1994/07/30 - 1994/08/01
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北風さん
1994年7月30日 タイのバンコクから8000円相当の飛行機代を支払い、カンボジア入国!
タイからは陸続きのこの国だが、肝心の陸路はツーリストには未だ許可されないルートだった。
理由は、有名な「クメール・ルージュ」等のゲリラ活動。
つい1ヶ月前にも白人ツーリストが誘拐され殺されたとニュースで言っていた。
歴史上、フランス植民地を経て、ポルポト政権下に入ったこの国では、国民の3分の1が粛清によって殺されたと言う。
俺のカンボジア行きを話した白人は「クレイジー」の一言で見送ってくれたがクレイジーでもいい、俺は「アンコール・ワット」が見たい!
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-
旅日記
『プノンペン国際空港』
さっき離陸のシートベルトを締めたと思っていたが、既に着陸のアナウンスが流れていた。
今にも外れて落ちそうな飛行機の窓には、もうカンボジアの首都、プノンペンの国際空港が大きく広がっている。
あの滑走路の真ん中に広がっている緑のベルトは何だろう?
それほど大きい飛行場には見えないが、中央分離帯みたいなものだろうか?
飛行機が、そのまま滑走路に突き刺さる様な勢いで急降下を始めた。2つ隣の白人のおばちゃんが「オゥ!」と叫び、胸の前で十字をきる。
見る見るうちに、先程の中央分離帯が迫ってきた。
その緑のベルトが鮮明に見え出した時、俺の口からも「オゥ!」と声がもれた。
・・それは、田んぼだった。しかも、おじいちゃんが田植えまでしている。
滑走路のど真ん中に田んぼがある国際空港なぞ、これまで見た事も、想像した事もなかった!
おい、まじなのか?カンボジア!
狐につままれたような気分でタラップを降りる。
これがハワイなら、ビキニの美人が花で編んだ首飾りなど片手に迎えてくれるのだろうが、ここでツーリストを迎えてくれた方々は、迷彩の服を着込んで、片手にマシンガンを持っていた。
このシーンがテレビに出れば、ハイジャックから開放された乗客と勘違いされてもおかしくない。
なんだか知らないが異様な緊張感に包まれて、空港のドアをくぐる。
これが普通の国際空港なら、涼しげエアコンの風に包まれるだろうが、ここでツーリストが包まれたのは、外と全く変わらない熱風で舞い上がる埃だけだった。
何故これほどアウトドアなのか不思議に思い、熱風の行く手に目を向けると、やけに明るい天井があった。
いや、正確には、爆弾で大穴が開いている天井があった。
これから入国管理官が、現在のカンボジアの状態などを説明するという。
・・もう、充分なほど理解させてもらっているのだが。 -
空港からスクラップ同然の白タクに乗り込み PHNOM PENH(プノンペン)市内へ向かう。
荒れ果てた家並み、乗り捨てられた戦車、あちこちに大穴を開けるアスファルト、自分が戦争カメラマンになった気がしてきた。
車が急ブレーキを踏む、なかなか人通りの多い交差点だ。
どうやら、観光客が泊まれる数少ないホテル、
「キャピトール・ホテル」に着いたらしい。 -
何処の国でも入国して最初に探すのは、両替所または銀行だった。
ホテルの前の薄汚れたビルの1階に、それらしき所を見つける。
近づくと、魚が入っていそうなショーケースの中に、台風の後の古新聞紙のような紙幣が無造作に山積みされていた。
とりあえず、USドルで30ドルも両替すればいいだろう。
10ドル札3枚を、おばちゃんに渡す。
おばちゃんは、机の上に厚さ3cmもの札束を
バン、バン、バンと並べ始めた。
・・それが、30ドル分なのか?
どうやって持ち歩けと言うんだ? -
旅日記
『プノンペン市内』
キャピトルホテルの落ちぶれたラブホテルのような部屋に、雨音が忍び込む。
「カン、カン、カン」と、太陽に焼かれ続けたトタンの屋根に、金属的な音が鳴り響く。
熱帯特有のスコールだ。まるでバケツをひっくり返したような勢いで降り始めた。
まだ外にも出ていないのに俺の頭は泥だらけだった。
先程ひねった蛇口から出てきた泥と砂利が混ざった茶色い水のせいだ。
この国ではシャワーに泥パックが無料でついてくるらしい。
1時間後、スコールは何の前ぶれも無くぴたりと止まった。
むしょうに腹が減って足は自然と外にむかっていた。
・・道は、無くなっていた。目の前で車が潜水艦になっている。
まるで、大洪水の後だ。
この国では、未だ上下水道の完備ができていないらしい。
さて、腹は減っているが道は渡れない。
途方に暮れていると、ホテルの前には豚の丸焼きが横たわっていた。
俺は夢を見ているのだろうか?
とにかく、あまりも美味そうなのでちょっと耳の方を噛んでみようとした途端、奥から中華系のおばあちゃんが血相変えて飛んできた。
どうやら、これはお供え物らしい。
国連で筆頭援助国に指定されているこの国に、これほど余裕があるのはどういう事なんだろう?
それほど熱心な仏教徒とは聞いていないが? -
旅日記
『カンボジアの台所事情』
あちこち掘り返されている道路を横目に人の波に乗って街をさまようと、意外とミニ・マーケットのような雑貨屋が多い事に気がついた。
しかも、ほとんどの店が中華系の人間で切り盛りされている。
タイで出会った、東南アジアに5年いるヒッピーの言葉は本当だったのだろうか?
「カンボジアも含めて、東南アジアのほとんどの国を裏で支配するのは華僑だ。」
「華僑がその国で最初にやる商売は、高級中華料理屋で、そこで地元の金持ちと知り合う」
「次に出す店は、高級キャバレー、そこにその国の高級官僚を招待して国の中枢に食い込む」
いったん、その国で成功した華僑は、自分の親類縁者を呼び寄せ鼠算式に増えていくらしい。
なるほど、街には中華系が溢れている。
飲み物を買いに一軒の雑貨屋に足を踏み入れると、なかなかモダンなショーケースの中に妙に懐かしい物が並んでいた。
きれいにパックされたその食べ物は、日本でよく見た、かまぼこに似ている。
パッケージに記入されている商品名は、
・・「かに かまぼこ」
そのまんまだった。
日本からPKOで援助されている物資が横流しされているのだろうか?
それとも、シンガポール等から華僑ルートで仕入れたのだろうか?
よく考えれば、この国には似つかわしくない程、カメラ屋はフィルムも現像もかなり近代的だ。
やはり、華僑ルートなのか?
中華系、恐るべし! -
旅日記
『プノンペンの交通事情』
俺は、ただ道路の向こうに渡りたかった。
が、しかし、この道路脇でもう5分も地団太を踏んでいる。
俺の横ではドラム缶1本でガソリンスタンドを経営している少年が不思議そうに俺を見つめている。
プノンペン市内で唯一のメインストリートは、それほど大きい道路ではない。
普通ならあっという間に渡ってしまうだろう。
問題は車だった。
確かにきちがいじみたスピードも問題だが、それ以外に信じられないような光景が目の前で繰り広げられている。
意を決して道路に足を踏み出した。
左手から来る50ccのオートバイの群れを避けながら、道路を3分の1程、渡りきる!
間髪を入れずに右手からバスのクラクションが鳴り響く!
のけぞりながらそれをかわして前進を続ける。
普通なら、左側から来る車と右側から来る車をかわしたら、道路横断は無事完了する。
しかし、この国の交通法規は常識の外で作られていた。
バスをかわして前進する俺の左側から再度、トラックが突っ込んできた。
止まりそうになる心臓をなだめすかして、思いっきり歩道へジャンプする。
まるで、アメフトのタッチダウンの瞬間みたいだった。
道路の向こうで、ガソリンスタンドの少年が、親指を立てて「Good」のサインを送ってくれた。
そう、この道路はセンターラインなぞ無かった。
ドライバーの気分次第で車線が4車線になったり、3車線になったり変幻自在だ。
おまけに、右側通行、左側通行の区分がない!
ここの住人は、恐るべき反射神経の持ち主なのだろうか? -
<TONLE SAP River(トンレサップ川)>
東南アジアでも有数の肥沃な台地を持つこの国では、皮肉な事に、現在では地雷の為に作物が育てられない。
現在、カンボジアの生命線を握るのは、
このトンレサップ川だった。 -
世界でも有名な魚影の濃い川では、子供たちが水遊びに興じていた。
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<The ROYAL PALACE(王宮)>
トンレサップ川に面して、キンキラキンに光り輝く王宮がたたずんでいた。
国連で筆頭援助国にあげられているこの国の、何処にこんな金があるのか不思議に思う。
が、しかし、よく考えれば、この国は歴史上、東南アジアで最も栄えたクメール帝国があった所でもある。
現在でも肥沃な台地と、「クメールルージュ」というゲリラの名前にもなっているほど、上質なルビーが採れる。
国際的に有名な王子、「シアヌーク殿下」さえ、ポルポト派との政権争いに敗れなかったなら、例えフランスのコントロール下に置かれたとしても、今よりは発展を遂げた国になっていただろう。 -
<Independence Monument(独立記念塔)>
タイでもよく見かけたキングギドラもどきのコブラがここでも睨みをきかせていた。
これは、大乗仏教か小乗仏教のシンボル?らしい。 -
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旅日記
『中央市場の恐怖』
プノンペン市内のど真ん中に、巨大なドーム状の屋根が顔を覗かせていた。
どうやらあれが、マーケット(中央市場)らしい。
マーケットの内部は、広大な吹き抜けの空間が広がっていた。
頭上高くに開けられた明り取りの小窓からは、弱々しい陽射しが降り注いでいる。
薄暗いマーケットの中の、まるで迷路のような通りをふらついていると、不意に目の前、いや、眼下に、人らしき動物が出現した。
口には汚れた帽子をくわえ、その手足には、
・・彼に手足は無かった。
俺の心臓が停止寸前の危機を乗り越えるまでには、数分を要したらしい。
気がつくと、ハリウッド直送のホラー映画の主役が増えていた。
彼らは皆、ひざ、ひじから下が消失しており、板っきれに小さな車輪のついた台の上に身体を乗せていた。
くわえた帽子に、小銭が入っている所を見ると、物乞いの類なのだろうか?
ゴロ、ゴロ、ゴロ、ゴロ、と、彼らを乗せた車輪の音が、マーケットの中に響き渡る。 -
カンボジアでは、中国陸軍が残していった対人用地雷によって、現在でも手足を吹き飛ばされる人々が増えていると言う。
この地雷は、殺傷能力を意図的におとしてあり、人口を減らさず、労働力だけを減らし、カンボジアの経済復興を遅らせる目的を現在も遂行し続けているとの事。
かっては、東南アジア一の繁栄を誇ったクメール帝国。
その屋台骨をささえた肥沃な大地は、現在でもありあまる農作物を約束しているが、そこに眠る地雷によって誰も近づけない事態になっている。 -
<Tool Sleng Museum(ツールスレーン博物館)にて>
せみの鳴き声だけが響く静かな住宅街の中に、東洋のアウシュビッツと言われる、「ツールスレーン博物館」があった。
ここで、ポルポト政権下、子供2000人を含む14500人もの人が処刑されたという。
収容所は小学校をそのまま利用しており、絞首刑台に使われていたのは幼児が遊ぶブランコ台だったとの事。
館内には、なんと、焼け爛れたどくろで作られたカンボジアの地図があり、死者に対する冒涜の念が現在でもこの国では死語になっている事を物語る。あまりにも身近に死が潜んでいたからだろう。
<ポルポト政権>
革命による政権交代を極度に恐れていたポルポト派は、カンボジアの知識階級(政治家、教師、医者)のほとんどが「社会主義者」という名目で捕らえられ殺された。
しかも、血のつながりによる復讐まで恐れて、その家族、子供までも処刑したとの事。
生き残った人々のほとんどが、無教養の労働者階級という事実が、現在のこの国の復興を遅らせている要因の一つになっている。 -
<Killing Field of CHOEUNG EK (キリング・フィールド)>
映画「キリング・フィールド」の舞台となった、CHOEUNG EK処刑場は、セミの声だけが響く静かな田園風景の中に埋もれていた。
1975年〜1978年まで、ツールスレーンに投獄された人々は、ここで17000人も処刑されたと言う。
慰霊碑として建てられたガラス張りの塔の中には、ここで掘り出されたどくろが無数に納められていた。
今でもここでは、あちこちから人骨が出てくるらしい。
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