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旅の9日目。今日は、グアテマラ・アンティグアからホンジュラスのコパン遺跡を見学します。アンティグアからコパン遺跡までは片道5時間かかるため、まだ夜の明けない朝5時に出発となりました。今日のガイド兼ドライバーは、グアテマラ・シティで泊まった「ハポンテナンゴ」のオーナーが経営する旅行会社のJ君です。彼は明るい性格で、ドライブ中、グアテマラの歴史や道中で取れる黒曜石など色々なことを陽気に語ってくれましたが、なにぶん朝早くに起きて眠たくてしょうがないので、途中で眠ってしまいました。ごめん、J君。<br /><br />コパン遺跡は、グアテマラとの国境近くにあるため、グアテマラ観光とあわせて訪れるのが一般的です。ツアーでいく場合、グアテマラの旅行会社を使って日帰りで行って帰ってくるだけなので、ホンジュラスにはほとんどお金が落ちないことになってしまいます。これは、コパン遺跡がほとんど唯一の観光資源といっていいホンジュラスにとって面白いことではありません。そのため、コパン遺跡のガイドは、必ずホンジュラスの人間を使うことになっております。私が行ったときも、グアテマラで雇ったガイドは遺跡の中に入れず、代わりにコパン遺跡専属のガイドが遺跡の案内をしました。<br /><br />遺跡の中は、2時間もあれば一通り見て回ることができますが、グラン・プラザの彫刻を見るのに時間を費やし、結局見学に3時間くらいかかりました。また、遺跡の隣にある博物館も見逃せません。博物館の中央には、地下から発見されたロサリラと呼ばれる神殿が復元展示され、その周りには遺跡から出土した彫刻が多数展示されています。この彫刻が実に良いのです。グラン・プラザの石碑以外にも、繊細で凝った彫刻が多数コパンで作られたことが分かります。しかし、コパンから宿泊先のアンティグアまで再び5時間かけて戻らないといけないため、あまり長居できませんでした。<br /><br />コパン遺跡は、マヤの遺跡の中で特に大きいわけではありませんが、その彫刻の素晴らしさから、ティカル遺跡とは違った意味で感激しました。遺跡好きの人でしたら、近くのコパン・ルイナスの町に宿泊して、じっくり遺跡を見学することをお薦めします。<br /><br />【コパンについて】<br />コパンでは、紀元1400年ごろから定住が始まりますが、古典期の王朝は紀元426年ヤシュ・クック・モを初代に始まります。コパンは、ヒスイなどの天然資源に恵まれ、またモタグア川を利用した交易に支えられて、マヤ南部低地地域の中心都市として発展していきました。<br /><br />コパン王朝の最盛期は、第13代ワシャク・ラフーン・ウバーフ・カウィール、通称「18ウサギ王」の時代に訪れます。紀元695年に即位した王は、周囲の衛星都市を従えて権勢を誇り、都市の現在グラン・プラザと呼ばれるところをを中心として数々のステラ(石碑)・アルター(祭壇)を建てます。高浮き彫りや丸彫と呼ばれる高度な技法を用いたこれらの彫刻により、コパンは後世「アメリカ大陸のアテネ」と称されることになります。また、コパンでは天文学が発達し、7世紀には1年を365.2420日とする暦が普及します。<br /><br />こうして「18ウサギ王」の時代に絶頂期を迎えたコパンですが、同じ王の時期に衰退が始まります。コパンの衛星都市として長く隷属していたキリグアは、カック・ティリウ・チャン・ヨアート王の時代、738年にコパンを攻撃し「18ウサギ王」を斬首してしまいます。王を殺害されたコパンは大混乱に陥り、以後急速に衰えていきました。これは、マヤの王国の運営が、王の権威に大いに依存していたことと関係します。王が戦争に負けて殺害されるなどして権威を失うと、王国は求心力を失ってしまうのです。なお、マヤでは都市が割拠し、大きな帝国が形成されることはありませんでしたが、これは王国が大規模な官僚組織を持たず、王すなわち国家となっていたため、おのずと統治できる範囲に限界があったためとも言われています。<br /><br />戦争の結果モタグア川流域における覇権を失ったコパンですが、その後勢力の回復が試みられます。16代王ヤシュ・パサフは、後にアルターQと呼ばれる祭壇をつくり自身の正当性を示すとともに、都市建設を推し進め王朝の勢力回復に努めます。しかし、これがかえって国力の疲弊をもたらし、ヤシュ・パサフは事実上コパン王朝最後の王となってしまい、彼の死後王国は終焉を迎えます。<br /><br />【参考文献】<br />中村誠一「マヤ文明を掘る コパン王国の物語」(日本放送協会)<br />著者が発見したコパン遺跡の王墓とその発掘プロセスが紹介されています。発見の華やかな部分だけでなく、考古学が「地味な仕事であり、忍耐のいる仕事」であるということも伝わる、ある意味考古学とはどういう学問かを知る本でもあります。コパン遺跡の見所とコパン王国の盛衰についても詳しく書かれており、コパン遺跡見学のガイドとしても使えます。<br /><br />土方美雄・辻丸純一「写真でわかる謎への旅 マヤ/グアテマラ&ベリーズ」(雷鳥社)<br />グアテマラ・ベリーズの遺跡のガイドとマヤ文明一般についての詳しい説明が、写真つきで載っております。今回の旅行にはこれをもっていきました。

マヤの遺跡と生活を訪ねて−コパン遺跡編

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2009/09/06 - 2009/09/06

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Yattokame!

Yattokame!さん

旅の9日目。今日は、グアテマラ・アンティグアからホンジュラスのコパン遺跡を見学します。アンティグアからコパン遺跡までは片道5時間かかるため、まだ夜の明けない朝5時に出発となりました。今日のガイド兼ドライバーは、グアテマラ・シティで泊まった「ハポンテナンゴ」のオーナーが経営する旅行会社のJ君です。彼は明るい性格で、ドライブ中、グアテマラの歴史や道中で取れる黒曜石など色々なことを陽気に語ってくれましたが、なにぶん朝早くに起きて眠たくてしょうがないので、途中で眠ってしまいました。ごめん、J君。

コパン遺跡は、グアテマラとの国境近くにあるため、グアテマラ観光とあわせて訪れるのが一般的です。ツアーでいく場合、グアテマラの旅行会社を使って日帰りで行って帰ってくるだけなので、ホンジュラスにはほとんどお金が落ちないことになってしまいます。これは、コパン遺跡がほとんど唯一の観光資源といっていいホンジュラスにとって面白いことではありません。そのため、コパン遺跡のガイドは、必ずホンジュラスの人間を使うことになっております。私が行ったときも、グアテマラで雇ったガイドは遺跡の中に入れず、代わりにコパン遺跡専属のガイドが遺跡の案内をしました。

遺跡の中は、2時間もあれば一通り見て回ることができますが、グラン・プラザの彫刻を見るのに時間を費やし、結局見学に3時間くらいかかりました。また、遺跡の隣にある博物館も見逃せません。博物館の中央には、地下から発見されたロサリラと呼ばれる神殿が復元展示され、その周りには遺跡から出土した彫刻が多数展示されています。この彫刻が実に良いのです。グラン・プラザの石碑以外にも、繊細で凝った彫刻が多数コパンで作られたことが分かります。しかし、コパンから宿泊先のアンティグアまで再び5時間かけて戻らないといけないため、あまり長居できませんでした。

コパン遺跡は、マヤの遺跡の中で特に大きいわけではありませんが、その彫刻の素晴らしさから、ティカル遺跡とは違った意味で感激しました。遺跡好きの人でしたら、近くのコパン・ルイナスの町に宿泊して、じっくり遺跡を見学することをお薦めします。

【コパンについて】
コパンでは、紀元1400年ごろから定住が始まりますが、古典期の王朝は紀元426年ヤシュ・クック・モを初代に始まります。コパンは、ヒスイなどの天然資源に恵まれ、またモタグア川を利用した交易に支えられて、マヤ南部低地地域の中心都市として発展していきました。

コパン王朝の最盛期は、第13代ワシャク・ラフーン・ウバーフ・カウィール、通称「18ウサギ王」の時代に訪れます。紀元695年に即位した王は、周囲の衛星都市を従えて権勢を誇り、都市の現在グラン・プラザと呼ばれるところをを中心として数々のステラ(石碑)・アルター(祭壇)を建てます。高浮き彫りや丸彫と呼ばれる高度な技法を用いたこれらの彫刻により、コパンは後世「アメリカ大陸のアテネ」と称されることになります。また、コパンでは天文学が発達し、7世紀には1年を365.2420日とする暦が普及します。

こうして「18ウサギ王」の時代に絶頂期を迎えたコパンですが、同じ王の時期に衰退が始まります。コパンの衛星都市として長く隷属していたキリグアは、カック・ティリウ・チャン・ヨアート王の時代、738年にコパンを攻撃し「18ウサギ王」を斬首してしまいます。王を殺害されたコパンは大混乱に陥り、以後急速に衰えていきました。これは、マヤの王国の運営が、王の権威に大いに依存していたことと関係します。王が戦争に負けて殺害されるなどして権威を失うと、王国は求心力を失ってしまうのです。なお、マヤでは都市が割拠し、大きな帝国が形成されることはありませんでしたが、これは王国が大規模な官僚組織を持たず、王すなわち国家となっていたため、おのずと統治できる範囲に限界があったためとも言われています。

戦争の結果モタグア川流域における覇権を失ったコパンですが、その後勢力の回復が試みられます。16代王ヤシュ・パサフは、後にアルターQと呼ばれる祭壇をつくり自身の正当性を示すとともに、都市建設を推し進め王朝の勢力回復に努めます。しかし、これがかえって国力の疲弊をもたらし、ヤシュ・パサフは事実上コパン王朝最後の王となってしまい、彼の死後王国は終焉を迎えます。

【参考文献】
中村誠一「マヤ文明を掘る コパン王国の物語」(日本放送協会)
著者が発見したコパン遺跡の王墓とその発掘プロセスが紹介されています。発見の華やかな部分だけでなく、考古学が「地味な仕事であり、忍耐のいる仕事」であるということも伝わる、ある意味考古学とはどういう学問かを知る本でもあります。コパン遺跡の見所とコパン王国の盛衰についても詳しく書かれており、コパン遺跡見学のガイドとしても使えます。

土方美雄・辻丸純一「写真でわかる謎への旅 マヤ/グアテマラ&ベリーズ」(雷鳥社)
グアテマラ・ベリーズの遺跡のガイドとマヤ文明一般についての詳しい説明が、写真つきで載っております。今回の旅行にはこれをもっていきました。

同行者
一人旅
一人あたり費用
15万円 - 20万円
  • グアテマラとホンジュラスの国境です。国境は、簡単な手続きで越えられます。また、グアテマラとホンジュラスの間では、陸路で国境を越える際出入国スタンプは省略されることになっていますが、国境の係員に頼むとパスポートにスタンプを押してくれます。といっても、出入国スタンプではなく、コパンと書かれた記念スタンプなんですけどね。

    グアテマラとホンジュラスの国境です。国境は、簡単な手続きで越えられます。また、グアテマラとホンジュラスの間では、陸路で国境を越える際出入国スタンプは省略されることになっていますが、国境の係員に頼むとパスポートにスタンプを押してくれます。といっても、出入国スタンプではなく、コパンと書かれた記念スタンプなんですけどね。

  • コパン遺跡の維持管理に日本が援助していることを示す碑文です。<br />日本はホンジュラスの主要援助国の一つで、国民もそのことを良く知っており、日本に対する好感度が高いそうです。

    コパン遺跡の維持管理に日本が援助していることを示す碑文です。
    日本はホンジュラスの主要援助国の一つで、国民もそのことを良く知っており、日本に対する好感度が高いそうです。

  • 遺跡の全景模型。手前右側の広場が、彫刻が沢山並ぶグラン・プラザです。その奥の山のように高くなっているところがアクロポリスと呼ばれるエリアで、そのうち右側の白くなっているところが西広場、左側の白くなっているところが東広場になります。今回は、西広場からスタートして、この模型で言うと反時計回りの順序で遺跡を見学しました。

    遺跡の全景模型。手前右側の広場が、彫刻が沢山並ぶグラン・プラザです。その奥の山のように高くなっているところがアクロポリスと呼ばれるエリアで、そのうち右側の白くなっているところが西広場、左側の白くなっているところが東広場になります。今回は、西広場からスタートして、この模型で言うと反時計回りの順序で遺跡を見学しました。

  • 土に埋もれた遺物が苔むして、時の流れを感じさせます。

    土に埋もれた遺物が苔むして、時の流れを感じさせます。

  • 西広場。左側は天文台とも閲兵台とも言われています。

    西広場。左側は天文台とも閲兵台とも言われています。

  • 天文台の石段に飾られた暗黒神イークの像です。手に持つのは、松明とも首切り斧とも言われています。<br />どちらにしても、迫力のある姿をしています。

    天文台の石段に飾られた暗黒神イークの像です。手に持つのは、松明とも首切り斧とも言われています。
    どちらにしても、迫力のある姿をしています。

  • 天文台に置かれたほら貝の彫刻。

    天文台に置かれたほら貝の彫刻。

  • 西広場に面した神殿16。1989年にここからロサリラと呼ばれる地下神殿が発見されました。

    西広場に面した神殿16。1989年にここからロサリラと呼ばれる地下神殿が発見されました。

  • ロサリラが埋まっている様子を示した図面です。ここでも、メソアメリカの他の都市と同様に、建物の上に別の建物を積み重ねていったことが分かります。

    ロサリラが埋まっている様子を示した図面です。ここでも、メソアメリカの他の都市と同様に、建物の上に別の建物を積み重ねていったことが分かります。

  • 西広場のステラ(石碑)P。彫られている人物は、11代目ブッツ・チャン王と見られます。

    西広場のステラ(石碑)P。彫られている人物は、11代目ブッツ・チャン王と見られます。

  • 西広場に置かれたアルター(祭壇)Qです。側面には、コパン王朝の歴代16人の王の像が刻まれており、上面には776年にこの祭壇が制作されたことを示す記述があります。正面には、この祭壇を作った16代王ヤシュ・パサフが、コパン初代王ヤシュ・クック・モから杖を受け取ろうとしている場面が彫られており、ヤシュ・パサフが王位継承の正当性を主張するために制作したと言われています。<br />ただし、これは複製品で、本物は博物館の中にあります。

    西広場に置かれたアルター(祭壇)Qです。側面には、コパン王朝の歴代16人の王の像が刻まれており、上面には776年にこの祭壇が制作されたことを示す記述があります。正面には、この祭壇を作った16代王ヤシュ・パサフが、コパン初代王ヤシュ・クック・モから杖を受け取ろうとしている場面が彫られており、ヤシュ・パサフが王位継承の正当性を主張するために制作したと言われています。
    ただし、これは複製品で、本物は博物館の中にあります。

  • 遺跡の南にやってきました。写真に見えるのは、セメンテリオと呼ばれる住居跡です。

    遺跡の南にやってきました。写真に見えるのは、セメンテリオと呼ばれる住居跡です。

  • 西暦801年に、16代王ヤシュ・パサフによって建設された神殿18です。遺跡の南東に位置します。

    西暦801年に、16代王ヤシュ・パサフによって建設された神殿18です。遺跡の南東に位置します。

  • 神殿18に彫られた16代王ヤシュ・パサフの肖像です。国力の回復に努めた、王の心意気を示すような絵ですね。

    神殿18に彫られた16代王ヤシュ・パサフの肖像です。国力の回復に努めた、王の心意気を示すような絵ですね。

  • 東広場にやってきました。

    東広場にやってきました。

  • 東広場に面して建つ神殿22です。入り口は、天上界、地上、地下界の3層を示しているそうです。

    東広場に面して建つ神殿22です。入り口は、天上界、地上、地下界の3層を示しているそうです。

  • 神殿22の彫刻。骸骨が彫られています。地下の死者をあらわしているということでしょうかね。

    神殿22の彫刻。骸骨が彫られています。地下の死者をあらわしているということでしょうかね。

  • 神殿22の角を飾る彫刻です。これは「ウィッツ」と呼ばれる怪物の図像で、この神殿が聖なる山であることを示しています。これらの彫刻から、この神殿では王が先祖と交信するための儀式などが行われたのではないかと思われます。

    神殿22の角を飾る彫刻です。これは「ウィッツ」と呼ばれる怪物の図像で、この神殿が聖なる山であることを示しています。これらの彫刻から、この神殿では王が先祖と交信するための儀式などが行われたのではないかと思われます。

  • 東広場の階段に置かれた彫刻です。地下世界の死者をモチーフにしているのではないかと言われています。

    東広場の階段に置かれた彫刻です。地下世界の死者をモチーフにしているのではないかと言われています。

  • 同じく東広場のジャガーの像です。ちょっと、ゆるキャラっぽいですが(笑)

    同じく東広場のジャガーの像です。ちょっと、ゆるキャラっぽいですが(笑)

  • 神殿22の横に建つ「ポポル・ナ」と呼ばれる建物です。18ウサギ王が斃れた後の746年に建てられた建物で、国王と有力貴族がここで合議により政治を行ったと考えられています。

    神殿22の横に建つ「ポポル・ナ」と呼ばれる建物です。18ウサギ王が斃れた後の746年に建てられた建物で、国王と有力貴族がここで合議により政治を行ったと考えられています。

  • 「アクロポリス」のうち東広場と西広場の間の高台に置かれた人頭像。鉢巻をしていて、すし屋の親父といった感じです。

    「アクロポリス」のうち東広場と西広場の間の高台に置かれた人頭像。鉢巻をしていて、すし屋の親父といった感じです。

  • アクロポリスの高台からは、グラン・プラザを一望できます。

    アクロポリスの高台からは、グラン・プラザを一望できます。

  • アクロポリスを下り、神聖文字の階段にやってきました。神聖文字の階段は、15代「煙貝王」カック・イピヤフ・チャン・カウィールの時代755年に完成したもので、約2200の神聖文字により、コパンの歴史が刻まれています。<br />今は、雨による侵食を防ぐためにテントで覆われ、暗くて見づらくなっています。遺跡を守るためなので、仕方ないですね。

    アクロポリスを下り、神聖文字の階段にやってきました。神聖文字の階段は、15代「煙貝王」カック・イピヤフ・チャン・カウィールの時代755年に完成したもので、約2200の神聖文字により、コパンの歴史が刻まれています。
    今は、雨による侵食を防ぐためにテントで覆われ、暗くて見づらくなっています。遺跡を守るためなので、仕方ないですね。

  • 神聖文字の階段の前に置かれたステラMです。神聖文字の階段を完成させた「煙貝王」が建立し、その人の姿が刻まれているといわれます。

    神聖文字の階段の前に置かれたステラMです。神聖文字の階段を完成させた「煙貝王」が建立し、その人の姿が刻まれているといわれます。

  • 階段に刻まれた神聖文字。発見された当時は、文字の意味が理解できず適当にブロックを並べて修復したため、文字の並び方がめちゃくちゃになり、碑文の正確な解読を困難にしているそうです。

    階段に刻まれた神聖文字。発見された当時は、文字の意味が理解できず適当にブロックを並べて修復したため、文字の並び方がめちゃくちゃになり、碑文の正確な解読を困難にしているそうです。

  • 神聖文字の階段の北側には、球戯場がありました。規模はそれほど大きくありませんが、良い状態で残っています。

    神聖文字の階段の北側には、球戯場がありました。規模はそれほど大きくありませんが、良い状態で残っています。

  • 球戯場には、コンゴウインコの彫刻がついています。ここにボールを当てることで得点したと言われています。

    球戯場には、コンゴウインコの彫刻がついています。ここにボールを当てることで得点したと言われています。

  • 神聖文字の階段から北に向かい、球戯場を抜けると石碑の並ぶグラン・プラザに出ました。グラン・プラザの石碑の大半は、第13代「18ウサギ王」によって建立されたものです。<br /><br />写真に写るのは、そのうちの石碑Aです。18ウサギ王の石碑はどれも、ずんぐりむっくりとした体型をしています。実際にこのような体型だったのか、それとも何か目的があってデフォルメした体型の彫刻にしたのでしょうか。

    神聖文字の階段から北に向かい、球戯場を抜けると石碑の並ぶグラン・プラザに出ました。グラン・プラザの石碑の大半は、第13代「18ウサギ王」によって建立されたものです。

    写真に写るのは、そのうちの石碑Aです。18ウサギ王の石碑はどれも、ずんぐりむっくりとした体型をしています。実際にこのような体型だったのか、それとも何か目的があってデフォルメした体型の彫刻にしたのでしょうか。

  • 石碑Aのズームアップ図。高浮き彫りの彫刻が見事です。特に優れているからか、石碑Aの実物は博物館に置かれ、グラン・プラザにあるのは複製品です。

    イチオシ

    石碑Aのズームアップ図。高浮き彫りの彫刻が見事です。特に優れているからか、石碑Aの実物は博物館に置かれ、グラン・プラザにあるのは複製品です。

  • 石碑Aの側面と背面にはびっしりと文字が刻まれています。石碑Aは、碑文により731年に製作されたことが判明しています。また、コパン、ティカル、カラクムル、パレンケの紋章文字が刻まれているそうです。どれか分からないですが・・・。

    石碑Aの側面と背面にはびっしりと文字が刻まれています。石碑Aは、碑文により731年に製作されたことが判明しています。また、コパン、ティカル、カラクムル、パレンケの紋章文字が刻まれているそうです。どれか分からないですが・・・。

  • こちらもグラン・プラザに建つ、石碑Bです。これも繊細な彫刻が素晴らしく、たまりません!<br /><br />王が両手に持つのは、王の権威を示す儀杖で、その両側から蛇が出てきており、その蛇の口からなにやら顔を覗かせているものがありますが、これは王の守護神だそうです。

    こちらもグラン・プラザに建つ、石碑Bです。これも繊細な彫刻が素晴らしく、たまりません!

    王が両手に持つのは、王の権威を示す儀杖で、その両側から蛇が出てきており、その蛇の口からなにやら顔を覗かせているものがありますが、これは王の守護神だそうです。

  • 石碑Bの背面。ウィッツ・モンスターと思しき怪獣が描かれています。

    石碑Bの背面。ウィッツ・モンスターと思しき怪獣が描かれています。

  • 石碑Bの腰の辺りです。身につけている物のうち細長い渦巻きは巻貝で、ヒスイの装身具もつけています。王は、これらを身に着けることで、動いたときに意図的にジャラジャラと音が出るようにしていたそうです。

    石碑Bの腰の辺りです。身につけている物のうち細長い渦巻きは巻貝で、ヒスイの装身具もつけています。王は、これらを身に着けることで、動いたときに意図的にジャラジャラと音が出るようにしていたそうです。

  • 石碑Bの側面に刻まれた文字です。このうち、上部に10をあらわす二重線(=)と3をあらわす点(…)が刻まれており、13という数字を示しています。また下部に三重線と点(…)がありますが、これで18と読みます。すなわち、ここには、第13代「18ウサギ王」の名前が書かれているんだそうです。社会見学の引率でコパン遺跡に来ていた美術の先生に教えてもらいました。

    石碑Bの側面に刻まれた文字です。このうち、上部に10をあらわす二重線(=)と3をあらわす点(…)が刻まれており、13という数字を示しています。また下部に三重線と点(…)がありますが、これで18と読みます。すなわち、ここには、第13代「18ウサギ王」の名前が書かれているんだそうです。社会見学の引率でコパン遺跡に来ていた美術の先生に教えてもらいました。

  • こちらは、石碑Cです。石碑には、本来漆喰が塗られ、その上に赤い色が塗られていましたが、この石碑にはその色が良く残っています。<br />また、グラン・プラザの地面には現在芝生が植えられていますが、もともとは白い漆喰が地面を覆っていたそうです。現在のグラン・プラザとはまったく違った色彩の世界が広がっていたんですね。

    こちらは、石碑Cです。石碑には、本来漆喰が塗られ、その上に赤い色が塗られていましたが、この石碑にはその色が良く残っています。
    また、グラン・プラザの地面には現在芝生が植えられていますが、もともとは白い漆喰が地面を覆っていたそうです。現在のグラン・プラザとはまったく違った色彩の世界が広がっていたんですね。

  • 石碑Cは、反対側にも18ウサギ王の彫刻が施されています。こちらは、若い時の肖像で、上の写真は年をとった時の肖像です。

    石碑Cは、反対側にも18ウサギ王の彫刻が施されています。こちらは、若い時の肖像で、上の写真は年をとった時の肖像です。

  • こちらは、石碑Hです。18ウサギ王がトウモロコシの穂や実の飾りをかぶり、トウモロコシの神に扮しています。こちらも彫刻が見事です。

    こちらは、石碑Hです。18ウサギ王がトウモロコシの穂や実の飾りをかぶり、トウモロコシの神に扮しています。こちらも彫刻が見事です。

  • 祭壇Gです。これは、18ウサギ王ではなく、16代王ヤシュ・パサフにによって造られました。

    祭壇Gです。これは、18ウサギ王ではなく、16代王ヤシュ・パサフにによって造られました。

  • こちらは、グラン・プラザの北側に建つ石碑Dと獣形祭壇です。石碑と祭壇の多くは、セットになって残っています。

    こちらは、グラン・プラザの北側に建つ石碑Dと獣形祭壇です。石碑と祭壇の多くは、セットになって残っています。

  • 獣形祭壇、歯思い切り出てます。

    獣形祭壇、歯思い切り出てます。

  • 石碑Dのアップ図。18ウサギ王は、色々な年齢の時の彫刻を残しているからでしょうか、石碑によって顔の表情に変化が見られます。

    石碑Dのアップ図。18ウサギ王は、色々な年齢の時の彫刻を残しているからでしょうか、石碑によって顔の表情に変化が見られます。

  • こちらは石碑Iです。これは、コパン王朝の中で最長の在位を誇る第12代によって建てられました。

    こちらは石碑Iです。これは、コパン王朝の中で最長の在位を誇る第12代によって建てられました。

  • グラン・プラザの南端にある石碑N。第15代「煙貝王」カック・イピヤフ・チャン・カウィールによって761年に建立されました。

    グラン・プラザの南端にある石碑N。第15代「煙貝王」カック・イピヤフ・チャン・カウィールによって761年に建立されました。

  • 石碑Nは両面に「煙貝王」の像が彫られています。これは上の写真の反対側に彫られた「煙貝王」の像です。石碑N、「18ウサギ王」の石碑AやBに負けないくらい素晴らしいです。

    石碑Nは両面に「煙貝王」の像が彫られています。これは上の写真の反対側に彫られた「煙貝王」の像です。石碑N、「18ウサギ王」の石碑AやBに負けないくらい素晴らしいです。

  • 「煙貝王」の頭上にある怪物の飾りです。なんて見事な造形でしょう!<br /><br />いやいや、グラン・プラザの彫刻、素晴らしいの一言に尽きます。帰りが遅くなってもいけないので、3時間の見学で切り上げましたが、もっとじっくり見たかったですね。<br /><br />次に、コパン遺跡の隣の博物館を見学しましたが、こちらも沢山写真を取ってきたので、別冊で写真を載せたいと思います。

    「煙貝王」の頭上にある怪物の飾りです。なんて見事な造形でしょう!

    いやいや、グラン・プラザの彫刻、素晴らしいの一言に尽きます。帰りが遅くなってもいけないので、3時間の見学で切り上げましたが、もっとじっくり見たかったですね。

    次に、コパン遺跡の隣の博物館を見学しましたが、こちらも沢山写真を取ってきたので、別冊で写真を載せたいと思います。

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