2009/01/23 - 2009/01/24
1294位(同エリア1824件中)
沙瑠さん
1/23
午前:車でデリーへ
デリーは2020年のオリンピックへの立候補を
してるらしく、道路や外資企業の建設ラッシュで
ビルとか本当に新しく、未来都市なエリアもありました
建築もいいけど、解決しなければならない事項も
多々あるかと。。。北京の二の舞を踏まないように。。。
午後:デリー市内観光
(午前中の移動が予定通りで、時間に余裕があったため
フマユーン廟とデリー郊外約15キロのところにある
クトゥブ・ミーナールとその建造物群を、入場料+
交通費=2人で2,000Rsと言われ、入場料だけで2人で1,000Rsで
あるのが確認できたので、それをオプションしてもらう
というか、それ以外の入場予定地は全て、入場料がタダの
建造物であり、旅行会社のぼったくりを感じずにはいられず)
建国記念日が近かったため、お偉いさんがデリーに
集結してるらしく、首相もあちらことらへの移動が
多かったようで、しばしば交通規制がかかり、
市内では多々渋滞に嵌められました
夜:空港へ
運転手さんには頑張っていただいたので、600Rsを
ショカには、そのうち日本へ行くと言っていたので
日本円で3,000円をチップとして渡しました
日本語ガイドをするなら、是非、日本へ来て
ちゃんと日本人が納得するガイドは何たるかを
学んでいってくださいね!
エア・インディア314便にて香港経由関西空港へ
香港では、現地時間で早朝だったのですが
乗り込んでくる人の多いこと、多いこと
若い人が多かったので、香港の若者は
日本でショッピングやらUSJやらに行くのかな?
1/24
10:40 関西空港到着
空港バスにへ帰宅
後日、日本の旅行会社から、何かしらのアンケートでも
くるのかな?と思っており、ガイド(ショカ)の文句のひとつでも
書こうかと思ってたのですが、何もなかった。
インドの政府観光局に表彰されたことを売りにしてたけど
それは、政府観光局の運営するお土産屋がコースに
入っているからではないか?と旦那ちゃんと二人で確信。。。
お土産、割高だったな〜としみじみ。。。
ア○ョカツアーめ〜・・・
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- タクシー
- 航空会社
- エアインディア
PR
-
移動の途中で立ち寄った
レストラン(というか、ドライブ・イン)
ライムソーダだったかな?
絞ったライム汁が入ったコップと
炭酸水が出てきて、
「辛い?甘い?」と聞かれる
甘い方だとシロップが
辛い方だと塩が出てきます
ちなみに試しに塩入れて飲みました
さっぱりしてて良いのでは? -
どっかのインド旅行本に
記してあったのですが
(妹尾河童さんのインド本だったかな?)
インドも経済発展に合わしてか?
晩婚化が進んでいたり、結婚できない
男性も増えてきてるのだそうだ
で、結構良い年の男性同士が
街中で堂々と手を繋いでいたり
こんな感じで「近くないか!?」と
思えるほど、くっついてる光景を
非常によく見かけました
彫りの深い男性がお好みの女性は
インドで見つける手もありか!? -
デリーの日本レストランでのランチにて
1瓶250Rsでした
現地のお金持ちそうなお客さんが
とても多かったですが、ビールは
他のホテルレストランと相場は一緒でした -
これが、その日本レストラン「富士屋」
とはいえ、中華料理を食べました
日本料理は日本人には不評なのかな?
普通に美味しかったです
店名は漢字ですが、従業員はたぶん
日本語を話せそうになかったです -
デリー中心部から南に13キロ
クトゥブ・ミナール・コンプレックス
という、インド最古のイスラム遺跡へ
やってきました
デリー観光のハイライトともいえる場所らしいのに
本来の観光コースに取り込んでいない旅行会社の
異常なセンスを感じずにはいられませんが
時間もあるので、オプションつけました
この塔は、インド最初のイスラム王朝であった
奴隷王朝(って名前からして・・・)のときである
1026〜1290に戦勝を記念して建設したらしい
高さ73mで4つのバルコニーを持つ5階層
最初にこれを「建てる!」と言った
アクバルちゃんは在位わずか4年で
あの世へ逝ってしまったから、第1層の部分しか
存命中には完成しなかったらしい -
クトゥブ・ミナー
クワットゥル・イスラーム・マスジットル
「イスラムの力」を意味する、インドで
一番最初に造られたモスクだそうだ
1198年に完成
このモスクをつくるために、ゾウをつかって
27のヒンドゥーやジャイナの寺院を壊して
その石材を使ったそうだ
悪いやっちゃのぅ〜 -
クトゥブ・ミナー
クワットゥル・イスラーム・マスジットル
イスラム教は偶像を禁止してるため
(ヒンドゥー寺院でつくられた)
回廊部分の柱や壁の装飾は、当初は
漆喰で塗りつぶされていたらしいが
のちに取れてしまったらしく、
逆に現在の方が、細かい装飾が
見ることができる -
クトゥブ・ミナー
クワットゥル・イスラーム・マスジットル
よく見ると、ヒンドゥー教の神様の
装飾が柱に見られます
漆喰にて塗り固めてたことが
逆に彫刻の保存になってしまったのでしょうかね? -
クトゥブ・ミナー
クワットゥル・イスラーム・マスジットル
これもヒンドゥー彫刻
モスクなのに、これがあることが
非常に貴重ってわけどす -
クトゥブ・ミナー
鉄柱
モスクの中庭にある高さ7m、重さ6tの鉄柱
鉄の純度は100%に近いらしい
この鉄柱を背にして、手を後ろ向きに回して
さわることができれば、その人は幸運になると
いう言い伝えがあるらしいのだが、
現在は、周囲を柵が囲んでしまって、
さわることができません。残念ね。 -
再び、クトゥブ・ミナール
2〜3層は、後継者によって1199年に完成
日本でいうと鎌倉時代ですね
1368年に4層目を修復したついでに
5層目とドームがさらに上部に付け加えられて
ついに100mになったらしい
横に100mはともかく、縦に100mって
たいした技術ですね〜
ところが1803年に地震で落下してしまう(ドームだけかな?)
ムガール朝時代に頂上にチャトリ(小亭)が
つけられたけれども、1848年に取り外され
現在の73mの高さになったそうだ
チャトリは現在も境内の片隅に置かれてます -
第1層の壁面にはコーランのアラビア文字が
刻まれております
かつては、中の階段を使って上部まで
上ることができたらしいが、1979年に
見学中の子どもが転落死してしまったそうで
それ以来、内部は閉鎖されております
ショカは上部がもうちょっと高かったけども
以前、飛行機がぶつかったので、現在の
73mになったと言っていたのだが、そのような
記述が、私には見つからず、本当か否か
信じるかは、、、、、皆様次第でございます。。。
ネット上では、飛行機事故の原因も
記されてはいるようですけども -
アライ・ミナール
クトゥブの2倍の高さの塔を
建てようと1312年に着工
ところが、「造るぞ」と息巻いていた
当時のスルタンが1316年に暗殺されてしまい
工事は中断
直径が25mもあるので、完成してたら
100m以上になっていたそうだけど。。。
どうして、昔も今も、建物の大きさや
高さで、その権威を示そうとする人が
いるのでしょうかね〜?
1女子から見ると、冷ややかな目線を
送ることしかできないのですがね -
この遺跡群には、遠足?社会見学?の
学生団体さんがたくさん来ておりました
私らが京都や奈良に行くようなもんですね
学生さんたちとも、旦那ちゃんが
一緒に写真を撮っていたので、私も
ご一緒させていただきましたが、
私の方が、なぜか照れてしまいました
遠足ではしゃぐ子どもたちを、ほほえましく
思う一方で、制服を着ることもなく、路上を
うろつく子どもたちもいるので、複雑な
気分でした
もちろん、これに写る子たちには、何の
罪もないのですがね。。。 -
フマユーン廟の入口です
その名の通り、フマユーンちゃんのお墓
ムガール朝の2代目の皇帝さんです
タージの建築に多大な影響を与えたと
言われております
なので、入口の門もタージとよく似てます
実際にはフマユーンのヨメである
ハージ・ベグムちゃんが旦那が死んだ後に
着工して9年目の1656年に完成したのだそうだ
ここは世界遺産にも登録されており、最初から
コースに組み込めよ!コノヤロー!と
思うのは間違いではないですよね? -
正面から見ると、確かにタージと
よく似ております
あれが、白なら、これは赤タージか
赤は赤砂岩で白は大理石です
白タージもいいけど、赤タージも結構良いです
こっちの方が観光客も少なくて、
写真も余裕を持って撮れるし
外殻のドームの内部12m下には、もうひとつ
内殻ドームがあるらしく、そういう2重殻構造とかは
中央アジアから伝えられた形式らしい -
これは、正面の階段を上って
基壇の上へ出たところ
写ってる人は、知らない人 -
大理石の棺
といっても、これは仮のモノで、
フマユーンさんのご遺体はこの真下に安置されてるそうだ
この模棺も中央アジアから伝えられた形式らしい -
これは確か、イスラーム聖者の
ニザームッディーンの墓かな???
フマユーン廟からの景色です -
インド門です
第1次世界大戦で戦死したインド兵士の
慰霊碑でございます
車からは降りて見れないため
車内から取りました
なので、本来なら撮影できない銃を持った
兵隊さんも一緒に入ってしまいました -
ラージガード
翌日にお偉いさんが来るということで
安全面と清掃の理由から、
閉園してました
お〜い・・・
入場料が無料とはいえ、せっかく
大渋滞の中、どうにか来たのに〜・・・
そういう情報って、担当ガイドの下へ
連絡がいかないのかしら?
携帯であんだけしゃべってるのに・・・ -
ラール・キラー
レッドフォート(赤い砦)とも
呼ばれております
あのタージちゃんを作った
5代のシャージャハーンちゃんが
これも建築したそうだ
ところがどっこい!
これも見学できず!!!世界遺産なのに!!!
金返せ〜!!!コラァ〜!!! -
ラクシュミー・ナーラーヤン寺院
(ビルラーテンプル)
デリーには歴史的なヒンドゥー建築が
少ないそうで、その中ではポピュラーな寺院
1932年にインド有数の大財閥の
ビルラー家が建立したそうだ
ボンビーな人を多々見てるだけに
見ても何のありがたみも感じない
それなら、全員子どもたちを学校に行かせて
差別のない教育を受けさせろっつーの!アホー! -
レッドフォートの通り挟んで対面にある、
インド最大の
モスクであるジャマー・マスジットも
イスラム教のお祈りの日(だっけ?)で
入場できず
ま、そっちは入場料は無料ですが。。。
やむなく、車内より撮影 -
オートリキシャーの後ろには
必ず『KEEP DISTANCE』と
あるのだけれども、この文字の
装飾が車によって、様々なことを
旦那ちゃんが発見
文字の字体やら、色が1文字ずつ
異なってたりとか
車体そのものは、おそらく法律か何かで
決まってるのだろうから、ここで
密やかに、アピールしてるのね!
これがあれば、駅前で何台も並んでいても
「オレの車じゃ〜!」と言えるしね -
オールドデリーはそこだけが
あえて古くさせてるような状態で
その一画以外の都会っぷりとは
全く色合いが違っていたのでした -
最後の晩餐
とても高級そうなレストランにて
タンドリーチキンを含めたディナーを
食しました
ところが、このとき、ショカへの
チップの料金や渡し方をめぐって
旦那ちゃんとケンカをしていたため
どれを食べても、大して美味しく感じなかった
ように思えます
気分がよければ、もう少し美味しかったのでしょうけども
でも、気分が良くても、以前、私が
自分で作ったタンドリーチキンの方が
ジューシーで美味しかったように思えます
インド料理でなくてもいえますが、
日本はやっぱり食材の質が良いので
現地よりも、日本の外国料理店の方が
美味しかったりしますよね。。。今や
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