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山岳地帯の光景は息を呑むばかりだが、どうもイエメン人とは価値観が違うらしい。<br />わたしたちが「うおっ」となるのはやはり、切り立った岩や山の頂上のほんのすこしのスペースに村を作っている光景なのだが、それはイエメン人には結構普通のことのようだ。<br />イエメン人の運転手がスピードを落とし、「スーラ?(写真、の意。うんと言うと撮影のため車を止めてくれる)」と聞いてくるのはだいたい、段々畑のあたりである。<br />確かにこの段々畑も美しいのだが、日本でも割と見慣れた光景のため、自慢げに「スーラ?」と言う運転手にわたしたちは顔を見合わせ、ノーとも言いづらいので「…あ、車の中から撮るので、大丈夫です」と、煮え切らない、ニホンジンとしては模範的な答えを返すことになる。<br /><br /><br />ロックパレスから30分ほど車を走らせると、両側に小さな小屋のある検問所が現れた。<br />不穏な人物をサナアに入れない意味合いが強いらしく、観光にはあらかじめ警察に通行許可証を申請して通行手形になるものを手に入れておかなければならない。<br />雰囲気は結構ものものしく、「カメラをしまって」と運転手が小声で言う。<br />日本の観光客だ、と運転手は言い、1〜2分で許可書の確認を終えて通過すると、もう写真を撮ってもいいよ、と言い、検問所の兵士を指差して、「たまに、stupidなのがいるから」と苦笑した。stupidね…とあえて頭のなかで日本語訳はせず、おとなしくしていようと思う。<br /><br />乗車している間は、日本に居る間にあまり調べられなかったイエメン知識について、添乗員の立花さんがとくとくと語ってくれる。これは嬉しい。ひとり旅ではなしえないメリットだ。<br />歴史や背景を知って旅するのと、「なんじゃあら」と言いながらするのでは全然違う。<br /><br />昔は、オマーンが「海のアラビア」、サウジアラビアが「砂のアラビア」、シリアが「岩のアラビア」、そしてイエメンが「幸福のアラビア」と称されていたこと。<br />諸文化の派生地であり、イエメンから紅海のスーダンへ、そしてサハラへ、大西洋へと伝播していったこと。<br />オスマントルコが敗れて以来、ヨーロッパ列強国に勝手に分割され国境が引かれたため、75年くらいのアラビア半島の地図はまだ不明確であったこと。<br />それから石油価格の高騰でヒエラルキーが崩れてゆき、湾岸戦争後に国境が確定。<br />イエメンは石油ヒエラルキーからははずれていくが、60〜70年代にアラビア半島では初めて、観光産業に目をつけた国であること。<br />日本では、朝日サンツアーズ社が80年代に初のイエメンツアーを組んだこと…<br />(82年に個人旅行でイエメンへ行った立花さんはなんなんだ)<br />客をもてなさないのは恥だという価値観があり、外国人を誘拐しても紳士的にもてなすこと。<br />都市伝説というか噂だが、過去に中国人を誘拐したものの中国政府が身代金支払いの要求を無視したため、誘拐犯は人質に金がかかりすぎるため面倒がみきれなくなり自ら解放したという逸話…(かの国なら、さもありなんだが)<br /><br /><br />そうこうしていると、またしても現れたのが、日本の日の丸を描いた看板である。<br />この日の丸看板、ロックパレスを出たところにもあった。<br />なにやら日本の援助で作った施設だか道だかのようだ。このような看板の類、イエメンに限らず、東ティモールでも旧ユーゴ圏でも、ほんとうに多く見かけた。<br />当初は見かけるたびにちょっとした誇りのようなものを感じたものだが、いまは見るたびに苦々しい気持ちにとらわれる。だってよく考えれば、日本が援助をしているような国は、ほかの先進国だって同等かそれ以上の事をしているはずなのだ。<br />しかし、欧米諸国の旗を掲げて「この地は○○○の援助でできましたありがとう!」なんて主張をしている看板には、お目にかかったことがない。<br />(しかも観光客の多いところにばかりあるあたり、品のないアピール根性である)<br />詳しい事情や理由は知らないが、それはあくまで文字通りただの「看板」に過ぎないのに、なんだか日本の異常なまでの顕示欲と、恩着せがましさを感じてしまうのだが。<br /><br />こちらは、日本の援助で学校をつくる用の土地を整備したとのことだが、看板は相当古そうでペンキは剥げかかっている。学校…建ってないけど…。<br />「やるなら最後までやってほしいですね?!」と思わず突っ込むわたしに立花さん、<br />「うーん、こっちの人、建物とか、作りかけてやめちゃうんですよね。家建ててから、水が引けなかったからやっぱ住まない、とか…。ホテルでもあるんですよ。途中でやめちゃった例」<br />そういえばこれまでにも、家として完成はしているような外観でありながら、鉄筋や鉄柵が天井から飛び出ているような不自然な光景を多数目にした。<br />「あ、それは、とりあえずお金ができたら上の階を増築しようって、そのときのためですね」<br />と、驚くべき計画的なんだか無計画なんだか全然わからないイエメン人ゴコロ。<br />「あ、あの段々畑も、計画性ないですね。普通に考えれば、先行投資して一旦平地にしたほうが後々いいに決まってるんだけど、そこまで考えてないからとりあえず一段ずつ開拓して」<br />そ…そうなんだ…そう考えると、あの段々畑の緻密な綺麗さは、確かに凄いかもね…<br /><br />「看板」は出していないが、ドイツ政府の援助でつくられたという、シバームからマフウィートまでの道を、スピードメーターのぶっ壊れたランクルは軽快に走ってゆくのだった。<br /><br />つづきと写真はこちらから<br />http://www.junkstage.com/world/yuu/?cat=20

■少数民族の村ハッタ・ウィーラ

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2009/09 - 2009/09

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ユウ

ユウさん

山岳地帯の光景は息を呑むばかりだが、どうもイエメン人とは価値観が違うらしい。
わたしたちが「うおっ」となるのはやはり、切り立った岩や山の頂上のほんのすこしのスペースに村を作っている光景なのだが、それはイエメン人には結構普通のことのようだ。
イエメン人の運転手がスピードを落とし、「スーラ?(写真、の意。うんと言うと撮影のため車を止めてくれる)」と聞いてくるのはだいたい、段々畑のあたりである。
確かにこの段々畑も美しいのだが、日本でも割と見慣れた光景のため、自慢げに「スーラ?」と言う運転手にわたしたちは顔を見合わせ、ノーとも言いづらいので「…あ、車の中から撮るので、大丈夫です」と、煮え切らない、ニホンジンとしては模範的な答えを返すことになる。


ロックパレスから30分ほど車を走らせると、両側に小さな小屋のある検問所が現れた。
不穏な人物をサナアに入れない意味合いが強いらしく、観光にはあらかじめ警察に通行許可証を申請して通行手形になるものを手に入れておかなければならない。
雰囲気は結構ものものしく、「カメラをしまって」と運転手が小声で言う。
日本の観光客だ、と運転手は言い、1〜2分で許可書の確認を終えて通過すると、もう写真を撮ってもいいよ、と言い、検問所の兵士を指差して、「たまに、stupidなのがいるから」と苦笑した。stupidね…とあえて頭のなかで日本語訳はせず、おとなしくしていようと思う。

乗車している間は、日本に居る間にあまり調べられなかったイエメン知識について、添乗員の立花さんがとくとくと語ってくれる。これは嬉しい。ひとり旅ではなしえないメリットだ。
歴史や背景を知って旅するのと、「なんじゃあら」と言いながらするのでは全然違う。

昔は、オマーンが「海のアラビア」、サウジアラビアが「砂のアラビア」、シリアが「岩のアラビア」、そしてイエメンが「幸福のアラビア」と称されていたこと。
諸文化の派生地であり、イエメンから紅海のスーダンへ、そしてサハラへ、大西洋へと伝播していったこと。
オスマントルコが敗れて以来、ヨーロッパ列強国に勝手に分割され国境が引かれたため、75年くらいのアラビア半島の地図はまだ不明確であったこと。
それから石油価格の高騰でヒエラルキーが崩れてゆき、湾岸戦争後に国境が確定。
イエメンは石油ヒエラルキーからははずれていくが、60〜70年代にアラビア半島では初めて、観光産業に目をつけた国であること。
日本では、朝日サンツアーズ社が80年代に初のイエメンツアーを組んだこと…
(82年に個人旅行でイエメンへ行った立花さんはなんなんだ)
客をもてなさないのは恥だという価値観があり、外国人を誘拐しても紳士的にもてなすこと。
都市伝説というか噂だが、過去に中国人を誘拐したものの中国政府が身代金支払いの要求を無視したため、誘拐犯は人質に金がかかりすぎるため面倒がみきれなくなり自ら解放したという逸話…(かの国なら、さもありなんだが)


そうこうしていると、またしても現れたのが、日本の日の丸を描いた看板である。
この日の丸看板、ロックパレスを出たところにもあった。
なにやら日本の援助で作った施設だか道だかのようだ。このような看板の類、イエメンに限らず、東ティモールでも旧ユーゴ圏でも、ほんとうに多く見かけた。
当初は見かけるたびにちょっとした誇りのようなものを感じたものだが、いまは見るたびに苦々しい気持ちにとらわれる。だってよく考えれば、日本が援助をしているような国は、ほかの先進国だって同等かそれ以上の事をしているはずなのだ。
しかし、欧米諸国の旗を掲げて「この地は○○○の援助でできましたありがとう!」なんて主張をしている看板には、お目にかかったことがない。
(しかも観光客の多いところにばかりあるあたり、品のないアピール根性である)
詳しい事情や理由は知らないが、それはあくまで文字通りただの「看板」に過ぎないのに、なんだか日本の異常なまでの顕示欲と、恩着せがましさを感じてしまうのだが。

こちらは、日本の援助で学校をつくる用の土地を整備したとのことだが、看板は相当古そうでペンキは剥げかかっている。学校…建ってないけど…。
「やるなら最後までやってほしいですね?!」と思わず突っ込むわたしに立花さん、
「うーん、こっちの人、建物とか、作りかけてやめちゃうんですよね。家建ててから、水が引けなかったからやっぱ住まない、とか…。ホテルでもあるんですよ。途中でやめちゃった例」
そういえばこれまでにも、家として完成はしているような外観でありながら、鉄筋や鉄柵が天井から飛び出ているような不自然な光景を多数目にした。
「あ、それは、とりあえずお金ができたら上の階を増築しようって、そのときのためですね」
と、驚くべき計画的なんだか無計画なんだか全然わからないイエメン人ゴコロ。
「あ、あの段々畑も、計画性ないですね。普通に考えれば、先行投資して一旦平地にしたほうが後々いいに決まってるんだけど、そこまで考えてないからとりあえず一段ずつ開拓して」
そ…そうなんだ…そう考えると、あの段々畑の緻密な綺麗さは、確かに凄いかもね…

「看板」は出していないが、ドイツ政府の援助でつくられたという、シバームからマフウィートまでの道を、スピードメーターのぶっ壊れたランクルは軽快に走ってゆくのだった。

つづきと写真はこちらから
http://www.junkstage.com/world/yuu/?cat=20

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