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1).旅の始めに<br /><br />                                         行く人に 来る人出合う 秋の声 <br /><br />  一雨ごとに、肌寒さを少しづつは感じ始めていたが、気が付けば、今や秋も深まる今日この頃である。「上海」から揚子江を溯ること100キロ辺りに「張家港」という街がある。西は「無錫」、東は「常熟」、南は「蘇州」、そして北で揚子江を挟んで「南通市」に囲まれた街だが、かつては水郷の入り組む揚子江河岸の半農半漁の町であったが、改革開放により、今では工業地帯へ、大きく変わろうとしている。<br /><br />2).江蘇省「張家港」へ<br /><br />  この「張家港市」は、唐の時代には、「黄泗浦」という内港の街であった。753年、「鑑真」和上は、ここから6度目の正直で、日本へ渡っている。今は揚子江の流れも変り、その港があった付近は、『東渡苑』という公園になっており、そこに『鑑真東渡記念館』がある。その日、入り口辺りでうろうろする僕を見た、係員は記念館の鍵を開け、中へ入れてくれた。そこには、「唐招提寺」で見たよりは幾分年老いた、盲の「鑑真」像が置かれてあった。五度の失敗にもめげず、「鑑真」は、時の皇帝「玄宗」の許可なく、夜陰に乗じ、「揚州」の揚子江から小舟に乗り、ここ「黄泗浦」まで下り、故国「扶桑」(日本)へ帰国する遣唐使船へ、乗り換えている。<br />  11月15日夜半、折からの月明かりを利して出発しようとした第一船に乗っていた在唐36年の「阿倍仲麻呂」は、「あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさの山に いでし月かも」と、故郷を思う心を詠んでいる。しかし、「阿倍仲麻呂」が乗っていた第一船は、ベトナムへ流され、友人「白楽天」も、彼の消息を憂う詩を詠んでいる。結局、「仲麻呂」は、「長安」へは戻れたが、故国日本には、戻ることは出来なかった。<br /><br />3).閑話休題<br /><br />  この旅では、当初、「浙江省」での「空海」の足跡を追いかけようと考えていたが、高校時代の女子同級生と、中国江南地方へ一緒に旅することが、直前に決まり、翌日、「上海浦東空港」へ、僕は迎えに出掛けた。三人の女子同級生は、「上海浦東空港」に飛行機が到着して一時間余経った頃、荷物を転がしながら、空港ロビーへ出て来た。合流後、リニアと地下鉄に乗り換え、「上海南駅」へ向かい、杭州行きの列車に乗り換えた。車内では、賑やかにおしゃべりを楽しんでいる内に、「杭州駅」へ到着した。<br /><br />4).杭州市「西湖」へ<br /><br />  この夜の月は、丸みが欠け始めた「亥中」(二十日月)の月である。今宵は、西湖に、舟を浮かべ、月を待ちながら、杭州料理を肴に、紹興酒を楽しむという、我が同窓の西施達との舟遊びに幾ばかりか、僕は胸を弾ませていた。しかし、我が西施達は、目の前の子舟の危なさに躊躇し、急遽、西湖堤の老舗「楼外楼」で、食事をしながら「月待ち」をすることになった。<br />      <br />              堤行く         西施の影に       枯れ蓮 (ハチス)                       <br /><br />     翌日、「西湖」近くの「霊隠寺」の大雄宝殿の裏で、見慣れた「弘法大師」さんの像を見つけた。その後、古運河に沿って水郷地帯を、車で「蘇州」へ向かい、途中、「枕水江南の里」と呼ばれる「烏鎮」に一泊した。この水郷の街では、入り組んだ運河に沿って歩き回り、大運河のほとりにある食堂で、歩き疲れたわが西施達の顔色を伺いながら、まずは「鼈」(すっぽん)を注文し、些か危な気な田舎料理を楽しんだのである。 <br /><br />5).江蘇省「蘇州」、そして上海へ<br /><br />  翌日、「京杭大運河」に沿い「蘇州」に向かった。「蘇州」では、『拙政園』に向かい、午後は『寒山寺』を訪ね、「寒山拾得」の縁のこの寺での、「弘法大師」の足跡を辿りながら、日中交流の深さを改めて確認した。「虎丘」では、「西施」の足跡を探らんと、動き回り、夕方、わが同級の西施達は、結婚披露宴の脇で、新郎新婦の品定めに励みながらも、蘇州料理を、しっかりと堪能していた。<br />  短期間の欲張りな旅に、さすが疲れた我々は、「蘇州」から汽車で「上海」に戻った。夕暮れになり、「外灘」へ、そして、嘗ての「大馬路」の「南京路」や、「夢の四馬路」と歌われた「福州路」を闊歩し、奇妙なビルの櫛比する「浦東」へも出かけたが、その日の歩数は、実に25,000歩余であった。夕食は、南京西路の『梅龍鎮酒店』で、上海・四川料理を堪能した。僕は「上海黒標」の老酒に聊か酔いながらも、その後、わが西施達との、黄浦江ナイトクルーズを、楽しんだ。<br /><br />6).旅の終わりに<br /><br />  帰国の日は、朝食は、旧上海城内の「豫園』に行き、中国式朝食を、昼食は、老舗の『上海老飯店』で、江南地方の漬物やら、冷菜の野菜料理、そして中国デザートなどに舌鼓を打ち、中国料理の食べ納めを、楽しんだ。<br />  わが同級生の西施達は、普段は穏やか人達ではあるが、この旅での、怯むことなき、旺盛な好奇心に驚かされたのである。お陰で、中国の旅の新たな面白さを知り、見慣れた中国の新しい一面をも、見ることが出来た。(完)<br /><br /><br />表紙写真:張家港市(昔は「黄泗浦」と呼ばれていた)にある「鑑真東渡記念館」<br /><br />* Coodinator:  H.Gu                             <br /><br /><br /><br /><br />

【江蘇省】 張家港 * 鑑真 扶桑(日本)へ旅立つ日々を 旅する

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2006/10/10 - 2006/10/16

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彷徨人MU

彷徨人MUさん

1).旅の始めに

               行く人に 来る人出合う 秋の声 

  一雨ごとに、肌寒さを少しづつは感じ始めていたが、気が付けば、今や秋も深まる今日この頃である。「上海」から揚子江を溯ること100キロ辺りに「張家港」という街がある。西は「無錫」、東は「常熟」、南は「蘇州」、そして北で揚子江を挟んで「南通市」に囲まれた街だが、かつては水郷の入り組む揚子江河岸の半農半漁の町であったが、改革開放により、今では工業地帯へ、大きく変わろうとしている。

2).江蘇省「張家港」へ

  この「張家港市」は、唐の時代には、「黄泗浦」という内港の街であった。753年、「鑑真」和上は、ここから6度目の正直で、日本へ渡っている。今は揚子江の流れも変り、その港があった付近は、『東渡苑』という公園になっており、そこに『鑑真東渡記念館』がある。その日、入り口辺りでうろうろする僕を見た、係員は記念館の鍵を開け、中へ入れてくれた。そこには、「唐招提寺」で見たよりは幾分年老いた、盲の「鑑真」像が置かれてあった。五度の失敗にもめげず、「鑑真」は、時の皇帝「玄宗」の許可なく、夜陰に乗じ、「揚州」の揚子江から小舟に乗り、ここ「黄泗浦」まで下り、故国「扶桑」(日本)へ帰国する遣唐使船へ、乗り換えている。
  11月15日夜半、折からの月明かりを利して出発しようとした第一船に乗っていた在唐36年の「阿倍仲麻呂」は、「あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさの山に いでし月かも」と、故郷を思う心を詠んでいる。しかし、「阿倍仲麻呂」が乗っていた第一船は、ベトナムへ流され、友人「白楽天」も、彼の消息を憂う詩を詠んでいる。結局、「仲麻呂」は、「長安」へは戻れたが、故国日本には、戻ることは出来なかった。

3).閑話休題

  この旅では、当初、「浙江省」での「空海」の足跡を追いかけようと考えていたが、高校時代の女子同級生と、中国江南地方へ一緒に旅することが、直前に決まり、翌日、「上海浦東空港」へ、僕は迎えに出掛けた。三人の女子同級生は、「上海浦東空港」に飛行機が到着して一時間余経った頃、荷物を転がしながら、空港ロビーへ出て来た。合流後、リニアと地下鉄に乗り換え、「上海南駅」へ向かい、杭州行きの列車に乗り換えた。車内では、賑やかにおしゃべりを楽しんでいる内に、「杭州駅」へ到着した。

4).杭州市「西湖」へ

  この夜の月は、丸みが欠け始めた「亥中」(二十日月)の月である。今宵は、西湖に、舟を浮かべ、月を待ちながら、杭州料理を肴に、紹興酒を楽しむという、我が同窓の西施達との舟遊びに幾ばかりか、僕は胸を弾ませていた。しかし、我が西施達は、目の前の子舟の危なさに躊躇し、急遽、西湖堤の老舗「楼外楼」で、食事をしながら「月待ち」をすることになった。

              堤行く  西施の影に  枯れ蓮 (ハチス)

 翌日、「西湖」近くの「霊隠寺」の大雄宝殿の裏で、見慣れた「弘法大師」さんの像を見つけた。その後、古運河に沿って水郷地帯を、車で「蘇州」へ向かい、途中、「枕水江南の里」と呼ばれる「烏鎮」に一泊した。この水郷の街では、入り組んだ運河に沿って歩き回り、大運河のほとりにある食堂で、歩き疲れたわが西施達の顔色を伺いながら、まずは「鼈」(すっぽん)を注文し、些か危な気な田舎料理を楽しんだのである。 

5).江蘇省「蘇州」、そして上海へ

  翌日、「京杭大運河」に沿い「蘇州」に向かった。「蘇州」では、『拙政園』に向かい、午後は『寒山寺』を訪ね、「寒山拾得」の縁のこの寺での、「弘法大師」の足跡を辿りながら、日中交流の深さを改めて確認した。「虎丘」では、「西施」の足跡を探らんと、動き回り、夕方、わが同級の西施達は、結婚披露宴の脇で、新郎新婦の品定めに励みながらも、蘇州料理を、しっかりと堪能していた。
  短期間の欲張りな旅に、さすが疲れた我々は、「蘇州」から汽車で「上海」に戻った。夕暮れになり、「外灘」へ、そして、嘗ての「大馬路」の「南京路」や、「夢の四馬路」と歌われた「福州路」を闊歩し、奇妙なビルの櫛比する「浦東」へも出かけたが、その日の歩数は、実に25,000歩余であった。夕食は、南京西路の『梅龍鎮酒店』で、上海・四川料理を堪能した。僕は「上海黒標」の老酒に聊か酔いながらも、その後、わが西施達との、黄浦江ナイトクルーズを、楽しんだ。

6).旅の終わりに

  帰国の日は、朝食は、旧上海城内の「豫園』に行き、中国式朝食を、昼食は、老舗の『上海老飯店』で、江南地方の漬物やら、冷菜の野菜料理、そして中国デザートなどに舌鼓を打ち、中国料理の食べ納めを、楽しんだ。
  わが同級生の西施達は、普段は穏やか人達ではあるが、この旅での、怯むことなき、旺盛な好奇心に驚かされたのである。お陰で、中国の旅の新たな面白さを知り、見慣れた中国の新しい一面をも、見ることが出来た。(完)


表紙写真:張家港市(昔は「黄泗浦」と呼ばれていた)にある「鑑真東渡記念館」

* Coodinator: H.Gu




同行者
友人
交通手段
高速・路線バス タクシー
  • 遣唐使船の模型

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  • この旅で楽しんだ江南料理

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