1950/06/22 - 1960/06/22
23位(同エリア62件中)
ちゃおさん
3日目の昼、遣唐大使藤原常嗣は船上で「観音菩薩」を描いたという。この頃からもう既に日本にも「観音信仰」が齎されてきていたようだ。大陸、半島の沿岸地方に発達した観音信仰。海を渡って瞬く間に広まったに違いない。「馬頭観音」だったのだろうか。何とも記されてはいなかった。
「請益・留学の法師は相共に観音経を読経した、」とある。円仁さんは請益(還学)僧で、長期滞在の留学僧とは違って、本来は短期の渡唐であった。それが結果的には10年の長きに渡り在唐することになるとは、この時はついぞ思っていなかったに違いない。いやしかし還学僧とはいえ、最初から天台山へ登る考えを持っていた円仁さんからすれば、それが適わぬ際には、代わりに五臺山へ向かい、或いは、この程度の年月は最初から織り込み済みだったのかも知れない。
いずれにしても、航海最初の数日は穏やかな日よりが続き、「信風」、追い風に乗って、船は順調に大陸を目ざしていた。この時の記事には、夜、「火信相通じて其の貌(さま)は星の如し」とあり、全く順調な航海のようだった。
二日目、海の色が浅緑になってきて、人々は皆陸地が近いことを予感していた。「大竹、蘆根(ロコン)、烏賊、貝等が波に従って付いてくる、」とある。大竹は孟宗竹のことだろうか、こういうのが流れてくると言うのは、正しく陸地が近いに違いない。蘆根が何かは分らないが、先年の春、蘇州へ旅行した折、そこを流れる陽州大運河にはクワイの実が水面を覆い尽くすように浮かび、流れていたが、こういったものの水生植物でも流れていたのだろう。
烏賊、まで付いてくる。「鉤を下ろして取って看れば、或いは生き、或いは枯れたり」とある。この当時より烏賊は既に食用にされていたに違いない。
更に「申時(16時)、大魚あり、船に従って遊行す。」とあるのは、多分、イルカの群れに違いない。
更に3日、「船の側板に取り付けた平鉄は波の為にことごとく脱落せり。」又、海を渡る鳥は、帆に止まって飛び立たず、「西に飛ぶもの二、三あれども、又更に還り居る。」状態だった。
又更に海の色は白緑となり、「夜もすがら人をして帆柱に登って山島を見せしむるに、ことごとく見えず」の状態だった。
何度か海の色が白くなったり、黄色の泥状になったりを繰り返していたが、矢張り陸地は見えない。水の色から「陽州大江(揚子江)の流水ならん」と話し合っていたが、尚陸地は見えない。
「縄を以って鉄を結び、之を沈むるに、僅かに5丈(約15m)に至る。小時を経て鉄を下ろして海の浅深を試むるに、唯5尋(約12.5m)なり。」であり、大使はその浅さに驚き、「将に石を下ろして停り、明日行くべきなり」と命ずるが、議論伯仲して決定できず、そうこうする内、強風が出てきて、船はどんどん浅瀬に流され、漂流してしまった。
舵も失い、「東波来たれば船は西に傾き、西波来たれば東にそばだつ」状態で、波は船上を洗い、「船上の一衆、仏神に憑帰して誓祈せざるなし」。そして大使、船頭以下全員「裸身にして褌を締め直し」、船の安全な場所を探し、船べりに縄を結んで掴まり、「競うて活路を求む」状態だった。そして、海水は船上にあふれ出し、船は浅瀬に座礁した。
翌日(出航後7日後)、潮が引いて船底を見ると、「底は悉く破裂して」、砂に埋め尽くされている状態だった。もう一度大波が来れば、船は「碎散」(散り散りに砕け散る)になること間違いなし。帆柱を切り倒し、側板を剥して応急修理して夜を待った。
その日の夜9時頃(亥の刻)、幸いにも「西方を望見すれば、遥かに火光あり」。人々は皆喜び、「夜もすがらせん望」するが山島は見えず、「唯火光を看るのみ」だった。
遥か遠方に光りを見つけた乗員の喜び、一晩中飽かず眺めていた火の光、しかし、山も島も見えない。その心の喜びともどかしさ。1200年経った今でも円仁さんの喜びと焦燥、その心の動きが手に取るように現れてくる。名文である。
次の朝、満潮と共に船は西方に進み、漸くにして島影を認めたが、船は遂に沈み「進まず、退かず」、「船は卒(つい)に傾覆し、埋沈せんとす。」
人々は、驚き恐れ、縄を結んで死を待つ間、遠方に小船がやってくるのが見え、漸く救助されたことを知る。前日小舟で発進した大使の動静は不明であるが、円仁さん以下、船に残った全員はここに救助されたのだった。
時に承和5年、838年、7月2日、その場所は陽州海陵県(揚子江河口)であった。当時、日唐間は「年号は異なると言えども、月日は同じ」で、同じ大唐暦を使用していて、唐でも7月2日のことだった。こうして6月22日志賀島を発進した遣唐使節団は9日余りの航海の後、漸く唐土を踏むこととなった。その喜びや、いかばかりかと思う。
当方、明日から円仁さんの修行した中国山西省・五臺山を旅行する。難破した船から救助され、その後、五臺山・清涼寺で修行した慈覚大師円仁さんの足跡を辿れることの喜びを今感じている。これもまた長生きした結果の効用だろうか。「観音経」、「華厳経」は知らないが、「般若心経」くらいは唱えよう。瑞雲の中、文殊師利菩薩にもお会いできると良いのだが・・・
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