2008/09/27 - 2008/09/28
315位(同エリア477件中)
かめさん
ちょっとディープなサントリー山崎蒸留所+その周辺
サントリー山崎蒸留所
国宝の茶室 妙喜庵待庵
離宮八幡
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- 交通手段
- 新幹線
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妙喜庵待庵 国宝の茶室 千利休の傑作
ここは京都です。
見学は1ヶ月以上前に往復はがきで申し込みです。 -
国宝の茶室 妙喜庵待庵
簡単に見学はできません。
敷居の高さは125?ありました。 -
国宝の茶室 妙喜庵待庵
何気なくあるので、誰も千利休の代表的茶室とは気づきません。
重要文化財 書院
開山春嶽禅師の建立になるもので、室町時代の書院造りであります。また宗鑑の住居を移築したものとも伝えられています。
特徴は、柱、長押(なげし)などの細さにあります。細い木材を利用していますが、強度は充分に保たれており、猿頬天井や竹節欄間などにその特徴がよくみられます。
縁側にある扁額は東福寺の南宗流という書道の開祖の筆で室町時代のものであります。
書院は京都妙心寺の霊雲院書院を模したものとも伝えられています。
仏壇正面には聖観音を祀り、左手には千利休像を安置しています。 -
国宝の茶室 妙喜庵待庵
妙喜庵の歴史
妙喜庵は、臨済宗東福寺派に属し、室町時代の明応年間(1492〜1501)に建立されました。
開山は、東福寺の開山聖一国師法嗣である春嶽士芳禅師で、もと連歌の祖であった山崎宗鑑の屋敷を、宗鑑が晩年に四国に移ったあとを寺にしたと伝えられています。寺号山号は、開山春嶽禅師が名付けたもので、”妙喜庵”という庵号は宋の大慧禅師の庵号からつけられたものです。
当庵三世功叔禅師の世に、明智光秀と羽柴秀吉が戦った山崎の合戦があったが、戦争が終わったあとも秀吉は山崎を本拠として半年間ほど住み、千利休を呼び茶会を開いていたようであリます。
功叔禅師は知られた茶人で利休の弟子といわれており、秀吉が山崎で茶会を開いたときには、利休の手伝いをしていたようです。
山崎の地は油の販売で賑わった時もありましたが、江戸時代になると次第にさびれ、明治時代初期には東福寺派の寺院も廃寺になるところが多く、当庵だけが昔の面影を伝えています。
山崎宗鑑と妙喜庵
当庵は連歌俳諧の始祖で知られる山崎宗鑑の隠棲地と伝えられます。宗鑑は近江源氏佐々木義清の子孫で、後土御門天皇の寛正六年(1466年)に滋賀県常盤村に生まれ名を弥三郎範重といい、足利九代将軍義尚の祐筆となりました。義尚の死去にあい、人生の無常を悟り髪を切って尼崎に隠居していたが、一休禅師の指導を受けてその禅風を伝え、明応年間に山崎に住まいしました。それから山崎を姓として連歌にふけり、油を荷って京に出て終日売り歩き帰庵するのを常としていました。
宵毎に都を出づる油売り ふけてのみ見る山崎の月
後世宗鑑の油筒を模して花入れとした”油筒の花入れ”は妙喜庵名物の一つであります。
晩年宗鑑は、この庵を春嶽禅師に譲り、西国に旅して讃岐の地に一夜庵を造って住んだとのことです。 -
JR山崎駅前の 妙喜庵待庵
お茶をやっている人100人中2人は知っている
超有名な 千利休の茶室 妙喜庵待庵 です。
現在、国宝に指定されている茶室は三棟あります。当庵の待庵と、犬山の如庵、大徳寺の密庵で利休の作と伝えられている確かな席は、待庵だけです。
三世功叔和尚の世に、天王山の合戦がおこり(1582年)羽柴秀吉は明智光秀を討とうとして、姫路より軍を進め天正10(1582)年6月13日山崎の地にいたり、陣をしいて陣中に千利休を招いて二畳隅炉の茶室を作らせた。利休は功叔和尚と共に秀吉に茶を点じ、禅を談じた。その後、解体され当庵に移されたとの寺伝があります。
待庵は利休独特の構想で建てられ、当時と同じ場所にほとんどそのままの姿で現存している、わが国最古の茶室建造物で利休の遺構としては唯一のものなのです。
内部は掛け込み天井と棹縁天井の組み合わせ、床の間の隅や天井を塗りまわした室床の構造から、二畳のわりには広く感じられ、連子窓、下地窓の配置、すさを出した壁の塗り方、やや広い躙口(にじりぐち)隅炉などと共に利休の非凡さがうかがわれます。 -
料亭 三笑亭 (さんしょうてい)
離宮八幡宮のすぐ近くにある。離宮八幡宮というのは油の神様で、そこの神油を頂いて天ぷらを揚げたのが始まり。 -
関大明神社(せきだいみょうじんじゃ)は、大阪府三島郡島本町にある神社。祭神は、大己貴命・天児屋根命。
島本町から京都府乙訓郡大山崎町にかけての土地は天王山と淀川(桂川)に挟まれ、古くは山崎橋も存在したことなどから交通の要衝として関所が設置されており、関大明神社の名前の由来となっている。またこの神社自身が関所跡地である。
水無瀬の里に置かれていたが洪水によってこの地へ移されたとも、京都へ悪霊の侵入を防ぐためこの地に道祖神が建立されたのが起源ともされている。
この地は西国街道の宿場町で、周辺には古い建物が散見される。また従是東山城国との石碑も存在する。古くはこの関大明神社の前に流れる小川が摂津国と山城国の境だったと言われており、現在でもこの川にほぼ沿った形で府境が引かれている。
門前、道を隔てた北側に伝山崎宗鑑屋敷跡碑が建つ。 -
サントリー山崎蒸留所です。
この道は、蒸留所内の道ではなく 公道だそうです。
突き当り真正面は神社、その奥は、大阪水上隣保館です。 -
山崎とでっかく 書いてあります。
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サントリーウイスキー館です。
庭の花がとてもきれいです。 -
入口付近です。
釜があります。 -
蒸留釜です。
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蒸留釜のアップです。
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世界でも稀な形の異なる多様な初溜釜・再溜釜
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世界で一番古い 現役樽です。
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佐治さんと鳥居さんです。
サントリーというのは、鳥居さんを さん鳥居 から来ています。 -
サントリー シングルモルト山崎25年を試飲しました。
1本 10万5000円です。
これだけの試飲で 2000円です。
まろやかで濃厚でした。
無料試飲で飲んだ サントリー シングルモルト山崎12年の 1対1 ソーダ割りも、上品な甘ったるくないワインみたいですごくおいしかったです。 -
斎藤道三ゆかりの離宮八幡宮です。
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平安時代(794〜)の初め、清和天皇が太陽が身に宿る夢を見、神のお告げを聞きました。
そのお告げとは鎮護国家の為九州は宇佐八幡宮より八幡神を京へ動座せよというものでした。そこで清和天皇は僧の行教に八幡神を京へ動座するよう命じます。
天皇の命を受け、八幡神を奉じて帰京した行教が山崎の津(当時淀川の航海の為に設けられていた港)で夜の山(神降山)に霊光を見ました。不思議に思いその地を少し掘ってみると岩間に清水が湧き出したのでこれぞご神威と、ここに御神体を鎮座し社を創建する事にしました。
貞観元年(859)国家安康、国民平安を目的とする「石清水八幡宮」という神社が建立されました。さらに、ここは嵯峨天皇の離宮跡であった為、後に社号が「離宮八幡宮」と改称されました。 -
このように嵯峨天皇の離宮であった「河陽宮」があった場所に離宮八幡宮が創建されたのですが、貞観(859〜)年間、時の神官が神示を受けて「長木」という搾油器を発明し、「荏胡麻油」の製油を始めました。
当初は神社仏閣の燈明用油として奉納されていましたが次第に全国にこの業が広まり、離宮八幡宮は朝廷より「油祖」の名を賜って山崎に「油座」の制度が布かれました。諸国の油商人は本宮から許状を授与されるに至り、離宮八幡宮は油の販売権を独占して栄えてゆきます。
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