2008/03 - 2008/03
8583位(同エリア10923件中)
BONさん
2008年3月、トルコ共和国の中部・東部に行ってきました(画像300枚以上)。
こちらからお入り下さい。
http://bon-second.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-137b.html
一日目:成田→イスタンブール→アダナ
二日目:アダナ(ウルジャーミー→タシュ橋(メルケズ・ジャーミィー遠景)→ユラン・カレ→ユムルタルク(アヤス)港→アナヴァルザ)→コザン(コザン城砦遠景)→フェケ→ピナルバシ→カイセリ
三日目:カイセリ(ドネル・キュンベット→医学史博物館→ミマール・スィナン公園→サハビエ神学校→カイセリ城→城壁→フナトゥ・ハトゥン・キュルリイェスィ)→スルタン・ハニ(隊商宿)→サルキスラ→スィワス(ウル・ジャーミィー→ギョク神学校→チフテ・ミナーレ→シファーイエ神学校→スィワス城砦)→ザラ→レファーイエ→エルズィンジャン
四日目:エルズィンジャン(エクシ・スの温泉)→テルジャン(ママ・ハトゥンの霊廟と隊商宿)→アスカレ→リリカ→エルズルム(チフテ・ミナーレ→ヤクティエ神学校)→パシンラー(ハサン城砦遠景)→チョバンデデ橋→ホラサン→エレスキルト→アール→ドウバヤズット
五日目:ドウバヤズット(イラン国境→メテオ・ホール→ノアの方舟→アララト山麓の草原→イサク・パシャ宮殿→絨毯製作見学→バザール)
六日目:ドウバヤズット→アール空港→イスタンブール→
七日目:→関空→羽田
今回もマルコ・ポーロの追っかけの旅です。
1270年末にヴェネツィアを発ったポーロ一行は、パレスチナでエルサレム聖墳墓教会の聖油とローマ教皇からモンゴル皇帝フビライ・ハーンへの親書を得て1271年末にアークル(アッコー)を出航しました。フビライ・ハーンの要望である、他教徒を論破できる二人のカトリック僧も同行していました。アナトリア半島南岸の小アルメニア王国の港、ライアス(アヤス)に上陸した一行は、敵対するエジプトのマムルーク朝のスルタン、バイバルスが小アルメニアに侵攻を開始した事を知ります。二人の僧侶は恐怖のあまり逃げ帰ってしまいます。しかしポーロ一行はカエサリア(カイセリ)、セヴァスタ(スィワス)、アルジンガン(エルズィンジャン)、アルジロン(エルズルム)、アララト山麓と旅を続け、ペルシャ(イラン)に達しました。
今回の行程は、マルコ・ポーロが東方見聞録に書きしたためた記念すべき最初の場所です。
また、ポーロ一行が冬に辿った行程をたぶんほぼ忠実に辿っています。途中の遺跡もセルジューク朝時代のものが非常に多く、ポーロ一行が見た、あるいは泊まったであろう場所が数多くあります。ポーロ一行の旅路の再現度の高さも今までの旅以上の感があります。それに初春の緑豊かなキリキアの平原から雪深いアナトリア高原へ、そしてフィナーレはアララト山麓の遊牧の大草原と、非常にドラマチックな景観の旅でもありました。今思い出しても心震える思いがします。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- タクシー
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
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