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 享禄二年(1529)岡崎城主・松平清康(徳川家康の祖父)が吉田城(豊橋市)を攻めた時、当時の伊奈城主・本多正忠は清康軍に参加し、先陣をきって東門を破り城を攻め落とした。正忠は清康を伊奈城に招いて凱旋の祝宴を開き、城内の花ヶ池にあった水葵の葉を敷いて酒肴を出したところ、清康は大そう喜び、「立葵は正忠の家の紋なり、此度の戦に、正忠最初に御方参て、勝軍しつ、吉例也、賜らんと仰ありて、これより御家紋とはなされたり。」(藩翰譜・新井白石編)<br /> この記述を裏付けるように、岡崎市の随念寺に残されている清康の肖像画には、「立葵の紋」が描かれている。<br /> このように、本多家から松平家の家紋となった「立葵の紋」が、徳川家康の代に「三つ葉葵の紋」となったと伝えられている。

徳川家の家紋「葵の紋」発祥ゆかりの地

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2009/05/21 - 2009/05/21

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しゅいぐー

しゅいぐーさん

 享禄二年(1529)岡崎城主・松平清康(徳川家康の祖父)が吉田城(豊橋市)を攻めた時、当時の伊奈城主・本多正忠は清康軍に参加し、先陣をきって東門を破り城を攻め落とした。正忠は清康を伊奈城に招いて凱旋の祝宴を開き、城内の花ヶ池にあった水葵の葉を敷いて酒肴を出したところ、清康は大そう喜び、「立葵は正忠の家の紋なり、此度の戦に、正忠最初に御方参て、勝軍しつ、吉例也、賜らんと仰ありて、これより御家紋とはなされたり。」(藩翰譜・新井白石編)
 この記述を裏付けるように、岡崎市の随念寺に残されている清康の肖像画には、「立葵の紋」が描かれている。
 このように、本多家から松平家の家紋となった「立葵の紋」が、徳川家康の代に「三つ葉葵の紋」となったと伝えられている。

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  • 伊奈城跡公園--田園の真ん中です。ここだけ整備されていて。。。。

    伊奈城跡公園--田園の真ん中です。ここだけ整備されていて。。。。

  • お堀をイメージ?

    お堀をイメージ?

  • 堀についての説明

    堀についての説明

  • 家系図

    家系図

  • 由緒ある城でした。

    由緒ある城でした。

  • 葵の紋の由来

    葵の紋の由来

  • 伊奈城跡

    伊奈城跡

  • この上にお城が建っていた

    この上にお城が建っていた

  • 全体的にはこんな感じです。

    全体的にはこんな感じです。

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