2007/02 - 2007/03
12960位(同エリア20310件中)
hiroさん
ベトナム、大きな夢を抱いて旅立った小作の次男3男〜6、7男は15世紀頃からどんどん海外に命を張って移民した、その中には多分現地で成功した、“谷弥次郎衛さん”がいたのだろう、そのお墓に、お願いしてお参りした。
江戸期にも次男3男が、夢を追い命引き換えの船出をした。
17世紀シャム国王の武官として活躍したとされる山田長政も江戸期初期に出た同類で、アユタヤ時代にその武官の力で、大きな日本人村(6000人以上)を形成するに至った、その場所が現存しアユタヤに保存?されている。
当時の彼の名声からすれば、今はなんとコジンマリした場所、小さく収まっているのが残念でした。
日本からの観光客が訪れた時 お土産売り場で手助け程度の史跡に成り下がった。
当時の江戸は鎖国、帰国はご法度 帰るに帰れず強行した者には、キツイお咎めが家族同罪で、村八部や処刑された、現地ではその話が伝わりだんだんと日本へ帰国する者がいなくなった。
日本人は現地化し、生き延びる方法を見つける彼らに対しては、厳しい社会だったと想像する、ホイアンの日本人村も同様に出来上がった町、現地化は持ってきた日本文化や言語からも遠ざかった。
異国の地で何らかの貢献をした人への扱いは、すでに英、仏の先進国だった国々は彼らの扱い方には成熟していた、その地に訪れた時、彼らへの労わりや栄誉に対し、報いる方法が確立されている。
お参りした“谷弥次郎衛さん”何をされたかの記載は無く、推測は日本から数千キロ南、
ホイアンで日本人社会に貢献した方だろう、と感じます。
昭和30年代に、ここを訪ずれた個人の方の優しい感情から、現地地主(社会主義でしたから国家から)その場所と通路を買い取り、供養した様子が伺え、今に残る
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 自転車 タクシー
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