2010/09/09 - 2010/09/09
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ma2okaさん
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FOUNTAINS ABBEY
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ファウンティンズ修道院の廃墟。18世紀に造られた貴族の庭園、スタッドリー王立公園内には、中世に繁栄した修道院の廃墟と、その自然が類を見ない美しさとして、1986年世界遺産に登録された。
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修道院の起源は1132年。ヨークの聖マリア修道院の内部抗争を発端に、13人のベネディクト会修道僧がヨークのサーストン枢機卿に保護される。枢機卿はスケル川渓谷の土地を彼らに提供する。1132年12月27日、13人が初めてこの地に足を踏み入れる事になる。
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この土地は豊かで、豊かな土は畑に適し、建築材料の石や木も簡単に手に入る。周辺からは湧き出る泉から「ファウンテン(泉)」の名前の由来となったという説がある。
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フランスでシトー修道院長を務めたサンベルナール・デ・フォンテヌがシトー派へ加わる事を勧める。シトー修道会は、この修道院をサポートして行く事になる。またフォンテヌが名前の由来であると言う説もある。
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神への祈りと瞑想が全ての修道院生活。野菜とパン中心の質素な食生活。着るものでさえ無染の衣類を着用した。1日8回のミサで賛美歌を歌う生活。そんな厳格な生活の場にも、繁栄時は1000人を超える修道士が暮らしていた。
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自給自足の生活で事足りる修道院生活だが、生産物を売ることで利益を得て、建物の増築につとめた。その結果、中世末頃になると、イギリスでも屈指の大規模な修道院になる。その反面、裕福な人々からの布施で土地は必要以上に広大になっていく。繁栄を極めた1400年頃から徐々に運営が困難になっていく。
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1400年頃、羊の疫病、ペスト、スコットランド人の襲来、立て続けに修道院を襲う。修道院の農耕、放牧、石工、など運営に携わってきた平修道士が多数死んだ為、農地を貸し出し、賃貸して収入を得た。
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1540年には王立証券取引所の創始者の父親であるリチャード・グラハムが買い取り、その後は個人所有の庭園としての歴史を築いていく事になる。修道院と自然のとの調和を目指した庭は実は人工だった。
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修道院長マーマヂューク・ハビーは、1495年から1526年にかけて巨大な塔を建設する。しかし、修道院の繁栄は長くは続かなかった。1530年、ヘンリー8世が修道院を解体する。解体した精巧な彫刻や鉛の天井は売り飛ばされた。
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1539年、イギリスで一番大きな修道院もついに閉鎖に追い込まれた。翌1540年、400年の歴史に幕を下ろした。修道院のシンボルだったステンドグラスはリボン聖堂とヨーク大聖堂に転用される事になる。その後修道院は荒れ果て廃墟となったが、400年という長い歳月紆余曲折を経た修道院はただの廃墟ではなく、貴重な遺産と言えるろう。
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