など有力な説だけでも多数ある。しかし、原因は一つでなくいくつもの要因が複合したと考えられている<br />一方、古典期後期からユカタン半島北部などを含む「北部地域」でウシュマル(Uxmal)、チチェン=イッツァ(Chichien Itza)などにプウク式(Puuc Style)の壁面装飾が美しい建物が多く築かれた。標式遺跡は、グアテマラ、ペテン低地に所在するティカルの北方のワシャクトゥン遺跡である。先古典期中期から古典期後期までの時期区分名が用いられる。他の遺跡にも独自の時期区分がありつつも比較検討のためにワシャクトゥンの時期区分名が使用される。ただし、ユカタン半島北部やグアテマラ高地の遺跡には適用されない。先古典期中期後半(マモム期)、先古典期後期(チカネル期)、古典期前期(ツァコル期)、古典期後期(テペウ期)後古典期(A.D.900-1524)には、マヤパン(Mayapan)やコスメル島(Cozmel Island)が、カカオ豆やユカタン半島の塩などの交易で繁栄した。統一国家を樹立することなく、各地の都市国家が合従連衡と興亡を繰り返し、16世紀、スペイン人の侵入を迎えた。1697年最も遅くまで自立を保っていたタヤサルが陥落、マヤ圏全域がスペイン領に併合された。<br />マヤ文明の特徴 <br />マヤ文明の特徴として、以下のような点が挙げられる。<br />&#8226;	青銅器や鉄器などの金属器をもたなかった<br />&#8226;	生贄の儀式が盛んであった<br />&#8226;	車輪の原理は、土偶などの遺物に出てくるにもかかわらず、実用化しようと考えていなかった<br />&#8226;	牛や馬などの家畜を飼育しなかった<br />&#8226;	とうもろこしの栽培のほかにラモンの木の実などが主食だった<br />&#8226;	焼畑(ミルパ)農法や段々畑・湿地で農業を行った<br />&#8226;	数学を発達させた(二十進法を用い、零の概念を発明した)<br />&#8226;	文字種が4万種に及ぶマヤ文字を使用していた<br />&#8226;	持ち送り式アーチ工法など高度な建築技術を持っていた<br />&#8226;	極めて正確な暦を持っていた(火星や金星の軌道も計算していた)<br />&#8226;	多くの文明は河川の水の恵みにより発展してきたが、マヤ文明はセノーテとよばれる天然の泉により発展した<br />農業技術については、段々畑で作物をつくり、湿地では、一定の間隔に幅の広い溝を掘り、掘り上げた土を溝の縁に上げその盛り土の部分にカカオなど農作物を植えた。定期的な溝さらえを行うことにより、肥えた水底の土を上げることによって、自然に肥料分の供給をして、栽培される農作物の収量を伸ばすことができた。この湿地利用によく似た農法としてメキシコ中央部にはチナンパという湿地転用農法があるので、その方法を移入した可能性を指摘する研究者もいる。数字は、点(・)を1、横棒(−)を5として表現したり、独特な象形文字で表現された。<br />ティカル遺跡<br /><br />ティカルは、グアテマラのペテン低地にあった古典期マヤの大都市である。マヤ文明の政治、経済中心都市として2,500年前に繁栄を極めた。ティカルの遺跡は1979年に世界遺産の複合遺産に登録された。17世紀末、ひとりのスペイン人神父が道を見失い、鬱蒼とした密林の中に迷い込んだ。何日も歩き続け、水も食料も尽きようとしたその時、神父はジャングルにそびえる巨大ピラミッドを発見した。これが熱帯雨林地帯で栄えたマヤ最大の神殿都市ティカルである。マヤ人たちは焼畑農業でトウモロコシをつくって主食にしていた。次々に森林を切り開いていくことで人口を養っていた。ティカルのもともとの名は、「ムトゥプル」、「(ヤシュ)ムタル」といった。378年、テオティワカンの将軍カック・シフ(kak siyaj/「火の誕生」シフ・カック)によって征服され、テオティワカンの王族の少年であるヤシュ・ヌーン・アイン(「最初のカイマンワニ」)が即位し、新王朝が始まった。古典期マヤにおいては、カラクムルとともに二分する巨大な勢力でいくつもの都市を支配下においた。王が政を行ったピラミッド群の周囲に6万人もの人々が暮していた。ティカル周辺には大きな川もなく、鬱蒼としたジャングルだけが広がっている。また、乾季になると雨は全く降らない。ティカルの人々にとって雨季に降った雨水を確保することが生きる為に最も重要なことであった。しかし、ティカルの大地は石灰岩で出来ているため、雨水はすぐに浸み込んでしまう。そこで人々はピラミッドなどからの建造物から大地に至るまで町の全てを漆喰で塗り固めた。漆喰は水を通さないので、水は貯水池に溜められ、大切に利用されていた。徹底した水の確保により、大河無き密林にありながら、都市はどんどん発展していった。しかし、その裏で文明崩壊のカウントダウンが始まっていた。原因は漆喰であった。漆喰を作る為には石灰岩を燃やさなくてはならない。その燃料となるのが周囲の密林の木々。水を確保するには森を破壊することを厭わなかった。やがてティカルの森は消え、そのため土壌が流れ出し、作物が育たなくなっていった。そして10世紀はじめに起こった干ばつを乗り越えることが出来ず、巨大都市ティカルは崩壊していった。<br />遺跡 <br />ティカルの中心的な遺跡が「大ジャガーの神殿」である。高さが51メートルあるピラミッド状の建築物で、最上部の神殿入口でジャガーの彫刻が発見された。神殿の前にはたくさんの石碑が立っており、支配者たちの姿が浮き彫りにされたレリーフがある。<br />

居心地良すぎ、こじんまりとしたフローレス

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2010/12/14 - 2010/12/14

23位(同エリア31件中)

0

40

kawabekentarou

kawabekentarouさん

12月14日
前日バスでかなり心配をしていたけんたろーさんだがその予想とは真逆に、デラックスバスで快適に過ごすことができた。2階建てのバスで、シートが寝る状態まで倒れ、足置きもあった。今迄こんな快適なバスは乗ったことがなかったから、気持ちよく寝れると思った♪が、、、、俺の席の後ろのおばちゃん、めちゃくちゃうるさいです。深夜というのに、周りの乗客を気にせず、音楽を大音量でながしたり、しまいには歌い出しました。起き上がる時は俺の座席を引っ張るのですが、一度誤って俺の髪の毛を引っ張り、マジで痛かったです(真っ暗だから仕方がないか、、、。)笑。で、早朝にフローレス周辺のバスの停留所に着きました。グアテマラシティーでもそうだったのですが、ターミナル内にはそこを寝床にしている先住民の方もたくさんいました。貧富の差、経済情勢が悪いのでしょう、、、。なにかしてあげたいのだが、俺には何もできない、、、。そのかわり、子供達には売店でお菓子を買ってあげました。フローレスから宿街に向かうまでに、今日のティカル遺跡のバスの往復チケットと明日のベリーズ行きのバスのチケットを購入しました。俺が狙ってた宿はシングルルームが空いてなくて、ダブルの部屋にしたんだけど、そこからはペテンツァ湖がみれ、テラスもあり最高の環境です♪なんか久々に緊張感がほぐれました。なにかしら銃とかにビビっていたからな〜。でも、気を抜かず安全な旅を心がけなくちゃね♪少しフローレスとその周辺について書きたいと思います。この街はマヤ文明最大の神殿都市遺跡として有名なティカル遺跡の拠点となる街です。熱帯雨林のジャングルの中に姿を現すティカル遺跡は大迫力間違いない!そしてマヤ文明がいかに高度であったのかを身をもって感じられるだろう。一般にフローレスとはフローレス島とサンタエレーナ地区を示しており、俺が止まっている場所は湖に囲まれたフローレス島である。少し贅沢かな♪久々にリラックスして羽を伸ばしたいし、インターネットも使えるからテンションが上がっています♪さっき街を一周したり、サンタエレナ地区で買い物をしてきました。1時間もあれば全部まわれちゃうんじゃないかと思うほどこじんまりとしていて、長閑です♪俺はこういう街が大好きです♪今はご褒美シャンパンを飲みながら湖をみて、この日記を打ってます♪午後からはティカル遺跡に行ってきます♪

調子に乗りすぎているけんたろーさん、やってしまいました、、、、。浮かれてシャンパンなんて飲んでいる場合じゃありませんでした。。。バスは10時発で、しかもそれが最終バスです。。。。。。OMG!!やっぱり俺は詰めが甘いしぬけていますな、、、、。どうしよう、、、諦めようかな、、、。でもラストリゾート一美人なともえさんが、お勧めしてたしな、、、。これは行くしかありませんな!!ほんとは他のタクシーを使えば良かったんだけど、めんどくさくて、一人でバスをチャーターして、ティカル遺跡に行きました。余計な出費$40は結構痛いです笑本当は払わなくてよいものを。。。。ま、お金より思い出の方が大切です♪ティカル遺跡に着くとそこで入園料20ドル支払いました。それにしてもドル、グアテマラではめちゃめちゃ弱いです、、。ドル泣かせのケッツアールです、、、。換金率がものすごい悪いので、グアテマラにきてから急速にドルが無くなってきました。。。遺跡は、俺が旅してみてきた中でも最大級で、メチャメチャ広大でした。何度も迷いへとへとになりました。正直、マヤ文明の事をもっと勉強してから行くべきだと思いました。遺跡に行っても全く感動が無く、アンコールトムのバイヨンの方が俺の中では何倍も感動がありました。けど、ピラミッドから見渡した熱帯雨林のジャングルの海は凄かったです!!マヤ文明については日記の下に補足をいれときます。

出費
ホテル$16 タクシー$40 入園料$20 その他$10 バスベリーズ行き$20  バスティカル行き往復$10

マヤ文明について
大規模な都市遺跡が築かれ始めたのは、形成期後期 (先古典期後期)からで、いわゆる「中部地域」で、現ベリーズのラマナイ(Lamanai)、グアテマラのペテン低地に、ティカル、ワシャクトゥン、エル=ミラドール(El Mirador)、ナクベ(Nakbe)などの大都市遺跡が建設され、人口の集中が起こり繁栄した。エル・ミラドール、ナクベ、カラクムなど大都市では、古典期を凌ぐ大建造物が、紀元前400年以降に建てられたことが分かってきた。開花期の古典期(A.D.300-900)にはティカル(Tikal)、カラクムル(Calakmul)などの大都市国家の君主が「優越王」として群小都市国家を従えて覇権を争った。「優越王」であるティカルとカラクムルの王は、群小都市国家の王の即位を後見したり、後継争いに介入することで勢力を維持した。各都市では、巨大な階段式基壇を伴うピラミッド神殿が築かれ、王朝の歴史を表す石碑(stelae)が盛んに刻まれた。古典期後期(A.D.600-900)の終わり頃の人骨に栄養失調の傾向があったことが判明しているため、焼畑(ミルパ)農法や建造物に使用する漆喰を造るために、森林伐採を行い続けたため、地力の減少によって食糧不足や疫病の流行が起こり、それによる支配階層の権威の失墜と、数少ない資源の奪い合いによって戦争が激化したことが共倒れを招き、衰退に拍車をかけたと考えられている。 この時期にはテオティワカンの影響が消えたことやティカルにかわって多くの小都市国家が発展した。 特に8世紀はマヤ文化の絶頂期であるといえる。この期の壮麗な建築物、石彫、石細工、土器などの作品にマヤ文化の豊かな芸術性が窺える。また、天体観測に基づく暦の計算や文字記録も発達し、鹿皮や樹皮を材料とした絵文書がつくられた。碑文に刻まれた王たちの事績や碑文の年号表記などから歴史には高い関心を持っていたことが推測できる。都市は祭事の場であるだけでなく市の立つ通商の場でもあった。通商はメキシコ中央部の各地や沿岸地方とも交渉をもちいくつかの商業都市も生まれた。なお、古典期マヤ文明は金属を持たず、基本的には新石器時代に入っていたといえる。 しかし、9世紀頃から中部地域のマヤの諸都市国家は次々と連鎖的に衰退していった。原因は、遺跡の石碑の図像や土器から、メキシコからの侵入者があった(外敵侵入説)、北部地域に交易の利権が移って経済的に干上がった(通商網崩壊説)、農民反乱説、内紛説、疫病説気候変動説、農業生産性低下説など有力な説だけでも多数ある。しかし、原因は一つでなくいくつもの要因が複合したと考えられている
一方、古典期後期からユカタン半島北部などを含む「北部地域」でウシュマル(Uxmal)、チチェン=イッツァ(Chichien Itza)などにプウク式(Puuc Style)の壁面装飾が美しい建物が多く築かれた。標式遺跡は、グアテマラ、ペテン低地に所在するティカルの北方のワシャクトゥン遺跡である。先古典期中期から古典期後期までの時期区分名が用いられる。他の遺跡にも独自の時期区分がありつつも比較検討のためにワシャクトゥンの時期区分名が使用される。ただし、ユカタン半島北部やグアテマラ高地の遺跡には適用されない。先古典期中期後半(マモム期)、先古典期後期(チカネル期)、古典期前期(ツァコル期)、古典期後期(テペウ期)後古典期(A.D.900-1524)には、マヤパン(Mayapan)やコスメル島(Cozmel Island)が、カカオ豆やユカタン半島の塩などの交易で繁栄した。統一国家を樹立することなく、各地の都市国家が合従連衡と興亡を繰り返し、16世紀、スペイン人の侵入を迎えた。1697年最も遅くまで自立を保っていたタヤサルが陥落、マヤ圏全域がスペイン領に併合された。
マヤ文明の特徴
マヤ文明の特徴として、以下のような点が挙げられる。
• 青銅器や鉄器などの金属器をもたなかった
• 生贄の儀式が盛んであった
• 車輪の原理は、土偶などの遺物に出てくるにもかかわらず、実用化しようと考えていなかった
• 牛や馬などの家畜を飼育しなかった
• とうもろこしの栽培のほかにラモンの木の実などが主食だった
• 焼畑(ミルパ)農法や段々畑・湿地で農業を行った
• 数学を発達させた(二十進法を用い、零の概念を発明した)
• 文字種が4万種に及ぶマヤ文字を使用していた
• 持ち送り式アーチ工法など高度な建築技術を持っていた
• 極めて正確な暦を持っていた(火星や金星の軌道も計算していた)
• 多くの文明は河川の水の恵みにより発展してきたが、マヤ文明はセノーテとよばれる天然の泉により発展した
農業技術については、段々畑で作物をつくり、湿地では、一定の間隔に幅の広い溝を掘り、掘り上げた土を溝の縁に上げその盛り土の部分にカカオなど農作物を植えた。定期的な溝さらえを行うことにより、肥えた水底の土を上げることによって、自然に肥料分の供給をして、栽培される農作物の収量を伸ばすことができた。この湿地利用によく似た農法としてメキシコ中央部にはチナンパという湿地転用農法があるので、その方法を移入した可能性を指摘する研究者もいる。数字は、点(・)を1、横棒(−)を5として表現したり、独特な象形文字で表現された。
ティカル遺跡

ティカルは、グアテマラのペテン低地にあった古典期マヤの大都市である。マヤ文明の政治、経済中心都市として2,500年前に繁栄を極めた。ティカルの遺跡は1979年に世界遺産の複合遺産に登録された。17世紀末、ひとりのスペイン人神父が道を見失い、鬱蒼とした密林の中に迷い込んだ。何日も歩き続け、水も食料も尽きようとしたその時、神父はジャングルにそびえる巨大ピラミッドを発見した。これが熱帯雨林地帯で栄えたマヤ最大の神殿都市ティカルである。マヤ人たちは焼畑農業でトウモロコシをつくって主食にしていた。次々に森林を切り開いていくことで人口を養っていた。ティカルのもともとの名は、「ムトゥプル」、「(ヤシュ)ムタル」といった。378年、テオティワカンの将軍カック・シフ(kak siyaj/「火の誕生」シフ・カック)によって征服され、テオティワカンの王族の少年であるヤシュ・ヌーン・アイン(「最初のカイマンワニ」)が即位し、新王朝が始まった。古典期マヤにおいては、カラクムルとともに二分する巨大な勢力でいくつもの都市を支配下においた。王が政を行ったピラミッド群の周囲に6万人もの人々が暮していた。ティカル周辺には大きな川もなく、鬱蒼としたジャングルだけが広がっている。また、乾季になると雨は全く降らない。ティカルの人々にとって雨季に降った雨水を確保することが生きる為に最も重要なことであった。しかし、ティカルの大地は石灰岩で出来ているため、雨水はすぐに浸み込んでしまう。そこで人々はピラミッドなどからの建造物から大地に至るまで町の全てを漆喰で塗り固めた。漆喰は水を通さないので、水は貯水池に溜められ、大切に利用されていた。徹底した水の確保により、大河無き密林にありながら、都市はどんどん発展していった。しかし、その裏で文明崩壊のカウントダウンが始まっていた。原因は漆喰であった。漆喰を作る為には石灰岩を燃やさなくてはならない。その燃料となるのが周囲の密林の木々。水を確保するには森を破壊することを厭わなかった。やがてティカルの森は消え、そのため土壌が流れ出し、作物が育たなくなっていった。そして10世紀はじめに起こった干ばつを乗り越えることが出来ず、巨大都市ティカルは崩壊していった。
遺跡
ティカルの中心的な遺跡が「大ジャガーの神殿」である。高さが51メートルあるピラミッド状の建築物で、最上部の神殿入口でジャガーの彫刻が発見された。神殿の前にはたくさんの石碑が立っており、支配者たちの姿が浮き彫りにされたレリーフがある。

  • びびっていたが、安全なバスで↓

    びびっていたが、安全なバスで↓

  • 湖の中の街、フローレスへ到着

    湖の中の街、フローレスへ到着

  • 俺の泊まっている部屋

    俺の泊まっている部屋

  • サンタエレーナ地区の様子

    サンタエレーナ地区の様子

  • 再度フローレス島へ

    再度フローレス島へ

  • 小さな魚がいっぱいです

    小さな魚がいっぱいです

  • 俺が泊まっている宿

    俺が泊まっている宿

  • このシャンパンが乗り過ごす羽目に

    このシャンパンが乗り過ごす羽目に

  • ジャングルをタクシーで駆け抜け、1時間半後にティカル遺跡に到着しました

    ジャングルをタクシーで駆け抜け、1時間半後にティカル遺跡に到着しました

  • 実は馬鹿でかいです

    実は馬鹿でかいです

  • 人と比べてみてください

    人と比べてみてください

  • 地図はこんな感じです

    地図はこんな感じです

  • 道はトレイルになっています

    道はトレイルになっています

  • 写真がおおすぎる。。。

    写真がおおすぎる。。。

  • めんどくさくなってきた。。。。。

    めんどくさくなってきた。。。。。

  • めっちゃ急な階段やぞ

    めっちゃ急な階段やぞ

  • 写真だるい、、、、、。<br />

    写真だるい、、、、、。

  • 省略します

    省略します

  • 階段を登っていくと!?

    階段を登っていくと!?

  • じゃあ〜ん!!

    じゃあ〜ん!!

  • ジャングルの海や〜

    ジャングルの海や〜

  • 見たことのない動物もおったわ

    見たことのない動物もおったわ

  • 眠い、、、。

    眠い、、、。

  • でも、日記がたまっている。。。。アップしなきゃ<br /><br />この写真俺が小さいです

    でも、日記がたまっている。。。。アップしなきゃ

    この写真俺が小さいです

  • もう限界

    もう限界

  • 終了

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