2009/05/02 - 2009/05/02
190位(同エリア266件中)
福の海さん
5月2日(土)
午後は羅星公園を散策しました。
公園内には羅星塔、
閩江沿いには海上明珠大酒店(写真ホテル敷地内)、
清仏戦争の舞台となった馬尾、見どころが多々あるようです。
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羅星西路の西端
上島コーヒーのある建物(写真左)、
道路を挟んで西側に羅星公園があります。
遠くに小さく見えるのは 羅星塔 -
次男は人力自転車に乗りたそうでしたが、
公園の方に足を進めます。 -
公園の入り口
無料です。
13:17 入場 -
よく整備された公園でした。
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爽やかな音楽も流れていました。
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階段を登ると
塔は眼と鼻の先です。 -
地元の名士を模った銅像があちこちにありました。
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馬尾、
海を通じ世界と繋がっていたのでしょう。
歴史を調べてみたいものです。 -
羅星塔
福州市の東南21キロ、馬尾港の羅星山にある。磨心塔ともいう。
宋代に柳七娘という女性が建立したと伝えられている。七娘は嶺南の出身、美貌で知られていた。宋氏に嫁いだが、村の有力者・里豪は七娘を奪おうとして夫に無実の罪を着せビン南に流し死に至らしめた。
七娘はこれに抗し、資財をなげうってビン南に塔をつくり夫の冥福を祈ったという。
明代に倒壊したが、有志により再建。八角7層・高さ31.5メートルの石塔で、港内にある羅星山にそびえる。
参照 Chinahotel.com.cn -
陸海の交通の目印、
以前は登れたようです。 -
夏の暑い時、頼りになる樹木・榕樹(ガジュマル)
周囲 7.54メートル
高さ14メートル
直径 19メートル(上部)
この木は、福州市10大榕樹の一つ(2003年5月10日評定) -
中法馬江海戦(=清仏戦争・馬江沖の海戦)
古戦場示意図
海戦時間 1884年8月23日(陰暦甲申七月初三)
清仏戦争
1884(明治17)年〜1885(明治18)年
ベトナム(越南)領有を意図するフランスと、ベトナムでの宗主権を主張する清国との間で行なわれた戦争。
清・ベトナム国境付近のバクレでの両軍衝突にフランスが武力介入。
ベトナム沖から北上したフランス艦隊は、まず台湾を陥落させ、ついで対岸の福州へと攻撃の矛先をむけた。 -
迎えうったのは、当時馬尾港に停泊していた清朝の南洋艦隊。だが、近代的な装備を ほこるフランス軍の前には手も足も出ず、南洋艦隊はたちまち全滅してしまった。
これが、清仏戦争で最大の激戦となった馬江沖の海戦と呼ばれる戦いである。 -
馬江沖の勝利によって勢いに乗ったフランス軍はその後、沿岸に上陸、さらに北上しようとしたが、 やがて反撃に転じた清朝軍と劉永福ひきいる黒旗軍の陸上部隊によって撃退された。
清は次第に劣勢を挽回したが、イギリスの調停で、1885(明治18)年6月天津条約が締結され、清は宗主権を放棄、ベトナムはフランスの保護領となる。
参照 中国近現代史観光ガイド他 -
羅星公園は歴史の足跡の残る公園でした。
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ミン江を見渡せるところに
孫文の像がありました。
我家族 -
公園の下側に見えた
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宿泊施設に行ってみることにしました。
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分譲中のマンション
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その横には
水のない中、停泊する駆逐艦? -
敷地内へ
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海上明珠大酒店
住所:福州市馬尾区羅星塔南側
電話:0591−8398−8888
四星のホテルです。 -
遠くに青洲大橋が見えます。
この橋を渡ると長楽市になり、福州空港までは20分ほどです。 -
船に乗り上流の福州まで戻れたらどんなに快適なことでしょう。
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敷地内を出る頃には
船周辺の水位が上がってきていました。 -
14時半過ぎ
約1時間の散策終了後は
73番バスに乗車し福州へと戻りました。
福州市馬尾区は国際港やよく整備された公園がある素敵な街でした。
おしまい
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