2010/06/17 - 2010/06/19
139位(同エリア1086件中)
polestarさん
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- Q&A回答11件
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- フォロワー4人
なりゆきで北九州に行きました。
大宰府で道真公をお参りしてきました。
全行程自家用車で行きました。
疲れました。
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 自家用車
-
どうしてそういうことになったのか?
成り行きとしか言いようが無い。
そうだ、言いだしっぺは彼女だ。
しかし自家用車で行こうと言ったのはわたしだ。
なぜ彼が参加することになったのか?
各人の思惑が交錯し、そういうことになった。
すべては成り行きだったのだ。
それぞれの目的を載せ車は走る。
夜明け前に静岡を出発し岡崎に午前7時。
彼女と合流して更に西へ。
西宮まで4時間。
休憩も入れて合計5時間。
そして彼も合流した。 -
西宮インターを降りると彼が待っていた。
自宅アパートはすぐ近所だという。
手荷物ひとつを持ち、バス停でバスを待つかのように道路脇に立っていた。
彼が身振り手振りで誘導した路肩に車を停止させ、サイドブレーキを引いたわたしは運転席を降り、後部座席に転がり込んだ。
わたしたちの車が彼の前で停止すると、彼は車の背後に回りこみ手馴れた様子でハッチバックを開け、自分の荷物を積み込むと、運転席に乗り込んだ。
はじめから打ち合わせてあったかのようにスムーズに運転手は交代した。
彼はプロのドライバーだ。
と、言ってもレーサーではない。
一般公道を安全運転で走り回り、主に甲子園球場周辺を巡回するように運転するのが彼の仕事なのだ。
ここから先は彼が主任ドライバーとなった。
フェリーの時間と料金を確認しようと神戸港に行った。
---------- この続きはまた後日 -------------
※ 順次加筆し画像もアップします。
おたのしみに! -
上記までを8月19日にアップし、「おたのしみに!」 なんて書いて続きのアップをサボっていたら投票が3票もあった。
「さぁこれからどうなるか? お楽しみ」
という記述が 【今から旅に出る】 感じをお伝えできたのだろうか。
静岡から岡崎の某所まで166キロ、そこから西宮まで490キロ。
ポートタワーでトイレ休憩をしてフェリーの時間を調べた。 -
昔はポートタワーがフェリー乗り場の目印だったが、今はアチラですと言われてフェリー・ターミナルに来た。
携帯電話のインターネットでフェリーの時間を調べることが出来なかった。
有料サイトに登録すれば、あるいは出来たのかもしれない。
「時刻表と料金を知りたいだけだし、船着場に行って、聞いてこよう」
ということになり、ぐるりんと回って・・・すぐ近くだけれど、フェリー乗り場に寄った。
運転手の彼がフェリーの時間と料金を調べている間、わたしは港を撮影してまわり、彼女は車の中で目をつむり休憩をしていた。 -
プロで運転手を長いこと務めた彼はもう還暦だ。
彼を仮に「おっちゃん」と呼ぶことにしよう。
彼女は某一流企業のエリート社員の奥様で、有閑マダム。
彼女を仮に「マダム」と呼ぶことにしよう。
そしてわたし。
あるときマダムがこう言った。
「ねぇアナタ、九州に行ってくれない?」
彼女が先生と呼ぶ人物に会って欲しいと言う。
わたしはおっちゃんに相談をした。 -
おっちゃんは電話でこう言った。
「マダムの先生に、なんで自分が会いに行くんや?
マダムのセンセーっちゅー人に会うんやったら
そぉらマダムが行かんと。
アカンやろ」
それをマダムに電話で伝えた。
「九州の、誰に会うべきなのか。
あなたの頼みなら行ってあげるのはやぶさかではないけれど、あなたがその先生に会わなきゃ意味が無いのではないか?」
「でも・・・」
「なにが問題なのか、全部言ってごらんよ」 -
画像はフェリー乗り場から見るポート・タワー。
マダムが九州に行くことができないという問題を、ひとつづつクリアしていった。
その先生は大宰府の筑紫というところに住んでいるのだと、聞いた。
すべての障害がクリアになったとき、三人の中年が一台の車に乗り合わせて九州に行くプランが出来上がった。
ちょっとした、冒険だった。
一台の車に乗り合わせた面々は、その都度ごとに相談をしながら旅を進める。
おもしろそうじゃないか。
こうして三人の中年は旅に出た。 -
神戸港から出る九州行きのフェリーは種類も便もいろいろあって、大雑把に片道12時間。
夕方の6時過ぎ・・・6時40分・・・だいたい午後7時に出航すると、小倉に朝の7時に着く。
ガソリン代のみならず、ホテル代も浮くのであるからフェリーは決して高い乗り物ではない。
そのうえ誰も運転をしなくてもよい。
列車のように窮屈なこともない。
いろんなルートが選択できたが、阪九フェリーの新門司行きの船が良かった。
http://www.han9f.co.jp/today/index.html
パソコンでは簡単に検索も出来るし、料金表も、時刻表も、このように簡単に呼び出せるのだが、携帯電話からではフルブラウザでも出てこなかった。 -
画像はポートアイランドを巡る観光遊覧船。
門司、小倉行きのフェリーを調べたところ、料金は2等自由席で6000円、2等指定Bが8500円、2等指定Aが一万円。
二等で上等だ。
ひとり6000円なら文句ないじゃないか。
出発は夕方だから、それまで有馬の温泉に行こうじゃないか!
と、8割船に乗る気になった。 -
自動車は?
3m未満が12,800円 、4m未満 17,000円、5m未満 21,200円、6m未満 25,400円。
この車は何メートルか?
「車検証!」
おーまいがーっ!
微妙に5メートル以上ではないか。
6メートル未満の2万5千400円てか?
どうする?
ひとり8千4百66円。
それにプラス6000円でしょ?
合計でいくらになる?
14,466円。
ざっと1万5千円かぁ〜。
うーん、どうしよう・・・ -
と、ここで (旅行記執筆の) 時間切れ。
この続きは・・・できれば今夜・・・アップできたらいいなぁ・・・
と、いうことで続きは後ほど。
2010年8月31日 13時23分、しるす -
前項までを2010年8月31日に作成したが、そのあとイロイロあった。
10月5日に葬式を出し、11月6日に法事。
ようやく一段落したので続きが書ける。
そう、この九州行きも死にそうな年寄りの介護を抜け出しての旅だった。
この九州行きのために、もしかしたら死期が早まったのかもしれない。
と、いうのは、正味3日も留守にするために、それまでわたしが専任でやっていた介護に関する用事や仕事を、ヘルパーさんや看護婦さんに任せることになったからだ。
その日を境に・・・見知らぬ人が毎日のように家に出入りするようになり、年寄りは急に衰えた。
あるいは、暑すぎた夏を乗り越えるのに命の残り火を使い果たしてしまったのかもしれないが、タイミング的にはこの旅がその境目になった。 -
当時はまだ生きていた年寄りは、わたしが北九州に出かけると聞いて、お土産を買って帰ってくるのを楽しみにしており、土産に買ってきた博多ラーメンを喜んで食べることができた。
そのことを思い出す。
臨終の頃は固形物を租借できず、ほとんど流動食だったのだ。
九州に行ったのは半年前のことだが、その頃は好きな博多ラーメンを食べた年寄りが生きていたと思えば、随分昔のような気がする。
年寄りは、数え年100歳だった。
そんな状況下にあったわたしが、こんな旅行に行きたいだなんて言う訳がない。どちらかというと行きたくはなかったというのがホンネだったが、今日死ぬ、明日死ぬという緊迫感もないまま延々と続く介護にも疲れていた。
行こうと言われて返事をした、その心境を振り返る。 -
フェリーを使わず、陸路九州に向かうことになったわたしたちは、ひたすら走ることとなった。
わたしの家に死にそうな高齢の年寄りが居るということは、マダムもオッチャンも知っていたけれど、高齢の年寄りというものはそんな状態で二年、三年と生きるものだから、そんなのは当たり前の日常のひとつで、おのおのが抱える家庭の事情のひとつとして、とくに話題にも出なかった。
自動車は延々と走る。
その間いろいろと話をするのだけれど、岡山を通過する頃には話のネタも尽きてきた。 -
今思い出しても、どんな会話をしたのか覚えていない。
時間はタップリある、ジックリと話を聞くことも、語ることもできる。
一体なにを語り合ったのか?
まったく覚えていない。
しかし、退屈もしなかった。
途中トイレの休憩に二回ほどPAか、SAに入った。
売店を眺めても、とくに欲しいものはなく、買いたいものもなく、ぶらぶらとして車に戻り、また走った。 -
静岡を出発したのが夜明け前で、岡崎に着いたのが午前7時。
マダムと合流し高速道路を四時間走って西宮に着き、オッチャンと運転を交代して更に西へと向かった。
ずっと高速道路を走り続けた。
この旅の為にETC装置も買って前日に取り付けた。
距離的なデータは、
静岡市Do田舎 - 岡崎市ハズレまで166?。
西宮まで490?、広島までがプラス282.6?で合計780?。
「ノンストップで走ってー、
本州を抜けて九州に入るんが夜の7時、8時やろうなぁ」
と言っていたのが神戸あたり。
しかしプロの走りというものはすごい。
スピードを出さないけれども止まらない。
スピード・メーターの針が毎時100?でピタっと止まり、安定した走行が延々続く。
エンジンを回しすぎて計器類が故障てしまったのかと思いギョッとした程、長時間スピードメーターが100?を指したまま動かないのでその尋常ならぬプロの技に気が付き、知った。
山口県に入ったのが、ちょうど夕方の5時くらいだった。 -
6月の中旬で日照時間が伸びていた頃だったので、午後7時でもまだあかるい。
初夏の夕方の5時なんて、まだ昼さがりなのだ。
ところがその日は低気圧が近づいていて雨が降りそうな天気だった。
曇天の中国地方は昼間でも薄暗く、まだ初夏の午後5時だというのに景色は日没の様だった。
消えてなくなりそうな太陽が、いかにも地の果てまで来たような気分にさせてくれた。 -
ようやく山口も玄界灘付近まで辿り着き、この先が九州だというところまできた。
過ぎてしまえばあっというまだった。
走っている間も、まだ着かない、まだ着かない、という感じはなかった。
それなりに退屈しなかったためだろう。
3人連れだと、かわりばんこに休むことができる。
高速バスの旅なんかで、ひとりで時間をつぶすのは疲れるけれど、連れがいておしゃべりをしながらの長旅は、それはそれで楽しいものだ。 -
九州に入ってしまえば、もう目的地もすぐそこだ。
まずは小倉の友人宅に行き、翌日太宰の先生宅に行き、その足で福岡の知人の家を探す。
用事はそれだけだ。
まずは小倉。
小倉の友人に電話をかけて、降りるべきインター・チェンジの名前を聞いた。 -
彼は小倉駅前に住んでいた。
彼の名は、仮に「棋士(キシ)さん」と、しよう。
将棋がめっぽう強いのだ。
オッチャンも将棋の腕は自慢で、さっそく一ふたりは対局を始めた。
結果はまぁ・・・書かぬが花か。
棋士さんは以前、大阪の、通天閣の、専門棋士がタムロする界隈に住んでいたのだ。 -
わたしは将棋はわからないけれど、腕に覚えのある人なら盤を見てわかるだろうか?
手前がオッチャン、向こう側がキシさんだ。
聞けば随分遅くまで指していたらしい。
彼らが一局を指す間に、マダムと小倉駅前のホテルに行った。
当初はキシさんの家に泊めてもらう予定で来たが、あまりのムサ苦しさに逃げ出した。
小倉の駅前にはビジネスホテルが林立していたがキシさんの家にいる間に携帯サイトから予約を入れた。
キシさんの勧めで西鉄イン小倉というホテルにチェックインをした。
http://www.n-inn.jp/hotels/kokura/ -
夜中に俄か雨が降ったようだけれども朝にはあがり、翌朝は清清しい空気に満ちていた。
さほど気温も上がらず、かといって寒くもない、気候の良い一日だった。
午後の2時に太宰に住む先生の家を訪問することになっていたマダムと、わたしたちは大宰府天満宮を観光した。
そう、その 「太宰の先生」 に用があって、そのために九州まで来たのだ。
マダムは 「あと何時間で先生に会える」 と、念願叶って上機嫌だった。
それはそうと、時間まで観光を楽しもうじゃないか・・・
当然だね。
ここまで来て観光もせずには帰れまい。 -
駐車場は、ここだ。
http://bit.ly/17QBn9i
http://bit.ly/17QBvFU
駐車場の向こうに見える円筒形の建物は、どうも学校施設のようだ。
なんて立派な建物だ、私立の学校か?
筑紫台高等学校?
へぇ。
そうか、ここは学問の神様のおひざ元か・・・というのは関係ないか。 -
駐車場に自動車を置いて、散歩がてら歩くことにした。
こういう参道のブラブラ歩きは楽しいものだ。
駐車場を背に天満宮の方角を見ると、こんな感じ。
この先に藤原の道真公が祭られているという、かの有名な天満宮があるんだな。
教科書や、話には良く聞いたけれど、行くのは初めてだし、おおよそ予想はつくけれども、想像と実際では違うものだ。
わくわくした。
なによりここは、九州なのだ。
どうもピンと来ないけれども、自宅から 1172.5?のところにあって一昼夜かけて辿り着いた先なのだ。
でも、あんまり変り映えもしない、隣町のようでもあった。 -
そうか、天神様というのか。
なんとなく、古い、昔の、異国の雰囲気があるような。
微妙に普段住んでいる地元とは違う。
空気が違う、細部が違う。
そもそも町を歩いていてハングル文字が目につく。
公共の看板が日本語とハングルの併記だ。
商店の手書きポップもハングルが踊っている。
参道をぞろぞろ歩く人々も、良く注意すると日本語で喋ってはいない。
そうか、静岡から来るより、プサンやソウルから来る方が近いんだなぁ、大宰府は。
ぞろぞろと歩いているオバチャンやオッチャン達は韓国語を喋っていた。
若いおねーちゃん達のグループも、ハングル語ではしゃいでいた。 -
この交差点の右側が、西鉄の、大宰府駅だ。
地図で見ると・・・ここだ。
http://p.tl/BFcs -
右をむいて、その大宰府駅を正面に見るというと、こんな感じ。
この日はとても曇っていて、時折厚い雲の間から太陽の光がこぼれる時もあったけれども、ほとんど一日中どんよりと、雲っていた。
風はなく、たまにソヨソヨと空気が流れる程度のそよ風が吹いて、おかげで涼しくて気持ちが良かったけれど、絵はイマイチだ。
なにしろ充分な太陽光線が得られず、どの写真もパッとしない。 -
大宰府駅のモニュメント。
道真公の有名な句、
「こち吹かば、思い起こせよ梅の花・・・」
の句とともに、夏目漱石の句が掘ってあった。
漱石ぼっちゃんは、四国愛媛に赴任していたのだから、大宰府にも何度か来たのだろうか。
いや、知らないけど・・・。 -
広々とした大宰府駅。
行った日は平日で、しかも何の縁日でもない日で、なおかつ天候も良くない日だったので、あらかじめ予定を組んで訪れた韓国人ツアー客しか居なかった。
だから妙に広々と、清々しているけれど、これが年末・年始ともなれば相当賑わい大勢の群衆で数メートル先の駅舎も見通せなくなるのだろう。
この日、2010年6月18日は暑くもなく、寒くもなく、適度にさわやかな気候で気持ちが良かった。
このあと日本は、気象台史初の猛暑を記録し続けた、あの夏が始まったのだ。
繰り返すが、このときはまだ緑風爽やかな数日が続いた。 -
石畳の行き着く先が、菅公(カンコー)、つまり道真公の天神様だ。
http://www.dazaifutenmangu.or.jp/home.htm
博多の駅前に住んでいる友達と、何年か前の正月に電話をしたことがあった。
「いま大宰府におるたい、身動きできんばい・・・」
正月にはこの参道が人で溢れるんだろうなと想像しながら歩いた。
そんな世間話をしながら歩いた。 -
大勢の人で賑わう繁華街よりも、わたしは寂れたぐらいの、人の居ない程の、閑散とした感じが好きだ。
そりゃあ活気は無いし、熱気もない。
そんなものには、あまり興味がないのだ。
人によっては、ごったがえすくらいの熱気があるほうが楽しいと云う人もいる。
どんな場所でも、観光地でも、誰も居ないくらいが、わたしはすきだ。
観光地全体が、貸切のようではないか。
わたしたちは、のびのびと歩いた。 -
趣のある町屋風の建物があるけれど、これは近年になって観光か商売のために造られたものに違いない。
出来すぎている。
それとも、ほんとうに古民家で年代モノなのだろうか?
最近は、良く出来たニセモノが多いので、あんまりホンモノっぽいとニセモノかと思ってしまう。 -
その古民家風の建物は喫茶店のようだった。
うーん。
大正ロマン風のデザインだけど、やっぱり昭和か、いわんや平成の築造だろうなぁ・・・。
いや、知らないけれど・・・。 -
そうなんだよ、九州・・・とくに福岡と静岡は、妙に物産が一致してしまうんだ。
イチゴといい、メロンといい、バラ、ラン、茶、織物。
そりゃあ静岡駿府のものと、大宰府のものとでは、素性が違うけれども
「似たようなモノ」
が、バッティングしてしまう。
全国のナントカ統計ってのを調べると、10位が静岡、11位が福岡、とか
3位が福岡で、4位が静岡、とか。
妙に、似通ってるんだろうな。
しかし、都市の規模は福岡の方が大きい・・・と、記憶しているが。
いや、その、詳しく知らないけれど、全国アベレージでの静岡のポジションってのを見ると、決まってその上か、下に、福岡の名が来ていることが多いんだよ。 -
これはたしか、大宰府名物の梅ヶ枝モチ・・・そんな銘菓があったような・・・。
いやホント、知らないんだけどね。 -
10分も歩いたろうか、ぶらぶら、ぶらぶらと店を覗きながら歩いたので、どのくらい歩いたのか記憶がないけれど、気がつくと天神様の石鳥居だ。
「まだ着かないのか、まだ歩くのか」
と思いつつ歩く京都の観光を思えば、ちょろいもんさ。 -
今来た道を、くぐった石鳥居から振り返って見ると、こんな感じ。
さぁ天神様をお参りしよう。
よう考えたら・・・日本のシキタリで、葬式を出した後では神社に参ることができなかったのだから、葬式を出す前に観光ができて良かったとも言える。
死んだ年寄りは数え年100歳だからねー、
「あまりに早すぎる死で」
とか
「もう少し長生きして欲しかった」
とは、お世辞にも言えますまい。
どのタイミングで逝っても、それが寿命で、天寿ってモンだ。
葬式も済ませ、法事も済ませ、遺品の整理ってのが残っているけれども時間ができた。溜まっていた旅行記の続きを書くこともできそうだ。 -
と、いうことで今日のところはこの辺で。
そりゃあ・・・投票してもらえると続きを書こうという気が湧きますね、はい。
では、また、後日。
2010年11月10日、しるす -
2011年8月24日、加筆。
懐かしいな、もう一年半も前のこと。
あれから色々あった。 -
わたしは、こういう場所で鎮座まします神様達にご挨拶をするのみで、願い事や祈祷はしたことがない。
なにを考え拝をしたのか覚えていないが、この、わたしのことだから、神殿に向かって頭を下げ、お招きいただきありがとう、無事に到着しましたと太宰の神様に拝をしたのだろと思う。 -
大宰府におまいりして、おっちゃんやマダムといろんな話をした。
いまさらだけど。。。この旅は、結果として彼らとの、お別れ遠足になった。
彼らは大宰府で何を祈ったのか、願ったものか。 -
なで牛を、皆がなでるものだから頭がつるつるになっていた。
なで牛のほかに、麒麟や鹿、鶯(うそ)のブロンズもあり、それぞれに由緒のあるブロンズだそうだ。 -
牛に関しては、牛の年生まれの人は、ぜひとも大宰府をめぐると良いかもしれない。
牛との因縁が深いので、それで牛のブロンズがあるそうだ。
丑の年うまれの道真公が59歳の時に亡くなり、その亡骸は牛車に乗って東北(うしとら)の方向へ向かっていたところ、突然牛が止ってしまったそうだ。
その牛が止ったところに道真公の御遺骸を葬り、墓を建立し、その墓の上にお社を建てたとのこと。
これが現在の大宰府天満宮の始まりだそうです -
2012年1月14日、加筆。
この旅行記を書き上げない限り、次の旅行記が書けない・・・。
うかつに大作に取り組んでしまったものだ。
なんとか書き上げてしまおう。 -
まるで外国に出かけたような旅だったけれど、妙な親近感もあった。
大宰府の中はとても綺麗で清潔で、近所に住んでいたら毎朝の散歩が楽しいに違いないと思った。 -
マダムは牛のブロンズが気に入ったようで、なでると良いと聞いてせっせとなでていた。
なにやら話しかけていたようだったが、牛は聞いていないかのようだった。 -
祭神 菅原道真公
鎮座 延喜三年二月二十五日
延喜3年はユリウス暦の西暦903年、2月は旧暦であり新暦だと3月。
もうじき桜の花が咲くという頃に道真は亡くなり、その怨霊が道真公を憤死に追いやった左遷関係者を苦しめることと相成った。 -
古式の学業といえば、筆と硯とそろばん。
-
さわやかな初夏の雨上がりの午前だった。
-
ここが静岡から遠く離れた九州だということを認識させられる商品だった。
静岡県を中心とした半径500キロ以内なら、この抹茶ソフトには 「静岡」の文字が誇らしく書かれていただろうし、いちごも静岡産であることが高品質の証のように描かれていたに違いない。
ああ、ここはもう静岡ブランドの届かない北九州なのだ。
大阪ですら、みかんは愛媛、茶は京都、いちごは香川と認識している。
イチゴだけにこだわると、全国ナンバーワンは栃木の「とちおとめ」
二番目が福岡の「あまおう」「とよのか」
静岡は全国第三位となっており、紅ほっぺ(べにほっぺ)と章姫(あきひめ)が静岡のブランドである。
関東はじめ近隣諸県では静岡のブランド苺が幅を利かせる中心に住んいるわたしは、この写真を見ると異国を感じるのである。 -
おっちゃんもマダムもキシさんも、参道での買い食いをしなかった。
ぶらぶら歩きをし、見て楽しみ、ひやかして、あまり土産も買わなかった。
べつに所持金が少なかったわけではない。
そういう買い食いには興味が無かったのだろう。 -
こういう景色は日本全国どこでも同じ、という風情がある。
逆に、日本の定番の風景で、これぞ「和」と形容すべきか。
いやしかし、土地ゞの個性があったほうが良いと思うのだが、のっぺりと変化が無い。 -
観光地の土産物屋に並んでいるものは、ほんとうに代わり映えがしない。
それでも静岡周辺の観光地や、バスツアーで日帰りできる距離にある観光地とは、ちょっぴり違うという感じもするけれど、それにしても九州まで来て「似た様な土産物」を見ても、あまりときめかないなと思った。 -
土産物というよりも、ふつうの雑貨屋だと思えばなかなか楽しいものだった。
-
久留米がすりの色んなものを売っている雰囲気の良い店を見つけました。
-
母が好むので、母への土産に久留米絣のもんぺを買いました。
-
ようは、お金を使う20代、30代、40代の女性が飛びつくような「かわいい」品物が並んでいるということか。
特にその土地の名物というわけでもなく。 -
かく云うわたしも、アジアン風の雑貨は好きなので、ついつい・・・
-
珍しい菓子や、名物の菓子でもあったら買おうかと思っていたけれど、とくに欲しいものがなかった。
それでも家で待っている子供たちには何かを買い求めないと・・・。
何を買って帰ったのか、今となっては忘れてしまった。
マダムは明太子や漬物を買っていた。 -
そろそろ昼だから、昼を食べようということになったが何を食べようと言っても話がまとまらない。
この近所にイオンモールがあるとキシさんが言うので、そこに行くことになった。
イオンモール筑紫野
http://chikushino-aeonmall.com/
その地図はここである。
http://goo.gl/maps/5NpLJ -
イオンモールこそ、全国おなじだ。
わたしは良く、静岡県で一番大きなイオンモールや二番目に大きなイオンショッピングセンターで働くことがあるけれど、レジャーでイオンモールを訪れることは少ない。
それにしても、ここが九州だとは思えない錯覚を覚えたものだった。 -
とはいえ、地元のイオンと九州のイオンと、ほとんど同じと言っていいほどの作り、雰囲気、店構え。
中のテナントすら同じ。
こうなると、「いつものアレ」 という感じで、迷わないけれども、トキメキもない。
リスクがないので冒険もない。
チャレンジも無く、新鮮味もない。
あるのは大船に乗った安心感と、すでにわかっているという感覚。
そして不安もなかった。 -
これは静岡のイオンや、他の土地のイオンにはない店ではないか、いかにも筑紫野(北九州)らしい。
ここで昼食を摂ろうということに相成った。 -
名前が筑紫野というだけで、中は「ありきたりー」な、蕎麦屋だった。
とはいえ不満もない。
これで充分、文句を言ったらバチがあたるくらいというものだった。
それぞれメニューを見たけれど、誰かが「ランチのセット」みたいのを注文したら、皆が同じ品を注文した。
あれこれ工夫をするだけ面倒だという感じであった。
そのぶん会話が弾んだ。 -
全員同じメニューというのも不安が無くてよい。
これでいくらだったか・・・今イオンモール筑紫野のサイトを調べたところ・・・なんと、そんな店は無い。
そうか、閉店してしまったのか。
そのかわりに丸亀製麺が出店したみたいだ。
そう、その店はなくなっていたのか・・・。 -
これが、そのランチで、ひとり1200円だったか、1500円だったか、そんな値段だったような気がする。
べつに悪くはなかったけれど、蕎麦にうるさい人は、ほんとうにうるさいので、そんな蕎麦通が通うほどの味でもなく、かといってファミリーで食べる蕎麦にしては微妙に高いというのが命取りだったのかもしれない。
この中途半端さが手ごろだと思っていたが。 -
九州土産もここで全部買うことにした。
なにせ何でもあった。
九州の知人に聞いたら筑紫餅が名産だというのでそれを買った。
筑紫野というのは、北九州地方の古い呼び方だけど、今はそういう市の名前となって残っている。
その筑紫餅も、どこにでもある餅っぽい土産物と、あまり変わらない味であった。
無理もないか・・・。 -
静岡には無い和菓子、ちょっと変わった菓子は沢山あったけれども、特別珍しいという印象も無かった。
そこへいくと鹿児島のみやげ物は個性的だが、そこまで個性的だともらう側が引く。
たとえば "あくまき" などは。 -
こういうものが試食できたら良いなと思った。
なにせ・・・どういう味なのかさっぱり見当が付かないものがあった。
形状から見て、こういう味ではないかと思うのだが、はずれると怖い。
あたりあずれの無いものを買うことにした。 -
ひとしきりショッピングを楽しみ、筑紫に住んでいるというマダムの先生にも会って、福岡に住んでいるはずの友人を訪ねたが不在で会えず。
夕方になって雨が降り始めた頃、福岡を後にした。 -
天神様・・・
福岡の人は太宰府天満宮を単に天神様と呼び、天神様といえば大宰府の道真公のことだと。
その天神様を拝む間は良く晴れて、イオンモールから出てくる頃から小雨がちらつき、用事が済んだ頃には本降りになった。
かまわないさ、あとはもう帰るだけだ。 -
ああ、博多ラーメンを食べていなかった。
それは次回のお楽しみにしよう。
またいつかと思っていたら、実は半年後にまたこの地を訪れたのだった。
その旅行記も、この旅行記を書き上げたら、書き始めよう。
その前に、まだアップしていない旅の記録もあるんだなぁ〜。 -
夕方の5時ごろ、九州を出て本州に入った。
-
このあと殆どノンストップで走り、西宮に着く頃は夜が白々と明けていた。
-
いま思い出しても懐かしい。
是非又行きたいものだ。
--- end ---
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この旅行記へのコメント (2)
-
- fuzzさん 2013/10/22 07:52:23
- ご訪問&投票していただき、ありがとうございます(=^0^=)
- polestarさん、おはようございます。
自家用車で行く太宰府天満宮の旅、拝見しました。
私も成田まで自家用車で7〜8時間かけて出かける事も少なくないのですが、
主人が運転で、私は一人で8時間喋りっぱなしです。
運転も疲れるでしょうが、喋りっぱなしも疲れます。
いや、やはり疲れないかな。
運転手は大変でも、車内で何時間も自由に話したり歌ったり出来るので他人の目を気にせず楽しめますよね。
これからもお互いに楽しい旅行が出来ますように(*゚▽゚*)
- polestarさん からの返信 2013/10/23 22:39:41
- RE: ご訪問&投票していただき、ありがとうございます(=^0^=)
- fuzzさん、掲示板の投稿ありがとうございます。
貴旅行記拝見し、自分もディズニーランドに行ったような気がしました。
今後とも宜しくお願いいたします。
> polestarさん、おはようございます。
>
> 自家用車で行く太宰府天満宮の旅、拝見しました。
> 私も成田まで自家用車で7〜8時間かけて出かける事も少なくないのですが、
> 主人が運転で、私は一人で8時間喋りっぱなしです。
>
> 運転も疲れるでしょうが、喋りっぱなしも疲れます。
> いや、やはり疲れないかな。
>
> 運転手は大変でも、車内で何時間も自由に話したり歌ったり出来るので他人の目を気にせず楽しめますよね。
>
> これからもお互いに楽しい旅行が出来ますように(*゚▽゚*)
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