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平安時代の歌人在原業平がカキツバタの五文字を句頭に入れて歌を詠んだと伝わる八橋。ここ八橋は、伊勢物語の昔からカキツバタの名勝地として知られています。何年振りかで、無量寿寺に行ってみることにしました。<br /><br />写真は、夕陽を受けて咲く杜若(かきつばた)。

小さな旅●知立市 無量寿寺・八橋かきつばた園と根上りの松

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2010/05/05 - 2010/05/05

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シベック

シベックさん

平安時代の歌人在原業平がカキツバタの五文字を句頭に入れて歌を詠んだと伝わる八橋。ここ八橋は、伊勢物語の昔からカキツバタの名勝地として知られています。何年振りかで、無量寿寺に行ってみることにしました。

写真は、夕陽を受けて咲く杜若(かきつばた)。

同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車

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  • 日吉山王社<br /><br />無量寿寺(むりょうじゅじ)の西側にある神社。創立は慶雲元年(704)、神宮寺である無量寿寺の開祖、密園法師が寺創建に際し、守護神として境内に勧請安置された。<br />ご祭神は大山咋尊。他にも多くの境内社が祀られている。この社は、昔より住民によって毎夜ご灯明を灯し続けているそうです。

    日吉山王社

    無量寿寺(むりょうじゅじ)の西側にある神社。創立は慶雲元年(704)、神宮寺である無量寿寺の開祖、密園法師が寺創建に際し、守護神として境内に勧請安置された。
    ご祭神は大山咋尊。他にも多くの境内社が祀られている。この社は、昔より住民によって毎夜ご灯明を灯し続けているそうです。

  • 無量寿寺(むりょうじゅじ)<br /><br />臨済宗妙心派の寺。寺伝によれば奈良時代の慶雲元年(704)の創立だと云われています。<br />その後、文化9年(1812)方厳売茶翁により再建が行われ、カキツバタ庭園もそのとき完成したそうです。

    無量寿寺(むりょうじゅじ)

    臨済宗妙心派の寺。寺伝によれば奈良時代の慶雲元年(704)の創立だと云われています。
    その後、文化9年(1812)方厳売茶翁により再建が行われ、カキツバタ庭園もそのとき完成したそうです。

  • 八橋のカキツバタ

    八橋のカキツバタ

  • 八橋かきつばた園<br /><br />敷地約13.000?の庭園内には<br />3万本のカキツバタが生息し、<br /><br />5.000?の池には<br />紫色の花が一面に咲き競います。

    八橋かきつばた園

    敷地約13.000?の庭園内には
    3万本のカキツバタが生息し、

    5.000?の池には
    紫色の花が一面に咲き競います。

  • 杜若(かきつばた)の池<br /><br />水中に生育するカキツバタ、水辺のショウブ、<br />陸に咲くアヤメ・・。<br /><br />素人にはその区別が<br />はっきりと理解できず、苦労します。

    杜若(かきつばた)の池

    水中に生育するカキツバタ、水辺のショウブ、
    陸に咲くアヤメ・・。

    素人にはその区別が
    はっきりと理解できず、苦労します。

  • 紫の花<br /><br />アヤメ科の多年草・カキツバタ。<br /><br />史跡八橋かきつばたまつり・無量寿寺<br />http://www.city.chiryu.aichi.jp/0000000764.html

    紫の花

    アヤメ科の多年草・カキツバタ。

    史跡八橋かきつばたまつり・無量寿寺
    http://www.city.chiryu.aichi.jp/0000000764.html

  • 杜若咲く・・<br /><br />舌のように垂れ下がった<br />外花被(ガク)は、<br /><br />三英(3枚)が普通だそうです。

    杜若咲く・・

    舌のように垂れ下がった
    外花被(ガク)は、

    三英(3枚)が普通だそうです。

  • 売店・休憩所

    売店・休憩所

  • 茶室前の竹林

    茶室前の竹林

  • 茶室の手洗い

    茶室の手洗い

  • 史跡八橋かきつばた

    史跡八橋かきつばた

  • かきつばた池

    かきつばた池

  • 境内の三叉路<br /><br />不思議な木が一本・・。<br />中の木質部はくさり、外皮だけで立つ木。<br />逞しい生命力。<br /><br />三叉路の真ん中に立ち<br />交通整理をしているようにも見えた。

    境内の三叉路

    不思議な木が一本・・。
    中の木質部はくさり、外皮だけで立つ木。
    逞しい生命力。

    三叉路の真ん中に立ち
    交通整理をしているようにも見えた。

  • 日陰の杜若

    日陰の杜若

  • カキツバタ<br /><br />昔、この八橋付近は入り江で、<br />蜘蛛手のように多くの川が流れており、<br />旅人は大変苦労していたらしい・・。<br /><br />やがて川に橋が架けられました。<br />橋は八つあったことから、<br />このあたりを、<br />八橋と呼ぶようになったそうです。<br /><br />ここ八橋付近一体は<br />湿地が広がる土地でカキツバタが<br />沢山群生していたそうです。<br />今でもその一部が<br />カキツバタ自生地として<br />保護されています。

    カキツバタ

    昔、この八橋付近は入り江で、
    蜘蛛手のように多くの川が流れており、
    旅人は大変苦労していたらしい・・。

    やがて川に橋が架けられました。
    橋は八つあったことから、
    このあたりを、
    八橋と呼ぶようになったそうです。

    ここ八橋付近一体は
    湿地が広がる土地でカキツバタが
    沢山群生していたそうです。
    今でもその一部が
    カキツバタ自生地として
    保護されています。

  • 垣根の隙間から<br /><br />昔の八橋を感じさせる湿地が、ここより北約7kmの刈谷市北部に昔のままの姿で残されています。<br /><br />池の名は小堤西池・カキツバタ自生地。<br />小さな旅●刈谷市 ・小堤西池のカキツバタ  <br />http://4travel.jp/traveler/breeze63/album/10244656/

    垣根の隙間から

    昔の八橋を感じさせる湿地が、ここより北約7kmの刈谷市北部に昔のままの姿で残されています。

    池の名は小堤西池・カキツバタ自生地。
    小さな旅●刈谷市 ・小堤西池のカキツバタ  
    http://4travel.jp/traveler/breeze63/album/10244656/

  • 初夏のような光の中で<br /><br />派手好みの花が多いなかで、<br />昔から変わらず育てられてきた目立たない<br />カキツバタですが、<br />近くで眺めるとドキッとする紫色に<br />白色の筋が入り、気品が漂います。<br /><br />さて・・・<br />ここを最後に、<br />近所を少し徒歩で散策・・。<br /><br />

    初夏のような光の中で

    派手好みの花が多いなかで、
    昔から変わらず育てられてきた目立たない
    カキツバタですが、
    近くで眺めるとドキッとする紫色に
    白色の筋が入り、気品が漂います。

    さて・・・
    ここを最後に、
    近所を少し徒歩で散策・・。

  • ひともとすすき<br /><br />無量寿寺境内に植えられている大きなススキ。このススキの葉を、片手で結ぶと願いが叶うらしい・・。<br /><br />八橋かきつばた園でもらった絵地図には、近隣の名所が書かれていました。そのいくつかを巡ってみようと思います。在原寺や在原塚、根上り松、一松など多数あり・・。

    ひともとすすき

    無量寿寺境内に植えられている大きなススキ。このススキの葉を、片手で結ぶと願いが叶うらしい・・。

    八橋かきつばた園でもらった絵地図には、近隣の名所が書かれていました。そのいくつかを巡ってみようと思います。在原寺や在原塚、根上り松、一松など多数あり・・。

  • 浄教寺<br /><br />町を歩いていると、大きな寺院が目に入った。<br />チョッと道草・・。<br />建物は門も本殿も、目立たぬように耐震補強が施されていた。<br /><br />六脚の鐘楼門から見た本殿、広い境内。

    浄教寺

    町を歩いていると、大きな寺院が目に入った。
    チョッと道草・・。
    建物は門も本殿も、目立たぬように耐震補強が施されていた。

    六脚の鐘楼門から見た本殿、広い境内。

  • ナンジャモンジャが咲く<br /><br />数本の木に雪のような花が咲いていた。ヒトツバタゴ(ナンジャモンジャ)の名は、木の形状はタゴの木に似ているが、タゴの複葉に対し単葉であることから、一つの葉のタゴの意味で名付けられたと言われています。<br /><br />南の門をでて、昔の鎌倉街道を西に向いました。

    ナンジャモンジャが咲く

    数本の木に雪のような花が咲いていた。ヒトツバタゴ(ナンジャモンジャ)の名は、木の形状はタゴの木に似ているが、タゴの複葉に対し単葉であることから、一つの葉のタゴの意味で名付けられたと言われています。

    南の門をでて、昔の鎌倉街道を西に向いました。

  • 在原寺<br /><br />無量寿寺からあるくこと10分ほどで<br />在原寺(ざいげんじ)に到着。<br /><br />寛平年間(889〜897)業平の菩提を<br />弔うための業平塚が築かれたとき、<br />塚を守る人の御堂のため創建されたと伝わる。<br /><br />この建物は奈良県天理市にある<br />在原寺に倣って造られているそうです。

    在原寺

    無量寿寺からあるくこと10分ほどで
    在原寺(ざいげんじ)に到着。

    寛平年間(889〜897)業平の菩提を
    弔うための業平塚が築かれたとき、
    塚を守る人の御堂のため創建されたと伝わる。

    この建物は奈良県天理市にある
    在原寺に倣って造られているそうです。

  • 境内に植えられた竹<br /><br />業平の竹。<br />「在原の ありし昔を 伝えきて <br />のこる形見の 竹の一ふし」の一首のうたと、<br /><br />この竹の箸にて子供に食べさせれば<br />「左ききが、右ききになる」との説が<br />昔より伝えられている・・<br /><br />と書かれていた。

    境内に植えられた竹

    業平の竹。
    「在原の ありし昔を 伝えきて
    のこる形見の 竹の一ふし」の一首のうたと、

    この竹の箸にて子供に食べさせれば
    「左ききが、右ききになる」との説が
    昔より伝えられている・・

    と書かれていた。

  • 一むらすすき<br /><br />本殿前に植えられた、一むらすすき。

    一むらすすき

    本殿前に植えられた、一むらすすき。

  • 在原寺境内の石柱<br /><br />山頭火の詩が刻まれていた。<br /><br />在原といえば、数年前滋賀県の北を旅したとき、<br />在原業平の墓があり、晩年を過ごした<br />隠れ里だとも言われる「在原集落」があった。<br />よければ下記旅記を・・。<br /><br />車で滋賀 ★かやぶきの里・在原集落<br />http://4travel.jp/traveler/breeze63/album/10282710/

    在原寺境内の石柱

    山頭火の詩が刻まれていた。

    在原といえば、数年前滋賀県の北を旅したとき、
    在原業平の墓があり、晩年を過ごした
    隠れ里だとも言われる「在原集落」があった。
    よければ下記旅記を・・。

    車で滋賀 ★かやぶきの里・在原集落
    http://4travel.jp/traveler/breeze63/album/10282710/

  • 山門脇に白い花<br /><br />お地蔵様の小さな祠があり、周りには草花が咲いていた。<br />

    山門脇に白い花

    お地蔵様の小さな祠があり、周りには草花が咲いていた。

  • 根上がり松<br /><br />在原寺から数分。<br />鎌倉街道の路面から1.5mほど上に、<br />タコが脚を踏ん張って<br />立っている様な松が現れました。<br /><br />昔、洪水で根の周りの土が<br />流れてしまって根を露出したまま<br />成長したらしい・・。

    根上がり松

    在原寺から数分。
    鎌倉街道の路面から1.5mほど上に、
    タコが脚を踏ん張って
    立っている様な松が現れました。

    昔、洪水で根の周りの土が
    流れてしまって根を露出したまま
    成長したらしい・・。

  • 説明板<br /><br />鎌倉街道沿いにあり、古くから人々を魅了してきた独特の姿の松で「東海道名所図会」など、多くの浮世絵に度々登場しているそうです。

    説明板

    鎌倉街道沿いにあり、古くから人々を魅了してきた独特の姿の松で「東海道名所図会」など、多くの浮世絵に度々登場しているそうです。

  • 根の様子

    根の様子

  • 鎌倉街道からの姿

    鎌倉街道からの姿

  • から衣の歌われた景勝地<br /><br />落田中の一松(おちたなかのひとつまつ)。<br />今は、建ち並ぶ住宅地の一角に<br />「カキツ姫公園」として残されています。<br />見渡せど、当時の面影は何もなし・・。<br /><br />無量寿寺から旧鎌倉街道を北西に徒歩約15分。<br />逢妻男川(あいずまおがわ)の<br />右岸に立つ一松。<br /><br />かってこの付近一帯は低地帯で<br />杜若が咲き乱れていたと伝わる景勝地。<br />仁寿元年(851)在原業平が<br />東下りの時この地に寄り、<br />かきつばたの5文字を句頭に入れて<br /><br />”から衣 きつつなれにし 妻しあれば<br /> はるばるきぬる たびをしぞ思ふ”・・・と<br />うたった場所だと伝わる落田中の一松。<br /><br />この一松から逢妻男川は<br />2kmほど下流で逢妻女川(あいづまめがわ)に<br />合流し逢妻川(あいずまがわ)となります。<br /><br /><br />〜おわり〜

    から衣の歌われた景勝地

    落田中の一松(おちたなかのひとつまつ)。
    今は、建ち並ぶ住宅地の一角に
    「カキツ姫公園」として残されています。
    見渡せど、当時の面影は何もなし・・。

    無量寿寺から旧鎌倉街道を北西に徒歩約15分。
    逢妻男川(あいずまおがわ)の
    右岸に立つ一松。

    かってこの付近一帯は低地帯で
    杜若が咲き乱れていたと伝わる景勝地。
    仁寿元年(851)在原業平が
    東下りの時この地に寄り、
    かきつばたの5文字を句頭に入れて

    ”から衣 きつつなれにし 妻しあれば
     はるばるきぬる たびをしぞ思ふ”・・・と
    うたった場所だと伝わる落田中の一松。

    この一松から逢妻男川は
    2kmほど下流で逢妻女川(あいづまめがわ)に
    合流し逢妻川(あいずまがわ)となります。


    〜おわり〜

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