2010/07/17 - 2010/07/17
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名犬デブイヌさん
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ベルンブルク(Bernburg)はハレ(Halle/Saake)と同じくザーレ河畔の町です。ここには「アンハルトの冠」と称されるとても美しいお城があるとの情報を得たので、前々から一度訪れてみたい所でした。その歴史は大変古く、961年にオットー一世の贈与証書の中に初めて名前が登場します。川を挟んで北部が旧市街地で、南部が新市街地でお城がある部分です。お城の歴史は12世紀まで遡ります。その後この地を治めた諸侯やアンハルト公国(1863-1918年)の居城となりました。1871年に殆どの国はドイツ帝国に吸収されていきましたが、このアンハルト公国は1918年まで公国を維持し続けた最後の公国とされています。ベルンブルクへのアクセス方法ですが、ハレから出発する方が直通電車があり便利かと思います。所要時間は1時間ほどです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 1.0
- ショッピング
- 1.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 鉄道
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Bernburgの駅舎です。駅中は陰気でキオスクすらありません。かろうじてDBカウンターがありました。ハレからBernburgまでは電車で1時間ほど。50?圏内ということで今回もHopperticketを使いました。駅がある区域は新市街地の外れですが、新市街地の中心地へは一本道でアクセスすることができます。
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一本道の突き当りには新市街地の目抜き通りが広がっています。本屋、靴屋、雑貨屋等々が軒を連ねています。しかし貧乏旅行御用達のインビスが全然ない・・・。昼食をどこで食べようか、かなり困りました。
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新市街地の中心地、Karlsplatzです。小さな時計台なんかもあり、人の流れが一番多い区域でした。道路の反対側には広い敷地があり、そこにどこの町でもお馴染みの市が出ていました。
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観光インフォメーションです。ちょいとややこしいところにあり、事前にプリントアウトして持っていった地図を見ても探すのが大変でした。ここで主要な観光スポットが載っている地図を貰うことが出来ます。
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工事中の建物なのですが、防塵用のカバーが本棚が描かれています。一瞬壁画かなって思いましたが違いました。これも観光客を楽しませる目的で作られたのでしょうか。なかなか粋ですね。
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城教会(Schlosskirche St. Aegidien und Krummacherhaus)を発見。結構地味な建物です。
反対側には大きな窓が付いており、そこから中の様子を少し見ることができましたが、内部はなかなか立派でした。しかし、残念ながら中には入れず・・・。一体どんな素晴らしいものがこの中にあるのでしょうね。 -
市役所の通り沿いに劇場を発見。町自体は凄く小さいのに、劇場は割と立派ですね。中も綺麗みたい。名前は長ったらしいですがCarl-Maria-von-Weber-Theaterというそうです。1827年建造。結構有名な芸術家を招いたそうで、1829年にはヴァイオリニストのパガニーニが、1834年にはワーグナーが来たそうです。
なかなかやるじゃないの、Bernberg!! -
がーん。市役所、あろうことか工事中でした。1895年に建てられたネオルネッサンス式の建物だそうです。正面にあるとされる花時計もこれじゃ見えないー。残念無念です。
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市役所横には旧馬場・厩の建物がありました。現在は第二庁舎として利用されているそうです。外見が綺麗ので、歴史的建造物なのに見落としてしまいそうですが・・・。
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このReitbahnの近くにこのような銅像を発見。これ、ドイツでは有名なティル・オイレンシュピーゲルの銅像です。14世紀に北ドイツで実在したとされる奇人で、ドイツ各地で様々な悪戯をし、伝承が残っています。ニーダーザクセン州のSchöppenstedtという小さな町には、オイレンシュピーゲルに関する博物館があります。このBernburgにもやってきて、何かしらの伝承を残していったのでしょうか。
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建物のドイツ名は Reitbahn(Marstall) des Schlosses。創建は1756年で、完成したのは1824/25年だそうです。1919年から1921年まで立て替え工事が行なわれ、現在のようになったみたいです。
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城正面玄関に到着。石でできた門は車一台がやっと通れるぐらいの狭い狭いもの。念願の場所に到着です。
高い塔はBraue Turmといいます。その左隣の建物はdas Krumme Hausといい、博物館になっています。さてさて、門の手前には2本の門柱が。その上をよくみてみると・・・。 -
なんと、左右の門柱の上には熊さんがいるではないですか。どうもBernburgは熊と縁が深い所らしいのです。このBernburgを居城としていたアンハルトの紋章にも2匹の熊が描かれています。
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クマさん二匹目。
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残念ながら工事中の所が多く、中に入れる建物は殆どありませんでした。ザクセン=アンハルト州の主要な町の建物は最近どこでもここでも改修工事が行なわれています。
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広場部分には銅像が数体並んでいます。そして後ろに見えるのがオイレンシュピーゲル塔です。この敷地内にある建物、どれもこれもかなりの年代物。ドイツの内陸部なので戦争で壊されなかったんですね。
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こういうのって世界共通なんですね。穴の中に顔をはめ込んで、オイレンシュピーゲルになりきっての撮影でしょうか。悪戯はしちゃいけませんよ。
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さて、いよいよザクセンの冠とのご対面です。川の上から見た方がよさそうだったので、対岸にわたれるこの渡し船に乗ってみることに。大人片道50セント。この船の上から一体どの様に城が見えるのか・・・。
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これはこれはー!!絶景かな、絶景かな。これはアンハルトの冠と称されるだけありますね。美しい。しかし、往路で撮影した写真はたったの2枚。設定やら何やらをしているうちにあっという間に岸に到着。船に乗っていた時間はたったの2分ぐらい。これじゃいい写真が撮れない・・・。というわけでもう50セント払って復路も利用することに。同じ失敗はもうできない!!!!
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美しい景色を堪能したあと、再び城に戻ることに。川に降りる前、城の博物館付近でこれから結婚式を迎えようとしている新郎新婦を見かけました。私が城に戻った時にはもういませんでした。しかしまた新しいカップルが・・・。この日は頻繁に結婚式があったみたい。城の前にこのようなお手製の看板を発見しました。最初はハートだけだったのですが、ドレスを着た会場設営っぽいお姉さんがバラの花を一本置いてくれました。
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新市街地は城以外に見所がなさそうだったので、旧市街地へ移動することにしました。劇場付近で見つけた窓が特徴的な建物。Metropolというものだそうです。1836建造の古い建物。元々はレストランだったそうなのですが、今は劇場付属の施設で、スタジオ、ホール等が入っているそうです。
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坂道をくだり、ザーレ河に再びぶつかる前に、またまた歴史的建造物を発見しました。18世紀前半に、ヴィクトル・フリードリヒ候(1700-1765)によって醸造法が改めら後に建てれたものだそうです。1802年に今日見られる醸造所はアレキウス・フリードリヒ・クリスチャン(1767-1834年)によって改築されます。以来、100年以上にわたって公国家族御用達の醸造所であったそうです。
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橋の上から撮影したザーレ川です。付近は工場やらが密集しており、上流の方とは雰囲気がまた違います。川はY字にわかれており、左側には大きな閘門が見えます。右側の川には恐らく大きな落差があるためでしょう。
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橋を渡りきったら、すぐ右手に公爵政府と図書館の建物が見えてきます(ehem. herzogl. Regierung u. Bibliothek)。ここもまたヴィクトル・フリードリヒ・フォン・アンハルト候が1746年に建てさせたものだそうです。1849年の法改正時に公国の裁判所として、郵便局を経て1885年から個人事業主の事務所として用いられています。
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閑散としていますが、ここが旧市街地のマルクトです。狭いので市を開くのはさすがに厳しそうです。今ではマルクトの機能は新市街地のKarlsplatzに移ってしまったようで、商業施設もあまり多くはありません。土曜日だったこともあり、カフェぐらいしかお店は開いていませんでした。
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道路沿いにある立派な建物。これは旧市街地の市役所だそうです。1384年には既にあったそうで、以来何度も立て替えられてきたそうです。1874/75年に最後の改築が行なわれ、今日では学校の校舎として利用されています。
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旧市役所の屋上部分にも、Bernburgのシンボルであるクマさんがいます。茶色く塗装されていますね。形や姿を変えながらも、創建当初からこの地にずっと居続けたのかな、このクマさん達。
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この緑色の建物、Grüne Apothekeといい薬局になっています。元もと町にあった薬局が火災で焼け落ち、
1775年に建て直されたものだそうです。建築様式は後期バロック様式。Bernburg出身で、ハレ大学の医学部教授であったフリードリヒ・アルバート・カール・グレンが、ここで薬剤師の見習いとして働いていたのだとか。この人物、薬学の分野では有名な方なのだそうです -
薬屋の入口上部にあるアンハルト候の紋章。やはり2匹のクマさんが描かれています。
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創建年代の1775年が金文字で書かれています。建物の装飾は本当に立派です。薬局にしとくのは勿体ないかも。残念ながら建物の中には入ることはできませんでした。
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マリエン教会(Marienkirche, Sankt Marien)は1228年に創建されたゴシック様式の教会です。教会の内陣及び正面 玄関は1460年から1500年頃に作られたのだとか。凄く歴史のある教会ですね。故に、Bernburgで宗教儀式上で最も神聖なる(sakral)教会だそうです。
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Hasen- und Füllenturm。これも市壁の物見塔の名残だそうです。主に馬の追い立て用に用いられたのだとか。創建年代は15世紀。1408年の洪水のあとに建てられたのだそうです。Hasenturm、訳すと「ウサギの塔」ですが、これは、昔用いられていた、ウサギの走る姿が描かれた風見計(Wetterfahne)に由来するそうです。
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Nienburger Torturm。市壁の門の所に設置された塔のようです。15世紀に立て替えられたとあるので、恐らくそれ以前から立っていたのかな。主に家畜の追い立てに利用されたとのことです。
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ニコライ教会(Kirche St. Nikolai)は新市街地における教区教会でした。教会の内陣は1240年建造。教会の北側の側廊(写真の反対側、撮れていない)は13世紀後半のものだそうです。
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空家になっており、ボロボロでしたが、ここも歴史的な建造物だそうです。数年後、どんな風に利用されているのかな。
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通りから少し奥に行ったところに修道院を発見(Servitenkloster der Marienknechte)。創建は1300年頃。建築様式はゴシック様式。1308年に初めて古文書においてその名が登場するそうです。
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修道院の外壁。1527年に世俗化(säkularisieren)され、1535年には病院が設けられます。修道院の教会部分は三十年戦争時に破壊されて今しました。この病院は17世紀にSt. Johannisと改名され、今日まで財団名として用いられています。建物そのものは1997年から単科大学の学者として用いられています。
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建物の入口付近で面白いものを発見。中ではどうやら結婚式が行なわれているようでした。これは結婚式の前夜祭の残骸。友達と親戚、近所の人が集って、古いお皿を持って割るという風習があります。話には聞いていましたが、現場(といっても儀式の後ですが)を目撃したのは今回が初めて。
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見落としていた建物が一つ二つありました。そのうちの一つがこれ。旧官房(altes fürstliche Kanzlei)です。この官房は16世紀後半にルネサンス様式で建てられた、1749年にバロック様式で改築されたとのこと。現在は空家で、建物は朽ち果てる寸前の状態になっています。
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一見普通の家ですが、よーく近づいてみると・・・。
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ハーフティンバー式のお家。何と年号は1550年。Bernburgで一番古い建造物ですが、残念なことにこのハーフティンバーしか残っていないとのこと。でもまぁ、よくぞこれだけでも残ってくれたものだ。
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クマさんの噴水です。クマが魚を捕まえていますね。やっぱり鮭なのかなー。
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人間の子供がクマさんを抱っこしています。これはクマのぬいぐるみなのかなー。本物ではなさそう。噴水の周りでしばし水しぶきを浴びて涼をとりました。体中火照っていたので。
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またまた発見。この通りにはこのようにクマの噴水が合計3体もありました。
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