1994/12/21 - 1994/12/24
565位(同エリア739件中)
北風さん
インドに着いて1週間が過ぎようとしていた。
つまり、インドと言う国をギュッと凝縮したかのようなこの「ベナレス」に来て1週間という事にもなる。
何年も国をまたぐ長期旅行をしていると、初めての文化、言葉、人種、物価を移動しながら学習する事が、どんなにリスキーな事かは嫌というほど味わってきた。
入国最初の街が、その国を旅する上での「KEY CITY」となる。
しかも、その国が広大な発展途上国で、したたかな国民がわんさか住んでいるならば、なおさら腰を落ち着けて予習する必要があった。
このインド屈指の観光地「ベナレス」は、その観光客が落とす莫大なお金に北インド中の亡者が群がるいわば、インドの「虎の穴」!
非常に自分の常識からかけ離れた現実にもみくちゃにされながら、なじみの乞食や安食堂や牛を少しずつ増やして情報を漁る!レベルを上げる!
俺は既に心身ともにヘロヘロになりながら、カメレオンのように現地化をしつつあった。(沈没かも・・・)
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス
-
俺が定宿とした「トリムティ」(一泊200円)は、この界隈では結構高さがある建物だった。
ホテルの屋上に上がると、地上では考えられない程の広々とした光景を見る事ができる。
この街は、ヒンドゥー教の聖地として有名なはずなのだが、よく見ると、とうもろこし屋根のヒンドゥー寺院の傍に、玉ねぎ屋根が見え隠れしている。
あれは、どう見てもイスラム教の寺院だった。
近年、カースト制度で生まれた時に身分を決められるヒンドゥー教に嫌気がさして、人間の平等を説くイスラム教に改心するインド人も多いらしい。
この街でも、意外な程にイスラム教徒を見かけた。 -
噂では、つい最近イスラム教徒による大暴動がこの町で起きたらしく、このホテルの屋上にもなんと、インド軍がテントを構えていた。
滞在してすぐの頃、寺院の傍の細い路地で、いきなり空港に設置してある金属探知機のゲートと同じ物をくぐらされ、青く光り輝くセンサーの棒で身体中を探られた経験を思い出した。
あの時は、牛糞が転がり、乞食が行き倒れている道端で、いきなり始まった超近代的な検査に度肝を抜かれたが今ならその理由がわかる。 -
旅日記
『聖なる動物』
少し裏道に外れると、果てしない迷路が広がるこの街。
しかし、どんな細い路地に迷い込んでも寂しい思いはしなかった。
どこにでも、歩行者がいた。
どこにでも、野良牛までいる。
人一人がどうにか通れる様な細い道。
迷い込んで帰り道を探す俺の前に牛が登場!
食物連鎖の頂点に立つ者としては、当然の如く足を進めるが、前方の草食動物もなんの迷いも見せずに向かってきた。
牛と目が合う。
「どけ!」と言っていた。
一瞬、自分が何者か考えてしまうが、俺の人生で草食動物に道を譲った経験などなかった。
信じられない事だが、現在俺はヤンキーばりのメンタンをきりながら牛とチキンレースをやっている。
「牛歩」と言われるには速すぎる足取りで、そいつはすぐそこまで迫ってきた。
ヒンドゥー教では、牛はシバ神の乗り物とされ、通称「聖なる動物」と呼ばれている。
しかも、この街はシバ神の聖都になっており、牛はある意味、人間の上に位置していた。
このオーストラリアじゃ、500g、100円で売られている肉の塊は、この街での自分の立場を理解しているらしい。 -
とうとう牛と向かい合う事になった。
どくわけにはいかない。
こっちは、人間としてのプライドがかかっている。
牛が「ぐっ」と頭を下げたと思ったら、いきなりすごい勢いで首を上げた。
「ふおっ」という風圧と共に、巨大な角がTシャツをかすめる。
・・・「嘘だろ」としか言葉が出なかった。
以前オーストラリアでカンガルーに惨敗したトラウマが蘇る。
この日、俺は、草食動物に人生で2回目の敗北を喫した。 -
路上マーケットでは、道路の真ん中で昼寝を決め込む牛など見向きもしないで、行商人達が忙しく立ち振る舞っていた。
野菜や果物などが、これが貧困に苦しむ国なのか?と思える程、色とりどりの色彩をたたえて道端に山積みされている。
当然、定価など記されているはずもなく、買い物は全て値段交渉から始まるシステムだった。
・・・つまり、旅行者の交渉力を試される場でもあった。 -
俺は、初めて林檎を買った店をひいきにしていた。
屋台の屋根に商売繁盛を司るヒンドゥーの神「ガネ−シャ」のお札がぶら下がっている店だった。
驚くべき事に、毎日通うようになって挨拶を交わすようになっても、行く度に値切らないといけないとはこれ如何に?
(つまり毎回ボッてくるのだが・・・)
最初は高く売りつけられていたと思う。
値切り下手の俺は、パパイヤ30円、バナナ3円、オレンジ8円という相場を掴むまで、かなりの投資をした気がする。
(まぁ、それでも100円ぐらいのものだが) -
インドの商店は何故か床を一段と高くした造りをしている店が多い。
ヒンドゥー教の教えからか、床にはたいがい、むさい親父があぐらをかいて座っていた。
(ヒンドゥーでは、女性は家の中にいるものらしい)
この「愛嬌」という言葉を知らない民族性の中、親父は、店を覗きに来た客を「ジロッ」と睨み倒した後、手短に「What do you want?」とつぶやく。
最初は、こんな開発途上国に目新しい物なんかあるはず無いと決め込んでいた俺だが、親父の背後に吊るされているシャンプーが目に止まった。
その、干物のように吊るされたシャンプーの表面には、「ティモテ」と表示されてあった。
パッケージのデザインといい、これは日本でも売られていたシャンプーと同じ物だと思う。
実は、インドは爪楊枝から、原子力潜水艦まで自国生産する国だという。
インド、恐るべし! -
旅日記
『チャイ』
ぐつぐつと煮立ったやかんを、おやじはおもむろに傾けた。
やかんの口から飛び出した茶色い液体は、しぶきを上げながら古ぼけたブリキのコップに注がれていく。
ここからが見せ場だった。
俺の指がカメラのシャッターに触れる。
おやじの腕が、ゆっくりと、しかし高々と上げられる。
右手に持ったコップからは、先程の茶色い液体が再び湯気と共に飛び出してきた。
現在、おやじの目の前では茶色い滝が現れている。
見事な高低差を持った滝だった。
街に山ほどあるチャイ屋の中で、このおやじのチャイを繁盛させている技だけあって見事な技だ。
チャイをおいしくたてる方法が、今おやじがやっている、なるたけ高い所から注ぎ込む方法らしい。
こうすると、チャイに空気の泡がたくさん混ざり、シェイクの様な飲み心地になるとの事。
そして、高ければ高い程、美味くなるらしい。
インドのお茶と言えば、砂糖をたっぷりぶち込んで、牛乳と共に煮込んだ「チャイ」。
店ごとに嗜好を凝らした、このインド版ミルクティーを飲まない日はなかった。
(特に俺は、生姜入りのチャイが大好きになっていた)
おやじに、持ち帰りでチャイを注いでもらい、ガンガーへ向かう。
のんびりとのんびりと過ぎていくインドの時間の中、ゆっくりと飲み干すチャイが美味い!
ガートにチャイの器を投げ捨てる。
器は素焼きの陶器でできているので、雨が降れば土に還るらしい。
チャイは何処までもインド的な飲み物だった。 -
旅日記
『カレー』
ベナレスで一週間ほど経つと、俺には馴染みの安食堂ができた。
その店は大通りに面してはいるが、まるで水道工事でもやっているかのように地面を掘り返している場所に建っていた。
砂埃が舞い上がる店先のいつものテーブルに座ると、馴染みの親父が出てきて「いつものか?」と聞いてくる。
以前はツーリストと見ると群がってきた、乞食、物売りはもはや寄っても来ない。
(俺には、たかる価値が無いと見切られた?)
この国に来て、俺は自分のくせを一つ見つけていた。
(俺は食に関しては、牛のように習慣を変えない)
この店で俺が頼む唯一のメニュー「ベジタブルカレー」が、いつもの様にテーブルに運ばれて来た。
最初のうちは戸惑っていた、手づかみで食べるインド・スタイルにもようやく慣れて、右手が起用にチャパティをちぎりカレーをすくう。
それを見ていた親父が満足げにうなづいた。
インドでは、左手は便所の時だけ使う「不浄の手」と呼ばれ、食事時でも右手だけで食えと教えてくれたのは、この親父だった。
(親父は両手でチャパティをこねてはいたが・・)
以前、日本人の長期旅行者が言っていた言葉を何度思い出したことだろう?
「この国にカレーはない、あるのはカリ−だけだ。」
確かに、その通りだった。
スープのようにさらさらのルーの中で、なんとも複雑なスパイスの味、これを「カレー」と考えたら、まずくて食えたもんじゃない。
特にこの店の様にオープンスペースで、周りに人糞やら牛糞やらが転がっている中で、色だけはカレーらしき物体を食べるのには勇気がいる。
インドの料理の基本は、このカリ−・スパイスらしかった。
「マサラ」と呼ばれるこのスパイスは、日本料理の醤油と同じく、インド料理のベースになっているらしい。
慣れると、これも一つの味だと思えてきたが、野菜、果物全ての食材が美味いこの国で、この「マサラ」での味付けが全てをぶち壊しているように思えた。
しかも、このマサラ、俺の内臓とは相性が良くないらしく、腹下しは年中の事となった。
・・インド料理は、俺にとってダイエット料理をかねていた。 -
<政府直営、麻薬販売店>
普通の通りに面したバラック小屋の中に、その店は軒を連ねていた。
最初この店を説明された時、俺は耳を疑ったが、ここは正真正銘、政府直営麻薬取扱店だった。
インドは、世界でも有数の大麻の産地でもあり、聖なる草と言われる「マリファナ」は、ベナレスでは合法な物だった。
しかし、だからといって、こうも堂々と店を構えられると意外と入りづらい。
インド流の一段高くなった店先には、メニューと共に怪しげな塊が並んでいた。
メニューには、
「バング・クッキー(大麻入りクッキー)」
「バング・ボール」
「ガンジャ(マリファナの隠語)」
等、まるで喫茶店に入った気がする。
この街の路上では、売人が「政府のものよりGOOD!」と言って声をかけてくる。 -
旅日記
『バング・ラッシ−』
最初、がくんとひざが折れた。
床に手をついて、身体をベッド引き上げる頃には、世界が廻り始めていた。
窓から飛び込んでくるジャイナ教(拝火教)の念仏が、耳の中で遠く近く響いてくる。
チカチカと目の奥で光る輝きといい、酒を飲んでダウンした時に似ているはいるが、俺は今夜酒を飲んだわけじゃなかった。
30分前、俺は大通りに面したラッシ−屋なる所に立ち寄っていた。
評判通り、美味いヨーグルトを出す店らしく、店先は人で一杯だった。
女性ウケしそうな「飲むヨーグルト」を出す店にしては、客は全て労働が終わった男達という事が少々変わっているが、まぁこんな不思議大国じゃ、これもありかもしれない。
男達が飲み干したコップを指差して、「俺にも一杯」とオーダーすると、店の親父が壁のメニューを指差した。
メニューには、「Strong」「Midiam」「light」と記されてある。
さすが、評判の店だけあり、ヨーグルトの濃さまで決められるらしい。
俺は「Midiam」を注文する事にした。
店先にあぐらをかいた店主が、バケツから白いヨーグルトを汲み出してコップに注ぐ。
その後、なにやら箱の中をゴソゴソと探り、ビー玉程の茶色い玉をコップに投げ入れ、細長いしゃもじの様な物でコップの中身をかき混ぜ始めた。
あっという間に茶色くなったその液体を、親父は「飲め」と目で言った。
インドに来てから衛生観念という言葉は記憶の奥底に沈んでしまっていた。
何のためらいもなく飲む干したその液体は、見かけによらずなかなか美味い!
・・・それが、バング・ラッシ−と呼ばれるマリファナの原液とヨーグルトのカクテルだと知ったのは、次の日目が覚めてからの事だった。
肉体労働で極限まで疲れた男達は、ヒンドゥー教で禁止している酒の代わりに、この液体を一杯ひっかけて家路に着くらしい。
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