1994/11/09 - 1994/12/03
78位(同エリア296件中)
北風さん
「山は好きですか?」と問われれば、
「海が好きです」と答えると思う。
「では何故?今、ここで?」と問われれば、
「そこに山があるから」と答えるしかない。
わずかなトレッキング経験、
長期旅行で衰弱した体力、
冬が近づく世界一の山。
チベットから一緒にネパール入国したドイツ人のトーマスが、
「死にに行くのか?」とじっと目をみつめて問いかける。
情報では、11月のネパールは「快晴時々雪」!
いざ、世界の頂きの麓へ!
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- 高速・路線バス
-
旅日記
「トレッキングの為にその一」
薄暗いネパール国立公園管理事務所は、まるでギネスに挑戦しているかのような人ごみだった。
レンタルの防寒着も新しい登山地図も購入した今、とにかくここでの書類手続きさえ済ませれば後はバスに乗るだけだ。
しかし、なんでこれほど白人が溢れているのだろう?
それ程世界ではエベレストに憧れている人間が多いのだろうか?
半日かけて、「国立公園入園許可証」と、「エベレストトレッキング許可証」しめて2400円分の手続きを終了!
残すは、ネパール観光VISA延長手続きだけとなった。
しかし、これが4500円もするらしい。
全く、痛い出費だ。 -
長い長い列に並ぶ。
気が遠くなりそうだが、並ぶ事を知らない中国より数倍マシかもしれない。
やっと、列が半分ぐらいになった所で地元のガイドのような少年が近寄ってきた。
「あっちの方からなら、すぐに手続きできますよ」
と、のたまう。
急かされながら連れていってもらった所は、事務所の裏口だった。
「ここで僕に3000円のチップを払えば、すぐに許可証を貰ってきます」
との事。
・・俺が馬鹿だった。こんなガキの口車に乗るなんて!
事務所に戻った俺は再び列の最後方に廻された。 -
本来、普通の登山客は飛行場のある「ルクラ村」へ飛んで時間も距離も節約している。
が、しかし、俺の旅では空を使うのは最後の手段と決めていた。
結果、早朝、カトマンズを出発したジリ村行きのバスに飛び乗っていた。
JILI(ジリ村)・・・貧乏トレッカーのエベレスト・トレッキング・スタート地点 -
このバスがすごかった。
驚異的な満員状態まで乗客を詰め込んだ後、次は屋根にまで乗せ始めた!
この状態で、曲がりくねった山道を12時間走るらしい。
・・つまり、その間、この身動きできない状態が続くというわけだ。
トレッキングが始まる前に、体力が尽きそうな気がする。 -
どうにかジリ村に到着!
このまま帰ってもいいくらいの達成感がある!
この村は山から買出しに降りてきた人々と、山から下りてきたシェルパで非常に活気があった。
こんな小さな村なのだが、さすが、登山用品もそろっている。 -
世界第2位を誇るマグネシウムの原石が、舗装もされていない村の道路のあちこちで光り輝く中、小さな子供が水の入った重そうなポリタンクを、ヨッコラヨッコラ運んでいる。
山の人々の生活は貧しく、今でも子供は重要な労働力になっていた。 -
<Treking 1st day>
当然の如く、元気満杯!
シェルパもガイドもいない単独登山なので気が楽だ!
天気は快晴!足も軽い!
おまけに水も食料も持っていないので、荷物も軽い!
・・俺は、山をなめているのかもしれない。 -
ジリ村から延びる道は、遠く山の向こう、雲の浮かぶ彼方へ続いている。
あそこまで行こう! -
ネパールのトレッキングには、金額によって、
「ガイドつき」
「キャラバンつき」
「保証つき」
等、いろいろなスタイルが選べた。
金を出し惜しみする奴は、俺のように、
「ガイドなし」
「宿の予約なし」
「山賊つき」
の条件がもれなくついてくる。
頼れる物は、カトマンズで購入した地図一枚!」
まさに「死して屍拾う者なし」・・という状態かもしれない。
ありがたい事に、同じ様な単独登山者のイギリス人「トム」と道々知り合う事になった。
しかも、「山のプロフェッショナル」と自称までしている。
幸先がいい!
とりあえず屍を拾う奴は見つけた。 -
いつしか俺たちは段々畑のど真ん中を歩いていた。
前を歩くトムが振り返る。
俺は超能力者でも、心理学者でもないが、こいつが今考えている事が手にとるようにわかった。
・・トム、俺たち、道に迷っているんだよな。 -
「地獄に仏」とは、この事だろうか?
強引に段々畑を踏破している俺たちに、遥か頭上から声がかかった。
今度は、自称「山のプロフェッショナル」のトムを従えて俺が先頭に立つことにした。
呼び声がするあの高さに登山ルートがあるのなら、俺たちはかなり下ってしまった事になる。
この山のプロフェッショナルは下山用でしか使えない。
20分後、やっと登山ルートらしき場所へ出た。
呼び寄せてくれた男が白い歯をニッと見せて笑う。
なかなかどうにいった雰囲気だ。
やはり、男は地元のガイドだった。
道を尋ねると、「俺について来い!」と頼もしく答えてくれる。
この男ならトムの数倍信用できるかもしれない。
だが、男はなかなか腰を上げようとしない。
そう言えば、男をガイドとして雇ったツーリストは何処にいるんだろう?
男は一言、「はぐれた」とつぶやいた。
・・エベレストで信じられるのは自分だけらしい。 -
登山ルートの先に、村の学校らしきものが見えてきた。
もう昼休みらしく、子供が弁当を広げている。
つまり、村に到着したという事らしい。 -
村の茶屋でとりあえず「チャイ」と呼ばれる、ミルクティーを喉に流し込む。
一杯20円の割には、うまい!
やはり、水筒を持ってこなかったのは、失敗だったんだろうか?
地図上では、歩いて2時間ぐらいの間隔で茶屋のマークが刻まれている。
しかし、よくよく考えてみると、道に迷った時の時間は記されてなかった。 -
3000m級の峠に、シェルパの姿を見かけた。
それから30分後、シェルパは目の前に現れていた。
一体、どんな歩き方をすれば、あの距離をこの時間で歩いてこれるんだろう?
「フッ、フッ、フッ」と、独特の呼吸法で近づいてくるシェルパの顔には、まだ少年の面影が残っていた。 -
一息ついているシェルパに頼んで、荷物を一度だけ担がせてもらった。
重い!常識では考えられないほど、重い!
少しでも気を抜くと、首から上が荷物と一緒にもぎとられそうになる。
この自分の背丈以上に積み上げた荷物を、片と頭に廻した紐だけで支えるなんて正気の沙汰ではない。
子供でも自分の体重は楽に越える重量を運んでいた。
彼らは運び賃として、1kg、100円で契約していると言う。
つまり、重ければ重いほど収入は増えると言う事だ。
ブーツを切り裂く岩だらけの山道を、サンダルで飛ぶように登っている姿からは、こんな重さは想像できなかった。
立ち上がるだけで一歩も動けない俺を見て、少年は無言で首を振っている。
人は真剣に望めばなれないものは無いと思っていた。
今日、俺は、真剣に望んでもなれないものがあることを知った。 -
今日一日で8時間は歩きとおしたと思う。
半分死人と化している俺の前に、標高2720mのデオラリ峠が夕陽に照らし出されている。
ガイドブックに書かれている標準日程では、今夜の宿はあの峠にあるらしい。
登らなければ!
ほとんど死人と化して峠を登り終えた時、辺りは既に薄暗くなっていた。
よく見るシェルパのシルエットが暗闇に浮かび上がる。
宿の子供らしい。 -
さすが、山の民の子供、シェルパ風に頭から重そうなかごを吊り下げていた。
何が入っているんだろう?
・・赤ん坊が入っていた。 -
<Trekking 2nd days>
昨日は半死人だったが、今朝は完全にゾンビになっていた。
足を一歩一歩動かす度に頭のてっぺんまで激痛が突っ走る。
油の切れた機械さながらに、ゴキゴキと筋肉痛できしむ身体は、今にも総ストライキを起こしそうだ。
俺のブーツってこんなに重かっただろうか?
俺のコンデションとは裏腹に、山道はジェットコースターさながらのアップ・ダウンを繰り返し、遠くにかすむ山の彼方へと続いている。
今日、俺は平地を歩きたい気分なのだが・・
あまりに急な坂に立ち止まる俺の横を、行商人のおばちゃん達が追い越して行く。
俺より数倍はでかい荷物を担ぎながら、汗だくの顔に山の生活の厳しさを刻みながら、行商人の列は進んでいった。 -
前方からロバがやって来た!
ノソノソと隊列を組んではいるが、先頭のロバがさっきからずっとヤンキー並みの「メンタン」をきってくる。
なんと、直前では首を横に振り、「どけ!」とジェスチャーまでくれた! -
まさか、ロバごときに道を譲り、吊橋では一番後方に追いやられてしまうとは!
村々を結ぶ荒れた山道は、自転車さえも受け付けず、物の運搬は人力とロバに委ねられているらしい。
どうやら、この生き物は、自分の重要性を理解しているらしい。
山の生き物は気合が入っている。 -
今日、何度目かの峠を越えた時、KENJA村が見えてきた。
変わった村だ。
こうやって高い所から見下ろすと、村はごうごうと流れる激流の三角州の様な所にある。
確かに、水には不自由しないだろうが、川が氾濫したらあっという間に沈んでしまいそうな場所だ。 -
村の少女達が、峠の急斜面で採りたての野菜を売っていた。
10年使ったタワシによく似たジャガイモらしき物が、数少ない野菜の中で一番大きい物らしい。
岩山だらけのこの国の土地は見た目以上に痩せていた。 -
今夜の宿と決めていたSETA村に、滑り込みセーフ!
どうにか夕暮れ前にたどり着く事が出来た。
見事な夕焼けが、空を赤く染める頃、宿の一階では山賊のような村男達が集まり酒盛りが始まった。
うるさくて寝られやしない。
後日、この村が「どろぼう村」として有名で、この宿が集会所だった事を知る。
襲われなかったのは宴会に忙しかったのか、それとも、俺が泥棒するに値しない身なりだったからか? -
<Trekking 3rd days>
今回のトレッキングでの最初の難関、標高3530mのLAMJURA峠は雲の上に隠れていた。
高さにしたら、富士山ぐらいはあるだろう。
全く、嫌になる程の登り坂がどこまでも続いている。
白人女性トレッカー2人組が、高山病でへばっていた。
俺の方は、チベットで高山病で死にかけたおかげで、高山病の頭痛はまだ襲ってこない。
どうも、身体に耐性がついたようだ。
富士山ぐらいの高さじゃ、もはやびくともしなくなった。
俺の身体は転んでもただじゃ起きないらしい。 -
大きく右に曲がりこんだ山道の先に、とうとう、峠の入り口を示すマニ石が現れた。
まるでセンター・ラインの様に、道の中央に石が積み上げられている。
旅人の安全を祈願しているらしい、表面に刻まれた仏教の念仏を両手でなぞる。
峠にさしかかったという事は、これからは下り坂という事だ。
さすがにうれしい!
感無量で石の壁を通り抜ける。
途端、地元の行商人のおじちゃんが「左を通れ!」と怒鳴り声をあげた。
・・マニ石は左側通行なのか? -
LAMJURA峠
-
「峠の茶屋」は、別段日本の時代劇だけの店ではないみたいだ。
このトレッキング中、どこの峠にも茶屋があった。 -
なんと、この3000mオーバーの峠にも、しっかりと茶屋があり、子供が手の切れるような冷たい水で皿を洗っている。
-
LAMJURA峠を越えると、確かに下り坂が始まった。
が、しかし、そこは霧の世界だった。
先程までの快晴が嘘のように辺りは薄暗く、べっとりと湿っぽい。
山の裏、表でこれほど天気は違うものなのか!
峠から吹き降ろす突風が霧を吹き払った瞬間、薄気味悪い光景が現れた。
かなりの規模で木が切り倒されている。
まるで、ホラー映画のワンシーンだ。
山の人々は、暖をとる為に無計画に木を伐採しているという。
辺り一面切り倒した後は、植林などする知識も無く次の場所で伐採を始める為、ネパールの山からは次第に木が消えているとニュースで言っていた。
霧の中、誰一人見当たらない。
「また、道を間違えたのか?」との不安が頭の中に広がってくるが下山決行!
泣きべそをかいた顔に霧がまとわりつく。 -
雲を抜けると、割合平坦な道になった。
先程の峠越えに比べると、足が軽い!
地図上でも、今夜の宿のJUNBESI村はもうすぐだ。
知らず知らずに口笛を吹いている自分に気づく。
マニ石と同じ文字を描いた岩山の下で、村の子供たちが小休止していた。
この子供たちも同じ村に向かっているんだろうか? -
それにしても、あの背負っている荷物の大きさは何だろう?
ズタ袋に浮かぶシルエットから想像すると、野菜の類じゃないだろうか?
とても子供が運ぶ重さには見えない。
子供たちは別段気合を入れるわけでもなく、なにげに荷物を担いで道を下っていく。 -
<Trekking 4th days>
昨日までは、山の尾根沿いのコースが多くて見晴らしは
よかったが、今日のルートは、山の中を進むコースらしい。
行けども行けども緑の世界だ。
こんなに木々が残っているという事は、ここら辺に村はないらしい。
いきなり、明るくなったと思ったら、大きなつり橋が現れた。
つり橋のたもとでは、カタツムリの様な鼻ピアスをつけたおばちゃんが忙しく茶屋を切り盛りしている。 -
とにかく少し休む事にする。
チャイが美味い!
しかし、くつろごうとしてブーツを脱いだ瞬間、チャイの味も消し飛んだ。
ものすごい匂いがブーツの底から立ち上ってくる。
鼻だけがそのままもげて、エベレストに飛んでいきそうだ。
おばちゃんは、いち早く額に縦じわを寄せて逃げて行った。 -
一本目のつり橋はドキドキもんだった。
二本目は、手すりをずっと掴んで渡った。
三本目で、下を見る余裕ができ、今や何本目なんだろう? -
今日のコースは、やたらと吊橋が多い。
もはや、足で橋を揺らして楽しむ事もできる。
このままいけば、サーカスで綱渡りのバイトができる気がする。 -
<Trekking 5th days>
-
<Trekking 6th days>
地図上では、今日中に飛行場のあるルクラ村までたどり着くはずだが、一向に観光客で溢れかえる村に出くわさない。
それどころか、まるで遺跡の様な見事な石造りの村には人っ子一人見当たらなかった。
さすがにバテてきた。
高山病の初期症状で下痢が4日も続いている。
身体が重い。
足の指先が妙にヌルヌルするのでブーツを脱ぐと、なんと血豆が全て爆発していた!
このまま倒れこみたい誘惑が目の前にちらつきだした。
一週間風呂にも入らず異臭を放つ身体、やせてくぼんだ目とぼさぼさの髪とむさくるしい髭、
・・だめだ、ここで死んでも地元民として埋葬される。 -
右上の山の中腹に、LUKLA(ルクラ村)が見えた!
お金持ちを乗せてカトマンズを飛び立った飛行機が、俺が一週間かけて歩いてきた距離を3時間で飛び越えて現れた。 -
<Trekking 7th days>
今朝のルートは、巨大な岩がゴロゴロ転がっている以外は割り合い平坦な川沿いの道だった。
今までのとんでもないルートに比べれば、まるでアスファルトの上の様に歩きやすい。
しかし、ここからは別の障害物に道を阻まれる事になった。
目の前には、昨日、飛行機で飛んできた白人ツーリスト達の隊列が続いていた。
光り輝くアウトドア・ウェアにはまだ一点の汚れもなく、元気一杯、ピクニック気分でおしゃべりに花が咲いている。
地図で見るかぎり、もう少しで国立公園入り口にたどり着く事ができるはずなのだが、(つまり俺は、山の中を一週間も歩いてきたにもかかわらず、未だ国立公園入り口にもたどり着いてなかったわけだ)
目の前のおばちゃんの、ロバ2頭分はあるでかい尻を、どうしてもすり抜ける事ができない。
しかも、このおばちゃん、あとどれぐらいで入り口かと何度も聞いてくる。
ふと考える。
彼らに比べて、俺の格好はひどいもんだった。
慣れない山歩きを一週間もこなし、頬はこけ、高山病で顔はむくみ、鋭い岩の角でブーツはすでにぼろぼろになっている。
つまり、俺は、地元の人間(シェルパ)と間違われているのではないだろうか? -
とうとう国立公園管理事務所に到着!
うれしい!
カトマンズで散々苦労して入手した、登山許可証を使う時が来た。
これでやっと、普通の登山客の一員になった気がする。
白人トレッカーが、管理事務所のおばちゃんに、トレッキングの拠点となる「NAMUCHE BAZAR(ナムチェ・バザール村)がどこか聞いていた。
おばちゃんは無言で、目の前の遥か頭上にある雲を指差した。
そう、今日の宿と決めているその村は、600m以上も頭上の山の中腹に浮かんでいた。 -
ナムチェまでの登山ルートは、まるで階段を登るような急斜面だった。
飛行機でやって来たトレッカーが、ゼーゼー言いながら立ち止まっている。
俺の方は・・
「足が軽い!」
いくら急だろうと、こちらは既に1週間もこんな事をやっているのだから鍛え方が違う。
妙な優越感を覚えながら前を行くトレッカーをごぼう抜きしていると、いつしか道が平坦になっていた。
ますます歩くスピードが上がる!
大きなカーブを描く山道を曲がりきると、馬蹄形をした山の中腹にかなり大きい村が張り付いていた。
山の斜面に沿って扇形に広がっている。
やった、NAMUCHE BAZAR(ナムチェ・バザール)に到着! -
1994年11月16日20:00、俺は、カンカンに暖められたやかんを見つめていた。
これほどの期待を込めてやかんを見つめた事など、俺の生涯には無かったと思う。
一週間ぶりのシャンプー・タイムだった。
2〜3日はここで高度順応するのだから、少しぐらいリラックスしてもいいだろう。
(ここからのトレッキングは、標高3000m以上が常になる為、ここでゆっくり身体を慣らす必要がある)
NAMUCHE BAZAR(ナムチェ・バザール)は、俺が出発したジリ村よりもずっと大きい村だった。
観光客も山ほどいるし、宿も選び疲れるほどたくさんある。
もはや、街と呼んでもおかしくない程の賑わいだった。
これなら退屈する事も無い。
しかし、話を聞いてしまった。
3日後に、タンボチェ村で、一年に一度の祭りが開かれるという話を・・
現在、23:00、洗い終えた髪の毛が芯から冷え込む中、俺は地図を広げている。
果たして3日でタンボチェなる場所にたどり着けるのだろうか? -
<Trekking 8th days>
気がついたら、早朝からいつもの様に歩いていた。
遠くの山肌は既に白く光輝く雪で覆われている。
「冬が近い」
タンボチェの祭り以前に、帰りの事を考えると、急がねば・・ -
足が重い、
息があがる、
すぐ疲れる
と感じたら、答えは「高山病」
10分も歩くと、へたり込んでしまう。
やはり、高度順応が足りなかったのだろうか?
しかし、あのとんでもない頭痛はまだ襲ってこない。
小さな村のチョルテン(仏塔)に、一応お祈りしたおかげかもしれない。 -
<Trekking 9th days>
俺は夢を見ているんだろうか?
それとも、高山病からくる幻覚なのか?
トレッキング・ルートに、まさかこんな山奥で想像すらしなかったビルとも呼べそうな建物が出現した。
村の広場に据えつけられたシェルパのテント群と、
うじゃうじゃいる観光客から察すると、これが、
THYANG BOCHE(タンボチェ村)らしい。
さすがに、一年に一度のシェルパ最大の宗教行事
「マニ・リムドゥ」が開かれるだけあって、大変な賑わいだ。 -
立派な角と、毛むくじゃらの巨体、
「お前、スターウォーズに出ていただろう?」
と問いかけたくなる程、現実離れした牛だった。 -
現地では「ヤク」と呼ばれるこの牛は、首につけた、俺の手よりもでかい「カウ・ベル(鈴)」を、ガランガランと鳴らしながら荷を運ぶ。
標高3000mを越えると、もはや使えないロバに代わって、ここから先はこいつが主役になるとの事。 -
マニ・リムドゥ - シェルパ最大の宗教行事 -
立派なビルの様な寺院の中は、たくさんの観光客で足の踏み場も無かった。
まるで、大砲のようなラッパが鳴り響く。
荘厳な雰囲気の中、いきなり、赤い衣に袖を通した僧達が輪になって踊りだした。
俺はこれと似たような儀式をチベットで見た気がする。 -
この踊りが、まさしくチベット密教の踊りだと知ったのは後日、山を降りてからの事だった。
タンボチェは、チベッタン村だった。 -
<Trekking 10th days>
山々から緑が消え、赤茶けた岩山だけになってきた。
ここら辺の標高が、樹木の生存限界ラインなのかもしれない。
自分の身体からも、高山病の初期症状が顕著に現れはじめた。
誰かに往復びんたを食らった様にむくんだ顔、げっぷとおならが止まらない。
下痢なんか、山に入った時から続いている。
ここまでくると「体調が悪い」という言葉は、死ぬ直前にしか思い浮かばないかもしれない。 -
PERICHE村が見えてきた。
ひっそりと固まって建てられた石造りの家々は、まるで、古代遺跡のようにも見える。
この村には日本人医師がいると聞いていた。
高山病の対策でも教えてもらおうと、村の診療所を訪ねてみる。
入り口には、日本人が開発したと言われる高山病治療カプセル「ガモウ・バッグ」が置いてあった。
このバッグ、外観はSFででてくるタイムカプセルの様な格好だが、バスタブぐらいの大きさがある。
好奇心満々で近寄って覗いてみると、カプセル内の青い目と見つめ合ってしまった。
・・なんと、治療中だったらしい。 -
はるか彼方にそびえる山々の頂きから、白い煙が立ち昇る。
ゆらゆらと浮かぶ白い塊は、いつしか雲へと変わっていく。
ここには、雲が誕生する風景があった。 -
<Trekking 11th days>
OBUCHE村は、エベレスト直産のごつい岩がゴロゴロと転がる川原にあった。
驚くべき事に、こんな所でテントを張っているキャラバンがいる。
忍び寄る冬が、細々と流れる小川を既に半分凍らせているというのに。 -
村の周りでは、ゴッホに落書きされたウズラみたいな鳥が走り回っていた。
山に入ってから、「ダルバット」と呼ばれるぶっ掛け飯以外、まともな物を食べていない。
正直、今ならあの鳥の首を、「きゅっ」と何のためらいもなく締められる気がする。
・・後日、この鳥がネパールの国鳥だと知る。 -
エベレストで死んだシェルパの墓が、聖なる山に向かって並んでいた。
-
登山ルートが、土砂と氷が混ざった瓦礫の道へと
変わった。
これは、地図上でもわかる様に、何億年も前の氷河の跡だ。
つまり、最終宿泊地「GORAKU SHEP村」はもうすぐらしい。
足元からボロボロと崩れ落ちる瓦礫の山など、もはや気にも留められない。
この日をどれほど待ち焦がれた事だろう。
今、一人の日本人が、ブーツの底から砂煙が上がる勢いで氷河の中を村を目指している。 -
「うおぉぉぉっ!」
エベレストが!
エベレストが!
とうとう目の前に! -
これが、トレッキング・ルートだろうか?
ベース・キャンプへの道は、氷河の中にあった。
そこら辺に、パックリ口を開けているクレパス。
ちょっと、足を滑らせようなら、何億年の先までも冷凍保存されそうだ。
しかも、ルートを示すのは、小石を積み重ねた高さ30cm程の目印だけ。
氷の上の、白い雪をかぶった小さな目印など、そうそう目立つもんじゃない。既に何度も見失っていた。 -
午前中にGORAK SHEP村に到着したのをいい事に、今日中に、B・C(エベレスト・ベースキャンプ)まで往復しようと、欲をかいたのは間違いだったのかもしれない。
この中で道に迷って夜になったら、新聞の3面記事に迎えられて冷たい身体で日本帰国になってしまう。
宿の親父の言葉が、頭を駆け巡る。
・・「明日にしろ」 -
1994年11月21日、素人がエベレストに近づける限界地点「B・C(エベレスト・ベースキャンプ)」に到着!
トレッキングを始めて、12日目の事だった。
氷河の中を片道3時間かけて命がけで歩いてきたにもかかわらず、B・Cは、あまりにもそっけない場所だった。
誰一人いない白い雪原の中、世界中の登山隊が設営した石の小屋が、所々に放置されているだけだ。
寂しい、寂しすぎる!
どこかに「ようこそ、B・Cへ!」とでも書いた、サインボードぐらいあってもいいじゃないか! -
エベレストが夕日に染まる頃、どうにか宿まで帰って来た!
きれいだ!
何もかも美しい!
この幸福感は、とうとうエベレストB・Cを踏破した達成感からだろうか?
それとも、帰り道でクレパスに落ちかけて、どうにか生きて帰って来れた事からだろうか? -
<Trekking 13th days>
エベレストの麓で迎える最初の朝が来た。
GORAK SHEP村の山小屋は、気の早い白人ツーリストの話し声でうるさいぐらいだ。
ここまで来たと言う安堵感から、今朝はなかなか気合が入らなかった。
疲れと寒さでガチガチに固まった手足が、寝袋の中でベッドに張り付いている。
しかも、寒い!
これは夢なのか?
壁の温度計が-15℃を指している様に見える。
俺は氷点下の部屋で寝ていたらしい。
よく凍死しなかったものだ。
しかし、そろそろ起きなければ!
今日こそ村の前にそびえるKALA PATTAR山(5545m)に登って、朝日に照らされるエベレストを見なければ!
がさごそと起き上がる時、枕もとに置いていた水のボトルが「ゴン!」という響きと共に床に落ちてしまった。
「ゴン?」・・・つまり凍っているという事か。 -
村の前にそびえるKALA PATAR山に登り始めたのが、6:00AM。
さすがに、寒い!
しかも、階段を登っている様な斜面だ。
急斜面での運動量と、寒さが高山病を一気に加速させていく。
目がチカチカして立ち止まる俺に向かって、地元の牛飼いの少年がしきりに何か叫んでいた。
どうやら、知らない間に鼻水がボトボト垂れていた様だ。
あまりに寒さに全身の感覚が麻痺して、何が起こっているのかさえわからない。
頭痛と呼吸困難と闘いながら、気がつくと俺は頂上に立っていた。
1994年11月22日、俺は、世界一高い山が朝日に染まる姿をこの目で見ていた。
8848mの黒い頂きが今、俺を見下ろしている。
この日のためにとっていた煙草をくわえる。
万感の思いを込めて火をつけた。
いや、火をつけようとしたのだが・・
・・標高5545mの薄い空気は、なかなか俺に一服させてはくれなかった。 -
<Trekking 14th days>
昨日、KALA PATARから下りてきた足で下山を始めた。
もう少し、GOLAK SHEP村に滞在してエベレストを満喫したかったが冬はそこまで来ている。
ぐずぐずしていたら、カトマンズに帰れなくなってしまう危険があった。
足が軽い!
標高が下がるごとに、呼吸が楽になり、身体の調子が良くなるのが分刻みでわかる。
標高4000mを過ぎると、もはや、俺は走っていた。
なんと夕方には、2日で(登りの1/2の日程)PHORTSE TENGA村まで降りてきてしまった。
行程を話した宿の親父に、「お前はシェルパになれる」とのお墨付きまで頂く。
・・俺は山の民として、確実に成長しているのかもしれない。 -
<Trekking 15th days>
昨夜の宿PHORTSE TENGA村にて、同室のトレッカーが、「GOKYO PEAKからエベレストを見なければ、エベレストを語る資格がない」と、のたまった。
急遽、下山中断!GOKYO PEAKなる所に行く事にした。
・・エベレストを語るために! -
しかし、寒い!
B・C程ではないが、山は確実に冬に包まれ始めている。
DOLE村の滝は、既に氷の彫刻と化していた。
「氷柱(つらら)」の長さが、寒さの厳しさを物語っている。 -
<Trekking 16th days>
昨日まであれほど体調が回復していたはずなのだが、標高が4300mを越えてからは、また足が重くなってきた。
おまけに、気を抜くと氷河の中に飛ばされそうな程の強風が、真正面から吹いてくる。 -
GOLAK SHEP村と似たような氷河の道を進んでいくと、GOLAK SHEP村と似たような地形の中に、GOKYO村があった。
しかし、山々に囲まれた窪地のこの村には、青く澄み切った湖が広がっている。
湖面には5360mのGOKYO PEAKが映っていた。
確かにこの風景は美しい。 -
GOKYO PEAK(5360m)にて
-
GOKYO PEAKから見るエベレストは、確かに美しかった。
KALA PATAR から見る以上に雄大に見えたのは、エベレストとの間に、チョラ・ラ山を挟んだ風景の為かもしれない。
そして、俺は下山を始めた。
GOKYOから、一目散に下る。
夕方、なんと、NAMCHE村に着いてしまった。
登りの行程の1/2だ。
今日一日で、標高5360mから標高3440mまで2000m程下った事になる。
このペースで行けば、俺は冬を追い越してカトマンズに帰れる。 -
早朝、NAMCHE村を出てからは、足にターボがついたような感じだった。
やはり、標高が3000mをきった事が大きいらしい。
身体が見る見るうちに回復していくのがわかる。
あっという間に、PHOKDING村まで来てしまった。
午前中の柔らかい陽射しの中、チャイも美味い! -
何てこった!何てこった!何てこった!
冬が近づく今、無事カトマンズに帰る手段は、やはり飛ぶ事だった。(少しは怠慢したかったのも事実だが・・)
しかし、財布にはとても文明の利器を使用するに足る資金が無くなっていた。
俺は「食いすぎていた」!
財布には、もともと2万円以下の金額しか入れてこなかったこのトレッキングで、何も考えずに食べまくっていた俺が馬鹿だったのかもしれない。
最後の頼みの綱、VISAカードは、先程「What is this?」の一言で片付けられてしまったし、もはや、JIRI村まで帰ってバスに乗る以外方法が無くなった。
いっそ、ここでシェルパになって暮らそうかなどと、気弱になっている自分がいる。
歩くかなければ! -
俺は歩いていた。
先程の気弱な俺はもういない。
とにかく、歩き続けるかぎり標高は下がる。
つまり、体調は良くなる一方だ。
これほどシェルパに近い脚力を手に入れた今、歩いて帰る事にそれほど不安は無かった。
SURKE村に近づいた頃、日光は厚い雲に隠れてきた。
すぐに辺りが薄暗くなって湿度が上がってくる。
山に慣れた身体が雨が降ると告げていた。
先程の気弱な俺が戻ってきた。 -
JIRI村までは、あと少しの距離だった。
このLAMJURA峠が最後の難関だろう。
いや、もしかしたら、最大の難関かもしれ
ない。
登り始めてすぐに、白い綿菓子のような物
が空から舞い降り始めていた。
まさかと思った雪だった。
いくらなんでも、3500mの山中で冬に
捕まるなんて・・
雪は降り続ける。
周りには誰一人いない。
登山道は、とっくの昔に白い絨毯の
中に消えてしまっていた。
昔観た、「八甲田山」の映画の
ワンシーンにそっくりだ。
冗談じゃない!
こんな所で遭難している場合じゃない。
これで「吹雪」と「夜」という条件がそろえば、頭に輪っかをつけて、エベレストのはるか上まで昇天してしまう。
目を血走らせて、登山者のかすかに残る足跡を探す。
全てが雪の中に埋もれる前に、上へ登らなければ、俺の生存が危うい。
急がなきゃ! -
死に物狂いで、峠を目指して登った。
かすかに残る登山者の足跡と、木々に切り開かれた跡を見つけては、夢中でたどる。
風の通る道で、「樹氷」を見つけた。
まさかこんな所で、見る事になろうとは!
風下に向かって延びる氷の葉に、思わず見とれてしまった。
瞬間、汗をかいた身体が急速に冷えていくのを感じる。
だめだ、今は立ち止まれない。 -
どれぐらい経ったんだろう?
気がつくと、峠の入り口を示すロープの前に出てきていた。
確か傍に茶屋があるはずなのだが、猛吹雪で辺りがほとんど見えない。
吹雪は、ますます激しくなってきた。
突風に吹き飛ばされないように、辺りの岩にしがみついた俺の身体を、あっという間に雪が包んでいく。 -
<Trekking 23th days>
昨日の冬山登山で使い果たした体力は、今朝起きても元に戻ってはいなかった。
とりあえず、SETE村を出たのはいいが足が重い。
目前にDEOLARI峠が迫ってきた。
最後の峠だ。
あの山さえ越せば、JIRI村だ。バス停だ。カトマンズに帰れる。
峠を前に、BANDAL村に着いたのは、まだ午前中の事だった。
峠越えの前に、一息つくことにする。
昨日の峠では、あれほどの吹雪があったにもかかわらず、下界ではまだ冬は訪れていないようだ。
暖かい陽射しの中で口にするチャイが、身体にしみこむ。
近くで食器を洗っていた子供が、話しかけてきた。
俺を指差して、「WASH!(洗え!)」と叫んでいるのは何故だろう?
よく考えると、俺はブーツを脱いでいた。
・・しまった。あのもの凄い足の匂いが、届いてしまったらしい。 -
俺は、半分凍りかけた小川のほとりにしゃがんでいた。
村の子供に指摘された汚さが、俺のプライドを傷つけたからに他ならない。
この陽射しが暖かい今日、今、俺は頭を洗う決心をした。
川面には、右手に石けんを握った髭づらの東洋人の姿が映っている。
目の前には、以前は靴下だった物の残骸が脱ぎ捨てられている。
確か、俺の靴下はグレーだったはずだが、眼前で匂い立つその物体は、赤く変色してごわごわになっていた。
あれは、多分、何度も破れた血豆が染めた物だろう。
もしかしてと思って、靴下を立てて見ると、その垢と汗と血を吸った布地がしゃきっと大地に立ち上がった!
大地に立ち上がる靴下など、初めて見る。
あまりにも汚くなると、あれほど柔らかかった布地もここまでごわごわになるらしい。
村の子供に指摘された以上に、俺は汚くなっているかもしれない。
思い切って、頭を小川に突っ込ませた。
ものすごい冷たさが、頭皮に突き刺さる。
しかし、この気持ちよさは何だろう。
思わず、「うぉぉぉっ」と声をあげて、髪を洗っている俺がいた。
「ザバッ」と頭を水から出して、石けんをこすりつける。
その時、川面に浮かんだ輝きが目に止まった。
なんと、川面は俺の頭から流出した油できらきら光っている。
・・俺は、今、丸ごと煮込まれたなら、そこら辺の鶏がらより、いいダシが出るかもしれない。 -
最後の峠のDEOLARI峠を越えた今、JIRI村へのルート上に、俺の足を妨げる難所は無かったはずだった。
それがどういう事だろう?
俺は、道に迷っていた。
しかも、出発日と同じ場所で!
猿並の学習能力しかない自分の脳みそに、情けなくなる。
こんな所で、地図を広げる事になろうとは!
24日前ここで広げた新品の地図は、既に折り返して破れた所をテープで補修され、泥と雨で変色していた。
あの時とは、体力も精神力も清潔さもまるで違っている。
違わなかったのは、ここで迷ってしまった事だけかもしれない。 -
遠くで聞こえる子供の声を頼りに、山中をかきわけて歩いていくと、いきなり夢にまで見たJIRI村にたどり着いた!
ここは泣いてもいい場面かもしれない。
うれしい!
とうとう、帰ってきた!
24日間の山の生活が、今、終了した。
長かった!
とりあえず心に浮かぶ事は、熱いシャワーと、甘いケーキ、そして、肉、肉、肉! -
旅日記
「カトマンズへ」
早朝、JIRI村のバス停で俺は、カトマンズ行きのバスを待っていた。
心の中は、山歩きの終焉に対する寂しさと、街へ帰る期待感が入り混じっている。
(90%は後者の感情だが)
バスがやって来た。
感慨にふけりながら荷物を背負って振り返ると、バスの入り口はまるで砂糖にたかる蟻の如く地元の行商人が群がっていた。
山の中で自然を相手に奮闘した経験は山ほど積んだが、こんな暴徒と化した補充類を相手に闘う元気が湧いてこない。
気がつくと、かなりのトレッカーと共に生存競争に負けていた。
バスのドライバーがなにげにバスの屋根を指差す。
・・正気か?外気温5℃以下だぞ。
30分後、俺は寝袋にくるまりながら、山のすがすがしい空気を嫌というほど味わっていた。
確かに眺めはいい。
まぁ、バスの屋根には何もさえぎる物が無いから当たり前かもしれないが・・
しかし、このオープンスペースは、寒さも防いではくれなかった。
ただでさえ寒いこの山中で、時速50kmで吹きつける風が身体中から体温をひっぺがしていく。
この状態で街までの5時間を過ごせというのか!
眠くなってきた。
雪山での凍死前もこんな感じらしい。 -
俺は、現在、カトマンズのレストランのテーブルに座っている。
メニューを持つ手が震えていた。
別段アル中ではないが、ある種の禁断症状である事は間違いない。
俺は、肉に飢えていた。
25日間の山歩きの間、ネパール名物「ダルバット」が俺の3食を支えていた。
ダルバットは、薄いカレー味のぶっかけ飯なのだが、具は全て野菜であり、しかも、標高が上がるほど、(物資運搬が困難になる程)その数少ない野菜の種類も減っていった。
よく考えると、俺は一時期ベジタリアンになっていたらしい。(本人は全く望んでいなかったが)
山を降りる時、決めていた事があった。
カトマンズに着いたら、レストランで一番高いステーキを食おうと。
メニューの中で一番高いステーキを選んでいる途中、隣のおね−ちゃんのケーキが目に止まった。
おかしい。俺は甘党ではなかったはずなのだが、妙にあのケーキが気になる。
とことんカロリーを消費した身体が、糖分を欲しがっているのだろうか?
俺の手は、デザートのページを探し出した。 -
俺は、現在、カトマンズの安宿のシャワールームに立っていた。
1階でトーマスが自慢のスープを煮込んでいる間に、とりあえずシャワーが浴びたかった!
まるで腫れ物に触れるかのように、手が蛇口にのびる。
ドキドキしていた。
これほどの期待を込めてシャワーに望んだ事は今までなかったと思う。
ためらいがちにひねった蛇口から、ゴボゴボと音が流れる。
錆びついたパイプの内側を、水が這い上がってきている。
ブリキに穴を開けただけのシャワーヘッドが、「ブルン」と震える。
そして、待ちに待った瞬間が訪れた。
ほとんど、1ヶ月ぶりのホット・シャワーが頭上から降りかかってくる。
「う、うぉぉぉ」
と、思わず声が出てしまった。
これほど気持ちがいい風呂なんて、今まで浴びた事なんて無い!
山歩きの疲れが、スーッと流れていく。
山歩きの汚れも、ダラダラと排水溝に流れていっている。
多分、これ以上のバス・タイムなど、これから先も味わえないだろう。
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