2009/02/28 - 2009/02/28
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ひま人さん
東高野街道は古代には生駒山麓西側の河内潟の海岸線近くを、南北にほぼ真っ直ぐに貫く道であった。時が経つにつれ、次第に陸地が西へ広がり、暮らしの中で歴史や文化が築かれた。
今回は、その古の歴史を紐解くべく遺産めぐりをした。主な由緒ある所として、枚岡神社、暗峠奈良街道、東大阪埋蔵文化財センター、教興寺、恩地神社、観音寺、石神社、道明寺、道明寺天満宮、誉田八幡宮と応身天皇陵を巡り、古市の旧街道を散策した。昼食は農業公園信貴山のどか村で食したが、奈良三郷町の第三セクター経営なのか?、食事もサービスも悪かった。
写真は暗峠、生駒市西畑町と東大坂豊浦町との境にある峠。「暗がり」の名は、鬱蒼と樹木に覆われて昼間も暗い山越えであったことに由来するのが一般的です。
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 観光バス
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枚岡神社本殿。神武天皇即位前3年(663年)の創祀。祭神は天児屋根命他3神。
枚岡梅林として大阪府下では名を知られている。 -
旧東高野街道。
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東大阪市立埋蔵文化財センター。市の歴史は旧石器時代から始まっており、そのころの市域は湿地帯で、山麓の海抜の高い部分から当時の暮らしを示す石器類等が見つかっている。それらを展示しているが、体験学習も出来、子供たちで賑わっている。
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東大阪埋蔵物文化センター横の敷地に復元されている、竪穴住居。
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教興寺本堂、聖徳太子が物部守屋を征伐された時、秦川勝が太子の発願をうけ高安の里に仏教を始めて興す意の寺、「教興寺」を建立した。金堂に弥勒菩薩、講堂に千手観音を安置。鎌倉時代から幾多の変遷を経て江戸時代の延宝7年(1679年)再建された。
近松門左衛門も長らく当寺に滞在したといわれる。 -
教興寺本堂に掲げてある額「大慈三味院」と号した。
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恩地神社本殿、古代集落の長を祀る神社で、祭神は天児屋根命。創建は大和時代の雄略年間の470年頃と伝えられている。
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知識寺(現在はない)東塔に使用されていた塔心礎。
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道明寺天満宮本殿。
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元宮土師社。菅原道真が太宰府で亡くなり、天暦元年(947年)に天満宮が創建されるまでは「土師社」が本社であったが、現在は天満宮が本社、土師社は境内社となっている。
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道明寺本堂、寺伝によれば道明寺という寺名は、道真の「道明」にちなみ土師寺を改めたと記されている。
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誉田八幡宮本殿。応神天皇を主祭神とする神社で、天皇が幼少の頃居住されていた所であり、この地の誉田真若王の娘、仲津姫を皇后にされた。
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応身天皇陵。墳丘長425m、後円部の徑250m、前方部の幅300mで、幅54m以上の内濠を持つ。面積では仁徳陵についで2位だが、体積では日本最大といわれている。5世紀初頭のもので、近くの丸山古墳からは「金銅製透彫鞍金具」(国宝)が出土し、誉田八幡宮に収蔵されている。
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