2010/12/03 - 2010/12/03
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kawabekentarouさん
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12月3日
今日は朝8時の飛行機に乗らないといけないので、5時に起きた。それにしても変な夢を見たな〜。俺が何故かTOKIOのメンバーと一緒に住んでいて、山口達也と一緒に料理をしている夢をみた。。。。しかも「たっちゃん、塩をもっといれなよ」とたっちゃんと呼んでいる俺がいた。。。凄い奇妙だ、しかも夢に芸能人がでてきたのは初めてかもしれない。。俺は疲れているのかな?特にトキオのファンというわけでもない、せっかく芸能人が夢にでてくるなら、長谷川京子の方が嬉しかったな〜♪というわけで、ホステルを出発しました。黒人が多かったけど、良いホステルだったな〜。フロントのおばちゃんもフレンドリーだし、俺の中米の旅も心配してくれた。おばちゃんが言うに、中米は本当に危ないから安全第一といわれた。分かってます、でも、いくら気をつけていても、何かが起きるのが健太郎さんです。。。今までも神がかりなハプニングが何度もおきています。うわ〜、不安や〜〜〜。今は空港のスタバで日記を打っているが、WIFIがとんでない。なじぇ〜〜〜??ターミナルの中だからかな??そうそう、またまた驚いたことがあって、アメリカから出国の時って、イミグレがないんだよ!!荷物検査が終わったらすぐに飛行機!!厳しいのは入国時だけなんだ。。。。
飛行機はコンチネンタルでなくてコパエアライン???初めてだ〜〜〜。乗ってみたが以外に狭く設備も良くない。しかも殆どスペイン語なので全く理解できず。。でも機内食のブリートは旨かった!!俺の隣には初めて飛行機にのる子供がいて、とても可愛かったが、興奮しすぎているせいか、寝ている俺に何度もエレボーやいたずらをしてきた。。。合計4回ぐらいは起こされた気がする。子供だからしょうがないと思っていたが、見事に俺のみぞにエレボーが入り、さすがにおこりたかったが、スペイン語で何を言えばいいかわからない。。。。でも、一緒に折り紙をしたりして楽しかった♪寝るつもりが全く寝れず、マジで眠かったです。。パナマの時差はバンクーバーと3時間、なのでついたころは午後6時を回っていてあたりが真っ暗だった。どうやって市内に行こうか考えていたところ、バスを見たら、あんなバスにバックパックをしょっては入れない。マジでぎゅうぎゅうずめで絶対に無理やと思い、タクシーに乗ることにした。
タクシー乗り場に行くとやはり客引きに囲まれる。しかし全く英語が通じない。。。。俺の考えが甘かった。一人で行くのは割増なので、同じような人を探してたら、アメリカ人の女の子がいて、一緒にタクシーに乗った。俺は宿をとっていなくて、その子に聞いたら安いホステルに泊まるみたいだから一緒について行った。タクシーに乗りながら景色をみてたら、まるで新宿の首都高を走っているみたいだった!!立体の高速道路や高層ビル、俺がイメージしていたパナマとは大分かけ離れていた。しかし、旧市街地の方へ行くとヤバい!!スラム街に近く、あちらこちらに警察が立っている。そのホステルは旧市街地にあった。チェックインしようとしたら満室であった。。アメリカ人の子はあらかじめ予約をしていたため平気だった。やばい、タクシーもでてしまった、しかもフロントでもなかなか英語が通じない。。。。歩いて宿を探すのは危険すぎる、、、。。ホステルの前を通るタクシーをタイミングよく拾え、地球の歩き方に書いているHOSTELを4か所位回ったが全てフルブッキング!!これはまずいぞ!!ヨーロッパ放浪の時のフランスの時と状況が一緒だ。。俺は相変わらずつめがあまいな〜、今日は金曜日、混んでいて当たり前です。タクシー代もかさんできた。タクシーのおっちゃんも初めは英語が話せると言ってたくせに、まったくしゃべれない。お互いイライラしてたら、ホテルがあった!よし、ここだ!!と二人でフロントに行ったら、運よく空いていて、無事に宿を確保できた。タクシードライブ計3時間。最後はタクシーのおっちゃんと抱き合って別れた。ホステルでなくホテルにした。でも値段の割には綺麗だし、なんと屋上にはプールがあるではないですか!!明日の朝早く起きて全裸で入ろうっと!!でも部屋はダブルのベットだからなんか切ないです、、、、。
それにしても今日も疲れたな〜。周りも治安が良くなさそうだけど、腹が減った。。。よし、散策だ〜!!案の定二人組に捕まったり、少し怖かったかな。でも、俺がスペイン語が分からないため、諦めて去って行った。やはり「チーノ」って言われた笑 中国人を意味する言葉。お、マック発見!!入ろうとしたが、さすがに今日くらいはマックをやめようと思い、違うお店に入った。結構旨かったが、ここでも本日2本目のコーラを飲んでしまった・・・。本当に中毒や、、、。女性には夜のパナマは危ないからお勧めできないかな。ホテルの前にバーとカジノがあったので行ってみた。やはりセキュリティーが厳しかったです。
ホテルにWIFIが飛んでいるので日記を更新しています。ベット見ると寂しいな〜。好きな人と泊まりたいな==。そういえば日本語を使ってない気がする。俺は1週間以上日本語を話さないとやばくなります。なので皆に電話しま〜す♪チャオ♪
それにしてもタクシー代がヤバいな
注意事項
パナマシティの観光名所のひとつであり、歴史保存地区でもあるカスコ・ビエホとパナマの国旗がはためくアンコンの丘に挟まれた地域は近年治安の悪化が指摘されている。このあたり一帯はパナマシティでも最も治安が悪い地域として知られており、犯罪が多発している(地元のタクシー運転手の話では、コカインやヘロインの売買も行われており、昼間から麻薬中毒患者がうろついていたりするそうだ)。従って、このあたりの移動は徒歩を避け、タクシーや路線バスなどを使ったほうがよい。カスコ・ビエホではタクシーがいくらでもつかまるので、乗ってきたタクシーに待っていてもらう必要はない(そのようにするとかえって高い料金を請求される)。なお、カスコ・ビエホの内部は観光客も多いため、警官が絶えず巡回しており、昼間主要な通りを歩く分には特に問題ない。 新市街は基本的に治安が良いといわれてきたが近年、犯罪の低年齢化と銃使用が顕著である。夜の外出はタクシーを使用すること。地区によっては街灯等照明が無い所もあり、住宅街などでは浮浪者もよく目につく(夜出されたゴミで金目になりそうなものを漁りに来る)ので、用心して節度ある行動を心がけたほうがよい。
パナマシティー
16世紀はじめ、1519年にスペイン人が生活・南米等への遠征拠点として町が建設され、太平洋岸で最初の植民都市として栄えた。町が1671年にイギリス人のヘンリー・モーガン率いる海賊に襲われて壊滅したため、南西部の海岸地域に新たに市街を築いた。あたり一帯が現在の旧市街であり、中心部は現在歴史保存地区(「カスコ・ビエホ」)として、また壊滅した都市遺跡は「パナマ・ビエホ遺跡」としてともに世界文化遺産登録されている。新市街は市の中心部に位置し、旧市街とは対照的に近代的なビルが立ち並んでいる。
バスで
隣国のコスタリカや国内各都市からバスが多数乗り入れている。コスタリカの首都サンホセからはTica社やPanaline社のバスなどが乗り入れており、所要18時間、各社とも1日1本程度運行。国内の西部にあるダビからは早朝~夜にかけて1時間に1本程度バスの便があり、所要8時間程度(途中で休憩を含む)で値段はUS$12.00。バスはいずれも国内空港近くの国営バスターミナル (Terminal Nacional Transporte) に到着する。ちなみにバスターミナルはとても大きく近代的な2階建ての施設で、2階が国際・国内長距離路線の到着エリア、1階が市内各線の始発・終着点と入場料US$0.05が必要な国際・国内長距離路線の出発エリアになっている。隣接する巨大なショッピングモール(アルブルック・モール)とつながっている。
パナマは、北アメリカ大陸と南アメリカ大陸の境に位置する共和制国家である。北西にコスタリカと、南東にコロンビアに接し、北はカリブ海に、南は太平洋に面する。首都はパナマ市。南北アメリカと太平洋、大西洋の結節点に当たる地理的重要性から、スペイン人の到達以来貿易や人の移動や国際政治において大きな役割を果たす場所となっており、その役割の重要性のため、中米地峡を貫くパナマ運河が通っている。
歴史
先コロンブス期
ヨーロッパ人の来航以前の現在のパナマの地には、主にチブチャ族をはじめとする人々が居住していた。スペイン人が到来する直前の、16世紀初頭の現在のパナマに相当する地域には20万人から200万人の人間が居住していたとされている
スペイン植民地時代
スペインによるアメリカ大陸の植民地化太平洋バスコ・ヌーニェス・デ・バルボア1501年、ヨーロッパ人としてはじめてスペインの探検家ロドリーゴ・デ・バスティーダスがパナマを「発見」し、カリブ海側ダリエン湾のポルト・ベーロに上陸した。翌1502年には、クリストバル・コロンがモスキートス湾沿岸を探検している。これ以降、自らがインドに到達したと誤解したコロンによってパナマに住んでいた人々はインディオ(インド人)と呼ばれるようになった。1508年、カスティーリャ王フェルナンド5世が、パナマをスペインの探検家ディエゴ・デ・ニクエサに与えた。その後、1513年にバスコ・ヌーニェス・デ・バルボア(スペイン語 Vasco Núñez de Balboa)が太平洋側に到達した(ヨーロッパ人による太平洋の「発見」)。翌1514年には総督としてペドラリアス・ダビラが派遣され、1519年にはパナマ市が建設された。パナマにも他のアメリカ大陸の植民地と同様にアフリカから黒人奴隷が連行され、インディオは疫病と奴隷労働によって大打撃を受けたが、パナマ市はイスパノアメリカ植民地の交通の要衝、スペイン人の居住都市として1671年1月28日にイギリスの海賊ヘンリー・モーガンによる焼き討ちにあうまで繁栄を極めた。1530年代、バルボアの下で植民地経営の経験を積んだフランシスコ・ピサロはパナマを拠点にインカを征服した。また、ペルー及び近隣植民地からスペイン本国への輸送ルートは、ほとんどがパナマを経由した。例えば、ポトシ銀山の銀は海路で太平洋側のパナマ市まで輸送された後、陸路でカリブ海側のポルトベロまで運ばれ、そこから再び海路でスペインに送られるなど、16世紀はじめにスペインはパナマ周辺地域の支配権を確立した。後にパナマはペルー副王領の一部となり、1718年にはヌエバ・グラナダ副王領に編入された。16世紀から17世紀には、フランシス・ドレークやヘンリー・モーガンをはじめとする英国の海賊がしばしば輸送拠点を襲撃したり、搬送物を略奪する等の行為を繰り返したりした。
スペインからの最初の独立
解放者シモン・ボリーバルフェルディナン・ド・レセップス1808年に半島戦争が勃発し、フランス帝国のナポレオン・ボナパルトが兄のジョゼフをスペイン王ホセ1世に据えると、インディアス植民地は偽王への忠誠を拒否し、独立のための戦いが始まった。ベネズエラのカラカス出身の解放者シモン・ボリーバルは不屈の闘争の末に、1819年8月にボヤカの戦いに勝利してヌエバ・グラナダを解放すると、1821年にはカラボボの戦いに勝利し、ベネスエラの解放を不動のものにした。同年11月28日、パナマはスペインから独立し, 自発的に決めてボリーバルの主催する大コロンビアの一部となってきた。1826年にはボリーバルの呼びかけで米州の相互防衛と将来的な統一を訴えるパナマ会議がパナマ市で開催されたが、この会議は失敗に終わった。コロンビアによる支配への不満から反乱が発生するようになった。1830年にボリーバルが失脚してベネスエラのホセ・アンオニオ・パエスがベネスエラ共和国のグラン・コロンビアから独立を宣言すると、それまで「南部地区」と呼ばれていたキトとグアヤキルとクエンカもエクアドル共和国として独立を宣言したために、大コロンビアは解体した。1831年に大コロンビア解体後に、ヌエバ・グラナダ共和国は建国され、パナマはその時にヌエバ・グラナダ共和国の一部であった。こうしてボリーバルの目指したラテンアメリカ統合の夢と共にグラン・コロンビアは崩壊し、解放者は敗北して死んだ。1846年にアメリカ合衆国は、パナマにおけるヌエバ・グラナダ共和国(ほぼ現在のコロンビア共和国に相当)の主権を承認することでパナマ地峡の通行権を獲得した。アメリカ合衆国が米墨戦争でメキシコから北半分の領土を奪い、1848年にカリフォルニアでゴールド・ラッシュが始まった1840年代以降、アメリカ合衆国東部の人々はオレゴン、カリフォルニア等のアメリカ合衆国西岸への移住にパナマ地峡を利用し、交通の要衝としてのパナマの重要性は高まった。1848年、アメリカ合衆国の会社が、パナマ・コロン地峡横断鉄道の敷設権を獲得した。1850年に着工したパナマ・コロン鉄道敷設工事は、1855年に完了した。1855年にパナマはヌエバ・グラナダから自治権を獲得した。1863年、グラナダ連合でリオ・ネグロ憲法が制定され、八州が独自の外交権を持つ分権的な連邦国家コロンビア合衆国が成立すると、パナマも連邦の一州として実質的な独立を達成したが、1866年に再びコロンビアによる直接支配が復活した。パナマではコロンビアに対する反乱が頻発するがいずれも失敗に終わった。スエズ運河建設に携わったフランス人技師レセップスは、コロンビアから運河建設権を買い取り、1881年から1889年までパナマ運河建設を進めたが、様々な問題発生により建設は中止された。この過程で運河建設のために各国から労働者が導入された。1885年の自由党の反乱を鎮圧した保守党のラファエル・ヌニェスによって1886年にリオ・ネグロ憲法の放棄と新憲法が制定され、中央集権色の強いコロンビア共和国が成立した。こうして一時的に不安定なコロンビアにも保守党による支配権が確立したが、1894年にヌニェスが死去すると、1899年に自由党のカウディーリョだったラファエル・ウリベ・ウリベ将軍が蜂起し、千日戦争が勃発した。この内戦は1902年まで続き、およそ10万人の死者を出した。一方、アルフレッド・マハンの影響や、1898年の米西戦争を契機にアメリカ合衆国では、太平洋と大西洋をつなぐ運河が中米に必要であるとの考えが浸透した。また、1901年にマハンの教えを受けたセオドア・ルーズベルトがアメリカ合衆国大統領に就任し、アメリカ合衆国は太平洋と大西洋をつなぐ運河を中米に建設することになった。アメリカ合衆国では、中米における運河建設計画としてニカラグア案とパナマ案が提示され、1902年、レセップスが設立した新パナマ運河会社から運河建設等の権利を買い取るパナマ案が議会で採用された(スプーナー法)。
コロンビアからの第二の独立
アメリカ合衆国はパナマ運河を建設することを千日戦争で疲弊したコロンビア共和国上院に拒否されたため、パナマの持ち得る経済効果、ならびにラテンアメリカ地域における軍事的重要性から分離・独立を画策した結果、1903年11月3日にコロンビアから独立を果たした。初代大統領にはマヌエル・アマドールが就任したが、新たに制定された憲法ではパナマ運河地帯の幅16kmの主権を永遠にアメリカ合衆国に認めるとの規定があり、以降パナマはアメリカ合衆国によって事実上支配されることになった。運河地帯の主権を獲得したアメリカ合衆国によって運河建設は進み、1914年にようやくパナマ運河は開通した。このように、パナマは独立当初から主権が極めて制限されていたが、パナマのナショナリズムの高まりに応じて1930年代頃からアメリカ合衆国も譲歩せざるを得なくなった。1927年から1933年まで続いたニカラグアでのサンディーノ戦争により、フランクリン・ルーズベルト大統領が善隣外交を導入したことは、その政治的な表現の一つである。親米派のエリートから主導権を奪って就任したアルモディオ・アリアス大統領は1936年にハル・アルファロ条約を締結し、パナマ運河将来的返還など、パナマの保護国としての地位からの脱出を図った。1940年に就任したアルモディオの弟のアルヌルフォ・アリアス大統領はよりポプリスモ的であり、大統領権の強い1941年憲法を制定し、アメリカ合衆国との対立のために枢軸国との友好政策や、人種差別政策など親ファシズム的な政策を採ったが、この政策は合衆国の不興を買い、1941年にクーデターで失脚した。後を継いだデ・ラ・グアルディア大統領は合衆国との友好関係を強化し、第二次世界大戦中には敵性外国人となった日本人、ドイツ人、イタリア人が追放され、土地は没収された。第二次世界大戦中にアントニオ・レモンによってそれまでの警察隊が国家警備隊に再編され、事実上の軍隊となり、以降のパナマの政治に大きな影響力をふるうようになった。1952年に大統領に就任したレモンは対外的には親米政策を採る一方、国内では国家警備隊の暴力を背景にした力の政治を推進したが、1955年に暗殺された。オマール・トリホス運河返還交渉によってアメリカ合衆国にパナマ運河の返還の承認を実現させた。1960年には中間層の民衆の間でナショナリズムが高揚し、運河返還要求を軸にした反米運動が盛んになった。1964年には運河地帯でのパナマ国旗の掲揚がアメリカ合衆国人に拒否されたことをきっかけに暴動を起こしたパナマ人学生が、アメリカ軍によって射殺された国旗事件が発生し、この事件によってパナマと合衆国は一時国交を断絶した。1968年に発生したクーデターによりアルヌルフォ・アリアス大統領は失脚し、国家警備隊の司令官だったオマール・トリホス将軍が大統領に就任した。ペルーのベラスコ将軍に影響を受けていたトリホス将軍は反対派を徹底的に弾圧したが、その一方で寡頭支配層や合衆国に対して一歩も妥協しないそのカリスマ性によってたちまち国民の心を掴んだ。国粋主義的な政策で合衆国との交渉に臨んだトリホス将軍は1977年にジミー・カーター合衆国大統領と新運河条約を結び、1999年の運河の主権返還を書面で認めさせた。1981年のトリホス将軍の死後、国家警備隊は拡張され、1983年にパナマ国防軍に再編された。トリホス将軍の下で諜報任務に就いていたマヌエル・ノリエガが事実上の軍と政治のトップとなったが、ノリエガは合衆国とキューバのカストロ政権やリビアのカダフィ政権など世界化各国の反米政権との二重スパイであり、さらにはコロンビアの麻薬組織メデジン・カルテルと深い関係にあったことが問題視され、1989年のアメリカ合衆国によるパナマ侵攻によって失脚した。ノリエガの失脚後、政治への深い介入が問題になっていたパナマ国防軍は解体され、1990年に国家保安隊として再編された。
アメリカ合衆国からの第三の独立
1999年12月31日にトリホス将軍が結んだ新運河条約により、パナマに運河地帯の主権が返還された。アメリカ合衆国からの第三の独立[4]によって、パナマは全土に主権を及ぼす国家となった。2004年5月には、民主革命党から故オマール・トリホスの息子マルティン・トリホスが大統領に就任した。2009年5月3日の大統領選挙では、民主変革党の党首リカルド・マルティネリが貧困対策や治安改善、インフラ整備のための民間投資誘致などを掲げて支持を集め、得票43.68%で当選した。
出費
スタバ$4 TIP$3 Taxi$55 POP$2 Hotel$40 Dinner$3.5 その他$20
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