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(その1からの続き)<br /><br />私たちは小雨の降る寒いクネクネ道にもいい加減に慣れてきて、岬のように崖が突き出ているカーブに差し掛かった。 そこで一休みする事にした。  そこは難所だったようで、何十年か前にこの道路が完成したとの碑があった。 確かにこの道路がなければ、あとはモン族が作った足の幅ぐらいしかない険しい道しかない。  ここの崖はバンジージャンプが出来そうな険しい崖で、谷底に珍しく川が流れている。 インドシナ半島の北部に見られる東北から南西に向かって連なる大きな山脈の谷間に違いなかった。  <br /><br />私たちがそこで写真を撮ったりしてくつろいでいると、二人の少女が傘をさしながら、とぼとぼ歩いてきた。 <br /><br />写真<br /><br />明らかに今までのきらびやかな民族衣装の少女たちとは違う、粗末な服装の少女たちだった。 我々を見ても笑顔も見せず無表情だ。 見たところ、6歳と8歳ぐらいの小さな女の子で背中に大きな籠を背負っていた。 その少女たちもこのカーブに来るとガードレールの上に籠を載せ、二人で無表情に何かを話している。  目があった瞬間、少しだけ笑顔が見えた気がしたが、その後はまた無表情に戻った。<br /><br />写真 写真<br /><br />HUNG君が近寄っていって彼女らと話をはじめた。  お姉ちゃんのほうの籠の中に入っていたものは日本で使う灯油タンクぐらいのポリタンクだった。 重さは15kgぐらいあるだろうか、8歳の少女にはとても重い筈だ。  妹の籠にもその半分ぐらいの重さのポリタンクが入っている。<br /><br />写真<br /><br />少女らは籠を地面に置き私たちのほうに近づいてきた。  相変わらず無表情だ。 私は荷物から残っているお菓子を取り出し、彼女にあげた。   HUNG君は自分の荷物をバイクから降ろし始めた。  何をしているのかを聞くと、お姉ちゃんのほうが危ないというのだ。  彼はこの少女らの体に触れていた。 妹のほうは割りと厚着をしている。  しかし、ここの場所は標高も高く、雨も降っており、風もあるので体感温度は0度以下だ。  私も彼女の肩に手を置いてみた。HUNG君の言うとおりお姉ちゃんのほうはガタガタ震えている。  HUNG君はいつでもコーヒー好きの私たちにコーヒーが飲めるようにと旅行中はお湯とコーヒーを持ち歩いていたが彼はバイクのサドルバックからポットを出し、この姉妹を暖めようとお湯をグラスに注ぎ、彼女らに飲ませた。<br /><br />写真<br /><br />私はP氏に言ってすぐに出せるお菓子を出してきてもらい、ビスケットを彼女らにあげるのだが、ポケットに入れるだけで自分で食べようとしない。  私はとうとう、痺れを切らし、ビスケットの小袋を開き、小さく割って彼女らの口に入れた。 私はこんな事しか出来ないが、これで少しでも元気になって欲しいと思った。  ところが、HUNG君は自分の荷物から上着を出し、彼女に自分の上着をあげたのだった。 HUNG君は経済的には貧しいのだが、心は限りなく豊かな男だ。  上着無しでは自分も寒いはずで、予備も持っていないはずなのだが、彼は自らの上着を見ず知らずの少女の為に躊躇無く差し出したのだった。 HUNG君は私にとって誰にでも誇れる友人であり、立派な人格の男だと改めて尊敬した瞬間だった。 それと同時にそんな事も思いつかなかった自分を恥ずかしく思った。 そして、この旅行の前に送られてきた中傷のメールなんかくそくらえと思った。<br /><br />写真<br /><br />この少女たちと一緒にいたのは20分ぐらいだろうか、HUNG君を通じてこの少女の事を少しだけ知る事ができた。 お姉ちゃんのほうは予想よりもずっと上の12歳、妹は8歳だった。 なんと、下の川から水を汲んで家に帰る途中だそうだ。 私が作った地形図によるとこの遥か下に霞んで見える川と私たちのいる道路は標高で500mの高低差がある。 そして、垂直に近いこの角度だ。 体重30kgかそれ以下のぐらいの彼女らはこの崖をこの重い水タンクをかついでここまで登って来て更にもっとずっと上の家に水を運んでいたのだった。 彼女が行くと思われる方向の極端に尖がった山にはうっすらと煙が出ている。 そこに誰か住んでいる証拠だ。 しかし、およそ人間が住んでいるとは思えないような険しい山だ。 彼女らはたぶん毎日下の川から自分の家まで水を運んでいる。 昨日のホテルでお湯が数分しか出ないと文句を言っている自分も、ここでは水はこんな苦労して手に入れる贅沢品なのを知った。 実際雨が降っている中、何故あんな谷底に水を汲みに行くのは疑問だが、この子たちの家には雨水を貯めたりする設備が無いのかもしれない。<br /><br />写真<br /><br />写真 写真<br /><br />やがて、彼女達も我々も出発する事になった。 ここでお姉ちゃんは思わぬ行動に出た。 なんと、今まで来ていたHUNG君の上着を脱ぎ、HUNG 君に差し出したのだ。 HUNG君に何で彼女は上着を返そうとするのかを聞くと、「サイズが合わないから」だという。 それは大人と子供ではサイズが合わないのは当たり前で、ここで大切なのは彼女の「命」だと思うのだが、彼女は頑と譲らない。 数分上着を持ってけ持ってかないの押し問答があった後、 HUNG君は諦めた。  この寒さも、ここで水を運ぶのも彼女の日課なのだ、もっと辛い事もこの姉妹は乗り切ってきたのだろう。 そう思うしかなかった。  私はせめて道沿いに歩くのならば、彼女らの持っている重いタンクや彼女らをバイクで運べないだろうかと相談したのだが、彼女らが行く所はバイクでは到底行けない所で無理だという。 私はザックのポケットに入れていた予備の新品の軍手を1足、彼女のポケットに突っ込んだ。 彼女は手袋を片方しかしておらず、自分の息で手を温めていたからだ。  そして、私たちは諦めてバイクにまたがった。 この姉妹も一旦重いタンクの入っている籠をガードレールに乗せ、背中に背負い,またトボトボ歩きはじめた。<br /><br />写真 写真<br />(左の写真の山は右の写真の山の一部、ここから煙が出ているのでここが家かもしれない)<br />(私たちがいる所から少なくとも標高差で200mは上、距離は1kmぐらいか?)<br /><br />バイクを走らせバックミラーから彼女らを見るとお姉ちゃんはこちらを見ていて、妹はもう既に少し先に進んで歩いていた。  あの少女の名前も聞くことは無かったが、きっと今でも健康で生きている事を願うばかりだ。 HUNG君に、「モン族はなぜあんなに険しい所に住むんだろう? もっと川の近くで水や道路に近い所があるのに何故住まないんだろう?川の近くには誰も住んでいない土地がいくらでもあるのに」と怒りにも似た気持ちで訪ねたのだが、私の言っているのはベトナム政府が彼らにしてほしいのと同じ事で、長年の習慣はそう簡単には変えられないのだと言う。<br /><br />道路がカーブし、また突き出た所に出た。 そして川からどの道で彼女らが500メートルの標高差の崖を上ってきたのかを見たが、道らしい道は無く、たぶん、幅が20cmぐらいのかろうじて人が歩けるぐらいのジグザグの道が見えた。 あそこから足を踏み外したら間違いなく死んでしまうだろう。  この山には木は生えておらず、落ちる途中でひっかかる所さえもない岩山なのだ。<br /><br />私は色々な事を考えながらバイクを走らせた。 あの美しく着飾った女の子たち、水を運ぶ同じ年頃の女の子たち、どちらが本当の姿なのだろう。 彼女たちも仕事が終われば他の子供のように着飾って笑顔になるのだろうか? 頭の中にいくつもの疑問が沸いてきたが、きっとここで生活し、この険しい山に誰よりも価値を見出して何世代も生活を営んできたのがモン族なのだろう。 そう考えるしかなかった。<br /><br />そこから数キロ走った所で私のバイクのチェーンが外れて後輪がロックした。 山に向かってカーブしていたから良かったものの、もしこれが谷に向かっているカーブでタイヤがロックしてコケたりしたら今頃この日記は書けなかったかも知れない。 原因は、スプロケットの歯が連続して欠けていた事だった。  この欠けた所にエンジンブレーキなどで力が加わった時にチェーンは外れたようだ。 歯車の歯がないわけだからチェーンは外れて当然だ。 代えの部品があるわけでもないので、ここでは修理不能だが、後輪の軸を緩め、少し前に出し、チェーンを元の位置に収めた後に後輪を後ろに引っ張りチェーンを張りなおし応急処置完了。 とりあえず次の町で修理が可能かどうかバイク屋に持っていくことにした。<br /><br />写真<br /><br /><br />午後3時を過ぎ、やがて、道路沿いに家が一つ二つ見え始め、MEO VACの町に入った。 MEOとは中国語で「猫」を指す。 モン族は中国では「猫族」という蔑称で呼ばれているとの事だった。 日本語では猫は蔑称にはならないし、むしろ猫のようにしなやかな女性は魅力的だよとHUNG君に説明した。  この町に入ってからは驚くべきことにインターネットカフェの看板も見つけた。 更にカラオケ、バイク店もあった。 観光客の姿は無いが、先ほどの世界とは別世界だった。  やがてホテルにチェックインした。 ここのホテルのフロントは今までで一番若いフロントだった。 二人の女の子が受け付けだったが、推定年齢10歳と8歳。  彼女らは少女らしい絵をノートに描いていたが私たちがチェックインする時だけ大人になって、慣れた手つきで部屋の位置を指を指したり部屋のキーを後ろの棚から取ってきたりした。 鍵を渡し終わるとまた彼女らは子供に戻り、絵の続きを描き始めた。<br /><br />写真<br /><br />バイクから荷を解き、階段を上がり部屋に入ると、簡素な造りだが日本のビジネスホテルぐらいの感じのホテルだ。  エアコンもあり、やっと「普通」のホテルという感じだった。 P氏も私もエアコンで暖房が入ることが分り大喜びだった。  <br /><br />まだ十分に日が高いので、3人で散歩に出た。 Meo VACは高層の建物こそないが、町の体裁を成していた。 少し歩くと陸上競技場のようなものがあり、その奥にあるステージの上で何かをやっている、人々がそこに集まり、時折歓声が聞こえて来る。 子供たちは広いグランドでいくつかの遊びをしている。 その一つはコマ回しだ。 日本の喧嘩コマそっくりで、縄を巻いて一人が回し、後からコマを回す人がコマでそれを弾き飛ばしたら勝ちというルールらしい。 その他にも16Mぐらいの高さの竹の棒の先についている直径20cmぐらいの輪に100Gぐらいの砂袋に尻尾をつけたような物を通すという遊びもやっていた。  それを使ってキャッチボールみたいな遊びに加わったが、とても難しく、輪を通すのは奇跡に近いと思った。<br /><br />写真 写真<br /><br />写真 写真<br /><br />荷物からお菓子を大量に出してきたので、これを広場の子供たちにあげた。 あっと言う間に人だかりになった。  一箇所にいると人だかりで動けなくなるので広場の奥にあるホーチミンの像のある公園に向かって歩きながらお菓子を配りまくった。  歩く私たちの後にはハーメルンの笛吹き男よろしく子供たちが付いて来る。 広場につくと、そこには更に多くの子供が集まっていた。 70人ぐらいは軽くいる。 広場は男の子が多かったがここは女の子のグループも少し混じっている。  <br /><br />写真<br /><br />公園には10メートル程の丘があり、そこに黄金のホーチミン像があり、子供たちはその岩山に上ったり、2メートルはある所から飛び降りたりしている。 たぶん、この辺りの子供に高所恐怖症の子はいないだろう。 なにせ至る所眺めが良すぎるぐらいの崖だからだ。  もっていた大量のお菓子はほぼ底をついた。 その状況を察したのかHUNG君はいつの間にか市場に走ってお菓子を大量にGETしてきた。 HUNG君によると私があげたボール状のガムを食べた子供は、「この飴はなかなか溶けないね」と言っていたそうだ。 彼は旅の終わりまでこの話をして私を笑わせた。 持っていったチェキも大人気で、自分を撮れとか、この女の子と一緒に撮ってくれとか注文が多い。 お爺さんと孫らしい人が自分の孫と自分を撮ってくれというのでチェキで撮影して差し上げた。 とても感謝された。 その時に持っていたチェキのフィルムも切れると、デジカメで撮影をした。 そのうちデジカメに写っている自分の友達が変な顔をしているのに大笑い。 P氏のデジカメも大活躍で撮影しては画像を見せ撮影しては画像を見せという繰り返しになった。 子供たちはこの頃からほぼトランス状態になり、変な顔を見ては笑い、そして見なくても笑い、画像を覗き込む子供も見えない子供も笑い、なんだかわけの分らない新興宗教みたいになってきた。  そこにHUNG君が到着、袋一杯のお菓子を持って現れた。 HUNG君はお菓子を配り始め、子供たちはそこに殺到、もうどうしようもない状況で、小さい子供はもみくちゃにされ、背の高い子供の肩から手だけが見えている状態。 無数の手のひらが上に向かって伸びながらHUNG君に向かってくる。  HUNG 君は大声を出しながら交通整理しようとするが、ベトナム語が通じないのか聞く耳を持たないのか、まったく収まる気配がない。 そこに、私が勝手に命名したのだが「モン族のおかん」さんが登場、彼女は地元の人だし、強そうだし、この暴走状態の子供たちを制御できるのは「モン族のおかん」しかいないと思った私はHUNG君に助言した。 するとHUNG君もそれに賛成し、「モン族のおかん」に袋を渡した。 「モン族のおかん」は強く、何かをいうと子供たちは列を作っておかしを受け取るようになったが、ほどなく割り込みなどが発生し、また揉みあいになってしまった。  おかんは、とうとう空中にお菓子をばらまくという手段に出た。 これならば、背の低い子供でも大丈夫だし、一箇所に撒かずに広く撒けばパニックも起きない。  そんなわけで残りのお菓子は順調に配布され、辺りもやがて暗くなってきたのでお開きになった。<br /><br />写真 写真<br /><br />写真 写真<br /><br />写真 写真<br /><br />写真 写真<br /><br />ホテルに一旦戻り、ホテルの向かいのバイク屋に私のバイクを持っていった。 HUNG君が交渉してくれたが、スプロケットのスペアパーツは無いらしい、気休め程度に油を差し、ホテルに戻った。<br /><br />その後、夕食まで時間があったので、P氏と私はインターネットカフェに歩いて向かった。  バイクではこの町の入り口辺りにあったのだが、意外と距離があり街頭の無い真っ暗な町を650メートル程歩いてインターネットカフェに辿りついた。 インターネットカフェに入ると、びっくり、そこにはヘッドホンを付け画面に映っているアバターにダンスをさせている中学生〜高校生ぐらいの女の子が数人、私たちが入ってきているのに気も留めずにパソコンに向かっていた。  なんか場違いにサイバーな感じだ。  私たちが店の奥まで行くと店主らしい若者が出てきた。  英語が全く通じない。 前払いなのか後払いなのかもわからない。  とりあえず3本指を立てるので3万ドン(200円?)程渡して私たちはそれぞれWindows XPのSP1という古いOSのデスクトップパソコンに座った。 日本語のメールを見ようとしてもフォントは無いので、インストールしようとしたらXPのオリジナルCDを入れろと言ってくるので店主に交渉していかにも海賊版のXPを出してもらい、フォントのインストールをしようとしたが、そのディスクにはフォントは入っていなかった。  私は某FTPからXPのマルチリンガルパッケージをダウンロードしようと試みるものの回線がめちゃめちゃ遅い。 日本とベトナムの間の回線が遅いのか、このインターネットカフェ自体の回線が細いのかわからないが、ダウンロードに5時間もかかる速度だった。 絶望的になったところ、P氏がASAHI.COMにアクセスすればフォントだけはDLできるという事を発見しなんとか日本語を読む事は出来るようになった。 日本からの E-MAILやニュース、MIXIを見ているとHUNG君がやってきた。  HUNG君もメールを見たかったのだった。 そこに小一時間いると閉店の時間になった。  HUNG君が金を払い、我々にいくら払った?と聞いた。  二人で3万ドン(200円)払ったというと、目を丸くして店主に行き、金を取り戻した。 一人で3千ドン(20円)だという。 まぁ、どちらでも我々は構わない値段だったが、やっぱりHUNG君がいると頼りに成る。<br /><br />夕食はいかにも田舎の食堂という所での夕食だった。 お母さんらしい人と、幼稚園ぐらいの娘が一人で切り盛りしている。  店の突き当たりにはベッドがあり、子供が寝巻きで座って人形で遊んでいる。  ベッドの横の壁には小さな棚があり、そこにこの子の宝物らしい物が並んでいる。  それはオモチャのネックレスだったり、他の人形だったり、どうやらこの子はここで生活しているようだ。 生活感がめちゃめちゃある店だった。<br /><br />外には「KARAOKE」という看板が出ているのだが、カラオケの設備は見当たらない。 店の中には金属のタライがあり、そこに練炭が一つ置いてあり、暖房になっている。  その洗面器の縁には痩せた猫が一匹いる。  この子ウサギのような猫は洗面器に上半身を乗せてウトウトしている。 P氏はこの店にあるウォッカが気に入ったようだが、どうやらここでも自家製らしくビンが空になると中身だけ継ぎ足す。 ここでは酒瓶はもはやただの「器」であって、中身は全く異なる物ばっかりだ。<br /><br />写真<br /><br />Ha Giang(ハザン)の町と違い、この町はモン族の人が民族衣装のままで歩き回っている割には開けていると思った。 ホテルに戻り、そして暖かい部屋で暖かいシャワーを浴びてこの一日にあった多くの納得できない事を考えながら床に入った。 そしていつの間にか眠りについていた。

2月10日 Dong Vang から Meo Vac 55.2km (その2)

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2007/02/10 - 2007/02/10

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Garmin

Garminさん

(その1からの続き)

私たちは小雨の降る寒いクネクネ道にもいい加減に慣れてきて、岬のように崖が突き出ているカーブに差し掛かった。 そこで一休みする事にした。  そこは難所だったようで、何十年か前にこの道路が完成したとの碑があった。 確かにこの道路がなければ、あとはモン族が作った足の幅ぐらいしかない険しい道しかない。  ここの崖はバンジージャンプが出来そうな険しい崖で、谷底に珍しく川が流れている。 インドシナ半島の北部に見られる東北から南西に向かって連なる大きな山脈の谷間に違いなかった。  

私たちがそこで写真を撮ったりしてくつろいでいると、二人の少女が傘をさしながら、とぼとぼ歩いてきた。 

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明らかに今までのきらびやかな民族衣装の少女たちとは違う、粗末な服装の少女たちだった。 我々を見ても笑顔も見せず無表情だ。 見たところ、6歳と8歳ぐらいの小さな女の子で背中に大きな籠を背負っていた。 その少女たちもこのカーブに来るとガードレールの上に籠を載せ、二人で無表情に何かを話している。  目があった瞬間、少しだけ笑顔が見えた気がしたが、その後はまた無表情に戻った。

写真 写真

HUNG君が近寄っていって彼女らと話をはじめた。  お姉ちゃんのほうの籠の中に入っていたものは日本で使う灯油タンクぐらいのポリタンクだった。 重さは15kgぐらいあるだろうか、8歳の少女にはとても重い筈だ。  妹の籠にもその半分ぐらいの重さのポリタンクが入っている。

写真

少女らは籠を地面に置き私たちのほうに近づいてきた。  相変わらず無表情だ。 私は荷物から残っているお菓子を取り出し、彼女にあげた。   HUNG君は自分の荷物をバイクから降ろし始めた。  何をしているのかを聞くと、お姉ちゃんのほうが危ないというのだ。  彼はこの少女らの体に触れていた。 妹のほうは割りと厚着をしている。  しかし、ここの場所は標高も高く、雨も降っており、風もあるので体感温度は0度以下だ。  私も彼女の肩に手を置いてみた。HUNG君の言うとおりお姉ちゃんのほうはガタガタ震えている。  HUNG君はいつでもコーヒー好きの私たちにコーヒーが飲めるようにと旅行中はお湯とコーヒーを持ち歩いていたが彼はバイクのサドルバックからポットを出し、この姉妹を暖めようとお湯をグラスに注ぎ、彼女らに飲ませた。

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私はP氏に言ってすぐに出せるお菓子を出してきてもらい、ビスケットを彼女らにあげるのだが、ポケットに入れるだけで自分で食べようとしない。  私はとうとう、痺れを切らし、ビスケットの小袋を開き、小さく割って彼女らの口に入れた。 私はこんな事しか出来ないが、これで少しでも元気になって欲しいと思った。  ところが、HUNG君は自分の荷物から上着を出し、彼女に自分の上着をあげたのだった。 HUNG君は経済的には貧しいのだが、心は限りなく豊かな男だ。  上着無しでは自分も寒いはずで、予備も持っていないはずなのだが、彼は自らの上着を見ず知らずの少女の為に躊躇無く差し出したのだった。 HUNG君は私にとって誰にでも誇れる友人であり、立派な人格の男だと改めて尊敬した瞬間だった。 それと同時にそんな事も思いつかなかった自分を恥ずかしく思った。 そして、この旅行の前に送られてきた中傷のメールなんかくそくらえと思った。

写真

この少女たちと一緒にいたのは20分ぐらいだろうか、HUNG君を通じてこの少女の事を少しだけ知る事ができた。 お姉ちゃんのほうは予想よりもずっと上の12歳、妹は8歳だった。 なんと、下の川から水を汲んで家に帰る途中だそうだ。 私が作った地形図によるとこの遥か下に霞んで見える川と私たちのいる道路は標高で500mの高低差がある。 そして、垂直に近いこの角度だ。 体重30kgかそれ以下のぐらいの彼女らはこの崖をこの重い水タンクをかついでここまで登って来て更にもっとずっと上の家に水を運んでいたのだった。 彼女が行くと思われる方向の極端に尖がった山にはうっすらと煙が出ている。 そこに誰か住んでいる証拠だ。 しかし、およそ人間が住んでいるとは思えないような険しい山だ。 彼女らはたぶん毎日下の川から自分の家まで水を運んでいる。 昨日のホテルでお湯が数分しか出ないと文句を言っている自分も、ここでは水はこんな苦労して手に入れる贅沢品なのを知った。 実際雨が降っている中、何故あんな谷底に水を汲みに行くのは疑問だが、この子たちの家には雨水を貯めたりする設備が無いのかもしれない。

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やがて、彼女達も我々も出発する事になった。 ここでお姉ちゃんは思わぬ行動に出た。 なんと、今まで来ていたHUNG君の上着を脱ぎ、HUNG 君に差し出したのだ。 HUNG君に何で彼女は上着を返そうとするのかを聞くと、「サイズが合わないから」だという。 それは大人と子供ではサイズが合わないのは当たり前で、ここで大切なのは彼女の「命」だと思うのだが、彼女は頑と譲らない。 数分上着を持ってけ持ってかないの押し問答があった後、 HUNG君は諦めた。  この寒さも、ここで水を運ぶのも彼女の日課なのだ、もっと辛い事もこの姉妹は乗り切ってきたのだろう。 そう思うしかなかった。  私はせめて道沿いに歩くのならば、彼女らの持っている重いタンクや彼女らをバイクで運べないだろうかと相談したのだが、彼女らが行く所はバイクでは到底行けない所で無理だという。 私はザックのポケットに入れていた予備の新品の軍手を1足、彼女のポケットに突っ込んだ。 彼女は手袋を片方しかしておらず、自分の息で手を温めていたからだ。  そして、私たちは諦めてバイクにまたがった。 この姉妹も一旦重いタンクの入っている籠をガードレールに乗せ、背中に背負い,またトボトボ歩きはじめた。

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(左の写真の山は右の写真の山の一部、ここから煙が出ているのでここが家かもしれない)
(私たちがいる所から少なくとも標高差で200mは上、距離は1kmぐらいか?)

バイクを走らせバックミラーから彼女らを見るとお姉ちゃんはこちらを見ていて、妹はもう既に少し先に進んで歩いていた。  あの少女の名前も聞くことは無かったが、きっと今でも健康で生きている事を願うばかりだ。 HUNG君に、「モン族はなぜあんなに険しい所に住むんだろう? もっと川の近くで水や道路に近い所があるのに何故住まないんだろう?川の近くには誰も住んでいない土地がいくらでもあるのに」と怒りにも似た気持ちで訪ねたのだが、私の言っているのはベトナム政府が彼らにしてほしいのと同じ事で、長年の習慣はそう簡単には変えられないのだと言う。

道路がカーブし、また突き出た所に出た。 そして川からどの道で彼女らが500メートルの標高差の崖を上ってきたのかを見たが、道らしい道は無く、たぶん、幅が20cmぐらいのかろうじて人が歩けるぐらいのジグザグの道が見えた。 あそこから足を踏み外したら間違いなく死んでしまうだろう。  この山には木は生えておらず、落ちる途中でひっかかる所さえもない岩山なのだ。

私は色々な事を考えながらバイクを走らせた。 あの美しく着飾った女の子たち、水を運ぶ同じ年頃の女の子たち、どちらが本当の姿なのだろう。 彼女たちも仕事が終われば他の子供のように着飾って笑顔になるのだろうか? 頭の中にいくつもの疑問が沸いてきたが、きっとここで生活し、この険しい山に誰よりも価値を見出して何世代も生活を営んできたのがモン族なのだろう。 そう考えるしかなかった。

そこから数キロ走った所で私のバイクのチェーンが外れて後輪がロックした。 山に向かってカーブしていたから良かったものの、もしこれが谷に向かっているカーブでタイヤがロックしてコケたりしたら今頃この日記は書けなかったかも知れない。 原因は、スプロケットの歯が連続して欠けていた事だった。  この欠けた所にエンジンブレーキなどで力が加わった時にチェーンは外れたようだ。 歯車の歯がないわけだからチェーンは外れて当然だ。 代えの部品があるわけでもないので、ここでは修理不能だが、後輪の軸を緩め、少し前に出し、チェーンを元の位置に収めた後に後輪を後ろに引っ張りチェーンを張りなおし応急処置完了。 とりあえず次の町で修理が可能かどうかバイク屋に持っていくことにした。

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午後3時を過ぎ、やがて、道路沿いに家が一つ二つ見え始め、MEO VACの町に入った。 MEOとは中国語で「猫」を指す。 モン族は中国では「猫族」という蔑称で呼ばれているとの事だった。 日本語では猫は蔑称にはならないし、むしろ猫のようにしなやかな女性は魅力的だよとHUNG君に説明した。  この町に入ってからは驚くべきことにインターネットカフェの看板も見つけた。 更にカラオケ、バイク店もあった。 観光客の姿は無いが、先ほどの世界とは別世界だった。  やがてホテルにチェックインした。 ここのホテルのフロントは今までで一番若いフロントだった。 二人の女の子が受け付けだったが、推定年齢10歳と8歳。  彼女らは少女らしい絵をノートに描いていたが私たちがチェックインする時だけ大人になって、慣れた手つきで部屋の位置を指を指したり部屋のキーを後ろの棚から取ってきたりした。 鍵を渡し終わるとまた彼女らは子供に戻り、絵の続きを描き始めた。

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バイクから荷を解き、階段を上がり部屋に入ると、簡素な造りだが日本のビジネスホテルぐらいの感じのホテルだ。  エアコンもあり、やっと「普通」のホテルという感じだった。 P氏も私もエアコンで暖房が入ることが分り大喜びだった。  

まだ十分に日が高いので、3人で散歩に出た。 Meo VACは高層の建物こそないが、町の体裁を成していた。 少し歩くと陸上競技場のようなものがあり、その奥にあるステージの上で何かをやっている、人々がそこに集まり、時折歓声が聞こえて来る。 子供たちは広いグランドでいくつかの遊びをしている。 その一つはコマ回しだ。 日本の喧嘩コマそっくりで、縄を巻いて一人が回し、後からコマを回す人がコマでそれを弾き飛ばしたら勝ちというルールらしい。 その他にも16Mぐらいの高さの竹の棒の先についている直径20cmぐらいの輪に100Gぐらいの砂袋に尻尾をつけたような物を通すという遊びもやっていた。  それを使ってキャッチボールみたいな遊びに加わったが、とても難しく、輪を通すのは奇跡に近いと思った。

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荷物からお菓子を大量に出してきたので、これを広場の子供たちにあげた。 あっと言う間に人だかりになった。  一箇所にいると人だかりで動けなくなるので広場の奥にあるホーチミンの像のある公園に向かって歩きながらお菓子を配りまくった。  歩く私たちの後にはハーメルンの笛吹き男よろしく子供たちが付いて来る。 広場につくと、そこには更に多くの子供が集まっていた。 70人ぐらいは軽くいる。 広場は男の子が多かったがここは女の子のグループも少し混じっている。  

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公園には10メートル程の丘があり、そこに黄金のホーチミン像があり、子供たちはその岩山に上ったり、2メートルはある所から飛び降りたりしている。 たぶん、この辺りの子供に高所恐怖症の子はいないだろう。 なにせ至る所眺めが良すぎるぐらいの崖だからだ。  もっていた大量のお菓子はほぼ底をついた。 その状況を察したのかHUNG君はいつの間にか市場に走ってお菓子を大量にGETしてきた。 HUNG君によると私があげたボール状のガムを食べた子供は、「この飴はなかなか溶けないね」と言っていたそうだ。 彼は旅の終わりまでこの話をして私を笑わせた。 持っていったチェキも大人気で、自分を撮れとか、この女の子と一緒に撮ってくれとか注文が多い。 お爺さんと孫らしい人が自分の孫と自分を撮ってくれというのでチェキで撮影して差し上げた。 とても感謝された。 その時に持っていたチェキのフィルムも切れると、デジカメで撮影をした。 そのうちデジカメに写っている自分の友達が変な顔をしているのに大笑い。 P氏のデジカメも大活躍で撮影しては画像を見せ撮影しては画像を見せという繰り返しになった。 子供たちはこの頃からほぼトランス状態になり、変な顔を見ては笑い、そして見なくても笑い、画像を覗き込む子供も見えない子供も笑い、なんだかわけの分らない新興宗教みたいになってきた。  そこにHUNG君が到着、袋一杯のお菓子を持って現れた。 HUNG君はお菓子を配り始め、子供たちはそこに殺到、もうどうしようもない状況で、小さい子供はもみくちゃにされ、背の高い子供の肩から手だけが見えている状態。 無数の手のひらが上に向かって伸びながらHUNG君に向かってくる。  HUNG 君は大声を出しながら交通整理しようとするが、ベトナム語が通じないのか聞く耳を持たないのか、まったく収まる気配がない。 そこに、私が勝手に命名したのだが「モン族のおかん」さんが登場、彼女は地元の人だし、強そうだし、この暴走状態の子供たちを制御できるのは「モン族のおかん」しかいないと思った私はHUNG君に助言した。 するとHUNG君もそれに賛成し、「モン族のおかん」に袋を渡した。 「モン族のおかん」は強く、何かをいうと子供たちは列を作っておかしを受け取るようになったが、ほどなく割り込みなどが発生し、また揉みあいになってしまった。  おかんは、とうとう空中にお菓子をばらまくという手段に出た。 これならば、背の低い子供でも大丈夫だし、一箇所に撒かずに広く撒けばパニックも起きない。  そんなわけで残りのお菓子は順調に配布され、辺りもやがて暗くなってきたのでお開きになった。

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ホテルに一旦戻り、ホテルの向かいのバイク屋に私のバイクを持っていった。 HUNG君が交渉してくれたが、スプロケットのスペアパーツは無いらしい、気休め程度に油を差し、ホテルに戻った。

その後、夕食まで時間があったので、P氏と私はインターネットカフェに歩いて向かった。  バイクではこの町の入り口辺りにあったのだが、意外と距離があり街頭の無い真っ暗な町を650メートル程歩いてインターネットカフェに辿りついた。 インターネットカフェに入ると、びっくり、そこにはヘッドホンを付け画面に映っているアバターにダンスをさせている中学生〜高校生ぐらいの女の子が数人、私たちが入ってきているのに気も留めずにパソコンに向かっていた。  なんか場違いにサイバーな感じだ。  私たちが店の奥まで行くと店主らしい若者が出てきた。  英語が全く通じない。 前払いなのか後払いなのかもわからない。  とりあえず3本指を立てるので3万ドン(200円?)程渡して私たちはそれぞれWindows XPのSP1という古いOSのデスクトップパソコンに座った。 日本語のメールを見ようとしてもフォントは無いので、インストールしようとしたらXPのオリジナルCDを入れろと言ってくるので店主に交渉していかにも海賊版のXPを出してもらい、フォントのインストールをしようとしたが、そのディスクにはフォントは入っていなかった。  私は某FTPからXPのマルチリンガルパッケージをダウンロードしようと試みるものの回線がめちゃめちゃ遅い。 日本とベトナムの間の回線が遅いのか、このインターネットカフェ自体の回線が細いのかわからないが、ダウンロードに5時間もかかる速度だった。 絶望的になったところ、P氏がASAHI.COMにアクセスすればフォントだけはDLできるという事を発見しなんとか日本語を読む事は出来るようになった。 日本からの E-MAILやニュース、MIXIを見ているとHUNG君がやってきた。  HUNG君もメールを見たかったのだった。 そこに小一時間いると閉店の時間になった。  HUNG君が金を払い、我々にいくら払った?と聞いた。  二人で3万ドン(200円)払ったというと、目を丸くして店主に行き、金を取り戻した。 一人で3千ドン(20円)だという。 まぁ、どちらでも我々は構わない値段だったが、やっぱりHUNG君がいると頼りに成る。

夕食はいかにも田舎の食堂という所での夕食だった。 お母さんらしい人と、幼稚園ぐらいの娘が一人で切り盛りしている。  店の突き当たりにはベッドがあり、子供が寝巻きで座って人形で遊んでいる。  ベッドの横の壁には小さな棚があり、そこにこの子の宝物らしい物が並んでいる。  それはオモチャのネックレスだったり、他の人形だったり、どうやらこの子はここで生活しているようだ。 生活感がめちゃめちゃある店だった。

外には「KARAOKE」という看板が出ているのだが、カラオケの設備は見当たらない。 店の中には金属のタライがあり、そこに練炭が一つ置いてあり、暖房になっている。  その洗面器の縁には痩せた猫が一匹いる。  この子ウサギのような猫は洗面器に上半身を乗せてウトウトしている。 P氏はこの店にあるウォッカが気に入ったようだが、どうやらここでも自家製らしくビンが空になると中身だけ継ぎ足す。 ここでは酒瓶はもはやただの「器」であって、中身は全く異なる物ばっかりだ。

写真

Ha Giang(ハザン)の町と違い、この町はモン族の人が民族衣装のままで歩き回っている割には開けていると思った。 ホテルに戻り、そして暖かい部屋で暖かいシャワーを浴びてこの一日にあった多くの納得できない事を考えながら床に入った。 そしていつの間にか眠りについていた。

  • かごを下ろすと少女がちが近づいてきた。 傘はさしているものの、ぐっしょり濡れ、寒さに体は震えている。 

    かごを下ろすと少女がちが近づいてきた。 傘はさしているものの、ぐっしょり濡れ、寒さに体は震えている。 

  • 自分の上着を着せた後、バイクのサドルバックからポットを出してきて少女たちにお湯を飲ませるHUNG君、彼も私もあの少女たちを忘れられない。

    自分の上着を着せた後、バイクのサドルバックからポットを出してきて少女たちにお湯を飲ませるHUNG君、彼も私もあの少女たちを忘れられない。

  • お姉さんの籠には20リットルの水タンク、妹の籠には8リットルの水タンクが入り水で満たされていた。

    お姉さんの籠には20リットルの水タンク、妹の籠には8リットルの水タンクが入り水で満たされていた。

  • GPSによると、この崖は700mの落差がある。 この少女たちはこの谷底の川から水を汲んで崖を上ってきた。

    GPSによると、この崖は700mの落差がある。 この少女たちはこの谷底の川から水を汲んで崖を上ってきた。

  • HUNG君のポットからのお湯を飲み、HUNG君の上着を着せ、体を温めている少女。

    HUNG君のポットからのお湯を飲み、HUNG君の上着を着せ、体を温めている少女。

  • 家はここのあたりだという。  とんがった山の途中から煙が出ている。  ここは今いる所から少なくとも400mは上ったところにある。 この写真は望遠で撮ったが次の写真で全景がわかる。<br />

    家はここのあたりだという。  とんがった山の途中から煙が出ている。  ここは今いる所から少なくとも400mは上ったところにある。 この写真は望遠で撮ったが次の写真で全景がわかる。

  • 前の写真のとんがった山が遠くに見える。  ここまで700m、更に400m以上の落差を上る事になる。 水を汲むだけで何時間かかるのだろう。<br />

    前の写真のとんがった山が遠くに見える。  ここまで700m、更に400m以上の落差を上る事になる。 水を汲むだけで何時間かかるのだろう。

  • MEO VACの町のホテルのフロント。 間違いなく小学生が受付だ。 (妹は塗り絵をしていた)

    MEO VACの町のホテルのフロント。 間違いなく小学生が受付だ。 (妹は塗り絵をしていた)

  • MEO VACの町にある多目的グランド。 何かのお祝いのイベントが開かれていた。

    MEO VACの町にある多目的グランド。 何かのお祝いのイベントが開かれていた。

  • コマ回し。<br /><br />羽子板、コマ回し、遠く離れた日本と辺境地のハザンは文化がつながっている。 

    コマ回し。

    羽子板、コマ回し、遠く離れた日本と辺境地のハザンは文化がつながっている。 

  • 子供たちが集まってくる。 幼児から高校生ぐらいまで、どんどん沸いてくる。

    子供たちが集まってくる。 幼児から高校生ぐらいまで、どんどん沸いてくる。

  • HUNG君がお菓子を補充し配り始めるとちょっとしたパニックに・・

    HUNG君がお菓子を補充し配り始めるとちょっとしたパニックに・・

  • とうとう、我々の手に負えなくなり、地元のおばさんにヘルプを求める。  おばさんは笑いながら怒鳴り、子供を並ばせようとするが、ほぼ無駄な努力

    とうとう、我々の手に負えなくなり、地元のおばさんにヘルプを求める。  おばさんは笑いながら怒鳴り、子供を並ばせようとするが、ほぼ無駄な努力

  • 男の子がジェスチャーで女の子と写真を撮ってくれという。 なかなかの美人ではないでしょうか?  やるなー<br />

    男の子がジェスチャーで女の子と写真を撮ってくれという。 なかなかの美人ではないでしょうか?  やるなー

  • 二人目の女の子とのツーショットも希望。 しかしこの女の子には爆笑されている。

    二人目の女の子とのツーショットも希望。 しかしこの女の子には爆笑されている。

  • Google Mapでは、道路はここで行き止まりとなっている。<br />そもそも、このハザン省には普通手に入る紙の地図でも、オンラインの地図でも極端に道路が少ない。  Googleの地図上でも神奈川県ほどの大きさのハザン省に道路は数本しか載っていない。

    Google Mapでは、道路はここで行き止まりとなっている。
    そもそも、このハザン省には普通手に入る紙の地図でも、オンラインの地図でも極端に道路が少ない。  Googleの地図上でも神奈川県ほどの大きさのハザン省に道路は数本しか載っていない。

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