1994/12/16 - 1994/12/20
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北風さん
1994年12月16日、ネパールよりインド入国!
牛と、カレーと、麻薬の国、と噂されるインド。
120%の嘘と最後には眠り薬まで使って旅人の懐を狙うというインド商人。
現代でも、カースト制度によって一生乞食は乞食にしかなれないインド国民。
バック・パッカー・レベルがあるなら、インドは『難度D』らしい。
長期旅行者は言う。
「インドと中国を旅できたならば、世界で旅できない所は無い!」
それでも、長期旅行者は言う。
「インド最高!」
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス
-
旅日記
『SNOURIからインドへ』
1994年12月16日、ネパール〜インド国境の街SNOURI(スノウリ)は霧に包まれていた。
まるで、これから入国するインドへの心境を表しているかのように、薄暗く不気味で一寸先も見えない。
ここの国境管理は今まで見た事もない程ルーズで、入国に関しては何ら心配していなかった。
なんと言っても昨日、誰にも停められる事無く、知らない内にインド側のレストランで飯を食っていた事実が物語っている。
(この国境では、インド人とネパール人は入出国自由らしく、国境を示す遮断機は単なるオブジェみたいなもんだった)
あっという間にインド入国手続きを終了し、ベナレス行きのバスに飛び乗った。
さすがイギリスの植民地だけあって英語が通じる。
移動が楽ちん!
噂とは裏腹に意外と旅行しやすい国なのかも・・・
世界中で最も困難な旅行を強いられるという、中国、インド。
中国は確かにきつかった。
全てにおいて「お願します、売って下さい」という、低姿勢でのぞまなければならない世界。
あれほど人に囲まれて、あれほど疎外感を味わったのも初めてだった。 -
そして5時間後、俺は何故インドが中国と肩を並べて旅行難度『 D 』かを思い知らされる事になる。
バスがベナレスの郊外で、耳障りなブレーキ音を軋ませて停車した。
途端、周り中の人間がバスに押し寄せて来る!
ドアが開いた瞬間、インドがバスの中に飛び込んできた。
口ひげを生やして浅黒い顔の男達が、半狂乱で一斉に叫ぶ!
手に手に何かの紙切れを掲げて、バスの入り口に群がる男達の集団は、どこから見ても不気味としか映らない。
まるで自分が汚職で捕まった政治家になった気分だ。
ピラニアのいる川に落ちた牛も、こういう心境なのだろうか?
これほどものすごい勢いで迫ってくる集団が、ただのホテル、タクシーの呼び込みだとは、最初なかなか信じられなかった。
1994年12月、無関心の国「中国」から、無節操の国「インド」へと、俺は旅を続ける事になった。 -
< VARANASI(ベナレス)>
「ベナレス」、「バラナシ」、「ヴァ−ラ−ナスィ−」
・・この街は、語る者によって、いろいろなアクセントを持っていた。
インド入国初日に俺がたどり着いた街。
3000年以上の歴史を持つヒンドゥー教の聖地「バラナシィ」。
聖なる川「ガンガー」沿いに広がるこの街は、シバ神の聖都として、毎日インド中のヒンドゥー信者が沐浴に訪れていると言う。
つまり、俺のインド・デビューは、インド屈指の観光地で開幕したらしい。 -
旅日記
『オート・リクシャー』
ネパールからダイレクトにバラナスィにたどり着いたバスは、初めて訪れる者には途方もなくわかりづらい場所でドアを開けた。
長距離バスターミナルや、駅前なんて雰囲気じゃない。
どう見ても、貧民街の長屋みたいな所だ。
俺は、インド入国初日にバスジャックにでも遭っているんだろうか?
しかし、「金を出せ!」と迫る奴は見当たらない。
「俺がホテルに案内してやる!」と目の前まで迫ってきている奴は、数え切れないほどいるのだが・・
とにかく、地図を開こうにも現在地がわからない。
現在地を聞こうものなら、てんでばらばらの答えが返ってくる。
俺にできる事は、迫りくる数々の呼び込みの中から、一番気の弱そうなタクシー・ドライバーを捜す事ぐらいだった。 -
まるでラグビーのスクラムみたいな密集状況の中から、狙ったドライバーの襟首を捕まえた!
どさくさにまぎれて集団を離れる。
「トリムルティ、トリムルティ、トリムルティ」と、事前に調べていたホテルの名前と住所を連呼!
いかにも「心得た!」とばかりにニカッと笑うドライバーのおっちゃん、
「やった!」と思って、おっちゃんの車を見た瞬間、
「しまった!」と思った。
このおっちゃんの愛車は、インドに来る前にさんざん噂を聞いていた、インド版3輪タクシー「オート・リクシャー」だった。
噂では、別名「シルクショップ・エクスプレス」と呼ばれる程、絨毯屋などの土産物屋に立ち寄り、無理やり旅行者に土産物を買わせてショップからマージンを貰うらしい。
旅行者の告げる行き先に、まともにたどり着ける確立が2割をきっているという、草野球の打率並のこの乗り物はインド初心者の俺に扱える代物なのか?
ところが、思案中の俺を乗せたまま、おっちゃんがアクセル全開で走り出してしまった。
こうなれば、自分の運を信じるしかなくなったようだ。
15分ほどで、何事もなくホテルに到着!
ちゃんと「トリムルティ」と看板がぶら下がっている。
やはり、俺はついているのだろうか?
それとも噂に尾ひれがついたのだろうか?
そして、ホテルにチェックインしようと、何気にここの住所を聞いた時に噂は真実に変わっていった。
ガイドブックに乗っている住所とは、かけ離れた場所に俺は立っていた。
・・・インドでは、ガイドックに載って有名になったホテルと、同名のホテルがいつの間にか建ち並ぶと聞く。
ガイドブックに載ったホテル名を頼りに、尋ねてくる旅行者を引き込む手段らしい。
さて、あのドライバーのおっちゃん、本当に知らなかったのか?それとも確信犯だったのか? -
旅日記
『カルカッタ・ショック』
「カルカッタ・ショック」という言葉がある。
飛行機でカルカッタに飛んできた旅行者が、インドという国のカルチャーショックで、宿から一歩も出れない状態になる事に由来するらしい。
それは、ここ、ベナレスでも十二分に味わえた。
ホテルを出た途端、群がってくる人々。
右足にしがみつく浮浪児!
左足を引っ張る乞食の老女!
両肩に手をおいて立ち塞がる物売り!
脳みそに突き刺さるような、甲高い声をあげるインドミュージックの中、それぞれが勝手な自己主張を始める。
この国は、中国とはあらゆる意味で対照的な国だった。
今では、あれほど疎外感に包まれた中国人の無関心が懐かしい。
インドでは、旅行者はホテルの部屋以外、一人になれる所は皆無に等しい。
あらゆる所であらゆる人間が絡みついてくる。
しかも、「フレンドリー」という言葉では現せない程のスーパー強引なコミニュケーションで。
これほど多種多様な職種の人間が群がってくるのに、全ての人々の目的は一つだった。
どの顔にも、あからさまに「金」という欲望がはりついている。
特にしつこいのが、街に溢れる物売りだ。
店を構える金もない彼らは、旅行者に何かを押し売りするか、知り合いの店に連れて行き、マージンやらチップやらで小銭を稼いでいた。
彼らのあいさつは、「What do you want?」
正直者の旅行者があっけなく自然淘汰されていくこの国で、何処の馬の骨ともわからない人間に、ボラれるチャンスを与える間抜けな旅行者はなかなかいない。
当然無視するか、拒否すると、次に出てくる言葉は、
「Why not?」だった。
無理難題を吹っかけて、否定されると「なんで、だめなんだ?」と言ってくる。
「What do you want?」「Why not?」「No Problem」、この手の会話の主は、10mおきに道に立っていた。
うんざりするほど失礼な人の群れと、永遠とも思われるほど繰り返される無意味な会話、
この国を旅する者に「性善説」を唱える者がいるはずがない。
確かにこの国には、「カルカッタ・ショック」が存在した。 -
旅日記
『 Beggar 』
「バクシーシ」、ヒンドゥー教では「喜捨」を意味していた。
つまり、自分の業を捨て去る為に、進んで人に何かを与える行為らしい。
そして、この教えこそが、この国の牛と同じくらい大量に存在する乞食を食わせている原動力になっていた。
道端に日がな一日座り込んでいる乞食の老人が、立てひざついて手招きする。
俺が日本人だとわかると、「ヘイ、ジャパニ(ジャパニーズ)、マネ!」と叫ぶ。
直訳すると、「おい、日本人、金をよこせ」となる。
人から物を恵んでもらうのに、普通、この威張りくさった態度で恵んでもらえるはずがなかった。
インド入国当初、乞食が何故恵んでもらえるのか不思議でならなかった。
が、しかし、インドでの日常に、乞食と牛は必ず登場した。
子供の乞食は、足を生かした機動性で、ツーリストを見つけると裸足のランナーとなって猛ダッシュしてくる。
大人の乞食は、道端に日がな一日座り込み、日本人と見るとチッチッチッと舌をならして気を引く。
インド通の旅行者から、ヒンドゥー教のカースト制度を話してもらい、その理由を知ったのはかなり後の事だった。
ゴミと牛のうんこ(時には人のものもあるが)の中で寝起きして人に物乞いをしていても、乞食はカースト制度ではかなり高い位に属する職業らしかった。
つまり、精神世界を重視するヒンドゥーの教えでは、俗世のあらゆる煩悩から切り離された乞食という職業は尊ぶべきものらしい。
そして、「喜捨」は、恵んでもらった者が、与えてくれた人間の業を背負う事を意味しており、乞食にとっては、「俺がお前の業を肩代わりしてやっている」という気持ちらしい。
だから、あんなに偉そうにしているわけだ。
インドでは乞食は立派な職業、ちゃんとした乞食組合もあり、
「君は健康そうに見えるから、足を切り落としなさい」等々、職業指導もしているらしい。
ある日、乞食の親子と仲良くなり、子供に飴玉をやろうとしたのだが、
「この子は組合からの借り物だ。俺にくれ!」とおやじの方がのたまった。
同情を引く為に、子供さえレンタルできる乞食の世界。
恐るべし!インド! -
インドの偉大なる指導者「マハトマ・ガンジー」
イギリス植民地として虐げられてきた、インドを解放した有名人として、世界史の教科書ではおなじみの有名人だ。
この彼が提案した「無抵抗主義」は、何度もテストに登場した思い出がある。
ガンジーは、実際には自分で設立した新聞社を通じて、
「ペン」により、がんがん国際世論に訴えて、イギリスの支配に抵抗した。
つまり「無抵抗主義」は、暴力に訴える抵抗を放棄する事を意味している。
現在でもインドでの人気は大変な物で、切手にも描かれているぐらいである。 -
旅日記
『インドを旅する者の無抵抗主義』
インド人は、大変、非常に、とてつもなく失礼な人間が多い。
人口8億人の中で、7億人ぐらいはそうではないだろうか?
強引に物を売りつける押し売り、知ったかぶりと嘘で話をする一般人、人を小ばかにする乞食、等々、インド入国当初は、あまりの失礼さに目を3角にしないで道を歩ける旅行者はいない。
俺も最初の1週間は、常に怒りを120%詰め込んで街を歩いていた。
しかし、怒るという行為は非常に体力を消耗する。
5mおきの道沿いに旅行者を怒らせる人間が立っているからなおさらだ。
インドに来て1週間で俺はヘロヘロになってしまった。
そして、インドはここから始まった。
無気力さでサバが死んだような目をして道を歩くはめになってみると、あれほど失礼な言動を受け流せるようになっている自分がいた。
つまり、もはや怒る体力さえもなくなった時点で、体の自己防衛が、自然と怒らないように心をコントロールし始めたらしい。
人は進化するものらしい。
これが、俺が学んだインドを旅する「無抵抗主義」だった。 -
旅日記
『インドのお金』
一見すると、日本の田舎の郵便局を100年ほど使い込んだような銀行の中で、俺はいつもの様に並んでいた。
いつもの様に、1時間程並んだ長蛇の列で、やっと俺の番が廻ってきた。
いつもの様に、どこの店でも使えなかったボロボロのインド紙幣を受け付けに差し出す。
いつもの様に、受付の親父は渋い顔で首を廻した。
俺は別段、高額紙幣や他の国のお金を両替してくれとは言ってなかった。
ただ、しわくちゃで染みだらけでボロボロになった小額紙幣を、もっと新しい紙幣に替えてくれるように来ただけだ。
この国は、どこまでも不思議な国だった。
汚いお金は、どこの店でも受け取らない。
驚くべき事にその頑固さは銀行でも同じだった。
普通、銀行は、傷みの激しい紙幣を市場から回収して、国の紙幣の老朽化を防止するはずなのだが、・・・
受け取らない。
「傷みすぎて、穴だらけ」と言う。
しかし、この国で手にする紙幣で、「きれい」とか「穴一つ無い」などというお金なんか見た事無かった。
どう考えても、この国に「汚い、傷みすぎている」なんて言葉は存在しないはずだ。
一体、何を基準で「汚い」と言うんだろうか?
「この国で新札なんてあるわけ無いだろう!」
と、怒鳴り散らす俺に対して、受付の親父は、隣でUS$100を両替していた白人ツーリストを指さした。
厚さ3cm程の分厚いインド紙幣の束が、新札の輝きと共に渡されている。
あまりに分厚い為か、なんとホッチキスでとめてあった。
・・・ん?
つまり、新札に最初に穴をあけていたのは、銀行と言う事か?
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