2010/01/10 - 2010/01/10
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今回は、サークルで、散策しました。
行程:集合場所: 地下鉄東西線・門前仲町駅1番出口、10時
コース:富岡八幡宮 → 冬木弁天堂 → 心行寺 →
(恵比寿神) (弁財天) (福禄寿)
円珠院 → 龍光院 → 深川稲荷神社 → 深川神明宮
(大黒天) (毘沙門天) (布袋尊) (寿老神)
深川七福神巡りが終了後、
ランチは新大橋を渡ったところの浜町サイゼリアでとりました。
午後、水天宮、甘酒横丁を廻り、谷崎純一郎の生家跡地、日本橋小学校(西郷隆盛屋敷跡)、よし梅本店、大観音寺、うぶけや、鎧大橋、証券取引所、茅場町駅(約2時間)
人がたくさんいたので、建物だけの写真は、撮れなかった残念!
富岡八幡宮の境内では、骨董品市が開催されていたので、そちらの方に興味がいってしまいました。
ここには、大きな神輿がありました。
皆で記念写真を撮ろうとしたら、いつの間にか1人のメンバーが餅つきをしていて、びっくりしました。
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 私鉄
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富岡八幡宮は、寛永四年(1627年)、当時永代島と呼ばれていた小島に創建されました。周辺の砂州一帯を埋め立て、社地と居住地を開き、今日の八幡宮境内・深川公園地・富岡町・門前仲町を含む、総じて六万五百八坪の社有地を得ました。
以来隅田川両岸一帯(深川及び現中央区新川・箱崎地区)の氏子を始め、広く世の崇敬を集めている江戸最大の八幡さまで、「深川の八幡様」として親しまれています。
境内の骨董市です。 -
冬木弁天堂は、木場の材木豪商、冬木弥平次が宝永二年(1705年)、茅場町(中央区)から、深川に屋敷を移転した際、邸内の大きな池のほとりに、竹生島から移した弁財天を安置しました。そのためいまでもこの町を冬木町といいます。この弁財天は、等身大の裸形弁天にして、毎年一回衣装の着替行事をおこなってきましたが、大正十二年の関東大震災に焼失しました。冬木弁天は、明治三年から一般に参詣を開放しました。現在の弁天堂は、昭和二十八年に再建されました。尾形光琳が、冬木家に寄寓中、冬木家の妻のために書いた秋草の小袖が、上野国立博物館に保存されています。冬木弁天堂は、古義真言宗に属しています。
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心行寺(福禄寿)
福禄寿は、心行寺の六角堂に安置されています。
元和二年(1616年)京橋八丁堀寺町に創立された浄土宗の寺で開山は観智国師の高弟である屋道上人、開基は岩国城主吉川監物の室、養源院殿であり、寛永十年(1633年)現在地深川寺町に移った由緒ある名刹である。関東大震災と昭和二十年の戦災により二度も焼失したが、現在の本堂は昭和四十二年に再建された。昭和五十年に福禄寿が安置されている六角堂が完成した。 -
円珠院 (大黒天)
円珠院は、享保のころ旗本永見甲斐守の娘、お寄の方が起立しのち、円珠院殿妙献日寄大姉の法名で、享保十五年末(1730年)に此の寺に葬られました。
享保五年(1720年)十一月十三日画かれた大黒天の掛軸があり、木造の大黒天が安置、境内に石造の破顔大黒天が安置されています。江戸時代から、深川の大黒天として有名でした。 -
龍光院 (毘沙門天)
龍光院は、浄土宗雲光院の塔頭寺院で、慶長十六年(1611年)馬喰町(中央区)に創立、明暦三年(1657年)の大火に焼失し、岩井町(千代田区)に移転、天和二年(1682年)の大火に焼失し、同年深川の地に移転しました。
龍光院が現在地に移ったとき、鬼門除けとして境内東北角に、三尺ほどの石造の毘沙門天が安置され、昭和十一年には境内の東南角に一間半四面の毘沙門堂が建立されました。昭和二十年、戦災のため、堂宇は焼失しましたが、復興し、昭和五十年、木彫の立派な毘沙門天が安置されました。 -
龍光院 (毘沙門天)
その近くの梅の花、 -
深川稲荷神社(布袋尊)
深川稲荷神社は、寛永七年(1630年)の創立、深川地区では、創立の古い神社です。祭神は、宇賀魂命、西大稲荷ともいいます。この付近の旧町名は、深川西大工町でしたが、昭和七年八月一日深川清澄町と改称し、その旧名から西大稲荷と称しました。この神社の裏の小名木川は、江戸時代初期から、船の往来がはげしく、この付近一帯に船大工が住み、船の修繕、造船をしていましたので、この町名が生まれたといわれています。この神社は、無住社にして、町会によって管理運営されています。 -
相撲部屋
このあたりには、たくさんあるようだ。 -
深川神明宮(寿老神)
寿老神は、深川神明宮の境内の寿老神社に安置されています。
深川神明宮は、深川において創立の最も古い神社であります。大阪摂津の深川八郎右衛門が、この付近に、深川村を開拓し、その鎮守の宮として、慶長元年(一五九六年)伊勢皇大神宮の御分霊をまつって創建しました。
徳川家康が、この村に来て、村名を尋ねたがないので、深川八郎右衛門の姓をとって、深川村と命名せよといわれた由以来深川村が発展し、深川地区の各町に冠せられたりし、深川の地名のもとになりました。 -
水天宮
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水天宮
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水天宮駅の近くのからくり時計
もう、ちょっとで、時計が動く時間なのだけど、
団体の散策だから、あきらめた。 -
日本橋小学校
ここは、西郷隆盛の屋敷跡に出来た。 -
西郷隆盛の屋敷跡
小学校の前にある看板 -
この近くの料亭
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大観音寺
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風格ある老舗刃物店「うぶけや」
人形町駅近くにある。
ビルに囲まれた中の木造の店舗で、大きな右書きの歴史を感じさせる木製看板を掲げている。
通りがかれば、誰もが足を止めて看板を見上げるに違いない。ガラスの引き戸越しに店内に目をやると、少々格式が高いことに気付くであろう。
創業は江戸時代の天明3年(1783年)で、大阪で開業し、幕末頃現在地の近くに江戸店を開業、明治初年にこの場所に移って現在に至るという。
二百二十年余の店の歴史ということになる。
日本橋には同じく老舗刃物店の「木屋」があるが、
創業は1792年であるから、
「うぶけや」の方が少しだけ歴史が古い。
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